第7話 実験失敗の余波
屋敷の庭が冬になっていた。
真夏だというのに、である。
地下室で起きた実験事故のせいで、冷気が地面を通り抜け、庭の草木が白く凍っていた。
その結果——
テルムは執事長にこっぴどく怒られた。
執事長のセルウスは声を荒げたりしない。それがかえって圧だった。「坊ちゃま、屋敷周辺の気温が二十度下がりました。夏にこれは異常です。お心当たりございますな?」
それから一週間、地下室に積もった雪はまだ溶けない。
原因は間違いなく魔石の純度だ、次は成功させてみせるが、まずはこの雪を何とかしないと次の実験どころではない。
時間がたてば解決すると思っていたが、そろそろ我慢の限界であった。
「セルウスに相談するか」
「やっとですか」エルが棚の上から言った。「一週間かかりましたね」
「うるさい」
テルムは再び怒られるのを覚悟して、執事室に足を運ぶ。
自分から足を運ぶのは珍しかった。
***
執務室の扉を叩くと、セルウスが書類の山を前に顔を上げた。
なんとなく居心地が悪い。この老執事は、この屋敷に四十年以上仕えている。テルムが生まれる前からおり、こちらが何か言う前に先を読んでくる。こちらを見る目が、またこれだ、と言っているように感じた。
「おはようございます、坊ちゃま」
「少し相談があるんだが」
「……どうぞ、お座りください」
ちらっと手紙の山が見えた。おそらく近所からの苦情の手紙だろう。いたたまれず、テルムは立ったまま話を続ける。
「地下室の雪がまだ溶けない。一週間たってもそのままで、おそらくすぐに溶ける見込みがない。このままにしておくわけにもいかない。どこかに処理できないか」
セルウスが一瞬だけ目を細めた。なにかを数えているような顔だった。それから冷静な声で言った。
「坊ちゃま、この手の問題が出るのはこれで何回目でしたか?」
「……五回目だ」
「十回でございます」
テルムは何も言わなかった。
セルウスは数え間違える人ではない。反論の余地がなかった。少なくとも屋敷内のことにおいては一切隙がなかった。
セルウスが一呼吸置いて続けた。「一点だけご提案がございます。溶けにくい雪があるのであれば、いっそ地下に保管庫を作って利用されてはいかがでしょうか。食材の保存に役立ちますし、真夏の対策にもなります」
「……それはいい案だな」
「そのようにお考えいただけると存じておりました」
テルムは部屋を出た。思いのほかなんとかなりそうな案でほっとした。痛いところを突かれる展開が多すぎる、と思いながら。
次は母への費用の相談か——頭が痛い。
***
母アエラへの相談は、もっと短かった。
居間に向かうと、アエラは刺繍の山に囲まれていた。許可を求めるまでもないのはわかっていたが、一応扉をノックした。
「あら、ついに相談したの?」
「……地下に食材の保管庫を作ってはどうかと」
「いいわね」
アエラが刺繍を置きながら言った。不思議そうな顔はしていない。驚いた風でも心配そうな風でもなく、はじめからそうなるとわかっていた、という色があった。
「費用の見積もりをお願いできる?」
そばにいた侍女が短く「はい」と応え、セルウスのもとに向かう。テルムが口を挟む前に全部決まっていた。この母は、決断だけは常に一歩早い。
***
午後から保管庫作成の作業に入った。
キッチンに隣接した庭に大きな地下室を作るため、魔法でゴーレムを生み出し地下を掘り進める。
ゴーレムは力仕事は頼りになるが、一つ一つ術式を調整しながら指示をしなければいけないのが面倒だ。
「猫なのでお手伝いは無理です」と言いながら、エルは庭の木にのぼり作業を眺めていた。尾がぴんと張っている。眺めているのか監視しているのか、判断がつかない。
「猫の手も借りたいってこのことですね」
「うるさい」
尾がひらりと揺れた。少し得意そうに見えたのは気のせいだろうか。
そこに兄フォルティスが顔を出した。
ヴェレント家の次男で、王都の学校に通っているのだが、今は長期休み中とのことで実家に滞在している。
「おお、なんか面白そうなことやってるじゃないか」
「邪魔するなよ」テルムが面倒くさそうに言う。
「いい訓練になりそうだろ。俺も手伝う」
言いながらゴーレムの横に立って、両手で土砂を受け取る姿勢を作っている。
——手伝ってほしいのは、ゴーレムじゃなく俺なんだけどな。
ゴーレムと一緒に山盛りの土砂を運びながら、フォルティスが話し始めた。
先月パーティを組んだ話、剣術大会で優勝した話、地下の魔物討伐を控えている話。最後は常に「お前はどうだ」に落ち着く。
「テルムは最近ちゃんと外に出てるか。屋敷の中にこもりすぎじゃないか」
「出てる」
「そうか」フォルティスは特に追及せず、次の話題に移りながらエルの方を視線で導いた。「まあ、気が向いたら声かけろよ。な、エル」
「その通りです」とエルが即答した。
「いいね、テルムをよろしく頼むよ、はっはっは」フォルティスが笑った。
テルムは反応せず、術式の調整を続けた。
***
作業の山場を越えて、一息つきに居間に向かう途中、見覚えのある帽子を被った男を、玄関で見かけた。幅広のつばに、色の違う羽根飾りが三本。
「いやぁ奥様、お久しぶりでございます! 今日は王都のお土産もございますし、少々耳寄りな話もありまして」
コルネルだった。ヴェレント家お抱えの商人で、来るたびによく喋る。テルムは作業の手を止めず、応接室の方向だけちらりと向いた。
「最近これらの商品が、値上がりしておりまして。何でも素材の採取場の方が魔物続きで——早めにストックされた方がよいですよ、奥様」
「あら、そうなの。どうしようかしら……」
テルムは足を止めず、通り過ぎようとすると、不意に声を掛けられる。
「坊ちゃま、こんにちは。来年は王都への入学でございますね。貴族学院でしょうか魔術学園でしょうか。ご入用のものがございましたら、お気軽にコルネルにお声がけを」
「……ああ」
テルムは短く答えた。苦手なのに避けられない類の人物というのがいる。この商人はまずその種類に入る。話しかけてくるのに、何を考えているのか読めない。前にいるのか後ろにいるのか、どこに耳があるのかも。
その場は軽く流した。
***
日が落ちてから、保管庫作成の作業に区切りをつけた。
ようやく、大きな穴があき、四辺に壁を設置できたところだ。まともな保管庫になるまでは、まだまだ時間がかかりそうだ。
居間に戻ると、フォルティスが窓辺で本を読み、絨毯の上にエルが転がっていた。すでに自分の家同然の馴染み具合である。
「保管庫はどうですか」
「まだかかりそうだ」
「そうですか」エルが穏やかに言った。
テルムはいつもの自分の位置に座った。
まもなくアエラが顔を出して、どうぞと小さな小包をもってきた。「コルネルがお土産に持ってきてくれたの。王都の焼き菓子らしいわ」
エルが目を丸くさせる。耳や鼻がせわしなく動いている。
包みの結び目に爪をかけ。一口かじって、固まった。
「……これは、これは世界一です!」エルの声が上がった。「いや、宇宙一です。神も泣いて喜びます!」
「……ただの菓子だろ」テルムはため息をつく。——それをエルが言ったら笑えないな
アエラとフォルティスの笑い声が重なる。
ヴェレント邸の夜は賑やかだった。
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