第4話
夜会から戻った私はドレスを着替えると、そのまま自室に引きこもった。
髪をほどき、お気に入りのお茶を淹れてもらう。
夜用の、カフェインの入っていないハーブティー。
「お嬢様。」
ポリーが、そっと声をかけてくる。
「お疲れではありませんか?」
「ええ。でも、悪い疲れじゃないわ。」
私はソファに腰を下ろし、夜食の軽いサンドイッチを一つ摘んだ。
口にすると、ほっとする。
「夜会でハリス男爵夫人にお会いになったとか。」
「ええ、紹介されたわ。愛しい婚約者のアーサー様からね。」
ポリーは少し言い淀んだ。
「……その、ご気分は。」
「落ち着いているわ。」
自分でも、少し意外だった。
もっと、心が乱れると思っていたから。
「ねぇ、ポリー。」
「はい。」
「あなたは、厄介な婚約者ってどんな人だと思う?」
唐突な質問に、ポリーは目を瞬いた。
「え……?」
「世間一般の定義でいいの。」
ポリーは腕を組み、真剣に考え始める。
「そうですね。嫉妬深くて、感情的で、束縛が強くて……。」
「うん。」
「泣いたり怒ったり、相手を責め立てる方でしょうか。」
「確かにそうね。」
私はお茶を一口飲み、頷いた。
「でもね、私はそれをやらないわ。」
「……はい。」
「だって、それは扱いやすい厄介さだもの。」
ポリーの眉が、ぴくりと動く。
「どういう意味です?」
「感情的な人は、対処法が決まっているでしょう?」
私は、淡々と続ける。
「宥める、放置する、なだめて、挙句の果てに悪者にして切り捨てる。」
「……。」
「相手の想定内なの。」
ポリーは、静かに息を飲んだ。
「じゃあ……お嬢様のお考えになる“厄介”とは?」
私は少し考えてから、答えた。
「説明できない存在になること。」
「説明、ですか?」
「ええ。」
「アーサー様は、すべてを説明できる人なの。人の感情も、関係性も、未来も。」
計算して、最短で、最も安全な形に収める。
こちらが自分の意思で選んでいると思わせて、アーサー様に誘導され思う通りに動かされる。
若くして近衛隊長に抜擢されただけあるのだ。
「だからこそ――説明できないズレは、アーサー様からしたらとても厄介。」
ポリーは、はっとした顔になる。
「怒っているわけでもない、泣いているわけでもない、責めてもいない。……でも、以前と同じでもない。」
私は静かに頷く。
「彼の盤面に、置けない存在になるのよ。」
ポリーは、思わず笑った。
「それは……確かに厄介ですわね。」
「でしょう?」
私は肩をすくめた。
「しかも私は、婚約者として最低限の礼儀は守るわ。」
「それは、逃げ場がありませんね。」
「ええ。とてもね。」
ポリーは、少し不安そうに言った。
「でも、お嬢様がそれでは苦しくありませんか?」
「いいえ。」
私は即答した。
自分でも驚くほど、迷いはなかった。
「ようやく、自分の感情を管理しなくても良くなるわ。」
誰かの都合に合わせて喜んだふりをするのは、とても疲れる。
「私は、私でいるだけ。」
それだけで、彼にとっては想定外。
ポリーは、静かに微笑んだ。
「お嬢様は、やはり強い方ですわ。」
「強くはないわ。」
私は、サンドイッチをもう一つ取る。
「ただ、目が覚めただけ。」
窓の外では、夜が深まっていく。
私は思った。
破滅フラグは、派手に折るものじゃない。
相手がどこで間違えたのか分からないまま、気づいたら倒れている。
それが、一番厄介。
私はカップを持ち上げ、微笑んだ。
「明日は、少し忙しくなりそうね。」
ポリーが、楽しそうに頷く。
「はい。きっと。」
盤の上から、私は静かに降りる。
――それが、彼の計画を壊す最初の一手。




