表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/74

第10話

…傷付けた…多分、一番彼女が口にして欲しく無い言葉を投げ付けて、傷付けたのだ。

病院のベッドに寝かされて点滴を入れられた彼女の目から、絶える事なく涙が流れていた。

コイツは一体、どれだけの涙を流して来たんだろう?

これから先、どれだけの涙を流し続けるのだろう?

どんなに悲しくても怒っても、泣いていただけの宇佐美が、熱の上がった躰で裸足のまま転がる様に俺の部屋を飛び出し、自分の部屋にピョンピョンと駆け戻った。

慌てて追い掛ける俺の目の前で、彼女は段ボールを組み立てると、教科書から洋服、テーピング用のテープ等、号泣しながら手当たり次第に放り込み出したのだ。

「…宇佐美」

しゃくり上げながら荷物を放り込む宇佐美の躰を、俺は背後から抱き締めた。

「…やっぱりお前…大馬鹿だ」

「嫌ですっ!離して!!」

「落ち着け、宇佐美…」

「嫌です…嫌っ…」

「…典子…」

「…やだぁ」

泣きじゃくる彼女を覆い被さる様に囲い込み、俺は宇佐美の耳元で語り掛けた。

「馬鹿野郎……大体、何でわからねぇ?」

「…」

「勘違いしていいんだ…その通りなんだから…」

「…ぇ?」

「俺は…お前が…」

そう言い掛けた途端、宇佐美は激しく俺を拒絶した。

「イヤッ!!」

「…典子」

「嫌…嫌っ…違う…和賀さんは……衝動的に…」

「何言ってる!?俺は、本気でお前の事…」

「違うッ!!違う!和賀さんは…優しいから…思い込んで……衝動的に…違う…違うの……嫌…駄目なんだから…やだ、駄目よ…嫌だ…」

「典子!?典子ッ!!」

「……嫌ぁ…」

うわごとの様に話す彼女の躰の熱さ、呼吸の荒らさ、脈の早さ、意識の混濁…。

「…マズイ…姉貴!?姉貴!!救急車!!」



搬送された病院の廊下のベンチに座り、治療を受けている宇佐美を待つ俺の頬に、突然ヒヤリとしたペットボトルが押し当てられた。

「!?」

「何落ち込んでんだか…」

「…姉貴」

「ねぇ、要……アンタ達、付き合ってんの?」

「…いゃ…どうかな…違うんだと思う」

「ふぅん…でも、アンタは典子ちゃんに惚れてんだ…」

「何だよ…反対すんのか!?」

「別にぃ……ただ、典子ちゃんはウチの店子(たなこ)で、店でもバイトしてて…まぁ、大事なお嬢さんを預かってる立場だからさ、ウチは」

「…」

「寝たの?」

「……そういう意味じゃ、寝てねぇよ」

「そっか…そりゃ、良かった」

「え?」

「頭冷やしな、要」

「…姉貴」

「典子ちゃん、いい娘だし…私も好きだけど……半端な気持ちで手ェ出すなら…姉ちゃん、アンタの事ブッ飛ばすよ!?」

「…わかってる」

「わかってないね!」

「…」

「典子ちゃんの躰の事も、心の中の事も……アンタ、全部受け止められる覚悟ないでしょ!?」

「…」

「その覚悟が出来ない内は、あの娘に手出しするんじゃないよ……辛くなるのは、典子ちゃんなんだからね!」

「…わかってる」

溜め息を吐く姉貴の横で、俺はペットボトルのお茶を飲み干した。

「典子ちゃんさぁ…店でバイトしてても、賄い食べないのよ」

「…やっぱり」

「違うの」

「何が?」

「ウチって、休憩時間も店を閉めて食べる様な事してないでしょ?典子ちゃん、自分が食べるより…店で食事してるお客さん見たいって、いっつも厨房から覗いてんのよ」

「…」

「さっき、アンタの話聞いて思い出した……バイト始めた頃、典子ちゃんがお客さん見て『皆さん、楽しそうですね』って言うから、『そりゃ食事しに来てるんだからね』って答えたのよ。そしたら、何て言ったと思う?『食事って、楽しいんですか?』って聞いたのよ、あの娘…」

「…」

「少し変わった娘だとは思ってたんだけどね…井手さんっていうの?核の先輩の人…あの人が良く知ってるみたいだから、聞いてみれば?」

「何か言ってたのか?」

「アンタん所のコーチなんだってね?普通学生さんが部屋借りたりする時は、親御さんが挨拶に来るでしょ?典子ちゃんの時は、井手さんが来たのよ。『普通の家族を見せてやって欲しい』って言われて、この人何言ってるんだって思ってたんだけど…」

治療室からストレッチャーに寝かされた宇佐美が出て来て、話は中断された。

疲れと心労から来る高熱に脱水、栄養失調気味だと指摘され、熱さえ引けば大丈夫だろうが、用心の為に数日入院する様に言われた。

「ご家族は?」

「父親は、海外に長期出張中なんです」

「ご親族は?」

「都内と神奈川に、親戚が居るそうですが…連絡した方がいいでしょうか?」

「未成年者ですからね…書類上の事も有りますし、病状も詳しくご説明したいので、連絡して頂けますか?」

「わかりました」

宛がわれた個室から医師が立ち去ると、姉貴が俺に言った。

「私、家に帰って親戚に連絡して来るわ。後で、着替え持って来るけど…要、アンタどうする?」

「俺は…ここで、コイツに付き添う」

「そう……さっきの事、良く考えなさいよ?」

「…あぁ」

「言っとくけど…交際に反対してんじゃないわよ?アンタの覚悟の問題…わかってるわね?」

姉貴が帰った後、アイボリーのカーテンに囲まれた空間でベッドの横に座り、彼女が涙を流しながら眠るのを見守った。

『……和賀さんは…いつも女の子に……こんな事するんですか?』

宇佐美は…俺の事を、どんな男として見ていたんだろうか?

『こんな風にされたら……私…勘違いしてしまいそうで…』

『……寂しくて……寒くて…心が凍り付きそうで…』

宇佐美は俺が好きで、俺も宇佐美を放って置けなくて…いつの間にか、彼女が可愛くて仕方なくなって…何度も抱き締めてキスをして…すっかり、気持ちが通じ合ってると勘違いしたのは、俺の方だったっていうのか?

朝登校する時も、昼休みも、バレー部も、帰りだって一緒だった…夜だってマッサージして…。

そう考えて改めて思った…そんなに長く、宇佐美と時間を共にしていたんだと…。

そして、そんなに時間を共にしていたにも関わらず、俺は気付かなかったのだ。

『…何食べても……砂を食べてるみたいで……取り敢えず、薬で栄養だけ…』

確かに昼休みに食堂に行っても、彼女が注文するのは小さなサラダ位で、後は殆ど味の付いていない様なテーブルロールを小さく千切って口に運ぶ…しかし、それすら食べ切れずに、丁寧に包むと自分のバックに入れて持ち帰っていた。

毎日のマッサージで宇佐美の躰の様子はわかる…どの程度の障害なのかも、どれだけ無理をしているかも、どんな補助が必要なのかも、凡その検討は付く。

無理を重ねると車椅子か寝た切りになると…宇佐美がマネージャーを引き受けた時に井手さんも心配していた。

だが、心は…一体どれだけの傷を追っているんだろうか?

『済みません』

『ごめんなさい』

『申し訳ありません』

宇佐美と話していると、殆どこの言葉で埋め尽くされる。

ただの口癖なら俺だって気にはしない。

だが…宇佐美はそう言って、確実に傷付いている様に俺には見えるのだ。

「大体、『食事って、楽しいんですか?』って、何なんだ…」

何を食べても砂を噛む様だと言っていたのは、単に味覚障害とかそういうレベルの話ではないのかもしれない…もっと、何か根本的な…。

遠慮がちなノックの後、カラカラとドアの開く音がする。

「…どう?」

「寝てるみたいよ…カーテン閉まってるし」

「でも、参ったわねぇ…又入院なんて…」

中年女性の声…宇佐美の親戚だろうか?

カーテンの中に居る宇佐美の様子を見るでもなく、入って来た2人は椅子に座り込み話を始めたので、俺はつい出て行く機会を逸してしまった。

「隆義さんは?」

「ヨーロッパなんだってよ?」

「どうする?連絡した方がいいのかしら?」

「嫌よ、私…どうせ又大した事なくても大騒ぎして、文句言われるの私達ばっかり!」

「いつ帰って来るの?」

「8月中旬だった予定が延びたみたいよ?イタリアで足止めだって」

「優雅よねぇ…娘ほったらかしにして…」

「それなんだけど…残りたいって言ったの、典ちゃんの方だって!」

「そうなの!?今になって、ようやく自我が目覚めたって事?それにしても、目出度い様な、迷惑な様な…」

「大学進学と同時に独り暮らししてるって聞いた時は、驚いたのなんの…あの隆義さんが、よく許したわよね!?」

「私、てっきりイタリアでの仕事引き受けて、典ちゃん連れて行くと思ってたわ」

「私も…でも、大学での仕事も引き受けて、当分は行ったり来たりだって。夏休みに入るしお盆の事もあるから、典ちゃんの事頼むって…ヨーロッパに発つ前に、そりゃしつこい位に連絡して来て…ホトホト参ったわよ」

「じゃあ、退院したらお宅で引き取って貰えるのね?」

「嫌だ、無理に決まってるじゃない!今は旦那の両親と同居してるのよ!?前だって…旦那がイイ顔しないのを、典ちゃんが小さいからって無理に…」

「ウチだって無理よ!!息子達だって受験生だし…第一、どこで寝かせるの!?」

「お母さん達が生きてたらねぇ…」

「でも、私…未だに主人に嫌味言われるわ」

「あぁ…あの母娘に食い潰されたって?ウチだって言われるけど…今更…」

「貴女の所は、いいわよ!…ウチは賃貸で、子供達もまだまだお金が掛かるし…」

「…溺愛してたもの…あの娘が隆義さんと結婚するって時も子供が出来たって時も、そりゃあ喜んで…だからあの娘が亡くなった後も、典ちゃんの手術や治療費は全部お父さんの遺産で払うって、わざわざ遺言遺したんでしょ…」

「ねぇ…隆義さん、蓄えあるわよね?」

「どういう事?」

「だって、典ちゃん…この先何があるか…今回は、たまたま発熱しただけらしいけど、この先もっと重い病気や障害が酷くなったら…」

「…それは…」

「隆義さんだって私達だって、典ちゃんより先に逝くわ!そしたら、典ちゃんの血縁って、私達の子供達だけって事になるのよ!?そんな…頼られたって…」

「…それは…ウチだって困るわ…」

聞いてはいけない話だ…だが、聞いていて吐き気がしそうだった。

思わずベッドに手を付いて立ち上がろうとすると、その手をそっと押さえる小さな手…。

驚く俺に、宇佐美は悲し気な瞳を揺らして頭を振った。

俺の座っていた椅子がガタッと音を立て、不審に思ったのか、外からカーテンが開けられる。

「何っ!?誰なの、貴方!?」

「…ッ」

「…私の…アパートの、大家さんの御子息です。ずっと、私に付き添って下さいました」

宇佐美のいつもの様なか細い声では無い…抑えた様なこの声は…先日、大学で父親と対峙した時と同じ様な、冷たい空気を孕んでいた。

「…そうなの?でも、いらしたなら声を掛けて下されば…」

立ち上がった俺は、仏頂面のまま何も言わずに頭だけ下げた。

195㎝というこの身長に見下ろされ、尚且つ不機嫌なオーラ全開の俺に、目の前の伯母達はオドオドと手を取り合う。

「伯母さん…私…大丈夫ですから」

「え?」

「今回も…今後も…伯母さん達の手を煩わす事の無い様に、気を付けますから。況してや、従兄弟達の世話になる様な事は、絶対にありません」

「…」

「大丈夫です。独りでちゃんと生きて行ける様に、大学に入ったんです。まだ未成年ではあるけれど…あの頃の様な、何も出来ない子供じゃありません」

「…典ちゃん、あのね…私達は何も…」

「退院した後も、私独りで何とかなります。伯母さん達のお宅でお世話になる様な事はありません」

「…典ちゃん」

「いいじゃない!帰りましょ、姉さん!!」

「…でも」

「典ちゃんだって、自分の事は責任持つって事でしょ?それなら、体調管理だってキチンとやって貰いたいもんだわ!」

「申し訳ありません…今回は、私の不注意です」

宇佐美は、ベッドの上で深く頭を垂れた。

「…貴女が未成年者である以上、何かあるとこうやって大人の手を煩わすの!偉そうな事を言うなら、その辺りの事も踏まえた行動を取って頂戴!!」

「…わかりました。お手数をお掛けして…申し訳ありませんでした」

「帰りましょ、姉さん!」

宇佐美の伯母達が病室を去ると、彼女は深い溜め息を吐いた。

「…済みません。お聞き苦しい事を聞かせてしまって…」

「…お前」

「和賀さんも…お帰り下さい。昨夜も、余りお休みになれなかったって…」

「…いゃ、俺は…」

「……独りに…して…頂けませんか?」

俯いたままの宇佐美が握り締める拳に、ポタリと涙の雫が落ちた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ