二重トリック
「実は、犯人には大きな誤算が生じたのです」
佐々木雄一郎は部屋にいる全員の顔を見回した。
皆、誰がこのおぞましい殺人事件の犯人かを探っているようだった。
「その誤算ってなんなんですか?」
京子夫人は亡き夫の無念を晴らさんと、立ち上がり、普段は聞けないような大きな声をだした。
「その誤算とは・・・地震です。犯行が行われた後に地震が起きたのです」
「それがなんだっていうのかね?確かに一昨日の夜に地震はあったが、それほど大きな揺れではなかったろう」
本田氏の低い声が響いた。
『ピーンポーン』
チャイムが鳴った。僕は、パソコンに打ち込むのを止め、玄関に向かった。
「はい、どなた様ですか?」
「私、こういうものなんですが」
男は名刺を差し出してきた。『トリック請負専門店 鳥居 栗男』と書いてあった。
ふざけた名前だ。早々に帰らそうと思ったが、トリック請負専門店という文字が気になった。
「失礼ですが、推理作家の松井公明先生ですよね」
「先生は余計ですが、確かにそうです」
「申し訳ありませんがちょっとお時間いいですか?いや、十分とかかりませんよ」
「その前に、あなたはいったいなんなんですか?」
「あ、すみません。私、トリック請負」
「それは名刺を見たから分かっています。その、トリック請負専門店って言うのがなんなんですかと訊いているんです」
「申し訳ありません。私としたことが」
鳥居は、僕が鳥居に興味を持ったことを確信したのだろう、不気味不気味な笑みを浮かべた。
「はい、実はトリック請負専門店というのは、その名の通り、トリックを扱うお店でございます」
「一体どういう」
「簡単でございます」
鳥居は、僕に口を挿ませないように早口になっていった。
「私どもは、お客様よりトリックのネタを買い、それを別のお客様に売ったりしています」
「トリックを売買する?一体どんな客が売って、どんな客が買うんだ?」
「はい、主な顧客は松井先生のような、推理小説家でございます。トリックのネタは斬新でなければなりませんよね。ただ、お歳を召した先生は、なかなか新しいものを作れません。そこで、まだ売れていない若き小説家の卵から、ネタを買い、そういった方にお売りしているのです」
「なんで、若いやつは売るんだ?自分で書けばいいじゃないか?」
「松井先生も、昨今の小説事情はご存知でしょう?ケータイやパソコンの普及で本は売れなくなってきているんです。そんな中で、どんな本が売れるか、それは有名な先生が書いた本です」
確かに鳥居の言うことは正しかった。僕が35歳という若さで、ベストセラー作家になったのも、たまたま僕の友人が、映画会社に勤めていて、僕の小説が映画化されたからだ。本が売れるのは、その本がいいか、悪いかではなく、映像化されるきっかけが必要なのだ。そういうきっかけのない作家は、どんなに才能があろうと、どんなにいいストーリーを書こうと、売れないのが現状だ。
「それで、僕のところにはなんのようですか?まさか、僕にトリックを買えと?」
「いえいえ、先生の小説のトリックは常に新しくなっているのを知っています。私もそんな無駄なことはしませんよ」
「では、売れと?」
「はい」
鳥居の顔は、より一層不気味さを増した。
「だが、一体誰が買うというのだ?残念だが、他の小説家のためにというのなら、売れないな。そんなことしたらば、明日から仕事がなくなってしまうし、それに僕は、自分で考えたトリックを売るほどお金には困っていないよ」
「重々承知しております。実は、先生から買いたいというのは一般の方でして」
「一般の人間が何に使うんだ?」
「ご想像にお任せしますよ。ただ、先生が書いているのは推理小説なんですよね。事件を解くには、事件を起こさなくてはならない」
「ま、まさか、僕の考えた小説を使って、犯罪を?」
「それはなんとも言えません。私がそのトリックを使うわけではないので」
「ふざけるな。そんな、ふざけた話をしに来たのか?もう帰ってくれ」
僕は、なるべく近所に聞こえるように、大声を出した。
「ちょっと待ってください。最後までお話を聞いてください」
「もう、話すことなんてない。帰ってくれ」
「そう怒らないでください。それより、松井先生は一昨年結婚されたんですよね?奥さんは買い物ですか?無事に帰ってくるといいですね」
「どういう意味だ?」
鳥居の胸倉を掴んだ。
「私達は、言わば裏世界の職業です。先生が一言、『うん』と頷いてくれれば、奥さんも無事に帰ってきますよ」
力が抜けていくのを感じた。同時に、血の気が引いていった。
「け、警察に通報するぞ?」
「どうぞご自由に。それがどういう意味を持っているか、先生なら知らないわけではないでしょう?」
「だが、もし僕のトリックで犯罪が起こっても、僕がそのタネを話せば、どっちにしろお前達も捕まるぞ?」
「残念ながら、私達の一般の顧客は海外にいます。だから先生に迷惑がかかるなんて事は一切ございません」
「だが」
「先生には決定権はございません。それとも奥さんは見殺しですか?私達はそれでかまいませんが。ちなみに、先生の奥さんが死ぬ場合、新しいトリックが使われることになりますが」
「・・・わかった。だが、妻を放すのが先だ」
「残念ならそれはできません」
僕は、黙って床を叩いた。
「それで、三人ほど死ぬトリックはございませんか?」
「いや、今は無い。今書いているのは、短編ものだから、死ぬのは一人だし」
「では、いつ頃できますかね?早い方が奥さんのためなんですが」
「いまから、今から考えるから待っていてくれ」
僕は鳥居のコートの袖を掴んだ。
「私も忙しい身ですので、できたら名刺に書いてある電話番号に連絡ください。すぐに飛んできますよ。あ、言い忘れていましたが、この家には盗聴器が仕掛けてありますから」
そういって鳥居は玄関のドアを閉めていった。
力が入らなかったが、そうも言っていられなかった。とにかくトリックを考えなくてはならない。
人を殺すトリックではなく、鳥居を、そして妻を見つけるためのトリックを。
鳥居を呼んだのは次の日の朝だった。朝早くに呼び出したにも関わらず、鳥居の期限は良かった。
「出来たんですか?さっそく見せてもらっていいですか?」
僕が渡した紙を、鳥居は真剣に読み出した。
「トイレにいってきていいか?」
鳥居が読み出して、五分ほどして、恐る恐る聞いてみた。
「だめですよ。警察に連絡さえても困りますし、この、窓の無い部屋に閉じ込められても困りますし」
さすがに、こんなあからさまな方法では隙を見せない。仕方なく、黙って椅子に座った。
「はい、さすが松井先生ですね。素晴らしい。それではさっそく、奥さんをお返ししますね」 十五分後、僕のトリックのあらすじを読み終わった鳥居は、そう言って電話をかけだした。
「あぁ、受け取ったよ。さっそく帰してやれ」
その口調は、まるで、テレビで見る借金取りのようだった。おそらくこっちが本当の鳥居だろう。
「それでは、私は帰りますね」
「待ってくれ」
「何か?」
もう、僕には用がなくなったのだろう。素の声になっていた。
「お前が帰ったら、妻が本当に帰ってくるか分からない。妻が帰ってくるまで待っていて欲しい」
「大丈夫ですよ。あなたの奥さんはちゃんと帰ってきます」
「それが信用なら無いんだ。いきなり妻を誘拐して、それで僕に殺人のトリックを書かせたお前達を、僕が信用できるわけ無いだろう」
「確かにその通りですね。しかし、そんな憎むべき僕達を、あなたが捕まえたいと思わないはずが無いですよね」
「だが、君はここにいなくてはならない」
「なぜですか?この通りトリックは頂いたワケですし」
「もし、そのトリックに欠陥があったら?それも、殺人が起こる前に大きなミスが」
「そうしたら、奥さんを帰さないだけです」
鳥居は携帯電話をちらつかせた。
「だが、お前が電話をかけてから十分近く立っている。僕の推理では、お前達のアジトはこの近くだ。だから、妻はもうすぐ近くまで来ているだろう」
「車に乗っているとは思わないんですか?」
「その可能性は無いよ」
「なぜそう思うのです?」
「今は、朝です。そしてこの、往来の激しい道を誰にも疑われないで妻を解放するのは不可能です」
「だが、人気の無いところに移動しているかも知れませんよ?」
鳥居の顔には余裕とも取れる笑みを見せた。
「あなた達は、少人数で行動しています」
「確かにそうですね。大人数でやると、足が着きやすいですからね」
「あなた達はこう考える。あなたが帰ったあと、すぐに僕が警察に連絡すると。そして、それはあなたにとってはどうでもいいことだ。なぜなら、あなたは妻をすぐに返すと言い、用心深いあなた『妻が帰ってくるまで警察に通報するな』とは言わなかった。
「だからって、あなたの奥さんがまだ解放されているとは限りませんよ?あなたにまたトリックを作らせるために、人質として拘束しているとは考えないんですか?」
鳥居の顔にはまだ、笑みがあったが、少し硬くなっていた。
「もちろん考えましたよ。考えないはずが無い。だが、リスクを考えたらそれはやり辛い」
「それだけですか」
鳥居の頬が、若干緩んだ。
「それだけではないんですけどね。コレを見てください」
「それは・・・」
明らかに鳥居の顔が豹変した。
「そう、あなたのボタンです。昨日着ていたコートの。なんで、今、僕がコレを持っているか分かります?」
「・・・あ、あの時か?」
「そう、あなたの帰り際、僕が袖を掴んだとき、たまたま取れたんです。僕の手の中で」
鳥居は口を噤んだ。
「こんな特徴のあるボタンを警察に渡したら」
「か、返せ。お前の妻がどうなってもいいのか?そうでなければ、早くトリックの欠点を教えて、ボタンを返せ」
「トリックの欠点ですか」
「そうだ。早く言え」
「仕方ないですね。そのトリックの欠点は、あなたが警察に捕まって、他の人の手に渡らないって事です」
「ふ、ふざけるな。貴様、妻が本当に死ぬぞ」
「大丈夫です。妻が帰ってこなかったら、僕達二人は死にますから」
「なんだと?」
『ガシャーン』
扉の外で、大きな音が鳴った。僕は時計を見た。予定通りだ。
「何の音だ?」
「ドライアイスを使わせてもらいました。僕の小説では、何度かトリックで使うために融ける時間も計っていましたので」
鳥居は何も言わず、手に持った原稿を捨てて扉に向かった。扉は3mm程度しか開かなかった。
鳥居は急いで電話をかけた。
「閉じ込められた。あぁ、松井の家だ。閉じ込められた。そうだ。女を見つけたら捕まえろ」
鳥居はこちらの様子を伺いながら電話をかけている。
「残念だったな。こっちには仲間がいるんだ。予定外だが先生とあなたの奥さんには死んでもらいましょう」
仲間の助けを呼んで安心したのか、また、口調が元の戻った。
「しかし、さすがですね。アレだけの時間でコレだけの仕掛けを作るなんて」
「本当にこれだけだと思っているのかい?」
「もう、あなたのでまかせには騙されませんよ」
鳥居の顔には、余裕をうかがわせる笑みが戻っていた。
それから数十分後、外が騒がしくなった。どうやら鳥居の仲間が来たのだろう。
「どうやら私の仲間が来たようですね。あなたの奥さんは捕まったのでしょうかね」
「捕まっていないよ。それより捕まるのはあなた達ですよ」
「減らず口を」
扉が開いた。見えたのは、青い制服を着た男だった。警察官だ。
「な、なんでだ?なぜ、警察がいる?」
「何度も言いますが、トリックです。ラジカセに僕の声を入れて置いたんです。箪笥が倒れたと同時に電話が掛かるように細工をしていたんですよ」