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10 孤独な兄妹

世界(ここ)は、決して居心地が良いわけじゃない。むしろ生きづらい。そんなことは解っていた。生来この身に穿たれた、不可抗力の足枷(しがらみ)の存在に気付いた時から。


蹴飛ばすことが出来たなら、どんなに楽だったろう。そんなどうしようもない妄想を繰り返している内に、また一日が終わってゆく。


辺りを見回してみる。既に室内(そこ)には他に誰も居ない。少女は一人、茜色の空間に佇んでいた。その時、下校を促すメロディが流れてきた。


――――さて、そろそろ帰ろう。腐れ切ったこの世界の中でも唯一、こんな自分に笑いかけてくれる『あのひと』が待つ場所へ。


見渡す景色のすべてを飲み込んでゆく紅い光をクリーム色の布で勢い良く斬り捨て、立ち上がる。



その瞬間。茨か何かが絡み付いてくるかのような、些細ながら鬱陶しい痛みを覚えた。


痛い。この痛みがいつまでも私を縛り付ける。


だけど、あのひとだけが認めてくれた、私という存在が確かに在ることを示す象徴でもある。


だから、この痛みを。私は守るよ。


ため息ひとつ溢し、少し乱れた椅子と机に手を付き立ち上がると、少女は覚束ない足取りで歩き出した。

「宮廷警備隊の皆さんが駆け付けて下さったから良かったものを…。夕紀、お前は一体何をやっているんだ!!」

夢から(うつつ)に戻ってくる中で、まずは夕紀父の怒号が聞こえた。


「……。」

「おい、聞いているのかお前は!」

物言わず、いや言えずに黙っている夕紀を更に殴り付けるように、怒号が一際大きくなる。俺を心配してくれてのことだ、って…そりゃあ解ってはいるけどさ。


「……んな、怒…な…いでや…下…ぃよ夕…の…父さ…」

「―――暁!!」

「ぁ、傷口開きたくないなら起きちゃダメよ~。」

穏やかな声が起き上がろうとした暁、暁に駆け寄ろうとした夕紀の双方を制する。


「まぁ…とりあえず暁くんが助かって良かった。―――けど…。」

安堵の笑みを浮かべようと表情を和らげた夕紀に、たしなめるような視線を流しつつ雷斗が呟く。


「―――けど?」

「命は繋ぎ止められたけど、万全回復とまでは及ばなかった。ごめん…調薬師として未熟な僕達にはこれが限界なんだ。しばらくは妖魔討伐も黒翳に殴り込みに行くのも控えた方が良い。ていうか絶対禁止。」

いつもは伏し目がちな深いエメラルドグリーンが、他言を許さない揺るぎない一筋の光を呈している。


「そんな…。」

どうすれば良いんだよ、と言う嘆きは声にならず、窓から流れ込んでくる風に溶けて消えた。

「――――方法、無い訳じゃ…無いんだよ。」

「えっ!?教えろっ今すぐ!!」

「グェ…っ」

蛙が潰れたみたいな呻き声を漏らし、勢いに押されて数歩下がる雷斗。ついでに言うなら首が締まっている。

「とりあえず、雷斗の首を絞めてるその手をお離しなさいな夕紀ちゃん。教えて貰う前に雷斗が死んじゃうよ~。」

「ぁ、ごめん…。」

夕紀が手を離すと同時に、雷斗は気が抜けたらしくその場にへたり込む。が、すぐに数回深呼吸して気を落ち着け、「―――僕達の集落と、東の方にある橋で繋がってる集落があるじゃん?呪術師と龍使いの人の村。そこには、僕達の集落に生えてるのより格段に効き目の良い草花があるって。それで作った薬は、本当に良いらしいよ。でも、」

「今すぐ行って貰ってくる!!」

「ぁ、ちょ夕紀、待てっ」

雷斗と暁の言葉を最後まで待たずして駆け出してゆく夕紀。茫然と見送る子供達の後ろで、怒りを通り越して呆れたというように夕紀父が頭を押さえ溜め息をついた。




「―――ぁ、あれ、あの欠陥人(ロボット)じゃね~?」

数メートル後ろから、耳障りな幾つかの笑い声が茜色の緩い坂道を転がってきた。下校時間をずらしてやったつもりだったけど、どうやら待ち伏せしてやがったらしい。こうなると、ヒジョーに面倒くさいことになる。


「ぁ、本当(マジ)だ~。」

「てか、ロボットていうかゴリラっぽくね~?」

一拍置いた後、鼓膜を軋ませるような大爆笑。嗚呼、本当に面倒くさい…。そして、「ねぇ~これから研究所にでも帰ってメンテナンスでもするの?それとも森?」

目の前に来たかと思ったら、そんな虚言を吐き散らす。もはや日課になりつつある事だ。なんていうか、まぁ、この馬鹿(ひと)達って暇なんだな。


少女は、ただ静かにため息を()く。その顔に怒りの炎や涙の雨などといった、表情らしい表情は無い。少しの間の後、少女はまた前を向き、おもむろに歩き始めた。まるで、背後で催されている雑音の多重奏など、取るに足らないとでも言うように。

「…は?何、ため息なんか吐いちゃってんの?」「マジうぜぇし。」


少女が無反応だったことが気に入らなかったらしい、二人の男子(バカ)がビー玉ほどの大きさの小石を蹴った。それは寸分違(たが)わず少女の両足に衝突する。「……っ。」

さすがに堪らず、少女の体は前のめりになった。が、少女は頭から転倒しそうになるのを寸でのところで持ちこたえ、僅かに眉根を潜めながら白と水色の縞模様の長い靴下を下げる。


―――刹那、後方から再び嘲笑交じりの歓声が上がった。


「お~来たぁッ。損傷部分の修復ですかぁ~?」

「道のド真ん中だけど大丈夫ぅ~?」

そんな雑音を一切無視し、同時に感情の機能を停止する。傷付いたり泣いたりなんかしない。絶対に。


そう自分に言い聞かせると傍のコンクリート塀に寄り掛かり、スカートの裾を軽く持ち上げて足首を見る。


――――まるで大海の波を模した様な、青っぽい曲線(あざ)が少女の膝下から足首まで生じていた。


「うッわ、ヤッバ~」

「ちょーキモっ」


視界の端で何か言ってる馬鹿共を無視し、淡々と負傷の具合を確認することのみに集中する。この痣は生来のものだ。誰にどう嘲笑(わら)われようが、どうしようもない。どうでもいい。


かつて、本来なら自分を慈しみ、守ってくれる筈の家庭(ばしょ)から見放されたと知った時、私は全てを諦めた。涙も、怒りも、苦しみも、笑顔でさえも。何処(どこ)かへ置いてきてしまった。



―――それらを取り戻せるのは、「あのひと」の傍だけ。私と同じ、冷たい闇を抱えたあのひとだけ。


毎日のように吹き(すさ)ぶ侮蔑の中で、「あのひと」が向けてくれる柔らかい笑顔や呼ぶ声だけが、ずっと私の道標(ひかり)だった。それは今も変わらない。


「……」

端から見れば禍々しい以外の何物でもないだろう紋様が刻み込まれた肌の診察を終え、少女は無表情のまま靴下を引き上げた。少しだけ赤みが残っていたが、この程度なら問題はない。前のめっていた上体を起こす、ごく自然な仕草で膝に手を添える。―――と、その箇所に半透明の薄く細い帯のようなものが巻き付いた。かと思った刹那には溶けるように掻き消えてしまった。少女の肌に残された赤みも、同様に。


「…君らの稚拙な攻撃なんて、全くもって問題ないから。」

少女は努めて無感情な言葉を静かに紡ぐと踵を返し、空を焼く炎とそれをも飲み込まんとする青暗いの闇とが迫る坂道を掛け降りていった。




「――――…ただいま」

家に着いた少女の目に真っ先に飛び込んできたのは、居間のソファーに寝転がりつつ何やら学業用魔導書、平たく言えば学校の実技系魔法の教科書を眺めている人物だった。


「…ただいま、蒼牙(そうが)。」

「ん?ぁ、お帰り氷雨(ひさめ)。」

柔らかい、落ち着いた雰囲気の微笑が向く。それを見つめ返すだけで氷雨の口元も僅かに緩んだ。今の氷雨の表情を第三者が見たとしたら、きっと我が目を疑ってしまうだろう。それくらい、普段の氷雨は笑っていない。唯一、彼――――蒼牙の前だけだ。


「何、今度実技テストあるの?」

「そうなんだよ。先生がやたらと実技好きでさぁ…」眉根をひそませて愚痴る蒼牙に近付き、肩越しに教科書を覗き込む。『敵方の攻撃を水の被膜(ベール)で防御する』というものだった。仮に敵襲を受けた場合、湖畔や清流、最悪の場合はそこら辺の水溜まりでも良い。とにかく水源さえあれば起動できる、極めて簡易な防御魔法だ。…思えばあの交流会の日以来、虹霓の至る学校(ところ)で緊急時対応攻防魔法の訓練が徹底されるようになった気がする。


「…蒼牙、起動失敗して一人だけ『また』居残り追試…なんてならなければ良いね?」

「…ナンノコトカナ?」

「あれ?今の『間』は何かなぁ?ていうか蒼牙、龍との意志疎通は上手いのに呪術苦手なんだね」

「そういう氷雨も龍との意志疎通苦手じゃん。」

拗ねる蒼牙を見つめる氷雨の表情には、帰路の無感情な声音と瞳が嘘のように、紛れもない笑顔が浮かんでいた。緩く結んだ口元から、含み笑いに伴う吐息が微かに弾む。普通にどこにでも居る、その年頃の少女のように。――――蒼牙と居る時間(とき)は、その瞬間だけは。こんな自分も『普通』に生きることを許されるような気がした。



それまでは。あまり、受け入れられない存在だった。どうやら周りにとって私は、出来れば自分達の目の届かない所に投げておきたい、だけど見ているとある意味で面白い存在だったらしい。それもそうか。滅多に居ないからね、生まれつき足にへんてこりんな紋様がある人なんて。更にその足には、まるで紋様に縛されているかのように軽度の機能不全。まぁ日常生活では別に困らない程度だけど――――忌みの念を抱かれるには充分すぎた。


親戚には「あの子が身内だなんて恥ずかしい」とか言われて。学校に行く年齢になれば当然、周りに見せ物みたいにされた。ふざけるな。私が何したっていうんだ。…なんて思いも、いつしか薄れていった。


感情を殺して自分を守る術を得たのは、その頃だ。そして、「本当」の家族から捨てられたのも。




あの日。いつも通り学校が終わって、ごちゃごちゃうるさい奴らをいつも通り無感情にあしらって辿り着いた家には、…正確には家の跡地には、所々破れ、それを繕いもしていないままの衣服袋と、申し訳程度の金が置いてあるだけだった。噂によれば、ご丁寧に自分(ひと)が学校に行った隙に何処かに消えたらしい。今さら真実を知る術は無いけど。


その後はあまりよく覚えていないけど、…まぁ孤児院にでも居たんだろう。暖をとることは出来たけど、数十の冷たい眼に晒されていた気がする。


そして紅葉が枯れ葉に変わり、枯れ葉が雪に埋もれて朽ち果て、その雪も柔らかい白い光で溶けていった頃―――――今の家に引き取られた。漆黒の髪とこの村にある大きな湖と同じ色の瞳を持つ、三歳年上の男の子にも出会った。それが蒼牙だ。

間もなく、蒼牙も私と同じような境遇だと知った。その日から私達は一緒に生きてきた。…願うことは唯一つ。もう二度と、この、蒼牙(かぞく)との『普通』の日常を失くすことの無いように―――…。


「…め、氷雨ッ」

肩に軽く食い込んだ爪の微かな痛みで、氷雨は我に返った。

「…蒼牙」

掠れた声でその名を呼ぶ。すぐに、ニコッと笑って髪を撫でてくれた。石鹸の香りが暖かい手と共に触れる。それだけで気分が和らいでゆく。


「大丈夫か?」

「ぁ…うん。ちょっと、思い出してただけ…。」

蒼牙の表情が一瞬、固まった。

「…大丈夫だよ、蒼牙っ。もう、どうでも良い事だから。」

取り繕って「アハハ」とか言いながら重い口角を引っ張り上げた、その時だ。


不意に眺めた窓の外に、野獣並みの全力疾走(スピード)で駆けてくる女の子と、その女の子を追い掛ける白い狼みたいな生物が見えた。

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