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## 十四回転生した賢者はそろそろ幕を下ろしたい ~ポンコツ女神を猫従魔にして今度こそ終わる~  作者: 在河琉盤
第一章

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第18話 天才の焦り

ガシャン。


暗い部屋に音が響いた。


陶器の欠片が石の床を滑った。インク瓶だった。投げつけた先の壁に黒いしみが広がり、一筋の雫が伝って止まった。


「なんなのよ」


金茶色の髪を片手で掻き上げて、女は低く言った。


部屋の四方に書類が貼られていた。地図には書き込みが幾重にも重なり、各所に赤い印がついている。移動経路、見張りの交代時間、魔力残照の分布。貧民街の派閥構図、採取場の魔物の生息域、地下水道の構造図、ヴェレント領主邸までの壁の材質と厚さ。紙一枚一枚に緻密な計算が走っていた。棚の上には調合の記録が几帳面に積まれている。ここまで丁寧に設計した作戦が、いつものことなのに、またこうなっている。


もっとも、自分は天才なのだ。天才でもついていない日はある。


——そう自分に言い聞かせ、女はもう一つ、視線を部屋の奥に向けた。


檻の中でワニが数頭、丸まって眠っている。規則的に腹が上下している。冬眠中だった。そのまた奥に、試作品が整然と並んでいる——アンデッドスライム。スライムと腐った魔石から生み出した、この計画の核だった。試行錯誤に何ヶ月もかけ、ようやく安定した生成ができるようになった。


計画通りだった。


***


「つくった。とめた。誘導した!」


椅子に腰を下ろしたまま、独り言が出た。


アンデッドスライムの生成に成功した。魔力量の多い大人を貧民街から意識誘導で集め、人口魔石を用意した。採取場に魔物を流し込んで素材不足を引き起こし、アンデッドポーションの棚が空になっていることを正当化した。ポーションの流通も二ヶ月以上前から止めた。卸元ごと押さえたから表立って追いようがない。準備は全部整っていた。


あとはワニにアンデッドスライムを纏わせ、地下水道から領主邸に送り込む。それだけだった。騒ぎが起きれば評判が落ちる。ヴェレント家の力を削ぐ——任務通りの、完璧な仕事になるはずだった。


なのに。


「なんでいいところでワニが冬眠するのよ!!」


声が石壁に反響して返ってきた。


ある夜、突然気温が下がった。季節外れの寒波だ。あの日からの冷え方は、どう考えてもおかしい。理解できない。


アンデッド化への調整を進めていたワニが、一斉に本能を剥き出しにした。変温動物が季節外れの寒さに反応した。意識誘導は意識のある対象に効く——本能で動くものには届かない。それはわかっていた。わかっていたが、こんな形で直面するとは思わなかった。


暴れたワニは逃げた。地下水道に溢れた。どうにもならなかった。戦闘は得意ではないし、あの数相手に正面からというのも無理な話で……


さらについていなかったのは、アンデッド化が完了していた一頭まで逃げてしまったことだった。アンデッドポイズンをまとったワニが外を歩けば、隠してきたものが全部明るみに出る。誰かに見つかれば、ここまでの積み上げが無駄になる。


「ついてないにも程があるでしょう」


背もたれに深く体を預けて天井を見た。石の継ぎ目が規則的に並んでいる。


残ったワニはまだ冬眠中だ。気温が戻れば目を覚ます。——が、それまでにヴェレント家がどう動くか。時間がない気がしていた。


***


「そもそも、聞いていた話と全然違うじゃない」


もう一度、独り言が出た。


ヴェレント家については事前に調べてある。ヴェレント家の次男は騎士見習いで、人気はあるが政治的な脅威にはならないと聞いた。三男は魔術の実験を繰り返すやんちゃな少年だと聞いた。確かめるために採取場の依頼に紛れた。


見たものは、それではなかった。


次男はひと目でわかった。ああいう人間がいる——引力を持って生まれた人間が。話しているだけで周囲が動く。孤立させることができない。あれを敵に回せばこちらが確実に不利になる。聞いていた「騎士に憧れる見習い」の話はどこへ行ったのか。


問題は三男だった。


ぼんやりとしていた。採取場の端に突っ立ったまま、視線がどこにも向いていないように見えた。——見えただけだった。違った。微細に、静かに観察していた。術式の組み方を見れば分かる。小さく展開し、的確に魔力を運ぶ。無駄がない。どれだけの経験が裏打ちしているのか、どこで身につけたのか、いくら見ても底が測れなかった。年齢がおかしい。あの目は、何十年も生きた人間の目だった。


「底が見えない子供って何よ……」


泣きそうな声が出た。


あれとぶつかるのは得策ではない。しかし回避するにも、もう深く関わりすぎた。向こうがどこまで掴んでいるかもわからない。このまま計画を進めるなら、今より強い戦力が要る。


それと。


あの子供の傍にいるあの猫のような生き物は——本当に愛らしかった。


ギルドの棚の上で、でんと座って尻尾を振っていた。毛並みが良い。毛色に独特な模様がある。思わず三度、視線がそちらに向いた。あの毛に顔を埋めて思う存分吸いたい——ずっとそのことが頭の片隅を占領していた。何なのだろうあの猫は。魔物にしては気配がおかしい気もしたが、それはもう別の話だ。今それどころでは……


「今の戦力じゃダメね。なんとかしないと」


立ち上がった。机の上の書類を引き寄せる。計画を組み直す。方法はある。天才なのだから。


あるはずだった——その思考を断ち切るように、遠くで音がした。


ドーン、と。


地上から聞こえた。貧民街の方角だった。住民は家の中に隠れている。外には出てこない。スネークが本格的な号令をかけたのだ。抗争が大きくなっている。


(これでは、貧民街からの補充も難しい)


選択肢がまた一つ、消えた。


「なんとかしないと」


女はもう一度だけ言い、掻き上げた髪を手ぐしで整えた。壁のしみが目の端に映る。インクが乾きかけていた。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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