冬のほたるとおしゃべりキツネのカナ(9)
「もう帰ろうか、サキちゃん」
浮遊した意識を引き戻すような、おばあちゃんの言葉にはっとすると、私は眼前の光景に自分の目を疑った。そこにはただ真っ黒の川がしんしんと流れ、柔らかい雪が落ちているだけだった。ほたるは一匹だって飛んでいなかった。
背中には相変わらずおばあちゃんのずっしりとした重みがあった。私はおばあちゃんを背負ったまま、菜の花川の河原に立っていた。
「あれは……幻なの?」
そんな非現実的な思考に思い至ると同時に、私はさっきおばあちゃんが発した言葉に違和感があることに気がついた。
「おばあちゃん、今、私のことなんて――」
「ありがとうね、サキちゃん。寒いのに辛い思いをさせちゃって。サキちゃんのおかげでもう一度冬のほたるが見れたし、おじいちゃんとさよならができたよ」
おばあちゃんは背中から手を伸ばして、すっかり冷たくかじかんだ私の手を撫でてくれた。おばあちゃんの手はかさかさとして、すごく暖かかった。
「おばあちゃん……」
私の心は今起きている不思議な現象に驚きを感じることすら忘れ、喜びで満たされるようだった。
もう二度とないと思っていたのに、おばあちゃんに自分の名前を――サキちゃんと呼ばれ、おばあちゃんにちゃんと自分の孫として優しい言葉をかけられ、目頭にはすぐに熱いものがこみ上げてきた。
もう二度と泣き止むことができないくらいに、私はわんわんと声を出して泣いた。暖かい月明かりの下で、ただひたすら大粒の涙を落とし続けた。
「落ち着いたら、もう帰ろうか。あの人ももういなくなったし、さすがに寒くなってきちゃったよ。それに私より、サキちゃんの方が疲れているし、寒いだろう?」
おばあちゃんは少し寂しそうに言って、自分を納得させるみたいに何度か深く頷いた。
私はそんなおばあちゃんの言葉を聞いてなお、今起こっている夢のような出来事が信じられなかった。野暮なことだと知りつつも、きちんと言葉にして確認せずにはいられなかった。
私は鼻水が垂れるのも構わず顔を上げ、首だけで後ろを振り返ると、
「おばあちゃんは生きてるんだよね。生きて、ちゃんとここにいるんだよね」
私の言葉を聞いたおばあちゃんが声を出さずに笑うのが、背中に伝わる振動で分かった。
「当たり前じゃないか。私はこれまでも、これからもずっとサキちゃんのそばにいるよ。こうしてあなたの涙を拭いてあげることもできる」
おばちゃんの服のすそが私の目じりに伸び、私の涙を優しくふき取ってくれる。私は嗚咽を漏らしながら、おばあちゃんに自分の気持ちを打ち明けた。
「私、おばあちゃんはもう遠くにいってしまったみたいに思ってた。おばあちゃんと話をしていても、誰か知らない人と話しているみたいな気がしていた。でも違ったんだ。私はいつだって大好きなおばあちゃんと一緒にいて、いろんなことを話したり、感じたりしていたんだね。私はずっとおばあちゃんと二人で生きてきたんだね」
それを改めて理解した私は、まるで心から笑うことのできる小さな鈴をたくさんもらったような心持ちだった。
前方を向きなおすと、涙でにじんだ景色の中、まばゆい光を放つ冬のほたるたちが遊ぶように舞うのが見えた気がした。
「帰ろう、私たちの家に」私は言った。
私はおばあちゃんを背負って、元来た道をまた歩き始めた。
棒のように固くなった足で、額に汗を浮かべながら森の中を歩き続ける。ひどく疲れていたけど、私はどこまでも歩いていけそうだった。
遠くでふくろうや、鳩の鳴き声がしていた。森は生き物たちの気配で満ちていた。
家に帰り着くと、私はすぐにおばあちゃんをベッドに寝かせた。ひどく疲れたんだろう、おばあちゃんは眠ってしまっていた。
次にたっぷりと着せた服やマフラーを脱がせると、絞った濡れタオルで体中の汗をふき取った。
最後にお湯を入れた湯たんぽを持ってきて、おばあちゃんの冷え切った手足を暖めた。氷のような手足を、私の氷のような手でゆっくりと揉みほぐした。
やがて疲れきった私は、おばあちゃんの隣で気絶するように眠ってしまった。
ピンク色の羊がほたるを数える夢を見た。
それはとても深く、暖かい眠りだった。まるで母親の胸に抱かれた小さな子供のような、安らかな眠りだった。




