冬のほたるとおしゃべりキツネのカナ(5)
曇りや雨の日のことをすっかり忘れてしまうくらい、よく晴れた朝だった。そして吐き出す息が凍りそうなくらい寒い朝だった。
一緒に朝ご飯を食べたおばあちゃんはいつもより活気的で、珍しく顔色も良いように見えた。
私は食器の片づけを済ませると、おばあちゃんに厚着をさせて車椅子を押し、庭の外に出てみることにした。たまには外の空気に触れないと、おばあちゃんだって退屈するだろう。
ピンクのニット帽をかぶったおばあちゃんはとっても可愛らしくて、そこらに生えた名前も知らない花や水色の空に浮かんだ卵みたいな雲を指差しては、まるで子どもに戻ったみたいな笑顔を見せていた。
「やっぱり外は気持ちがいいね」
おばあちゃんに言うと、車椅子に乗ったおばあちゃんは私の顔を見つめて答える。
「ほんとね、カヅミちゃん。そうだ、今夜ほたるを見に行きましょうよ。私、うんとたくさんのほたるが飛んでいる秘密の場所を知っているのよ」
「本当に? 私、ほたるってまだ一度しか見たことないのよね。でも今の時期に、ほたるは飛んでいるかしら?」
「もちろんよ!」おばあちゃんは自信満々といった表情だ。「じゃあ今夜、二人でほたるを見に行きましょう。決まりね! でも……私のお母さんがいいって言うかしら?」
「どうかしらね? おばあちゃんのお母さんのことは知らないけど、きっとダメって言うかも。私のお母さんも危ないからダメって言うと思うわ」言いながら、カヅミちゃんになりきった私は笑ってしまう。
私たちはさらに庭の外まで足を伸ばしてみる。
外といっても少し長い雑草が生えているのと、森の空気がほんの少し濃い気がするだけで、別に何があるっていうわけじゃない。そもそも私たちの家の庭と庭から外の区切りすら、明確にあるわけじゃないんだ。
それでも久しぶりにおばあちゃんを遠くに連れてきてあげることができたので、私も嬉しかった。
少し着ぶくれしたおばあちゃんは気持ちよさそうに目をつむって、ひんやりとした風を受けている。なんだか私は、久しぶりにほっと息をつけるような安心感が胸に広がるのを感じていた。
おばあちゃんの調子がいいのも、その大きな理由だろう。
本当に子どもの頃に戻っているみたいなおばあちゃんの様子だけど、きちんと私との会話が会話として成立しているのが何よりの証拠だ。このところは、私の質問にちぐはぐな答えを返したり、返事すらしないことも珍しくなかったのだ。
そして安心した私は、今までほとんど触れてこなかったおじいちゃんのことを尋ねてみることにした。
今日ならいつも私を満足させる答えを貰うことのできないこの質問にも、ちゃんと答えてもらえるかもしれないって、私は本気で信じていた。
なんて浅はかな私。それがおじいちゃんの気持ちを無視している行為だなんて思いつきもしないで。
「おばあちゃん、おじいちゃんのこと覚えてる? おばあちゃんの旦那さんの柳沼秋雄さんのこと。おじいちゃんも一緒にほたるを見に行けたら良かったんだけどね」
「誰よそれ」
突然、おばあちゃんの声色が変わった。まるで鋭い刃物みたいな、それは明らかに敵意のこもった声だった。
なに? おばあちゃんのこんな声、今まで聞いたことがない。
「誰って、おばあちゃんの旦那さんよ。覚えているでしょう?」
「知らないわよ」
「知らないって……」
その言葉を聞いた私は、もう引き返すことができなかった。
私はおばあちゃんの正面に立っておばあちゃんと視線を合わせると、まるで懇願するみたいに、おじいちゃんのことを思い出してもらおうとした。
だってそうじゃないか。おばあちゃんがおじいちゃんと過ごした五十年近い歳月のことを忘れたとか知らないだなんて――そんなのってひどすぎるよ!
「おばあちゃん、柳沼秋雄さんだよ! おばあちゃんと結婚して何年も一緒に暮らしていた柳沼秋雄さん! どうして忘れちゃうのよ……。おばあちゃん、私に言っていたじゃない。あの人と結婚してこれだけの時間、一緒に暮らしていけるのは私だけだったろうって、自慢気に話してくれたじゃない。どうして、どうしてなのよ……」
ひどく混乱していた。目の端に涙が浮かび、あっという間にこぼれ落ちていった。
胸の中で幼稚園児が画用紙にぐしゃぐしゃと落書きした黒い塊が暴れ回って、いくつもの穴を開けているみたいだった。
最近は悲しいことや辛いこと、私にはどうすることもできないようなことが重なりすぎていた。まだ子どもの私は、そのどれにも全く対応することができていなかった。だからこうして、この胸に穴が空いてしまうんだ。
どうすることもできずにその場にうずくまった私は、そのまま大声を上げて泣き出してしまった。嗚咽をこぼしながら、ひどく不細工に泣き続けてしまった。
泣けばいいもんじゃないって言う人がいるけど、そんな馬鹿げた言葉は間違っている。
涙っていうものは、自然と熱くなった目頭の奥から溢れてくるものなんだ。ぽろぽろととめどなく流れる涙を必死にぬぐいながら、私はそんなことを思う。
「おやおや、何があったんだい?」私を見下ろしながら、いつもの口調に戻ったおばあちゃんはそんなことを言う。
おばあちゃんったら、このいつまでも止まりそうにない涙をどうしてくれるっていうんだ。
おばあちゃんなんて、嫌いだ。




