動物園とレッサーパンダのアリシア(10)
「いいお天気だね」おばあちゃんは顔をしわくちゃにするようないつもの笑顔で言う。
「そうだね、おばあちゃん」私はいつものようにそう答える。
空はどこまでも晴れ渡り、おばちゃんの言うように本当にいい天気だった。思えばこの秋は雨が少なく、季節を通してよく晴れていたように思う。
いつの間にか秋は深まり、森はやってくる厳しい冬に向けて少しずつその姿を変えていた。
虫の鳴き声は遠く、小さくなっていき、コスモスの薄い桃色は一つ、またひとつと消えていった。
おばあちゃんに厚着をさせてから一緒に庭に出た私は、その空気の冷たさに身を縮めながら、今まで幾度となくそうしてきたように一匹のレッサーパンダのことを考えていた。
彼は今ごろ、どこで何をしているだろうか。どこで何をしているにせよ、その隣にリリィがいないのは明らかだった。
アリシアはリリィのことをもう知らないはずだし、彼の内に秘めていた恋心は、もうその欠片さえそこに残っていないのだ。
「あの動物園には伝説があるのよ」お母さんはそう言っていた。
あの動物園で好きな相手に想いを伝えると、その相手とは二度と離れることなく幸せに暮らすことができる、と。
あの日の動物園で、私の見ている前で想いを伝え、結びついた二人は今ごろどうしているだろうか。幸せに暮らすことができているのだろうか。
そんなことを考えると、改めて自分がやったことが本当に正しいことだったのか分からなくなってくるのだった。無理やりにでもアリシアを柵の中に放り込んでしまえば――なんて馬鹿なことを考えてしまうのだった。
「恋ってさ、とても素晴らしいけど、その代わり凄く難しいものなんだね」
別に答えを期待して聞いたわけじゃないんだけど、おばあちゃんはおばあちゃんなりに私の質問に答えてくれた。
「こいっていうのはね、きれいなものだよ。見ているだけでね、幸せな気持ちになれるんだよ」
なんて、確かにおばあちゃんの言うとおりなんだろうけど、
「おばあちゃん。こいって言ってもね、魚の鯉じゃないんだよ」私はそんな余計なことを言ってしまうのだった。
森の中からカナが飛び出してきたのは、そんなときだった。
彼女はいつもと変わらず慌しく、「ニュースよ、大ニュース!」なんて騒ぎながら走ってきて、車椅子に乗ったおばあちゃんの膝の上に飛び乗った。
おばあちゃんは大して驚いた様子もなく、突然やってきたカナの背中を撫でたり突っついたりして遊んでいた。
「どうしたのよ、急にやってきて。まぁそれはいつものことなんだだけどね」
嫌味を込めた私の言葉に、カナは気づいた様子はない。
「実は面白い話があるのよ。森の奥に、私の知り合いのルーシーっていうレッサーパンダが住んでいるのよね。そのルーシーがとあるレッサーパンダに恋をしてね、この間ついに告白をしたの! もちろん罪の告白なんかじゃなく愛の告白よ。それで……どうなったと思う?」
彼女は私の反応を待つように少し間を空けてから、私の反応なんて待つことなく続きを語る。
ひょっとしてその相手って――彼女の言葉の続きを聞いた私は、自分の想像が当たっていくことを知る。
「彼らったら、今じゃこの森の中で知らない動物はいないくらいアツアツのカップルになっているの! もうすぐ子どもも生まれるんじゃないかっていう話もあるくらいで。あ、ちなみに相手のレッサーパンダはアリシアっていうイケメンの子よ」
まくしたてるように言うカナの言葉を聞き終わると同時に、思わず私は噴きだしてしまう。
腹の底から湧き上がってくるそれを受け入れ、私は思い切り外へと吐き出した。カナが心配そうに私の顔を見上げるのも気にせずに、しばらく私はそのまま笑い続けていた。
「ありがとね、カナ。あなたに救われたわ」
ようやく落ち着いた私が言うと、カナはぽっかりと口を開けた不思議そうな表情をした。
「サキったら、一体どうしちゃったのよ?」
私はそんなカナの言葉にも答えずに言うのだった。それは私の正直な印象だった。
「恋ってとても素晴らしくて、本当は皆が思っているよりずっとずっと単純なものなのかもしれないわね」
「……今日のあなたって変よ」
「そうかしら? でも、きっとこれで良かったのよ」
見上げる青空はどこまでも続いていた。薄く伸びた雲は、まだ秋が終わっていないことを主張しているみたいだった。
私にはそんな他愛のないことがとても嬉しく感じられて、カナの背中に手を置くと、その柔らかい毛並みをおばあちゃんと二人で思いきり撫でてあげるのだった。




