違法エリクサーは取締対象
スッと、ケルシーはそのアンプルを手に取った。
ぱきりと首を折ると、その中身を一気に呷る。
彼の身体が緑色に光った。
ケルシーは口元を拭った。
「っはー、生き返りますね!」
「主任、さっきまでマジで死にそうでしたからね。アーノルドがエリクサー持ってきてくれてよかったですね」
「えぇ、有難うございますアーノルド」
「いえ」
刈り込んだ黒髪に赤い目の、顔に傷のある青年が無愛想に言う。大柄な体格を小さい椅子に押し込めていた。彼の面相は端的に言って凶相だったが、彼の人柄が朴訥な好青年であることをこの場にいる皆が知っている。その人柄は知られており、彼は憲兵隊の中で女性に人気があった。ただひとつ、「特務課である」ことが彼を結婚から遠ざけていた。大変忙しい部署であり恋人や家庭に時間が割けないことと、この部署の人間は苛烈な仕事をするからだ。前者で将来を見据える女性は去るし、彼を怖がっている女性は後者でさらに怯えて避ける。今のところ、彼に迫る女性はいない。
(彼は大人しい方なのに)
ケルシーは人間で言えば五十路だったので、若者にはつい早く身を固めて欲しいと思ってしまう。それを口にするとセクハラかパワハラと言われるのはわかっていたので、言ったことはない。そもそもケルシー自身も独身なのだ。人のことは言えない。
ケルシーはそういう思考を打っ棄ってから言った。
「この間の事件の報告書は書き終わりましたよね」
「さっき主任が上司に持って行ったのがそれでしたよ」
「そうでした。歳を食うと物忘れが激しくなるから嫌ですね」
「以前から思ってたんですけど、エルフがボケたらどうなるんです」
「そのための魔法です」
「そのためなんだ……」
「介護は原始人類からの悩みの種ですからねぇ……特効薬と言うのもないし」
かなしいかな、ファンタジーの世界でも脳味噌のことは明らかになっていなかった。
途端、扉が叩かれる音がする。
「どうぞ」
「失礼します、主任」
制服に身を包んだ女性が、扉を開いて言った。
「仕事です。組対課から呼ばれてます」
「組織犯罪対策課ですか……。どれ……誰かひとりついてきてください」
「それでは自分が」
アーノルドが立ち上がる。それに、ケルシーはにっこり笑った。
「あぁ、お疲れ様です主任」
ケルシーとアーノルドがやって来たのは、アーノルドより面相の凶悪な男たちが揃う部署だった。紙巻煙草を喫う彼らは、ケルシーたちが来ると慌てて灰皿に煙草を押し付ける。敬礼しようとする彼らに抑えるよう仕草をしながら、ケルシーは勧められた椅子に座った。アーノルドがその背後に立つ。
「ご苦労様です、皆さん。それで、私を呼びつけた事件とは」
「これです」
そう言って、最も面相の凶悪な男──オークであるが、それにしても彼は面相が恐ろしかった──が書類を示した。
それを受け取り、ケルシーは読む。
そして、髪と同じ金色の眉を顰めた。
「違法エリクサー売買組織の摘発、ですか。しかも、転生あるいは転移者──『蛇』案件」
「やり口がこの世界の者ではありえません。しかも調査したところ、元締めは異様に若い女だと言うこと。恐らく10代にもなってない」
「転移者は20代以上が多いですが、それなら転生者でしょうね……」
さて、この世界では異世界転生、あるいは転移者は「悪をもたらす者」として忌み嫌われる傾向にある。要はこの世界にない犯罪の知識を運び込んでくるのだ。
原初、この世界の住人は無垢だった。それを徐々に悪に染めていったのが転生・転移者だった。
最初に酒の作り方を教えたのは転移者であり、人々を堕落させた。
最初に人を殺したのは転生者だった。人々は彼を罰した。
最初に姦淫したのも、最初に嫉妬という感情を教えたのも、最初に競争という概念を教えたのも、何もかもの悪が転生・転移者であるとされた。
現在、この世界には犯罪が蔓延り、各国は共通して転生・転移者を憎むべき存在として認識している。勿論、この国の憲兵も同様だった。
彼らはその転生・転移者の元の世界で、最初の人間に知恵の実を食べるよう唆した悪魔──即ち蛇に擬えられた。
なお転生・転移者が区分されているのは、転生者は前世の記憶を取り戻すのに幾分かのタイムラグがあって被害を齎すのが10代ほどが多いのに対し、転移者は即効で被害を齎すことにある。転生者はそれまでまともに育っていても、前世の記憶が蘇った際転生後の人格が一挙に塗り替えられることがほとんどなので、常識や良識の教育はほぼ無駄となる。
また、転生者の中には「悪霊に憑依された」と主張する者がおり、実際占われたところ「憑依者」は実在するということなので、裁判ではこの主張がなされた場合、それが真か偽りかが議論されることになる。特にこれが高貴な出の者だと裁判はややこしくなる。
話を戻そう。
ケルシーはアーノルドにも書類を渡しながら言う。
「『蛇』案件なら、私が呼ばれた理由もわかりました。がさ入れに同行すればいいんですね」
「宜しくお願いします」
「アーノルドも同行させていいですか? 彼はまだ若いから現場を経験させたいんです」
「構いません。寧ろウチで欲しい人材なんですが、その面相」
オークの彼に言われて、アーノルドはやや渋面になった。凶相がより一層凶悪になった。
そんな彼に擽り笑ったのち、ケルシーは言った。
「駄目ですよ。彼は立派な特務課の人材です」
とある洞窟にて、彼らは潜んでいた。
彼らは、ひっそりと会話していた。静かな声だが、内容は下卑たものだった。
「へっへ、麻薬をエリクサーとして売るだけでこんなに儲けになるとはな」
「そうだな。しかも違法エリクサーとわかってて買う奴らも多かった」
「アイテム屋にも卸して儲けたもんな。あいつら俺らと通じてる奴も多いし」
「しかしお頭ァ、口で摂取できる麻薬なんてどこで知ったんです? そのお年で」
不意に水を向けられた「お頭」──篝火に挟まれてふんぞり返る栗色の髪の幼女は、不敵に、老獪に笑いながら言った。その声は幼子特有の頭声だったのに、老女のような響きがあった。
「『昔』ね、研究していたことがあったんだよ。そこで学べば、薬を作るなんて造作もないことさ。この世界には材料がいっぱいあるからねぇ」
「へー、異世界ってすげーや」
彼らは、いっそ無垢にそう褒める。
ただの山賊だった彼らを、違法エリクサー売買組織に生まれ変わらせたのは彼女だ。彼女は人手が欲しかったし、山賊たちは安定した収入が欲しかった。両者の利害の一致だった。
しかし、この日、それは瓦解することになる。
その囁き声は、洞窟の入り口からの風に乗って聞こえてきた。
「『水よ』」
──突如、篝火が消えた。その途端、数人の気配が彼らの方へ駆け寄ってきた。彼らは察した。魔法を使える勢力がやって来た──即ち、敵対勢力。真っ暗な中、すぐには夜目が利かない彼らは「誰だァ!」と声を荒げるしかない。咄嗟に「お頭」を守ろうとしたが、姿が見えない。それは「お頭」も同じだった。
一方、敵対勢力は真っ暗な中でも平然と動いていた。夜戦のための「猫の眼」のタリスマンをその勢力は持っていたのだ。光の差さない洞窟の中でも動けるような精度のタリスマンは相応に値が張る。つまり、それらを数で用意できるような相手。
「お頭」は察知した。憲兵だ。
「ぐぁっ……」
「ぎゃっ」
彼らは次々と倒れ伏していく。その中で憲兵の動きを見られたのは同じ憲兵同士だった。
しなやかなバネ、軽捷な動き。ハルバート使いとは思えないほどに動きが速い。マントを翻して次々と相手を伸していく。
最後に残ったのは、単体では無力な幼女。
「お頭」は、さすがに目の前に「敵」がいるのがわかった。震える声で言う。
「あんたらは……憲兵か」
「ご明察」
中性的な声が洞窟の中で響く。指が鳴らされる音がした。
途端に洞窟の中に光が戻った。オーブがいくつも空中で光っていた。
金髪碧眼のエルフの少女に見える人物と、返り血に塗れた黒髪赤目の若い男。
エルフは、アクアマリンブルーの眼で「お頭」を見つめた。
そして、ふっと嘲った。
「そういうあなたは『蛇』で間違いないようですね。魂がドブ色をしているんですよ、『蛇』は」
「な……」
突然の暴言に「お頭」は言葉を失う。前世でもそのようなことは言われなかった。薬物の生成に関わり、その咎で投獄された際も、そのようなことは言われなかった。落ちぶれた彼女を、「道を踏み外した天才」と讃える者はいても──。
生まれ変わって、話には聞いていた。「蛇」の天敵はエルフであると。彼らはどんなに巧妙に隠そうと、彼らの魂の色で正体を見抜くと言う。それは果たして事実だったわけだが……。
気が付くと彼女は縛られていた。それに、エルフは言う。
「あなたを麻薬取締法違反で逮捕します。あなたのお仲間も同様にね」
「くっ……放せ! 放せ―!!」
彼女の悲鳴は空しく洞窟に響いた。地面に倒れ伏した「お仲間」たちは苦鳴の声を漏らしている。
この日、ひとつの違法エリクサー売買組織が潰れた。
「やっぱりアーノルドはウチで欲しい人材ですねぇ」
簡単な手当てを施された元山賊たちが縛られて連れて行かれる。幌馬車に放り込まれる彼らを見届けていたケルシーとアーノルドに、組織犯罪対策課のオークが言う。
アーノルドはケルシーにハンカチで顔の返り血を拭われていたところで、アーノルドは赤い目を瞬く。そうしているとやや幼い印象を受けた。
「タリスマンありきとはいえ、あの軽捷な迷いのない動き。制圧するのに躊躇いがない。素晴らしい人材だ。どうだ、アーノルド、ウチに来ないか」
その勧誘には、本気の響きがあった。彼はごく真面目に言っているのだ。
しかし、アーノルドは。
一瞬ケルシーを見てから言った。
「恐縮です。有難いお申し出ですが、俺は特務課でやっていきたいので」
「そうか……まぁ考えておいてくれよ。ウチはいつでもお前を待っているからな」
そう言って、オークはアーノルドの肩を叩いた。
歩み去っていくオークを見送っていると、ケルシーが言う。
「アーノルド、本当にウチで働く意思があるんですか」
「何をいまさら。止めたのはあなたでしょう」
アーノルドは顔を綻ばせた。
「あなた以外の下で働く気はありませんよ」
End.