第11話 消えた足跡
テルムの自室は、一週間前とは様子が変わっていた。
壁の一面に、大判の紙が数枚貼られている。その上に、走り書きと地図の断片と、黒い点と赤い線が組み合わさっている。
「では、状況を整理します」
エランが棚の上に立っていた。人の姿だった。普段の格好でもなかった。薄いグレーのチェック柄のジャケットを羽織り、腰のところでぎゅっと結び、長いコイルパイプを持っている。足にはクリーム色の高い靴下をはかせていた。パイプの先で、壁の紙を指しながら振り返った。
「これが——失踪者の行方が途絶えた地点です」
テルムは椅子に深く座り直した。
天井を見上げる。
欠伸が出た。
「ここ一週間の動向をまとめると、五件の失踪が確認され、うち三件は行方が途絶えた場所が地図上で近接しています。さらにここ——」エランがパイプで別の場所を叩いた。「この三点が示すのは、単なる失踪ではなく、組織の計画的犯行です!」
「……そこまでは分かる」
「そして!」エランがパイプを大きく握るように持ち直した。「その組織の目的はおそらく、アンデット化した住民で領主邸を——」
「そこからが分からん」
「なぜですか」エランがパイプを口にくわえたままこちらを向いた。「ここまで揃えれば普通そうなりませんか」
「ならない」
「そうですか……」エランが少し考えた。「ではドラゴンの素材収集? それとも魔王の復活?」
テルムはもう一度欠伸をした。
「ほら、テルソンくん、欠伸しない!」
「テルソンって誰だよ」
「テルムくんのことです。神界で人気の探偵ホムズン先生のスタイルをお借りしているので、助手役はテルソンくんになります。信頼できる重要な記録役ですよ!」
「俺は記録係じゃない!」
「細かいことは気にしないでください、テルソンくん」
テルムは答えなかった。
(……納得はいかないが、確かに気になる点は、ある)
この一週間、昼間は保管庫の仕上げ作業、夕方からは聞き込みと地図の照合に時間を使っていた。保管庫の屋根と壁の整備はできている。だが、壁面に塗り込む魔法薬がなく冷気を止める手段がない。魔法薬がなければ保管庫を作っても屋敷一帯は寒いままだ。現状、詰まり状態になっている。
進められるのはこっちか。
***
「やっぱり気になるのはここですよね!」
エランがパイプで、失踪地点の丸印が集まる範囲の、ちょうど中間あたりを叩いた。
「このあたりに、魔術を使った痕跡があります」
テルムは少し身を起こした。
「意識誘導の系統だ。わずかだが、確かに残っていた。普通に歩いていれば気づかないくらいの薄さだったが」
「鼻が効くんです」エランがパイプを口に咥えたまま胸を張った。「猫なので」
それは事実だった。テルムが現地で感じた微かな違和感を、エランが先に形にして見せた。意識誘導の魔術を路地に仕掛けておけば、通行人は特定の方向を自然に避けるようになる。誰かに連れていかれたわけでも、怖い目に遭ったわけでもなく、ただなんとなく、そっちに進む——という形で消える。
被害者が自分の身に何が起きたか分からないまま、いなくなる。
「複数箇所に痕跡があります。つまり——」エランがパイプを大きく挙げた。「組織が、継続的に、複数のポイントで仕掛けを施していた、ということです!」
「そこまでは分かる」
「でしょう! ということはやはり——」
「アンデットにはならない」
エランが「なんでわかるんですか」という顔をした。テルムは「逆になんでアンデットだと思うんだ」とだけ答えた。
(……にしても、規模が見えない。どこに消えているのか、何のために、誰が仕掛けているのか)
手がかりは揃い始めているが、まだ繋がらない。テルムは腕を組んで、壁の地図をしばらく眺めた。エランはまだパイプを挙げながら何か言い続けていたが、途中からテルムの耳に届かなくなっていた。
***
コン、コン、と扉が鳴った。
「おい、テルムいるか」
聞き覚えのある声だった。テルムが振り返る前に、エランが「あっ」と言ってパイプを棚に置き、ジャケットの結び目を解いて、あっという間に猫の姿に戻り、棚の上で行儀よく座った。
猫のくせに、手際がいい。
「……開いてるぞ」
扉が開いた。フォルティスだった。背が高く、肩幅がある。冒険者の装備だが、着なれた動きをしている。部屋に入って、まず壁を見た。
「……何だかすごいことやってるな」
「まあな……で、どうした」
「ちょっと手伝って欲しいことがあってな」フォルティスは壁の紙から目を離して、テルムを見た。「市場で素材が不足しているのは知ってるだろ。そろそろまずい」
テルムは頷いた。
「ギルドに採取場の魔物の討伐依頼を領主名で出した。人数は揃いそうなんだが、優秀な魔術師がいないと厳しそうでな」
「フォルティスも行くのか」
「当然だろ、俺たちの街だぞ」
フォルティスが言い方に力を込めた。嘘のない声だった。
テルムは少し間を置いた。採取場の魔物が解決されれば、魔法薬の主料がまた市場に出回る可能性がある。採取に貢献すれば素材を融通してもらいやすい。断る理由はないだろう。
「……行く」
「助かるよ」フォルティスが手を上げた。「明日午前中にギルドで顔合わせがある。よろしくな」
フォルティスが扉に向かいかけて、足を止めた。「それにしても、寒いな」
「雪が溶けていない」
「……何したんだ」
「まあな」
「そうか、まあいつものことか」
フォルティスがニヤリとして、特に追及せずに出て行った。扉が閉まった。
***
静かになった部屋で、テルムは壁の地図をもう一度眺めた。魔法薬の問題はここで手が打てる。それはいい。
ただ、失踪の件は、まだ何も解決していない。誘導魔術の痕跡は分かった。だが誰が、何のために、どこへ——は、まだ空白のままだ。
(……依頼が終わったら続きをやるか)
エランが棚の上から静かにテルムを見ていた。丸い瞳が、ぴたりとテルムを捉えている。
しばらくして、ぽつりと言った。
「いつも思うんですけど」
「なんだ」
「フォルティスさんって、まさに主人公みたいな人ですよね」
エランはじっとこちらを見ていた。楽しそうな顔だった。
「……何が言いたい」
「べつに」エランが持っているパイプをユラユラと揺らした。「そう思っただけです」
兄弟でも全然違うんですねーとまた壁の地図に向かい、うんうん唸っている。
窓の外は変わらず寒かった。地下室の扉の向こうで、雪はまだ溶けていないはずだった。
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