第13話
店に帰り、カップにポタージュスープを入れて貰い部屋に戻ると、泣き腫らした目をした玉置に松本が寄り添っていた。
「…済まなかったな」
「どうだった?」
「まぁ、概ね理解出来た…お前達、飯は?」
「…いや」
「店で食って行ってくれ…姉貴に言っといたから」
「…わかった」
松本が、玉置に手を貸して立ち上がらせる。
「…和賀さん……典子の事…」
「任せろ」
「…」
「大丈夫だよ、姫……要に任せよう」
玉置は何も言わずに俺に頭を下げ、松本と一緒に出て行った。
宇佐美は、俺のベッドで静かに寝息を立てている…そっと額に触れ熱を計ろうとすると、少し呻いて目を開けた。
「…熱は?」
ぼんやりと俺の顔を見詰めると少し頭を振り、ゆっくりと手を付いて起き上がる。
「…私…何で…」
「部屋で倒れたのは、覚えてるか?」
「…はい」
「風呂に入ったのは?」
「……何となく」
「その後、リビングで…又、倒れた」
「…」
「昼飯、食ってねぇだろ?」
「…」
「親父にスープ貰って来た…飲むか?」
コクンと頷くとふらつく足でベッドを降り、宇佐美は気だるそうにテーブルの前に座ろうとした。
その手を取り強引に胡座の中に座らすと、彼女は驚いた様に俺を見上げる。
何となく居心地悪そうにチラチラと見上げながら、カップを手に取り少しずつスープを飲み終えるのを見届けると、俺はカップを取り上げテーブルに置き、逃げ出そうとする宇佐美を抱き込んだ。
「……あの…」
「何で…俺が、他の奴等と一緒だと思った?」
「…」
「お前の事を厄介者扱いしてるって…何で思った!?」
「…」
「…典子」
「…」
「俺を信じられねぇか?」
「…」
「俺は、お前が…」
「嫌です」
「…」
「…聞きたくない」
両手で耳を押さえ、宇佐美は身を固くする。
「…何で?」
「…」
「やっぱり、信じてねぇんじゃねぇか…」
「…そういう問題ではありません」
「何で、独りで生きたがる?」
「…誰にも…迷惑掛けたくない」
「…見させろよ」
「…」
「見させろ…お前の面倒…」
「嫌です!!」
拒絶する様に激しく頭を振る宇佐美の顔を強引に引き上げ、自分と目線を合わせて俺は吼えた。
「お前の夢はっ!?」
「……独りで生きられる様に…」
「それは、夢じゃなくて目標だろっ!?」
「…」
「お前、俺の事が好きなんだろうがっ!?」
大きな瞳をクルクルと涙で潤ませ、小さな口をへの字に曲げた宇佐美を、俺は再び抱き締めた。
「…拒むな」
「…」
「…お前が好きだ」
「…」
「俺の目の前に居る…俺が今抱いている、宇佐美典子が…好きだ」
抱き締めた小さな躰が、ポゥと熱を持ち…俺のTシャツを握っている手が白くなる。
グスグスと胸の辺りで啜り上げる宇佐美の顔を覗き込むと、堪らなくなったのか一気に泣き出した。
「ふえぇぇん…」
「…又、そんな…ガキみてぇな泣き方しやがって…」
「…ひぅっ…ひぅ…」
「いいんだ、泣いちまっても……その泣き方も、泣き顔も……可愛くて仕方ねぇんだから…」
見開かれた目から、大粒の涙が零れる…涙って…本当にこんな風に零れるんだ…漫画みたいだと、何だか妙な所で感心していると、見上げた宇佐美が手放しで泣き出した。
「うあぁぁん…」
抱き込んで背中を撫でてやると、しゃくりあげながら胸を叩く。
「…わっ…和賀…さんっ…」
「ん?」
「まっ…又…笑って…」
ハタと気が付いて、笑いを噛み殺した。
「お前…俺に、一生笑わせねぇ積もりか?」
「…ひぅっ…ひっ…」
「俺の笑顔を疑うんじゃねぇ…馬鹿娘が…」
「…ひあぁぁん」
大声を上げ、又手放しで泣き出した宇佐美の背中を撫でていると、ノックの音と共に姉貴が顔を出す。
「…アンタ…何、典子ちゃん泣かしてんのっ!?」
苦笑いしながら俺が宇佐美の頭を抱くと、姉貴は鼻白んで全てを理解した様だった。
「…聞いて来たって?」
「…あぁ」
「決めたんだ…」
「あぁ」
「…そっか」
「姉貴、本当は…」
そう言い掛けると、姉貴は黙って口に指を当て、店に戻って行った。
「…典子」
少し落ち着いて、俺の胸で鼻を啜る宇佐美に呼び掛ける。
「明日、皆に話す」
「……何を?」
「典子と…付き合うって事…皆に報告する」
「駄目です!」
赤い目をして見上げる瞳に、又涙が溜まる。
「何で?」
「…」
「お前は俺が好きで、俺もお前が好きなんだぞ?何の問題がある?」
「駄目です…絶対駄目…」
「…典子」
「私、和賀さんに…和賀家の人達に……迷惑掛けたくありません!」
「誰も迷惑なんて思ってねぇ…」
「違う…違うの!」
「典子?」
「……駄目です…駄目……和賀さんは、知らないから…」
駄々を捏ねる子供の様に頭を振る宇佐美の顎を捉え唇を重ねても、彼女は嫌だと我が身を抱いて震えた。
「秘密にしてぇのか?」
「…」
「何が嫌なのか…ちゃんと言ってみろ」
「…」
「…典子」
「……こ…」
「ん?」
「………怖い」
「何が?」
「…全てが」
「言え…全部」
「…」
「言えって」
「…わっ…私……和賀さんに好きになって貰える様な、女じゃないですっ!!」
「…」
「いつだって皆に迷惑ばかり…和賀さんばかりか、和賀家の皆さんにだって迷惑掛けてしまう…」
「…」
「わっ…和賀さんには、もっと相応しい方が…いらっしゃると思います」
「…お前は、それでいいのか?」
「私は、独りで生きられる様に大学に入ったんです……誰にも迷惑掛けずに、誰にも頼らずに生きて行ける様に…」
「面倒見させろって言った筈だ!誰も迷惑だなんて思ってねぇ事も言ったよな!?」
「……そんな、決心を揺らがせる様な事…言わないで…」
「…」
「一度掴んでしまったら……離すのが辛くなる事位…和賀さんにだってわかる筈です」
「離さなきゃいいじゃねぇか」
「…」
「典子…俺の手を離すな」
「…」
「わからねぇか?俺んとこに、嫁に来いって言ってんだ」
俯いていた宇佐美が、引き攣った顔をして俺を見詰め、俺の胡座の中から逃げ出した。
「なっ…何言ってるんです!?ご冗談でしょう!?」
「冗談でこんな事言えるか!!馬鹿娘っ!!」
「止めて下さいっ!!戯れに情けなんて掛けないでっ!!……それに…」
真っ赤な顔をした宇佐美が、悲鳴に近い声で叫んだ。
「…未来のある方を…不幸になんてしたくないです…」
「お前…自分に未来がない様な言い方、するんじゃねぇ!」
逃げ出した宇佐美の手首をグィッと掴むと押し倒し、俺は吼えた。
「俺に相応しい奴だぁ!?そんな奴、どこに居る!?俺は、お前が好きだと言ったんだぞっ!!」
「…」
「俺の決意を、覚悟を…冗談だとか戯れだとか…お前にそんな事を言われる筋合いはねぇぞっ!!」
宇佐美の目尻から涙が零れ…真っ直ぐに見上げた瞳が悲し気に揺れる。
「…狡いです」
「何が!?」
「そんな風に言われたら…逆らえない」
「逆らう必要ねぇだろ!?大体、お前…嬉しくねぇのか?」
「……不安です」
「…」
「和賀さんに…いつ捨てられるのか……父が、又何かするんじゃないか……和賀家の方々の気持ちを思うと……不安な事ばかり…」
「典子…」
「怖いんです……物凄く…」
「俺を信じろっ!!」
「……怖い…怖いよぅ」
歯の根が合わぬ程、ガチガチと音を立てて震える宇佐美を、伸し掛かる様に抱き締める。
「大丈夫だ、典子…俺に任せろ」
「…」
「お前の不安な事…全て、俺が解決してやる」
「…」
「俺が、お前の心を溶かしてやるから…俺を信じて…任せろ」
震え続ける宇佐美に口付けを落としながら、俺は彼女を抱き締め離さなかった。
訳がわからない内に好きだと言われ、付き合うと言われ、プロポーズ迄されて、私は事態の重大さと恐ろしさに頭が真っ白になった。
大学は夏休みに突入し、和賀さんは早朝のバイトの他は、夕方に始まるバレー部の練習迄の間、ぼんやりとした私を手元に置いた。
「…典子、高柳さんから、強化合宿の栞のゲラ受け取って来たぞ。今日、印刷掛けて皆に配るそうだ」
「…」
「典子?」
「…ぁ…はい……印刷…しますか?…印刷機予約して…高柳さんに連絡…しますか?」
「…大丈夫か、お前?」
「…」
「参加、するんだよな?」
「…茜は、行けません。明日から…海外に…」
「玉置の予定は、浩一から聞いた。お前の話だ…行くんだよな?」
「…」
「典子」
和賀さんは、私の腕を引いて胡座の中に座らすと、背後から抱き込んで優しく頭を撫でる。
「大丈夫か?」
「…はい」
「お前が嫌がるだろうから…部の奴等には、何も言ってねぇ。知ってるのは、浩一と玉置と、コーチだけだ」
「…遼兄ちゃん?」
「あぁ…コーチは知ってる。って言うか、コーチに相談してから、お前に告ったからな」
「……大学に…」
そう言って立ち上がり、私はフラフラと和賀さんの部屋を出た。
大学の印刷室で栞を印刷し装丁作業をする間も、和賀さんは後から顔を出した松本さんと共に黙って手伝い、出来上がった栞を体育館迄運んでくれた。
……しっかりしなくては…そうじゃないと、皆に変だと思われてしまう。
この数日の靄が掛かった様な頭の中を、私は無理矢理覚醒に導こうと試行錯誤していた。
体育館に足を踏入れた途端、いつもと違う雰囲気に、先を歩いていた和賀さんと松本さんが顔を見合わせる。
「おっ、来た来た…和賀、ちょっとこっちに来い!」
キャプテンの寺田さんが満面の笑みで迎え、和賀さんは不思議そうに荷物を置くと、人だかりが出来ている輪の中に入って行った。
「和賀さんっ!東青高校のぉ、和賀要さんですよねっ!?」
「…あぁ」
甲高い女性の声が、人垣の中から聞こえる…。
「うわぁ〜っ!!私ぃ、ずぅっとファンだったんですぅ!!超感激ぃ!!」
「…」
「何だか、最近和賀ばっかりモテモテだな?」
そう言って、一団は笑いの渦に包まれる。
「和賀さんっ!今、お付き合いしてる方ってぇ、居ないんでしょぅ!?」
「えっ?」
「私ぃ、立候補しちゃいますっ!!私とぉ、お付き合いして下さいっ!!」
歓声が上がる中、和賀さんがチラリと私に視線を送って寄越したが、私は避ける様にその視線から逃げ出した。
「…宇佐美さん、宇佐美典子さん…よね?」
体育館を逃げ出そうとする私の背中に呼び掛ける聞き覚えのある女性の声に、私はオドオドと振り返り…声の主を見て驚いた。
「…花村…さん」
「お久し振りね、宇佐美さん……っていうか、貴女…こんな所で何してるの?」
「…」
「まさか、もうすぐ女子マネージャーが来るって……貴女の事じゃないでしょうね!?」
「…」
派手な出で立ちで長い赤い爪を振りながら、花村さんは私を嘲笑した。
「貴女…馬鹿じゃないの!?あの時に関わった先輩がどうなったか…もう忘れたの!?」
「…花村さんこそ…何故ここに居るの?」
「私?私はチカと2人で、この大学のバレー部のマネージャーになるのよ?」
「えっ!?」
「チカがね…ここの大学のバレー部の選手のファンだって言うのよ。知り合いに言ったら、是非マネージャーになってくれって言われてさ…他の大学の学生でも、大歓迎だからって」
「…」
「1年の女子マネージャーが2人居るって…まさか、もう1人って玉置さんなの!?」
「…えぇ」
「玉置茜がマネージャー!?あの、お嬢様がっ!?一体大学に入って、何があったっていうのよ!?」
カラカラと高笑いしながら花村さんは私を見下ろし、声を低くして脅した。
「何でもいいけど、私達の邪魔はしないでよ!」
「…」
「って言うか、貴女邪魔…どうせ、役になんて立ってないんでしょ?何で居るのよ?」
「…」
「障害を盾に媚び売ってんの?相変わらず、超ウザイ…存在がウザイのよ、貴女!!」
「…」
踵を返して体育館を出ようとする私に、花村さんの駄目押しが響く。
「そうそう…あの時の先輩の噂、貴女ならもう知ってるわよね?」
「…」
「先輩のお母さん、相変わらず精神科通いで…先輩は、今年も受験失敗したんだってよ?」
「…」
「嫌よねぇ…疫病神に魅入られるって!?」
体育館を出た私に、パタパタと走る足音が近付いた。
「ウサギちゃん!?」
椎葉さんが、心配そうに私を見下ろす。
「玉置に連絡した方が、いいんじゃないか?」
私は黙って、頭を振った。