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第23話

成城にある鷹栖総合病院は、政財界の大物も入院する様な、大きく立派な病院だ。

姉貴の古い友人の(つて)で、鷹栖武蔵(たかす むさし)という精神科の医者を紹介して貰った。

「お休みの日に、申し訳ありません」

「いゃ、構わないよ。休みだからって、予定がある訳じゃないし…緊急呼び出しさえなければ、暇なんだ」

柔らかな笑みを湛えたその人は、ニヤニヤと笑って俺に尋ねた。

「デカイよね…幾つあるの、身長?」

「195㎝です」

「へぇ…久々に見たよ、君みたいにデカイ奴…高校の水泳部の後輩に、1人居たんだけどね…何かスポーツしてるの?」

「えぇ…大学でバレーボールを」

「そっか…何となく…雰囲気も似てる」

そう言って、武蔵先生はクスクスと笑った。

「それで…あの恐いお姉さんとは、どういう関係かな?」

「幸村京子さんの事ですか?」

「そうそう…京子ちゃん。昔は凄い化粧して、鎖振り回してたお嬢さん」

「姉のレディース時代の後輩だそうで、昔京子さんがヘッドやってたチームに居たんです」

「そうなんだ…今は刑事をしてるんだよね?」

「えぇ、新宿署の生活安全課に居るらしいですね」

「いぃね…警察も乙な事をする」

「先生も、お知り合いなんですか?」

「少しね。弟の喧嘩友達みたいな物で…よく怪我の治療をさせられたもんだよ」

懐かしそうに目を細めて、彼は珈琲を啜る。

新宿駅に程近いスタバで、俺達は対面していた。

「悪いね、こんな所で…落ち着かないかい?」

「…いぇ」

「珈琲中毒でね…仕事中も常に手離せなくて……それで?君みたいに心身共に健康そうな大学生が、精神科の医者に何の相談?」

俺は、典子の置かれた状況と症状を具体的に話し、どの様な対応をしたら良いか教えを乞うた。

「本来なら、患者を診ないと何とも言えないんだけどな…」

「だけど、俺は彼女の身内でも何でもねぇし…彼女自身が病院に行きたがらねぇんじゃ、どうしようもねぇでしょ?」

「まぁ…そうだね。診断は差し控えるよ。一応僕は、プロの医者だから」

そう言って、少し強引だが…と言って対処方を教えて貰った。

「もしね…何か少しでもおかしいと思う様な症状が出たら…ウチの病院に連絡しなさい…わかったね?」

そう言って、武蔵先生はレシートを持って立ち上がった。

「でも…一刻も早く連れて来た方がいいな……彼女もだけど、父親の方もね…」

山梨の病院に入院した典子が、2日間の入院の後鷹栖総合病院へ転院するには、武蔵先生の名前を出すと、すんなりと許可が出た。

「辛い思いを、しちゃったみたいだね…」

倒れた経緯を説明すると、意識を失ったままの典子の躰に色々なコードを取り付けさせた武蔵先生は、機械を操りながら俺に言った。

「彼女のお父さん…帰国、いつになるって?」

「今日の夜には、こちらに到着するそうです」

井手さんが、俺に代わって武蔵先生に答える。

「そうか…じゃあ、今の内に…君達にも協力して貰わないとね」

「何をでしょうか?」

「彼女のね…データを取りたいんだ」

「…」

「山梨の病院でも、昨日のウチの病院の検査でも、彼女の脳や心臓に異常は見つからなかった。にも拘わらず意識を取り戻さないという事は、精神的に閉じ籠ってると考えられるんだよ」

にこやかに隣室の典子をガラス越しに窺う武蔵先生に、俺は拳を握り締めて尋ねた。

「アンタ…典子を実験動物にする積もりじゃねぇだろうな!?」

「和賀ッ!!失礼だろっ!?」

「…信じられないかい?」

黙り込み睨み付ける俺を見て、武蔵先生はクスクスと笑った。

「…悪い悪い…でもね、今の内に君のデータが欲しいんだよ、和賀君」

「…俺の!?」

「そう、君のデータ…じゃないと、多分…君が後悔する事になる」

「…どういう事だ?」

「時間勿体ないから…助っ人も頼んでるし、実験始めようか?」

「オイッ!?」

「彼女の負担も考えなさい、和賀君…いつまでもコードで機械に繋がれてちゃ、可哀想だろ?」

ムッとする俺に、井手さんが肩を叩く。

「今から順番に部屋にに入り、10分間…彼女に呼び掛けて下さい。何を話しても構わないが、途中合図を送ったら彼女を強い口調で叱って欲しい。その後、手を握って優しい口調で話し掛けて下さい。注意して欲しいのは、最初に自分が誰か彼女に理解させる事、本気で彼女に目覚めて欲しいと思う事…音声、映像、心電図、発汗、脳波、サーモグラフィ等…あらゆるデータを記録します。順番は、最初が看護師の木田君、次が井手さん、その次が技師の細谷君、最後が和賀君…いいね?」

記録が開始され、木田と呼ばれた看護師が、こちらのブースから隣の部屋に入ると、コードで繋がれた典子の眠るベッドの横に置かれた椅子に座り、彼女に自己紹介を始めた。

「…先生…話しても…」

井手さんが、そっと武蔵先生に声を掛ける。

「大丈夫ですよ、こちらの声は聞こえないから」

「何故、男性ばかりなんですか?」

「彼女の回り…殆どが男性でしょう?それに、ちょっと確かめたい事があってね…」

「この映像は?」

「彼女の脳波の画像ですよ…簡単に言うと、色で緊張の度合いがわかるんです。最初緑色だったのが、オレンジから赤に変わって来たでしょう?知らない人間に話し掛けられて、緊張してるんです」

「寝ていても、わかるものなんですか?」

「…厳密には、寝ている訳ではない…意識を沈めているんですよ」

ブースから合図が送られ、中の男性が典子を叱責すると、画面の色は真っ赤になり…その後、手を握って語り掛けると画面は赤が黒っぽく変化する。

「脈、呼吸、発汗…物凄く緊張してるね」

最初の男性が部屋から去り、脳波の画面が緑色に色に戻るのに約1時間…典子が落ち着き、平静を取り戻すのを待って、井手さんが部屋に入る。

「…典ちゃん、僕だよ…わかるかい?」

気配を察してオレンジになりかけた脳波が…スッと濃い緑色に変化した。

「井手さんだと、認識出来た様だね…」

話の内容によって、様々な色に変化する脳波が、叱責もしないのに一気に真っ赤になった。

「ホォ…成る程ね…」

ニヤニヤと笑う武蔵先生が、俺を見てニタリと笑う。

「和賀君さぁ…彼女を叱った後に、この間教えた、アレ…やってみてくれないかな?」

「…暗示ですか?」

「そうそう…まぁ、彼女を落ち着かせてやろうと思って、話してくれたらそれでいいんだけどね…」

「…」

「まだ、僕が信じられないかい?」

「…」

「そんな所迄、奴そっくりだな……大丈夫、僕は…彼女の味方だから」

「…典子の味方?」

「そう…僕は、彼女の…患者の味方だから…」

「…当たり前だろ?医者なんだから…」

武蔵先生はクスクスと笑うと、そうだねと言った。

「…典子…俺だ…わかるか?」

俺の順番が来て、ベッドの横に置かれた椅子に座って呼び掛ける。

こうやって、間近に典子を見るのは何日振りだろう……毎日、あんなに一緒に居て…手を伸ばせば直ぐに触れ合う距離に居たっていうのに…。

「…何やってんだ、お前は……起きろよ…典子…」

「例の写真の事も…花村の事も…全てケリが着いた。皆、お前の事を待ってんだぞ?」

「…大体、滝川の言葉なんかに惑わされやがって…何で、あんな奴の言う事を信じてんだ、お前は…」

「なぁ、典子…お前……俺の事、そんなに信じられなかったのか?俺が、テメェ勝手な愛し方しかしてやらなかったからか?」

「…そうだよな……直ぐビビる癖して、意地っ張りで…何でもかんでも我慢しちまって……人一倍寂しがり屋なお前を1人にして…守ってやれなかったからな、俺は…。だがな、典子……言ったろ?お前は、俺の女で…逃がさねぇって……誰に何言われ様とな、それだけは譲れねぇ…」

典子の目尻から…一筋の涙が溢れ落ちる…。

俺はブースの中の武蔵先生に、苦笑しながら言った。

「…悪ぃな、先生……今の俺は、典子の事怒鳴るなんて出来ねぇわ」

そして、典子の流した涙を拭ってやると、指を絡めて手を繋ぎ、その手の甲にキスをした。

「意識なくしてても、相変わらず泣き虫だな、お前は……だけど、何で1人で泣いてる?お前の泣く場所は、俺の腕の中だろうが?」

「……愛してる、典子…戻って来い、俺の腕の中へ…」

チラリとブースを見ると、武蔵先生が頭の上で丸を作り、もっと話し掛ける様にとゼスチャーをする。

「そうだ、典子…お前退院したら、俺の家で生活させるからな?親父も姉貴も、祐三さんも賛成してくれた。お前、放っとくと食事しねぇし、俺が一緒じゃねぇと寂しくてちゃんと寝れねぇし……親父も、毎日スープ作ってくれるって言ってる……それで、いいな?」

「だから…早く起きて…帰って来い。ずっと……一緒に居てやるから…」

典子の柔らかな唇をそっとなぞりながらそう語り掛けると、繋いだ手の指先が少し動く。

閉じられた瞼の中で眼球が動き、半開きの唇が微かに震えた。

「典子?典子…お前…」

そう俺が呼び掛けた時、突然ドアが開き…息も絶え絶えの男性が飛び込んで来た。

「ノリコッ!!ノリコッ!!」

ベッドに寄り添う俺を見た瞳が、憎悪に燃え…俺の躰を突飛ばし、繋がれた手を振り払うと、検査の為に繋がれたコードを物ともせず、彼女を抱き上げて抱き締める。

「ノリコッ!!」

「宇佐美先生ッ!!止めて下さいっ!!」

ブースから駆け出して来た井手さんが止めるのも振り切って、宇佐美隆義氏…典子の父親は、娘の名前を狂った様に叫びながら抱き締めた。

「何故だ、井手!?どうしてこんな状態になってる!!それに精神科とはどういう事だっ!!」

「宇佐美先生!落ち着いて下さい!!」

「これが落ち着いていられるかッ!?ノリコ、ノリコ…一緒に帰ろう…私が治してやる…」

「無理ですよ、きっと…」

淡々とした声に、典子の父親は目を剥いた。

「お前は、誰だッ!?」

「お嬢さんの主治医で、鷹栖武蔵と言います」

「無理とは、どういう事だ!?」

「貴方じゃ、お嬢さんを目覚めさせる事は出来ないって事です」

「何っ!?…それは、お前が藪だって事だろう!?」

「まぁ…僕の事を何と言って頂いても構いませんが…貴方じゃ無理です。下手すりゃ、お嬢さん…一生寝た切りですよ?」

「…お前なんぞに、大事な娘を任せて置けるかッ!?」

「…転院って事ですか?構いませんが…」

「先生っ!?」

俺は思わず、武蔵先生の胸ぐらを掴んだ。

「何言ってんだ、アンタ…」

武蔵先生は、俺の顔を見て片端だけ口角を上げ笑って見せると、典子の父親に言った。

「転院させても、多分この病院に戻って来ますよ?」

「…何…だと!?」

「言っちゃ悪いが…関東じゃ、この病院程施設が充実してる病院はないんですよね…序に、医者もね」

「…」

「ウチの病院から出て、受け入れる病院があるか…確かめてみます?」

「…」

「お嬢さんを助けたいと思うなら…私に任せなさい」

「本当に…治るのか?」

「貴方が、私の指示に従うなら…多分ね」

「多分!?」

「そう…多分。だが、貴方が私の指示に従わなかったり、強引に家に連れ帰ろうとするなら…彼女の心は、二度と目覚めないでしょうね」

「…」

「どうしますか、宇佐美さん?」

「…わかった…貴方に任せよう、先生」

「それじゃ、彼女をストレッチャーに…病室に戻して!」

看護師達が、典子の父親から彼女の躰を取り上げ、躰に付けられたコード等を外して行く。

「和賀君、君は彼女に付き添って呼び掛けてくれ…彼女は今、極度に緊張して興奮してるから…いつもの様に、抱き締めて上げて」

「…わかりました」

踵を返して典子に付き添う俺の背中に、憎悪の眼差しが向けられる。

「先生ッ!?彼は、何なんですかッ!?」

「何なんですかって…彼は、お嬢さんの恋人ですよ?」

「何…だとっ!?」

「まぁまぁ…興奮しないで…。経緯や病状、検査結果を説明致しますので…井手さんにも同席して頂きたいのですが、宜しいですか?」

「…わかりました」

3人が廊下から去ると、看護師達が溜め息を吐いた。

「武蔵先生…怒ってたな…」

「そりゃそうさ…検査もだけど…もう少しで、この患者さん目覚める所だったんだから…」

「えっ!?」

「それが、あの父親が入って来た途端…オールレッド」

「でも大丈夫…先生があぁ言う風に言う時はね…。あぁ見えて名医なんですよ、武蔵先生は」

そう言って、看護師逹は笑った。


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