第13話「針路変更」
【作中時間】2026年6月20日 12:00 - 13:00(台湾標準時 / UTC+8)
※日本標準時(JST / UTC+9):6月20日 13:00 - 14:00
※ハワイ標準時(HST / UTC-10):6月19日 18:00 - 19:00
12:05 ハワイ・オアフ島/アメリカ・インド太平洋軍(USINDOPACOM)司令部
ハワイ標準時、午後6時5分。
オアフ島の山腹に位置するインド太平洋軍司令部、キャンプ・H・M・スミスの地下統合運用センター(JOC)は、異様なほどの静寂に包まれていた。
数十名の幕僚たちが、正面の巨大なモニターに映し出された映像を食い入るように見つめている。それは、ワシントンD.C.のホワイトハウス、大統領執務室から全世界に向けて生中継されている、アメリカ合衆国大統領の緊急演説であった。
『――今日、この瞬間において、我々が愛し、築き上げてきた自由で開かれた世界は、独裁者の野望によって重大な危機に瀕している』
大統領の深く、力強い声がハワイの地下施設に響く。
『台湾の民主主義に対する一方的かつ不当な武力侵攻を、アメリカ合衆国は断じて容認しない。我々は平和を望むが、それは屈服を意味するものではない。自由は、ただ祈るだけでは守れない。時には、血と鋼の代償を払ってでも立ち向かわねばならないのだ。私は最高司令官として、太平洋における我が軍に対し、あらゆる手段を用いてこの侵略を阻止するよう命じた。アメリカは、自由世界の盾としての責任を果たす』
演説が終わった瞬間、JOCの空気は「静寂」から「爆発」へと一気に切り替わった。
「大統領指令(NCA)、確認! ワシントンより暗号通信を受信しました。交戦規定(ROE)の制限解除。これより、台湾周辺空海域に展開する中国人民解放軍の全アセットを、我が軍の正当な攻撃目標と認定します!」
通信将校の絶叫が響き渡る。
インド太平洋軍司令官(海軍大将)は、コーヒーカップをデスクに置き、指揮台の前に進み出た。彼の目には、長年の「抑止」という重圧から解放され、純粋な軍事オペレーションの遂行にのみ焦点を合わせた、猛禽類のような鋭い光が宿っていた。
「ついにペーパー上の作戦計画(OPLAN)が、現実のものとなった」
司令官は、作戦幕僚たちに向かって重々しく告げた。
「これより作戦名『パシフィック・シールド』を本格発動する。我々の最初の任務は、台湾の東側――フィリピン海を塞いでいる中国海軍の空母打撃群を粉砕し、台湾本島への『空気穴』を開けることだ。……第7艦隊に命令を伝達しろ。針路を変更し、直ちに攻撃位置へつけ」
12:20 フィリピン海/アメリカ海軍 第7艦隊・第5空母打撃群(CSG-5)
台湾の南東、約1,200キロメートル。
マリアナ諸島西方のフィリピン海を、一つの巨大な「洋上の都市」が波を切り裂きながら進んでいた。
アメリカ海軍の前方展開部隊である第7艦隊の中核、第5空母打撃群(CSG-5)。その中心に君臨するのは、満載排水量10万トン、全長332メートルを誇るニミッツ級原子力空母「ジョージ・ワシントン(CVN-73)」である。
同艦は2024年に空母ロナルド・レーガンと交代する形で日本の横須賀基地に配備され、最新鋭のF-35Cステルス戦闘機やCMV-22Bオスプレイを運用する能力を持つ、世界最強の航空打撃力であった。
ジョージ・ワシントンの周囲には、タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦、複数のアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦が鉄壁の輪形陣を敷き、さらに海中ではロサンゼルス級原子力潜水艦が随伴している。
艦橋の第5空母打撃群司令官室。
分厚い防弾ガラスの向こうに広がる太平洋の青い海原を見つめていた打撃群司令官(海軍少将)の元に、通信士官が血相を変えて飛び込んできた。
「ハワイのINDOPACOMより、緊急行動メッセージ(EAM)! 交戦規定アルファが発動されました! 台湾を包囲する中国軍艦艇への攻撃許可が下りました!」
司令官はゆっくりと振り返り、手渡された暗号解読済みのフラッシュ・メッセージに目を通した。
「……ついに大統領が引き金を引いたか。中国の連中は、我々が本気で撃ってくるとは思っていなかっただろうな」
司令官は、艦内スピーカーのスイッチを入れた。
「打撃群全艦へ、こちらアルファ・シエラ(司令官)。ワシントンより攻撃の許可が下りた。これより本打撃群は針路を北西に取り、中国軍のA2/AD(接近阻止・領域拒否)ラインの外縁部まで進撃する。……諸君、これは演習ではない。第二次世界大戦のミッドウェー海戦以来となる、空母対空母の本格的な艦隊決戦だ。我々が太平洋の覇者であることを、中南海の連中に教えてやれ。総員、戦闘配置!」
その直後。
10万トンの鋼鉄の巨城が、巨大な航跡を海面に描きながら、その艦首を大きく北西――台湾の方向へと回頭させた。
「針路変更!」という号令とともに、ジョージ・ワシントンの4基の巨大なスクリューが激しく海水を掻き回し、艦体を最高速度である30ノット(時速約56キロ)以上の猛烈なスピードへと加速させる。
それと同時に、飛行甲板は、色鮮やかなベストを着たフライト・デッキ・クルーたちが入り乱れる、統制された狂乱の場と化した。
「フライト・オペレーション開始! 全機、武装を急げ!」
エレベーターが、格納庫から次々と戦闘機を甲板へと押し上げてくる。
F/A-18E/F「スーパーホーネット」、そして最新鋭のF-35C「ライトニングII」。
彼らの主翼の下に懸架されているのは、演習用のブルーのラインが入ったダミー弾ではない。危険を示すイエローのラインが鮮やかに塗られた、実弾であった。
特に目を引くのは、スーパーホーネットの主翼下に搭載された、巨大でステルス形状の黒い弾体――AGM-158C「LRASM(長距離対艦ミサイル)」である。
射程は500キロメートル以上。GPSやデータリンクが妨害されても、ミサイル自身がAI(人工知能)によって敵の艦隊陣形を自律的に分析し、最も価値の高い目標(空母や防空駆逐艦)を自分で選んで突入するという、現代のアメリカ海軍が持つ最凶の「空母キラー」であった。
「カタパルト1および2、テンション確認! シューター、ゴー!」
緑色のベストを着たカタパルト・オフィサー(シューター)が、甲板に膝をつき、前方を力強く指差す。
その瞬間、轟音とともに蒸気カタパルトが作動し、重武装のスーパーホーネットが猛烈なG(重力加速度)を伴って空へと射出された。機体は一瞬海面に向かって沈み込むが、アフターバーナーの炎を噴き上げながら力強く上昇し、北西の空へと消えていく。
1機、また1機と、数十機のストライク・パッケージ(攻撃編隊)が次々と空へ放たれていく。
彼らの任務は、台湾東方沖で海上封鎖を行っている中国海軍の空母「福建」の機動部隊に対し、敵の防空網の外側から数百発のLRASMを叩き込む「スタンドオフ飽和攻撃」であった。
アメリカという巨大な軍事機械が、ついにその重い腰を上げ、殺戮の戦場へと猛然と突進を始めたのである。
12:40 グアム島/アンダーセン空軍基地
アメリカの反撃は、海軍の空母打撃群だけでは終わらなかった。
ジョージ・ワシントンから攻撃隊が発進する数十分前、フィリピン海を挟んでさらに東に位置する戦略の要衝・グアム島のアンダーセン空軍基地でも、地鳴りのような轟音が響き渡っていた。
「こちらボーン・リーダー。ローテーション開始。テイクオフ!」
全長44メートル、可変翼を持つ流麗な漆黒の巨大な機体が、4基のF101ターボファン・エンジンのアフターバーナーを全開にして、長い滑走路を蹴り上げた。
アメリカ空軍のB-1B「ランサー」超音速戦略爆撃機である。
冷戦期にソ連の防空網を突破するために開発されたこの爆撃機は、核兵器の搭載能力こそ外されているものの、通常兵器の搭載量においては米軍最大を誇る。
それに続き、ブーメランのような異様な形状をした最新鋭の全翼型ステルス爆撃機、B-21「レイダー」も、音もなく夜明けの空へと飛び立っていく。
彼らの役割は「ミサイル・トラック(空飛ぶミサイル弾薬庫)」である。
B-1Bは、機内の巨大なウェポンベイ(爆弾倉)に、1機あたり最大24発ものLRASM対艦ミサイル、あるいはJASSM-ER(長距離空対地ミサイル)を満載していた。
たった4機のB-1B編隊で、100発近いステルス対艦ミサイルを一度に発射できるのだ。
「全機、編隊を維持しろ。我々はこれより、フィリピン海上空で海軍のF-35C、およびE-2D早期警戒機とデータリンクを構築する」
B-1Bの編隊長が無線で指示を飛ばす。
「海軍の連中が敵の戦闘機(J-15とJ-35)の注意を惹きつけている間に、我々は高高度から一気にミサイルの雨を降らせる。中国海軍の艦隊を、海の底のサンゴ礁に変えてやるんだ」
グアムから飛び立った空軍の爆撃機部隊と、洋上を進む海軍の空母艦載機部隊。
それぞれ別の場所から発進した巨大な「矛」が、台湾東方沖の空域で一つに融合し、中国軍の包囲網を外側から食い破るための絶望的な火力の壁を形成しつつあった。
12:50 中国人民解放軍海軍 空母「福建」機動部隊/戦闘指揮所(CDC)
「……司令! 早期警戒機(KJ-500)より緊急入電! 台湾南東のフィリピン海上で、数百の新たな航空目標を探知! アメリカ海軍のF-35CおよびF/A-18E/Fの編隊です! さらにグアム方面より、米空軍のB-1B爆撃機と見られる大型のレーダー・エコーが接近中!」
台湾の東海岸を封鎖し、勝利の美酒に酔いしれようとしていた中国海軍の空母「福建」の戦闘指揮所(CDC)に、オペレーターの血を吐くような絶叫が響いた。
「距離は!?」
艦隊司令官(海軍少将)が、モニターに駆け寄る。
「現在距離、500海里(約900キロ)! まだ我が方の艦対空ミサイルの射程外ですが、敵機は増速しつつこちらへ真っ直ぐ向かってきています! 完全に攻撃隊の陣形です!」
司令官の顔から、余裕の笑みが完全に消え去った。
「アメリカが……本気で介入してきたというのか! ホワイトハウスの老いぼれどもに、核戦争のリスクを冒してまで台湾を救う度胸があるはずがないと、中南海の連中は言っていたではないか!」
彼はコンソールを力強く叩きつけた。
アメリカ軍の空母が直接A2/AD圏内に突入してこなくとも、艦載機と爆撃機が放つ「LRASM(長距離対艦ミサイル)」の飽和攻撃を受ければ、無傷で済むはずがない。どれほど強固な055型駆逐艦の防空網(イージス・システム相当)であっても、数百発のステルスミサイルが同時に海面スレスレを飛んでくれば、処理能力の限界を超えて艦隊は壊滅する。
「直ちに上空のJ-35とJ-15Dを迎撃に向かわせろ! 敵の爆撃機がミサイルを放つ前に、アウトレンジで叩き落とせ!」
司令官が怒鳴る。
「司令、ロケット軍とのデータリンクが繋がりました! 東部戦区の地下指揮所より通信です!」
通信士官が報告する。
「繋げ!」
スピーカーから、ロケット軍司令官の冷酷な声が響いた。
『――福建司令。焦る必要はない。アメリカがその手札(空母と爆撃機)を切ってくることは、我が方のシミュレーションの想定内だ。むしろ、彼らがのこのこと第一列島線の外縁まで近づいてきてくれたことに感謝すべきだ』
「ロケット軍……まさか、あれを撃つ気か!?」
『すでに、内陸部のミサイルサイロおよび移動式発射台のハッチは開かれている。目標は、フィリピン海を進撃中の米空母ジョージ・ワシントン、およびグアムのアンダーセン空軍基地。……我が国が誇る「グアム・キラー」、そして「空母キラー」の真の力を、アメリカの傲慢な将軍どもに味わわせてやる』
中国軍は、アメリカの介入を待っていた。
台湾本島を叩き潰すだけでなく、太平洋におけるアメリカの軍事プレゼンスそのものを一撃で粉砕し、世界の覇権を完全に奪い取るために。
「DF-26(東風26)、発射準備よし。これより、米空母打撃群へ向けて飽和攻撃を開始する」
12:55 日本・東京/防衛省 統合作戦司令部(JJOC)地下指揮所
アメリカ軍の巨大な反撃の動きと、それを迎え撃とうとする中国ロケット軍の不気味な胎動。
そのすべてを、日本の市ヶ谷にある統合作戦司令部(JJOC)の巨大なスクリーンは、リアルタイムで映し出していた。
画面の右下(フィリピン海)から、無数の「青いシンボル(米軍機)」が台湾へ向けて矢印を伸ばしている。
それに対し、画面の左端(中国大陸の奥深く)で、これまで沈黙を保っていた戦略ミサイル基地を示す「赤いダイヤ型のシンボル」が、次々と危険を知らせる点滅を始めたのだ。
「アメリカ軍、ついに動きました。米第5空母打撃群、およびグアムの爆撃機部隊が、中国海軍の封鎖艦隊に対して攻撃態勢に入りました!」
航空幕僚が、緊張で声を上ずらせながら報告する。
「同時に、中国大陸の内陸部……新疆ウイグル自治区および青海省のロケット軍基地において、DF-26中距離弾道ミサイルの発射準備を示す熱源を探知! 目標は間違いなく、米空母です!」
統合作戦司令官は、腕を組んだまま、食い入るように画面を見つめていた。
「……アメリカが矛を振り上げた瞬間、中国は『空母キラー』でその腕を切り落としにきたか。ミサイルが発射されれば、日米のイージス艦のSM-3による大気圏外での迎撃戦になる。絶対に撃ち漏らすなよ」
「司令官、官邸より連絡です」
通信幕僚が振り返る。
「臨時閣議が終了しました。これより我が国は、公式に『重要影響事態』を発動します!」
その言葉が指揮所に響いた瞬間、JJOCの空気が一段と張り詰めた。
日本政府が、アメリカ軍への後方支援を法的に承認したのだ。これは、日本が「傍観者」から「当事者」へと完全に針路を変更したことを意味していた。
「よし、ただちに各部隊へ命令を下達しろ!」
司令官が力強く命じた。
「海上自衛隊のイージス艦『まや』および『はぐろ』は、米軍の統合防空・ミサイル防衛(IAMD)ネットワークとデータリンクを完全同期。米空母へ向けて放たれる中国の弾道ミサイルを迎撃せよ!
また、台湾海峡周辺に潜航中の我が方の潜水艦(そうりゅう型・たいげい型)は、米軍の対潜哨戒機(P-8A)および空母打撃群と情報を共有し、中国の原子力潜水艦を完全に封じ込めろ!
航空自衛隊の空中給油機(KC-767およびKC-46A)は直ちに離陸。太平洋上で、米軍のF-35Cや爆撃機への空中給油支援を開始しろ!」
司令官は、次々と日本の持てるアセットを、アメリカ軍の作戦という巨大なパズルの中に組み込んでいく。
直接、中国の艦艇を撃沈することは法律上できない。しかし、自衛隊がアメリカ軍の「目」となり、「盾」となり、「燃料タンク」となることで、アメリカ軍の打撃力は数倍にも跳ね上がるのだ。
「我々は、アメリカの背中を全力で守る。絶対に落とさせるな!」
午後1時00分。
開戦から13時間。
日米の巨大な軍事力が、ついに中国という強大な竜に対して正面から立ち向かうべく、その針路を完全に交差させた。
遠く離れた海域で放たれた長距離ミサイル同士が、互いの艦隊の頭上で激突する「超水平線(OTH)戦闘」の幕が、今まさに切って落とされようとしていたのである。
この話はシミュレーション小説であり現実のいかなる国を中傷するものでは有りません。




