第10話
それは、最初は些細な違和感だった。
「……あら?」
シシィは、夜会の会場でふと足を止めた。
ハリス男爵夫人が、 少し離れた場所で令嬢たちと談笑している。
(あの髪型って……)
緩やかにまとめた栗色の髪。
飾りは控えめで、光を反射する小さな髪留め。
――どこかで見た。
(……私の?)
偶然。
そう言い聞かせることもできた。
けれど次の夜会、またその次の茶会。
ハリス男爵夫人の装いは、少しずつ確実に変わっていった。
派手だった色味は抑えられ、 深い紺や淡い生成り、落ち着いた刺繍。
ドレスの切り替えに袖の長さ。
胸元の控えめな開き。
シシィが好んで身にまとう型。
「最近、ハリス男爵夫人の雰囲気が変わりましたわよね。」
「ええ。」
「前よりずっと、お若くなられたというか……。」
周囲の声が、耳に入る。
マリーは、その視線を、はっきりと楽しんでいた。
生まれは変えられない。
家格も、今さらどうにもならない。
でも
――妻としてふさわしい姿なら、真似できる。
シシィの佇まい。
控えめな微笑み。
前に出すぎない距離感。
鏡の前で、マリーは髪を整える。
(私が彼の妻になればいい)
アーサーの隣に立つ妻に。
選ばれた伯爵令嬢の代わりに。
――上書きするのよ。
その夜
アーサーはマリーを見てほんの一瞬、眉をひそめた。
「今日は、随分と若々しい装いだな。」
マリーの胸が、跳ねる。
「ええ、思いますの。あなたのお立場を考えれば相応しい在り方があるのだと。」
アーサーの脳裏に、 別の声が重なる。
「出過ぎないことも、礼儀ですわ。」
シシィ。
彼の表情が、わずかに硬くなる。
「その……無理をしていないか。」
「しておりませんわ。」
マリーは、柔らかく笑う。
「ただ、学んでいるだけですの。あなたの隣に立つ方を、見ておりますわ。」
その言葉にアーサーは、はっきりと違和感を覚えた。
似ている。
外見も、雰囲気も。
――マリーは、そこにいようとしている。
隣に立つ役割を 奪うように。
一方、シシィは――
ポリーから、静かに報告を受けていた。
「お嬢様、最近どうやらハリス男爵夫人の装いが……。」
「ええ、気づいていますわ。」
シシィは、困ったように微笑む。
「でも、真似をしてもなれるわけではありませんもの。」
ポリーが、少しだけ笑った。
「ですから――あちらが、勝手に疲れていかれるかと。」
シシィは、紅茶を口に運ぶ。
(……私は、私のままでいいわ)
それが、 マリーにはどうしても理解できないことだった。
――なりかわろうとした瞬間。
彼女はもう、 “妻になれなかった人”ではなく、
“妻を演じようとする人”になってしまったのだから。
そして、それはアーサーの中で、 決定的なズレとして、 はっきりと刻まれ始めていた。




