第29話
昼下がり
――王宮、南棟回廊
陽光が高窓から差し込み、白い床に模様を落とす執務や社交の合間、人の行き交う時間帯。
シシィは打ち合わせを終え、回廊を抜けようとしていたそのとき。
「――シシィ。」
聞き慣れた低い声に、足が止まる。
振り返ると、そこにいたのは近衛隊長アーサーだった。
執務用の制服姿。
だが背筋はいつも通り、張り詰めている。
「アーサー様……?」
「少し、話をさせてほしい。」
シシィは一瞬ためらい、それから小さく頷いた。
「はい。」
柱廊の一角。
完全な私室ではないが、声を落とせば会話は届かない距離。
アーサーは一拍置いてから、口を開いた。
「まず、謝罪を。」
唐突な言葉に、シシィが目を瞬かせる。
「……何の、でしょうか。」
「ハリス男爵夫人の件だ。」
その名を聞いた瞬間、胸の奥が小さく痛んだ。
アーサーは視線を逸らさず、続ける。
「俺は、過去の関係を清算したつもりでいた。だが、それが君を傷つけた事実から目を背けていた。配慮が足りなかった。婚約者として、失格だ。」
シシィは息を詰めた。
「君が何も言わないことに、甘えていた。信じてくれているのだと、都合よく解釈して……すまない。」
頭を下げることはしない。
だが、その声には、近衛隊長の威厳ではなく
一人の男の後悔があった。
やがて、アーサーは静かに続ける。
「第三王子殿下の件で俺はようやく理解した。」
「理解……?」
「守っているつもりで、本当は君に向き合っていなかった。」
視線が、真っ直ぐ重なる。
「俺は、君が誰かの選択肢として扱われるのが耐えられなかった。それが嫉妬だと、認める。近衛隊長としての判断もあった。だが、それ以上に君を手放したくない。」
シシィの喉が、かすかに鳴った。
「婚約者だからではない。義務でも、体裁でもない。俺自身が、君を選んでいる。だから、謝罪する。
そして、願う。もう一度、俺を見てほしい。今度は、一人の男として。」
回廊のざわめきが、遠くなる。
アーサーは最後に、こう付け加えた。
「選ぶのは、君だ。
だが、俺はもう黙って待たない。」
その瞳には、逃げも誤魔化しもなかった。




