第2話「火の雨」
【作中時間】2026年6月20日 01:00 - 02:00(台湾標準時 / UTC+8)
01:02 台湾中南部・嘉義空軍基地
凄まじいサイレンの咆哮が、漆黒の夜の静寂を乱暴に引き裂いた。
台湾空軍第4戦術戦闘航空聯隊が駐留する嘉義基地。停電により真っ暗になったエプロン(駐機場)を、非常用電源に繋がれた投光器の青白い光が狂ったように走り回っている。
「スクランブル! 全機発進! 急げ、ミサイルが来るぞ!」
整備兵たちの怒号と、航空燃料(JP-8)の鼻をつく匂いが充満する中、F-16V戦闘機のキャノピーが次々と閉じられていく。パイロットたちは、プレフライト・チェック(飛行前点検)の大部分を省略し、メインエンジンのスタートボタンを叩き込んだ。
プラット・アンド・ホイットニー社製F100ターボファン・エンジンが甲高い金属音を立てて回転を始め、やがて腹の底を揺るがす轟音へと変わる。
彼らに与えられた時間は、絶望的なまでに短かった。
中国大陸の沿岸部から発射された短距離弾道ミサイル(SRBM)が台湾本島に到達するまでの飛翔時間は、わずか5分から7分。早期警戒レーダーが発射の熱源を探知し、指揮所から各基地へ警報が伝達されるタイムラグを考慮すれば、パイロットたちが機体に乗り込み、滑走路を蹴って空へ逃れるための猶予は「3分」しか残されていない。
「こちらブルー・リーダー。タキシングを開始する。タワー、管制は生きているか!」
『……ザーッ……ブルー・リーダー、こちらタワー。レーダーロスト、目視のみ! 滑走路はクリアだ。とにかく上がれ、上がって高度をとれ!』
管制塔の通信機も妨害電波の影響でノイズに塗れている。編隊長はスロットルレバーを力任せに押し込んだ。アフターバーナーの青白い炎が夜の闇を焦がし、F-16Vが猛然と滑走路を滑り出す。
機体がフワリと浮き上がり、ランディングギア(車輪)を格納したその瞬間だった。
背後の夜空が、真昼のように白く閃光を発した。
直後、空気を引き裂くような落雷に似た轟音が嘉義基地を包み込んだ。編隊長が思わずキャノピー越しに振り返ると、彼がたった数秒前まで走っていた滑走路の中央に、巨大な火柱が立ち上っていた。
中国ロケット軍の放った「東風15(DF-15B)」弾道ミサイルの着弾である。
弾頭には滑走路破壊用のクラスター(子弾)爆弾が搭載されていた。マッハ6の極超音速で突入してきたミサイルは、空中で数百個の特殊貫通弾を散布。それらは分厚いコンクリートの滑走路に突き刺さると同時に爆発し、滑走路を無数のクレーターだらけの「月面」へと変えた。
「ブルー2! 応答しろ、ブルー2!」
編隊長の叫びは虚空に消えた。
後続して離陸しようとしていた僚機は、時速300キロ近い速度で滑走中にクレーターに突っ込み、ランディングギアをへし折られて機体ごと宙を舞った。満載された航空燃料とミサイルが誘爆し、巨大な火球が夜空を焦がす。さらに第二波、第三波のミサイルが、強化コンクリート製の掩体壕や弾薬庫、管制塔に次々と突き刺さり、基地は一瞬にして灼熱の地獄へと変貌した。
編隊長は血の滲むような思いで操縦桿を握りしめ、機体を急上昇させた。
下界を見下ろせば、北の台中、新竹、桃園、および南の台南、屏東の方角からも、次々と禍々しいオレンジ色の火柱が上がっているのが見えた。
台湾空軍の誇る航空戦力は、その過半数が空へ飛び立つ前に、地上で無残にすり潰されようとしていた。
01:15 中国・福建省 某所/人民解放軍 ロケット軍 東部戦区地下指揮所
「第一波、着弾確認。目標の80%に命中。台湾島内の主要な軍用滑走路は、現在すべて使用不能状態にあります」
オペレーターの無機質な報告が響く中、ロケット軍の司令官は腕を組み、壁面を埋め尽くす巨大な戦況モニターを冷徹な眼差しで見つめていた。モニターには、台湾本島に無数の赤い×印が点灯していく様がリアルタイムで表示されている。
「引き続き、第二波の攻撃シーケンスへ移行。目標は防空レーダー網、指揮通信ノード、およびパトリオット防空ミサイル陣地。敵の『目』を完全に潰せ」
現代戦において、開戦の主役はもはや陸軍の戦車でも海軍の戦艦でもない。それは数百キロ、数千キロ離れた安全圏から放たれる「ミサイル」である。
人民解放軍ロケット軍(PLARF)は、この日のために何十年もかけて、世界最大かつ最も多様なミサイル戦力を構築してきた。
第一波の攻撃で使用されたのは、台湾全土を射程に収めるDF-15およびDF-16短距離弾道ミサイル群だ。半数必中界(CEP:ミサイルの半数が着弾する半径)は数メートル以内という驚異的な精度を誇り、機動式発射機(TEL)から放たれるため、発射前の探知・破壊は極めて困難であった。
「司令、敵の防空ミサイル部隊が迎撃を開始しました。台中および台北近郊から、迎撃ミサイルの熱源を多数探知」
「想定内だ。デコイ(囮)群を突入させろ。高価なミサイルを無駄撃ちさせ、弾薬庫を空にしてやる」
司令官の口元に、冷酷な笑みが浮かんだ。
弾道ミサイルの発射と連携し、中国大陸からは旧式の戦闘機(J-6など)を無人機に改造した大量の「囮」が台湾の空域へと放たれていた。さらに、低空を這うように飛翔する長距離巡航ミサイル「長剣10(CJ-10)」が、レーダーの死角となる山間部を縫うように進んでいる。
弾道ミサイル、巡航ミサイル、および無人機。
高度、速度、進入角度が全く異なるこれら数百の飛翔体を同時に目標へ到達させる「飽和攻撃」。それが中国軍の描いた第一撃のシナリオであった。いかに優秀な防空システムであっても、処理能力の限界を超えた数の標的が同時に押し寄せれば、システムはパンクし、防空網は崩壊する。
「台湾の空は、夜明けまでに我々のものとなる。アメリカの空母が到着する頃には、彼らを守る傘は一枚も残っていないだろう」
01:30 台湾北部・新北市山間部/防空飛弾指揮部 第795旅(パトリオットミサイル陣地)
「ターゲット多数! 高度8万フィート、速度マッハ5以上! 弾道ミサイルです! さらに低空、高度500フィートに巡航ミサイルらしき目標群が接近中!」
新北市の山間部に巧妙に偽装・展開された台湾軍のパトリオット(PAC-3 MSE)および国産の「天弓三型」防空ミサイル陣地。移動式の指揮統制ステーション(ECS)の車内は、けたたましい警告音と怒号で満ちていた。
レーダー・コンソールの画面は、無数の赤い光点で埋め尽くされている。まるで画面全体が赤い絵の具で塗りつぶされたかのようだ。
「迎撃システム、オート(自動)モードへ移行! システムに優先順位を判断させろ! 我々のカバーエリアに向かってくる弾頭だけを撃ち落とすんだ!」
中隊長が叫ぶ。手動で一つ一つターゲットをロックオンしている余裕など、とうの昔に失われていた。
『ターゲット・ロック。迎撃ミサイル、発射!』
ズガガガガッ! という轟音とともに、発射機からPAC-3ミサイルが次々と夜空へ飛び出していく。ミサイルのロケットモーターが放つ閃光が、周囲の木々を真昼のように照らし出した。
上空では、大気圏に再突入してきた中国軍の弾道ミサイルと、それを迎え撃つ台湾軍の迎撃ミサイルが激突し、夜空に無数の恐ろしい花火を咲かせていた。キネティック弾頭(直撃による運動エネルギーで破壊する方式)が命中するたびに、空が青白く発光する。
「目標アルファ、撃墜! 目標ブラボー、撃墜!……くそっ、数が多すぎる! レーダーの処理限界を超えています!」
オペレーターの悲痛な声が響く。
PAC-3ミサイル1発の価格は約5億円。対する中国軍のデコイ無人機は数百万円にも満たない。台湾軍は、文字通り「金の弾丸」を消費して、安価な囮を撃ち落とさせられているのだ。
「中隊長、ランチャーの残弾ゼロ! 全て撃ち尽くしました!」
「次弾装填を急げ! 予備のキャニスターを……」
中隊長が指示を出そうとしたその瞬間、レーダー・オペレーターの絶叫が車内に響いた。
「対放射線ミサイル(ARM)接近! 当陣地のレーダー波を探知して突っ込んできます! 回避不能、着弾まで5秒、4、3……!」
「総員、衝撃に備え――」
中隊長の言葉は、鼓膜を突き破る爆音と、車体を吹き飛ばすほどの凄まじい衝撃波によって途切れた。
中国空軍のJ-16D電子戦機から放たれたYJ-91対放射線ミサイルが、パトリオット陣地のフェーズドアレイ・レーダー(AN/MPQ-65)のど真ん中に直撃したのである。
台湾の夜空を見上げていた「目」が、また一つ、永遠の眠りについた。
残されたのは、燃え盛る残骸と、防空の傘を失い裸同然となった都市だけだった。
01:45 日本・東京/首相官邸 危機管理センター
台湾から北東へ約2,100キロメートル。
日付が変わったばかりの深夜の東京、永田町。
「総理、入られます!」
官邸地下の危機管理センターに、深夜の緊急招集に応じた内閣総理大臣が、足早に入室してきた。すでに揃っていた内閣官房長官、防衛大臣、外務大臣、および国家安全保障局(NSS)局長ら、いわゆる「四大臣会合」のメンバーが、緊張した面持ちで総理を迎えた。
日本標準時(JST)で午前2時45分。台湾時間では午前1時45分。
事態の第一報が官邸にもたらされてから、まだ1時間と経っていなかった。
「お疲れ様です。現在の状況を正確に共有してください」
総理は席に着きながら、極めて冷静、かつ芯の通った声で促した。
「日本時間午前1時ちょうど、台湾全土で大規模な通信障害と停電が発生。そして午前2時すぎより、中国大陸沿岸部から台湾本島へ向けて、多数の弾道ミサイルおよび巡航ミサイルが発射されました。現在も着弾が続いています」
内閣情報官が、巨大なスクリーンに映し出された東アジアの地図を指し示しながら報告する。画面上の台湾本島は、着弾を示す無数の赤いマークで覆い尽くされていた。
「演習の誤射などではないのですね?」
総理の鋭い視線が情報官に向けられる。
「はい。意図的かつ、極めて大規模な軍事行動です。防衛省・自衛隊のレーダーサイト、および在日米軍の早期警戒衛星のデータもこれを裏付けています。中国による台湾への全面的な武力侵攻――『台湾有事』が、今まさに始まりました」
会議室に、凍りつくような沈黙が落ちた。
「被害の状況は?」
防衛大臣が、傍らに控える防衛省の幕僚に問う。
「情報が錯綜していますが、台湾の主要な空軍基地、レーダーサイトはすでに深刻な打撃を受けていると推測されます。また、台湾海峡には中国海軍の艦隊が集結しつつあり、海上封鎖の動きを見せています」
「アメリカはどう動いていますか? ホワイトハウスの様子は?」
外務大臣が焦燥感を露わにして尋ねる。
「ワシントンは現在、前日の午後1時前です。米大統領はすでに状況の報告を受けているはずですが、現時点で米軍の大規模な展開や介入の表明は確認されていません。インド太平洋軍はハワイで緊急会議を招集した模様です」
総理は資料に目を落とし、小さく息を整えた。
台湾有事は、決して「対岸の火事」ではない。台湾本島からわずか110キロの距離には日本の領土である与那国島があり、沖縄県には在日米軍の巨大な基地が集中している。もしアメリカが台湾防衛のために動けば、日本は自動的にこの激流に巻き込まれる。
「……直ちに国家安全保障会議(NSC)を開催します。至急、統合幕僚長と『統合作戦司令官』を官邸に招集してください」
総理の毅然とした命令が室内に響く。
「私たちは今、戦後最大の危機に直面しています。防衛省は直ちに自衛隊の警戒態勢を引き上げてください。何よりも、与那国や石垣など南西諸島の島民の安全確保、および国民保護のための初動を最優先とします。……同時に、法制上の事態認定の準備を進めなさい。『武力攻撃予測事態』、あるいは……『重要影響事態』の適用を速やかに検討してください」
「総理、まだ米軍の出方が明確でない段階で、我が国が前のめりに動けば、中国を不必要に刺激し、日本への直接攻撃を招きかねません」
外務大臣が、外交的なリスクを懸念して慎重論を唱える。
「何を言っているんですか! 台湾が落ちれば、私たちのシーレーンが物理的に首根っこを押さえられるんですよ! すでに私たちの目の前の海に、火の粉が飛んできているんです!」
防衛大臣が机を叩かんばかりの勢いで反論した。
会議室で閣僚たちの激しい議論が交わされる中、スクリーンの端にある時計のデジタル数字が、無情にも時を刻み続けていた。
開戦から2時間が経過しようとしていた。台湾の空を赤く染める火の雨は、まだ止む気配を見せていない。
そしてその火の粉は、すぐ隣の島国である日本へと、確実に風に乗って流れてこようとしていた。
この話はシミュレーション小説であり現実のいかなる国を中傷するものでは有りません。




