09 疼く記憶
決して取り乱さず、二人は周囲の状況を確認する。黒翳の兵は六人。さっき射掛けてきた弓手が四人と、細身の気弾砲を抱えているのが二人だ。
「…ったく。暁に付いてきたばかりに超~~~ッ面倒なことになった。」
「そんな、『超』を強調すんなよ!さすがに傷付くわ!!」
「本当の事じゃん。……ってことで逃げるッ」
その声を捨て置き、夕紀は人類が出し得る脚力限界速度を明らかに超越しているだろうスピードで駆け出した。一度、哺乳類最速の速さを誇る、アフリカに生息するあの猫科の動物と張り合わせてみたい。
暁はそんなことをふと考えた刹那、すぐに我に返って「待てよ夕紀~。いくらあの軍兵さん達が、自分らの実力不足を物騒な道具を持つことで誤魔化そうとしている様が痛々しいからって。すぐにトンズラすんのは失礼だぞ。」
そう言うと暁も夕紀の背を追って駆け出した。もしもこの場に第三者が居たならば、遠くなってゆく少年の背中に向かって告げただろう。
「失礼なのはどっちだ!!」
パァン!といかにもそれらしい音が響いた。そして、旋風の如く渦巻く『気』が放たれた。『気』は草原の土を掘り起こし、雑草を巻き上げながら寸分たりとも違わずに暁の背に接近してゆく。しかし暁は、夕紀の隣に追い付き、急く必要が無くなった為か、呑気に口笛など奏でながら悠々と歩いている。もしも、あのまま『気』が衝突など「―――する訳無ぇだろ?」
暁が振り向いて口端を吊り上げた瞬間、唸り声をあげて彼に向かっていた『気』は不可視のチカラに気圧されたように後退を始めた。
「くっ…」
まさか、まだ十ニ、三歳と見える子供がここまでの実力を持っていたとは、予期していなかったのだろう。軍兵達の瞳は焦りの色で塗り潰される。
「…って、こんな雑魚い奴らの相手してる場合じゃない。お~い夕紀、置いてくなよ~。」
呑気な声が秋風と共に緑の波の上を滑る。
「…ふざけやがって…ッ」
先程、気弾砲をブッ放した軍兵の一人が低く呻いた。彼の内の感情に影響されてか、『気』が一層、勢いを増した。軍兵は嫌悪感を覚える笑みを口元に浮かべる。―――もっとも、『気』の後退は治まってなどおらず、軍兵自身に向かっているままだったが、それに気付く事もなく――――……
「―――寝てろ。」
先程、からかうような明るい声を出した人物とは同一とは思えぬ、低く抑えた声音。それが引き金だったと告げるように、気付かぬ内に撃及確実領域に達していた『気』が眩い閃光を放った。
「あはは~敵兵ら、目ェ回してる。さすがは暁。家が武術全般対応の道場なだけあるね。」
「まぁな。そんじゃ、行こうか。雑魚共に構ってる暇はないしな。」
「え~?まだ遊びたい。」
軽く頬を膨らませる夕紀の背を軽く叩いて気を落ち着かせ、両肩に手を添えて回れ右をさせる。補足だが夕紀のいう遊びとは、いわゆる討ち合いのことだ。幼少の頃より、夕紀にとって遊びといえば暁や父親との剣術特訓。更に厳密に言うなれば喧嘩だ。
暁としても、最近は交流会に向けて猛特訓に励んでいた大切な幼馴染みを労い、何かご褒美をあげたい気持ちは山々だ。ただ、今は場所と相手に難が有り過ぎる。
「村に戻ったら好きなだけ『遊び』に付き合ってやる。あの程度の奴らを相手にしたところで体力の無駄遣いだよ。」
「そっか…そうだよね、じゃあ行こ♪日暮城にレッツ、ゴ~。」
あっさり機嫌を直し、握り拳を天上へと突き上げるジェスチャーをする幼馴染みに呆れ半分、安堵半分の笑みを返しつつ暁も身を翻す。
二人の後方には、いつの間にか起き上がった、言葉ひとつ無いまま虚ろに佇む兵達。
彼らの脳裏には、声が響いていた。
『…なニヲシているノ?―――――黒翳の歴史ヲ阻害するヤツは、排除シてシマエ。―――さァ』
兵の一人が弓矢を握った。鈍く光る薄汚れた矢尻が、遠退く背中に向けられる。
「……でさ、その時も夕紀が自主練習バックレて勝手に遊びにいって。夕紀のお父さんが超キレて~」「うるさいうるさい覚えてない知らない。てか黙れ」
夕紀は一抹の情けもなく暁の猫背気味な背中に蹴りを入れる。
「痛。酷ぇな」
「ムシャクシャしてやった。反省する気は微塵もない。まぁ、スンマセ~ン」
「…いっそ、清々しいくらいの開き直りだな――…」
夕紀に向き直った瞬間、やや空を切り裂いてこちらに向かってくる、鈍色の光が視界の端に見えた。
「夕紀!!」
声に押され、夕紀は思わず地に倒れ伏した。
暫くの静寂が満たす。
「…っ痛……おい何してくれやが―――……」
怒鳴ろうと目の前に立ち塞がる人物を見上げた、その大きな瞳が僅かに見開かれる。
目の前で時折揺れるクリーム色の上着に、不自然に滲んだ染みを認めたからだ。
「――――暁!」
「…俺の前で夕紀を痛め付けようとは良い度胸だ。その借りは全力で返す………っ…?」
視界がブレ、一瞬暗くなる。口を開ける度に引き攣った音が漏れる。
ヤバい、か…も?
そう思った刹那。さっきまで降っていた雨のせいか、少し湿った土の感触を頬で感じた。
「暁…っ!?」
いつもの明るい憎まれ口が嘘のように悲痛に裏返った、大好きな声が朧気に掠れてゆく意識の中に響いた。
「暁ッ!!」
自分でも解るほどに涙に濡れる声。こんな時、思い知らされる。いくら普段強がっても、結局自分は非力だ。大事な人がこんなにも傷付いても、何も出来ない。止められない自責の念。
同時に、思い出した。
いつかと同じ光景――――『あの時』も、そうだった。