口下手にも程がある
「白で良いか」
男が聞いた。
うつむいていた女は、はっとしたように顔を上げ、男の顔をまじまじと見た後、
「はい」
とだけ答えた。
「気に入らぬのか」
女は男の不機嫌そうな顔に、心臓をぎゅっと握り潰されそうな恐怖と闘いながら、
「あのっ、何年でしょうか」
と、これだけは聞いておかねばと、必死で言葉を継いだ。
「分からぬ。気にするな」
男は興が醒めたというように、投げやりに答えた。
女の顔が絶望に染まった。
「覚悟はなかったのか」
と、男が聞いた。
「覚悟など、あろうはずがございません」
女は、膝の上で震える両手を握りしめながら答えた。
「ならば俺は別の部屋で寝る」
「・・・はい」
これが結婚式の夜に、二人が交わした会話だった。
◇ ◇
「おい、聞いていた話と違うぞ」
男は騎士団の食堂で友人を見つけ、小声で文句を言った。
「どうした新婚さん、今日くらい休んだらどうだ」
「いやいや、家にいても気まずいだけだ。なぜあの女を俺に紹介した。俺のような魔物退治ばかりしている武骨な男に、あんなお高くとまったお嬢様は合わないだろう」
「いや、結婚式の前日まで遠征に出かけていて、翌日すぐに結婚式じゃあ、打ち解ける時間もなかったってことじゃないか。ろくに会話もしてないんだろ。遠征帰りで疲れてたのは分かるけどさ、32歳にもなる大人なんだから、そこは大らかに受け入れてやれよ」
「いや、無理だ。俺と価値観が合わない。彼女の望む贅沢は、俺の給料じゃ無理だ」
「はあ?贅沢だなんて聞いてないぞ。むしろ慎ましやかすぎて心配になるくらいだって話だぞ」
「騙されたな」
「俺の友人を悪く言うな」
◇ ◇
「ごめんね、せっかく紹介してくれたのに。やっぱり私ではダメみたい」
「何がどうしたのよ」
「最初から何もかも気に入らなかったみたい。結婚式の前日まで魔物討伐の遠征なのは、仕事なのだから仕方ないと思うけど、翌日から仕事にいってしまって、ほとんど話もしていないの」
「ええ、いくら忙しい騎士団だって、結婚式の翌日くらいは休みにならないの?」
「本当は休みのはずだったのですって。朝起きたら、もう出かけられたと聞いて・・・」
「え?起きて部屋から出ていったのに気付かなかったの?」
「・・・別の部屋で眠ったから」
「はああああ?なんで!」
「そういうことなの。26歳の私じゃ、お気に召さなかったみたい」
「何言ってんのよ、向こうは32歳でしょうが。どの面下げて、もっと年下を願ってるのよ」
「ごめんね」
「あなたが謝ることじゃないわ。これはちょっと話し合いが必要ね」
◇ ◇
二人はそれぞれの友人の紹介で、結婚した。
それぞれの友人は、二人が極端な口下手と無口であることを心配して、結婚前に何度か二人に同行し、会話を取り持った。
式が近づいて、そろそろ二人きりで話をしてもらおうとしていた矢先に、男に魔物討伐の遠征が入り、式の前日にようやく帰って来れたのだ。
友人たちは、まだぎこちない二人だが、式の後一晩過ごせば気持ちも近づくだろうと楽観していた。若くはないが、純朴で真っ直ぐな二人なのだから。
ところが、聞けば式の夜は別々の部屋で寝て、翌日は顔も合わさずに、男は仕事へ、女はそれも知らず寝過ごしたらしい。そして、この結婚は無理そうだと友人に相談したのだった。
◇ ◇
「で、式の夜に、二人の間にどんな会話があったんだ」
二人はそれぞれの友人に連れられて、カフェの個室にいた。
「まず客観的に判断したいから、余分な感想は交えずに、実際に口に出したセリフだけ聞かせてくれ。覚えてる範囲でいいから」
「分かった。短い時間だったから、正確に記憶している。いいか、セリフだけ言う。
『白で良いか』
『はい』
『気に入らぬのか』
『あのっ、何年でしょうか』
『分からぬ。気にするな』
『覚悟はなかったのか』
『覚悟など、あろうはずがございません』
『ならば俺は別の部屋で寝る』
『・・・はい』
これだけだ」
「それだけなの?」
「ええ」
「それから、面と向かって会話をせずに、今に至る、と」
「あなたはこれで分かる?」
「たぶん、あいつは親切で言った。それを彼女が斜め上に誤解した」
それから二人は、友人たちに聞き取り調査をされ、それらを擦り合わせ、言葉を補うことによって、ようやく行き違いの全貌が明らかになった。
男は、若い頃から体格に恵まれ運動神経もよく、魔物討伐部隊ではエース級の活躍をしていた。討伐の遠征にも頻繁に呼ばれ、気付けば婚期を逃していた。
女性と会話したこともほとんどなく、気の利いたことも言えない。見てくれもごついばかりで女性からの受けも悪い。これまでもデートのお膳立てをされたことはあったが、緊張しすぎてぶっきらぼうになり、女性の方からお断りされるのが常だった。
女は、父親がひどいモラハラ男だった。
『女はムダ口叩くな』と幼い頃から母娘ともども怒鳴られ、母親は幼い頃に家を出ていった。一人で家事をやり、父親の機嫌を損ねないようにビクビク暮らしていた。その父親が事故で死に、彼女はようやく解放されたのだった。
そして学生時代の友人が、今回の男を紹介してくれた。体つきが大きいので最初は怖かったが、父親のように怒鳴ったりはしないので、それなら大丈夫かと期待したのだった。
「こいつはね、女性相手だと、緊張し過ぎるんだよ。言葉が思うように出ない自分に苛立って、仁王のような顔になってしまうんだ。決して相手を睨みつけてるわけじゃない」
友人のフォローが入った。
「この子もね、ムダ口叩くなっていうモラハラ親父の言葉が呪いみたいになっちゃって、心の中には言葉が溢れかえっているのに、口に出せないの。胸の内でめちゃくちゃ言語化してなんとかストレスをやりすごしているのよ。それを誰かにこじ開けてほしいと思ってた。辛抱強い人なら、きっと待っててくれると思ったのに」
「じゃあ、今二人それぞれから聞いたことを肉付けして、あの夜の会話を再現してみようか。俺と彼女でやってみるから、いかに自分たちの言葉が足りてなかったか見てて」
◇
「白【ワイン】で良いか」
「【結婚のこと?やはり私を娶るなんて、普通じゃないと思ったら、白い結婚をお求めですか】はい」
「【なぜ、そんな深刻な顔で答える?生まれ育った地方では赤ワインが定番なのか?白では悪い意味があるのか?】気に入らぬのか」
「【白い結婚なら、いずれ離婚するのですよね。では、結婚期間は】あのっ、何年でしょうか」
「【はあ?ワインの製造年だと?そんな高級なものではないぞ】分からぬ。【そんな年数を気にするほどワインに造詣が深くないんだ。だからそんなことを】気にするな。【だいいち、俺の給料では無理だ】」
【そんな、無責任な】
「【俺みたいなむさ苦しい男と添い遂げる】覚悟はなかったのか。【無理もないとは思うが】」
「【白い結婚の】覚悟など、あろうはずがございません【行き遅れの身ではございますが、人並みに夫婦として添い遂げることを夢見ていました】」
「【まだ覚悟が決まらない】ならば俺は別の部屋で寝る」
「・・・はい」
これが結婚式の夜に、二人が交わした本当の会話だった。
友人二人はため息をつき、本人たちはお互いをまじまじと見つめ合っていた。
「では、俺を」
「では、私を」
「「どうぞ」」
「「お先に」」
「そこ、譲り合ってないで、なんでも思うことを言ってみなよ。俺たち帰るから」
「不満も文句も感謝も謝罪も、全部ぜんぶ口にするのよ。いい?」
あとに残された二人は、誤解だったことに気付いて、ようやくちゃんと向き合う覚悟を決めたのだった。
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