第39話 聖女の魅了
春の風が学院の石畳をなでていく。
中庭に面した小さな談話室。
窓の外では新入生らしい生徒たちが慌ただしく行き交っていた。
ミラ・カンディスは椅子の端にちょこんと座り、落ち着かなそうに両手を握り合わせている。
「……魅了、ですか?」
その声は、信じられないものを聞いたような響きだった。
「ええ」
アルヴァは穏やかにうなずいた。
ミラが目を丸くした。
それから困ったように視線を落とす。
「無意識に発動しているみたい。だから自覚がないのも当然だと思う」
しばらく間があった。ミラは何度か瞬きをした。
それから、ゆっくりと顔を上げた。
驚きというより——どこか、思い当たるものがあるような表情だった。
「あの……もしかして、だから……?」
小さく言った。
「昔から、ちょっと変なんです」
「どう変なの?」アルヴァが優しく問う。
ミラは困ったように笑った。
「普通に話してるだけなんですけど……」
「気づいたら人が増えてて」
「周りに集まってくるというか……」
少し間を置いて、ミラがぽつりと続けた。
「小さい頃からそうなんです」
「なんか私の知らない間に、状況が進んでいって……怖いんです」
「何もしていないのに、聖女だと持てはやされ」
「振り向いたら、知らない人がたくさんついてくるんです」
「お父様も神の遣いだと言って、何も話しを聞いてくれません」
「神聖国から使者が来て。気づいたら学院に入学することになりました……」
「筆記も実技も全然だめだったのに、私はなぜ特級にいるのでしょう?」
アルヴァは小さくうなずいた。
「それは……思っていたより深刻ね」
「そうなんです! 私、それが嫌で……」
本気で嫌そうな顔だった。
アルヴァは少し考えてから言う。
「実はね」
「知り合いの魔術師に心当たりがあるの」
ミラがぱっと顔を上げる。
「本当ですか?」
「ええ」
アルヴァは落ち着いた声で続けた。
「対処法があるかもしれない」
「もしよければ相談してみましょう」
ミラは椅子から半分立ち上がりそうになりながら頭を下げた。
「お願いします!」
***
昼休みの中庭は穏やかに晴れていた。
石畳が日差しを受けて、ほんのり温かい。
すでにテルムとエルが来ていた。
テルムは食事の包みを膝に置いたまま角のベンチに座っている。
エルは傍らで尾を揺らしていた。
ミラがテルムを見た瞬間、目が大きくなった。
「知り合いの魔術師って、ヴェレント様だったんですね!」
「一年生の授業で一緒で、魔術がすごくって……本当に感動しました」
「大したことはしていない」
「いえ、もうすごくって、あの古代語のときだって——」
「やめてくれ」
テルムは少しだけ視線をそらした。
エルが小声で呟く。
「あのテルムくんが……恐ろしい子……」
「うるさい」
そのやり取りを聞いてアルヴァが思わず肩を震わせる。
「それで」
アルヴァが話を戻した。
「最近の状況を教えてもらえる?」
ミラは指を折りながら言った。
「ええとですね」
「歓迎会の後から、周りにすごい人が増えて」
「王子殿下と話す機会が増えて」
「宰相の息子さんと」
「騎士団長の息子さんと」
「辺境伯の息子さんと」
「あと商家のご子息も……」
アルヴァは遠い目になった。
「……すごいわね」
「乙女ゲーム並みの全方位攻略ですね」
エルがぽつりと言う。
ミラが慌てて手を振る。
「違います!何もしてません!」
「知ってるわ」
アルヴァは苦笑した。
ミラは少し不安そうに言う。
「それで……」
「魅了でしたっけ? 対策ってあるんでしょうか?」
テルムが鞄を開いた。
取り出したのは、金色の腕輪だった。
日差しを受けて淡く光る。
ミラの目が丸くなる。
「綺麗……」
テルムは淡々と説明する。
「ミラ嬢には、これを付けてもらう」
「内部に出力系スキルを弱める魔石を仕込んである」
「これで、魅了の影響も抑えられる」
ミラはそっと腕輪を受け取った。
思ったよりも温かい。
「ありがとうございます」
アルヴァが腕輪を覗き込む。
「……これ」
「防御術式も入ってる?」
「もちろん」
テルムは当然のように答えた。
「……それ、必要だった?」
アルヴァが片眉を上げた。
「装備だからな」
テルムは真顔で言う。
「身を守る力のない装備に意味はない」
「魔道技師としての矜持だ」
アルヴァが苦笑する。
「……そこなのね」
ミラは嬉しそうに腕輪を左手にはめた。
その瞬間、周囲に漂っていた視線の熱が、すっと引いた。
「どうですか?」
テルムはミラを見る。
少しだけ首をかしげた。
アルヴァもミラを見る。
「エルちゃん、どんな感じ?」
「しっかり効いてますよ! 魅了の効果が八割減です!」
「すでに好感度がある人にはあまり効果はないのかもしれないですね」
ミラはきょとんとした。
「そっか――」
「よかった」
ミラは胸を撫で下ろした。
「これから増えにくくなると思うと、とても安心します」
「ありがとうございます!」
その顔は本当に嬉しそうだった。
「腕輪、とっても素敵です!」
ミラは何度も頭を下げてから帰っていった。
芝生の上を小走りで去っていく背中を見送る。
自然と周囲からミラに声がかかり、人が集まる。
暖かい空間が広がっていった。
テルムとアルヴァが目を合わせる。
「確かに、魅力スキルの出力は落ちているが……」
「ええ、ミラの魅力はスキルだけじゃないのかもしれないわ」
その時、エルの耳がぴくりと動き、小さく言った。
「ド天然の極みですね」
***
「あ、殿下!」
学院の廊下でミラが声を上げた。
「ミラか」
ヴァレンスが足を止める。
ミラは嬉しそうに腕を差し出した。
「見てください!」
金色の腕輪が光る。
「これ、とっても素敵なんです!」
ヴァレンスは腕輪を見る。
「……どうしたんだ?」
「ヴェレント様に作っていただきました」
ミラはにこにこしながら言う。
「身を守る効果があるそうです」
ヴァレンスは沈黙した。
「……ヴェレントが、だと?」
***
数日後。
その日、ミラの首元には、目を引く大きな宝飾が輝いていた。
「殿下からですって」
「本命じゃない?」
ざわめきが、学院を駆け巡る。




