第15話 埋まらない棚
幻術で隠された獣道——その先に何があるか、今日確かめることができた。
(沼だ)
幻術の奥を少し確認した時に見えた。沼地が広がっていた。そしてその沼地の境目を起点として、二方向に流れが分かれている。一方は採取場へ。もう一方は、地下水道の方向へ。
ワニはそちら側だ。それ以外の魔物がこちら側——採取場に流し込まれていた。選別されている。
(一本の線だ)
採取場に群れる魔物と、地下水道を騒がせているワニ。別々の話だと思っていた。ここで繋がった。同じ起点から、意図的に振り分けられていた。
フォルティスにはこれを伝えなくてはいけない。今後の動き方が変わってくる。
「テルムくん、そろそろ日が傾きますよ」
エルが肩の上から空を確認している。サングラスの角度が上向きになっていて、少し間抜けな格好だった。
「ああ。今日はここまでだ」
そんな中、後ろから声がかかった。魔物討伐で一緒に組んだ冒険者だ。今日は採取担当者の護衛できているようだ。
「お疲れ様。先ほどギルドで聞いたんだが、いい感じに素材が流れているらしいぞ、欲しいもの買えるといいな」
「そうか、情報助かる」
「やりましたね!」
エルが尻尾をすっと立てた。「これで素材が市場に戻ってきますね」
ようやくこの冷え込みから解放される。保管庫の仕上げ素材が手に入る。テルムは少しだけ肩の力を抜いた。
「仕入れに行くか」
「賛成です。市場を見て回りましょう!」
***
市場は、昨日とは別の場所のようだった。
通りの入り口を抜けた途端、香辛料と植物の湿った匂いが一気に来た。声も大きい。掛け声と値段を呼ぶ声が重なって、歩くだけで耳に入ってくる。
エルの耳が一気にあちこちへ向いた。
「賑やかですね!」
「ああ」
スカスカだった棚が埋まっていた。乾燥素材の大袋が積まれ、整然と並んだ棚の隙間もほとんどない。担当者の顔も明るい。昨日まで空き棚みたいな顔をしていた市場が、一日でここまで変わった。採取場が動き出せば、こうなる。
テルムは必要なものを確認しながら棚を見て回った。保管庫の仕上げに使う調整素材、接続の確認に要るいくつか。リストを照らし合わせながら買い集めていくうち、全体の半分あたりで手が止まった。
***
その区画だけ、静かだった。
隣の棚との間が少し開いている。担当者もいない。棚そのものは綺麗で、埃もない。誰かがきちんと管理しているのに、中身だけがない。
ここ数日、市場に来るたびに通り過ぎていた場所だ。素材が戻ってきてもここだけ変わらない——引っかかった。
テルムは棚の前に立って、表示を確認した。
「……アンデッドポーション」
解毒・浄化系の棚の一角だった。近くにいた担当者に声をかけた。
「こちらの補充はいつ頃になりますか」
若い男だった。顔が少し曇った。「そちらはちょっと……もう二ヶ月くらい前から仕入れが完全に止まっているんですよ。卸元から突然音信不通になってしまいまして。こちらから確認しようとしても繋がらなくて」
「二ヶ月前」
「はい。それまでは普通に入っていたんですが、急に」
テルムは礼を言って、その場を離れた。
---
(アンデッドポーション。二ヶ月前。失踪者の件が始まった頃と——同じだ)
足が自然に止まった。頭の中で、何かが音を立てて嚙み合った。
「テルムくん」エルが静かに呼んだ。「フォルティスさんの怪我って、ポイズンスライムでしたよね」
——普通の毒と、アンデッド系の毒では対処が違う。アンデッド毒には、アンデッドポーションが最も効く。
それが二ヶ月前から手に入らない。
採取場に魔物を集めて素材の流通を止めた。その素材の中に——アンデッドポーションの原料がある。
「しまった」
——最初から、これを切らせるつもりだったのか
声が出た。エルの尾がびんと立った。
「フォルティスさんのところ、行きましょう」
「ああ」
テルムは既に向きを変えていた。
***
ヴェレント家の廊下は静かだった。
二人で足早に屋敷に戻り、フォルティスの部屋に向かった。足音だけが廊下に響く。エルはテルムの肩の上で体を低くしたまま、何も言わない。
ドアの前に立って、ノックした。
返事がない。
もう一度。
「……フォルティス」
(大丈夫だ、まだ間に合う。時間はそれほど経っていないはずだ)
テルムはドアを開けると、部屋は静まり返っていた。
フォルティスは椅子から落ち床に蹲っていた。左腕を右手で抱えている。顔が伏せていて、表情が見えない。
「ただの毒じゃなくアンデッドかよ……しかも時間差で発症なんてタチが悪い!」
テルムは膝をついて、フォルティスの腕をとった。包帯の端から皮膚の色が変わり、胴に到達しようとしている。
フォルティスと目が合った気がした。顔は青白く目は虚ろ、意識も朦朧としている。笑おうとしたのかもしれないが、口の端が少し歪んだだけだった。
テルムは両手に魔力を込めた。治癒の術式を組む。手がかすかに光る。だが——アンデッド毒は魔術的な毒だ。治癒魔術は生体への作用を促すもので、呪詛的な毒の侵食を止める構造ではない。
術式をかけても、腕の変色は止まらなかった。
「くそ」
——治癒魔術では間に合わない。
その時だった。
「どいてください」
声がした。
テルムが横を向くと、いつのまにか人型になっているエランがいた。
眩い光を放っていた。銀と白の、静かで穏やかな光だった。
「死なせません」
エランがフォルティスの腕の上に手を重ね光が広がる。
温かい光だった。
包帯の下で、変色していた皮膚の色が少しずつ戻っていく。
フォルティスの肩から力が抜けていき、次第に呼吸が落ち着いていくように、テルムには見えた。
暖かい光を放ちながら、フォルティスを癒していく。その姿は——まさに女神であった。
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