猫街とペルシャ猫のアーナ(2)
ほんの二年前、まだ私とお母さんは一緒に暮らしていた。
全然お金はなくて、周りの友達みたいにオシャレをしたり、ニンテンドーDSで遊んだりすることはできなかったけれど、私はあののんびりとした暖かい暮らしが好きだった。
学校では友達と共通の話題がなかったし、そのせいで辛い思いをしたことだってあったけど、それでも私はお母さんとの二人きりでの生活が好きだった。
少し遅い食卓に並ぶコショウを振りすぎたチャーハンの味、二人でちぢこまって入る小さな浴槽、私を起こさないようにそうっと布団から抜け出して化粧を始めるお母さんの後ろ姿、そういった全部が全部を私は好きだった。
「私たちのせいであなたに辛い思いをさせて、本当にごめんなさい」
お母さんは気分が落ち込んでいるとき、たまにそんなことを言った。そんなときは決まって、お母さんにそんなことを言わせてしまう自分が歯がゆくて、二度とそんなことは言わせないと誓うのだった。お母さんの前だけでも、いつも明るく、楽しく生きていこうと。
『私たち』というのはお母さんとお父さんのことだった。
二人がリコンして、もう何年が経つのか……すでにお母さんと二人だけの生活に馴染みきっていたし、このままずっとこの生活が続いていくのだろうと信じきっていた。
それでもある日を境に、そんな生活もがらりと様相を変えてしまった。私が個人的な理由から学校へ行けなくなってしまったのだった。
それからというもの、奔放のように見えて実は繊細なお母さんはさらに自分を責めるようになった。
「あなたが学校へ行けないのは私が悪いのよね? 私があなたにもっとまともな、人並みの生活をさせていればこんなことにはならなかったのよね、私がもっともっともっと頑張ってさえいれば……」
その頃になると、私はお母さんをまともに見ていられなかった。
娘が学校に行きたがらないのは自分に全ての責任があると感じた母さんは夜の仕事をひとつ増やして、日に日に目の下のくまを濃くしていった。どんな仕事をしていたかは知らないけど、時には顔に殴られたようなアザを付けて帰ってくることもあった。
もちろん私も同じように自分を責め、何とかして学校へ行こうとした。だけど通学路の途中で朝食を全部戻したり、めまいで倒れたり、激しい耳鳴りがしたりして、結局一度もまともに通うことはできなかった。
私は家でなるべく授業に遅れないように勉強をして、お母さんは朝から晩まで、いやもっともっと働いた。
だけどそんな細い糸の上でバランスを取るような生活は長く続かない。先に緊張のタガが切れてしまったのはお母さんだった。
はじめは週に二三回だったけど、すぐに毎晩のように学校に行きなさいと大きな声を出しすようになった。それでも私が学校に行かないと、きっと目を細めて私を平手で打つようにさえなった。
それでも私は、どうしても学校に行くことができなかった。あんな場所に行くのなら死んだほうがマシだと思った。
カレンダーをめくるたびにお母さんはげっそりとやつれていき、ある夜、私にこう言ったのだった。
「もう……限界なの。明日からしばらく、おじいちゃんとおばあちゃんのところに行ってちょうだい。あなたのためにもそれが一番いいと思うし、私たちはお互いに一人になったほうがいいと思うの」
どうしてそんなことを言うの、ちゃんと学校に行くからそんなこと言わないで、何度も叫びながら私は泣いた。けれど、それで何かが変わるということはなかった。お母さんの決意は固かったし、お母さんの言っていることが正しいと私も感づいていた。それでも、涙だけはいつまで経っても止まらなかった。
次の日の朝、私は電車に乗って、バスに乗って、それから歩いて歩いておじいちゃんとおばあちゃんが暮らす森の中の一軒家を訪ねた。
最悪の気分だったけど、開放感を感じている自分がいることにも気づいていた。さらに最悪な気分にならないよう、私はそんな開放感を胸の奥底に押しやったまま、無表情で森の中を歩きつづけた。
おじいちゃんとおばあちゃんに会うのは、それがたったの二度目だった。受け入れてもらえなかったらどうしよう、そんなことを考えて、家の戸が開かれるまで家の前で一時間も立ち尽くしていた……。