第27話 賢者の筆記試験
「試験はすべての方に平等な内容です。同じ条件で解けるように作られています」
「肩の力を抜いて取り組んでくださいね」
セリアの声が講堂内に響く。
内容に反して、空気は張り詰めていた。
試験会場は北校舎の大講義室である。
遅れて講義室につくと、すでに三十人ほどが着席していた。
王立の貴族学院。その中でも特級に所属しようとする者達である。
(緊張感がすごいな)
テルムが入ると数人がちらりと視線を向けた。
指定された席に座り、エルが膝の上に収まる。
「テルムくんには退屈なものになりますね」
「そうか?」
「古文書を愛読書にしている生徒他にいませんよ」
「いや、普通だろ」
すぐわかりますよ、と言ってエルは目を閉じた。
ほどなくして、再びセリアの声が響く。
「では、答案用紙が配られた方から始めてください」
***
問題用紙をめくった。
最初の十問は、確かに簡単だった。
魔術の基本公式、属性の分類、術式の構成原理。
入門書の序章に載っているような内容ばかりで、テルムは考えるより先に手が動いた。
(まあ、こんなものか)
十一問目。
テルムの手が、少し遅くなった。
問いの文章が長い。前提条件が複数あり、それを整理した上で術式の挙動を導く構成になっていた。
(……なるほど)
悪くない問題だった。答えは出る。
ただ、なぜその答えになるかを正確に書こうとすると、手順の組み立てが必要だった。
十五問目、二十問目と進むにつれ、問題はさらに深くなっていった。
術式の干渉条件、複合属性の理論限界、古代式の再現精度——どれも一筋縄ではいかない。
七百年前の文献を頭の中で引き出しながら解き進める作業は、久しぶりに手が動く感覚があった。
(なかなかやるな)
テルムは周囲を見渡した。他の受験生たちも、後半の問題に差し掛かって真剣な顔をしている。
うなっている者、額に手を当てて考え込んでいる者。みんな必死に取り組んでいる。
室内には紙をめくる音と、時おり誰かが息を詰める気配だけがあった。
(こういう問題を平等に出すのか。この学院、想像より水準が高い)
そう思いながら、三十問目を読んだ。
テルムの手が止まった。
高位魔術の展開理論
——複数の属性を同時に収束させる大規模術式を構築するための、前提となる魔力干渉式の証明を求める問いだった。
この学院でこれを完答できる学生はほぼいないだろう。
それ自体は問題ない。答えを導く考え方を見る設問のはずだ。
ただ。
(この前提式……)
式の三行目に使われている収束定理。これはヴィアロン第七式を根拠にしているが——過去の転生のどこかで、特定条件下での成立限界が示されていたはずだ。
大規模術式の展開時に発生する魔力密度の跳ね上がりが、まさにその条件に該当する。
つまりこの問いの前提は、解こうとした瞬間に崩れる。
(……これは今のこの世界では「正しい」とされているのか?)
テルムは少し考えた。
その反証は当時かなり専門的な分野の話だったと記憶している。
教科書レベルでは成立限界が反映していなくても、おかしくはない。
(そうか。まだ反映されていないのか)
テルムは解答欄に、まず前提式の問題点を一行で指摘した。
次に、過去に示された反証から導かれる修正式を書き、その修正式を用いた場合の正しい証明手順を展開した。
最後に「現行の前提式では証明が成立しないため、上記の修正式に基づいて解答した」と一文添えた。
それだけだった。特に何も思わなかった。
「終わりましたか」
エルが小声で聞いた。
「みんなまだ書いていますよ」
「そうか」
テルムは答案用紙を裏返した。
***
「ん?」
セリアは試験終了の合図をかけ、答案用紙を回収した。
でこぼこはあるものの想定通りの回答の埋まり方だった。
ただ、テルムの答案だけ様子が違った。
(え? どこまで書いてあるの?)
普通は十五問目あたりで手がとまる。よくて二十問目までだ。
震えはじめる手を抑えて、セリアは教務室へ向かった。
教務室に着くと、テルムのものだけ横に分け、他の答案用紙から採点を始める。
(あれは、まだ見てはいけない……)
教務室の机の上に、答案用紙が積み採点を始めた。
前半は早かった。書き込みが多い答案、白紙が目立つ答案、それぞれを仕分けていく。
後半の難問群に差し掛かると、さすがに手が遅くなった。白紙が増えた。部分点を探しながらページをめくる。
全てを終えるまで、さほど時間はかからなかった。想定内だ。
「問題は……これか」
テルムの答案に目をやる。
喉がひくりと鳴った。
前半は当然として、後半も淀みなく埋まっている。
術式の干渉条件、複合属性の理論——正解だった。手順まで正確だった。
(部分点を探すのに苦労しそうだと思っていたのに……)
部分点を探すまでもない、それが逆に恐ろしい。
三十問目を開いた。
セリアの手が止まった。
(……え)
前提式への指摘。修正式の導出。その修正式を用いた証明の展開。
最後の一文——「現行の前提式では証明が成立しないため、上記の修正式に基づいて解答した」。
セリアはその一文を三回読んだ。
(え? 前提が……間違っている?)
反証の内容は専門外だった。
判断できなかった。
ただ、書かれていることの意味は理解できた。
この設問を、設問の誤りとして指摘した上で、別の前提から解いている。
セリアはしばらく動けなかった。答案用紙を持つ手が、じわじわと震えていた。
「どうした、セリア」
低い声が背後から聞こえた。
セリアが振り向く。
ドア口に、イグナス・アルデンが立っていた。採点の様子を見かけて立ち寄ったらしい。
「そんな顔して、何があった」
セリアは無言で答案用紙を差し出した。
イグナスは受け取り、三十問目を見た。
一行目、二行目、三行目——
「……」
四行目、五行目。修正式。証明の展開。最後の一文。
しばらく、何も言わなかった。
やがてイグナスは顔を上げた。目の色が変わっていた。
「俺が作った問題だぞ、これ」
「……はい」
「一年坊主が」
「……はい」
イグナスは答案用紙を机に置いた。そのまま廊下へ向かった。足音が速かった。
「アルデン先生、どちらへ」
「実技でやる」
振り向かずに言った。
「確かめる」
教務室の扉の向こうへイグナスが消えた。
セリアは答案用紙を見た。
答案用紙を見て、扉を見た。
セリアだけが、その場に取り残される。
「……え、実技で?」
***
「テルムくん、呼ばれますよ、きっと」
「……前提を変えたのは不味かったか?」
その頃テルムは、中庭のベンチで昼食をとりながら、実技試験とは具体的に何をするのだろうかと考えていた。
テルムだけ呼び出されたのはそのすぐ後だった。




