03 謁見
「うう…っ、似合わなすぎる…もう嫌だぁ~!」
夕紀は姿見に映る自分に向かって怒鳴った。彼女は今、左胸に桜花のコサージュが付いた白いワンピース風の衣装に身を包んでいる。いわゆる正装というやつだ。普段は特にケアもしていない、背中の真ん中辺りまで伸びた線の細い黒髪も母親によって高い位置でポニーテールにして貰い、おまけに桜色のシュシュまでも。元々細身で背が高く、目鼻立ちがはっきりしている夕紀にはよく似合っていたが本人にその自覚は皆無で、先程からずっと先述のような調子だ。
「…夕紀、人生において諦めが必要になってくる時もある。ていうか全然変じゃないじゃん。…可愛いよ。………さて、もうそろそろ行かないとやばいぞ。」
「行ってらっしゃい暁。私は行かない。絶ッ対に行かないからッ!」
そう言うと夕紀はベッドにダイブし、苛々しているのか手足を激しくばたつかせながら「何でこんな事に」「似合わなすぎる」「正装なんてやってられるか」等々、様々な不平不満をぼやき始めた。反抗期真っ只中の子供か。
「駄目だこりゃ」
暁は苦笑すると、夕紀の自室の扉を少し開け、廊下で待っていたコリーの頭を撫でて「夕紀はどうしても行かないっていうから俺達だけで行こうか。」
『え~…ユウキがいないとつまんない~。』
人間の年齢で十歳にも満たなそうな、幼い男の子の声が返ってきた。紅霞は部屋に入っていき、ふて寝している夕紀に近付くと甘えるように擦り寄りながら『ユウキ~いっしょに行こう?…ユウキはコウカのこときらい?』
「―――大好きだよ。行こう♪」
十秒前までの絶対的な拒否反応は何処へやら、即刻飛び起きて満面の笑顔で紅霞に抱き付く夕紀。
「…さて、行きますか。紅霞、悪いけどお前が送ってくれるか?時間無いから」
『わかった~。じゃあ、まど開けて?』
暁が窓を開けると紅霞は地を駆けるのと同じように宙へ飛び出し――――元の状態の倍はあろうかという大きさに変わった。更に少し細身になり、風貌は犬より狼に近い。『体長が倍になる分、細身でなければ体が重くなりすぎて動けなくなるから』という主旨の発言を聞いたことがある。
『じゅんびかんりょうっ。乗っていいよ♪』
その言葉と同時に二人は紅霞の背に飛び乗った。紅霞は高らかに一声咆哮すると、天上からの光を受けて白く煌めく光架城に向け、軽やかに蒼空を駆け抜けていった。
「――――皆様、ようこそおいで下さいました。本日は王の御容態が余り芳しくない為、私、虹霓国第一王子の昂哉が代行させて頂きます。どうぞ宜しく。」
その声は光架城の社交大広間、開け放たれたままの扉の奥から響いてきていた。夕紀達を含め各部族からの代表者が横一列に並ぶ、その目の前には柔らかな微笑みと優美な立ち居振舞いで御辞儀をする美少年。その姿に、その場に居る全員が息を呑み、見入っていた。――――夕紀や暁以外は。
「ふわぁ~かったる~…。早く帰りたいよ暁…。てかあの人の笑顔胡散臭い」
「俺も同感だよ夕紀。ああいうのって大抵、見た目は良いけど中身が残念なパターンなんだよな。」
王子が列の右端から順に、一人一人と挨拶を交わし始めたのを横目で見つつ言いたい放題な二人。直後、部屋の出入口に立っている護衛兵が咳払いをし、暁は「あっ」と呟いて口を押さえる。もう少しで『王族に対する不適当発言』罪でみっちりしごかれるところだった。
「全く…何やってんだよ暁~。」
「あはは…ごめん。」
全く悪びれずに笑っている暁の脇腹に、夕紀が容赦なく軽く拳を叩き込む。それと同時に「討魔士の部族の方々ですよね。―――見た感じ、俺と同い年くらいっしょ?もし敬語とか嫌なら別にタメ口でも構わないから。」
「へっ?」
思わず顔をあげると、三日月を下向きに変えたような形の瞳に、年相応の少年らしい、無邪気で悪戯っぽい光が映っていた。
昂哉は視線で出入口の方を示し、「ほら、見張りの奴らがようやく消えた。多分、来賓歓迎の宴の準備しに行ったんだろうな。って訳で皆も楽にして良いよ~。…っあ~、疲れたぁ…。」
そう言うなりキッチリと着こなしていた上着のボタンを全開にし、臙脂色のネクタイを外すと椅子にどっかりと深く座った。先程までの王族らしさは完全に霧散し、そこら辺に普通に居そうな少年という感じだ。
「ぇ…と、王子?」
「ん~何?」
「なんか……人間が変わってません?」
夕紀がいうと全員が同感だったらしく、小さく頷いているのが視界の端に見えた。
「そうかもねぇ。まぁこれが俺の素だし。護衛が居ない間だけでも良いから、ちょっと王子キャラから解放させてよ?な?」
そう言いながら笑顔を全開させる。直後、夕紀と暁の背後で何かが立て続けに崩れ落ちる音がした。…恐る恐る振り向いてみると―――……
「うわぁ…」
王子の素敵な笑顔に殺られてしまった、哀れな少女達が至福の表情で床に折り重なり倒れていた。彼女達に紅霞が近付き、鼻先や前足でつついて『おねえちゃん達、こんなところでおひるねしてたら、カゼ引いちゃうよ?』などと少し的外れな注意をしている。
「……王子。今年の交流会はどんな事をするんですか?」
後方に広がる光景は見なかったことにすることを決め込んだ暁は、ちらちらと後ろを気にする夕紀を回れ右させつつ昂哉に問う。
「ん~?まぁいつも通りな感じじゃね?」
「あの…私達、今まで交流会に参加したことなくて…。」
「ぇ、マジで」
昂哉は意外だという風に目を見開く。
「えと…行きたいなとは思っていたけど、退治屋っていう身分上、やっぱり仕事優先なので…。」
「あぁ~、解る。俺も『あぁ、なんか今日は思いっ切り外を駆け回りたい気分だな』とか思っても公務に時間潰される、ってのがよくあるよ。サボろうにも誰かが監視しててめっちゃキレられたり。」
「そうそう!!キレられるの物凄くウザい。」
「…なに意気投合してんだよ」
何故かメチャクチャ不機嫌そうな声で暁が呟く。その冷淡な瞳は夕紀とかなり仲良く話し込んでいる昂哉へと向けられている。
「―――ん、どうしたの暁?どこか痛いの?大丈夫?」
「へっ……あ、うん…。」
不意に漆黒の瞳が覗き込んできて、思わず目を逸らす。その先に、何だか楽しげにニヤつきながらこちらを見ている瞳があった。
「……何見てるんですか」
「ん、別に?『青春だね』なんて思ってないよ」
「それって思ってるって事ですよね王子!?」
昂哉に食って掛かる暁を見つめ、夕紀は不思議そうに首を傾げる。だがすぐに柔らかく笑って「暁って、色んな人とすぐに仲良くなれるよね。羨ましいなぁ」
「いや、それは違うから。…ほら、夕紀は倒れてる人達を起こして。…王子。我々の部族が今年の交流会で催しを希望するものの議案書です。」
倒れてる人(主に女子)を紅霞と共に起こしている夕紀の方を頻りに見ながら、昂哉に議案書を差し出す暁。
「お、ご苦労様。…剣技の自主練習の一般公開に各自のパートナー動物との演戦…。すげぇ、超楽しそう~」
「そ、そう…?」
年相応の無邪気な笑顔を見せる昂哉。そのテンションの上がりように、夕紀と暁の方が戸惑ってしまう。王子キャラの時とは違う、本当に心からの笑顔だと解る。
「んじゃ、退治屋さんの催し物はこの二つの内どちらかって事で―――……」
「―――昂哉様、来賓歓迎の宴の準備が完了致しました――…って昂哉様、何ですかそのお姿は!早急に御直し下さい!!」
「げ…っ」
大広間に入ってきた、白髪混じりの見るからに神経質そうな男性を見て昂哉は眉を潜めた。
「…だってさ、ネクタイ息苦しいし上着も合ってないんだもん。」
「何を仰有いますか貴方は!御召し物は後で御直し致しますから、とりあえずは今は御召し下さい。」
「…ハイハイ」
面倒臭そうに応え、昂哉は無造作に投げ捨てていた上着を羽織り、ネクタイを閉め直す。
それが終わると、執事の先導に従って夕紀達は宴会の間へと向かった。