第五話
織田信雄が藤堂高虎に叩き伏せられているその隙に、蒲生氏郷は一人、薄い霧のような静謐をまとって動いていた。
戦場の怒号とは無縁の、研ぎ澄まされた外交の闇。そこでは血より濃い密約が静かに滴り落ちる。
氏郷は池田家の城門をくぐったとき、すでに勝敗の趨勢を読んでいた。
羽柴など、結局は巨大な線香花火に過ぎない。燃え尽きる瞬間は必ず来る。
「……ガモ」
声は穏やかだったが、そこに潜む刃は池田家中の諸将の脳裏を切り裂いた。
池田輝政は、その刃を見逃さず、むしろ愉悦すら浮かべた。
「羽柴に付き従うか。新しい秩序に賭けるか。……あなたの言葉は後者を選べということか」
「ガモガモガモ‥」
氏郷の双眸は、海の彼方を見ていた。
池田領の港を押さえ、一気に海へと長い舌のように伸ばす。波を滑るその艦影は、やがて長宗我部元親の領に到達した。
元親は氏郷を盛大に歓迎した。
「羽柴の勢いは強い。だが蒲生殿はさらに強い。あの変な鯰の兜を見れば分かる」
「ガモ」
長宗我部家との盟約の墨が乾く前に、氏郷はさらに西へ。
瀬戸内の静風を切り裂き、毛利家へ向かう。
毛利輝元は慎重だった。
だが慎重さは、裏返せばより確かな勝ち筋を欲しているということでもある。
「羽柴とやりあうのか、蒲生殿‥。ま、いずれ羽柴の刃は、我々の喉元にもかかりましょう。ならば‥包囲する側に立つべきか‥」
毛利の重臣たちがざわめき、輝元は長い沈黙のあと、そっと頷いた。
こうして三家は一条の線となり、線はやがて網となった。
羽柴を包み込む巨大な網。
織田信雄が意気消沈していた頃、氏郷はすでに羽柴包囲網の最終点に静かに印を置いていた。




