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 漁師の船を借りてアトランを沖まで運ぶ。

 船には千姫と藩主も乗り込んでアトランを見送る。

 海水に滑り込んだアトランは船の周囲をすいすいと泳いだ。

「やはり海はいい」

 水の抵抗をまるで感じさせないその動きは、千姫の憧憬をかきたてた。

「父上、あそこに」

「む」

 千姫が指さした水面に次々と人の頭が浮かんできた。人魚の群れだ。少なくとも五十人はいるだろうか。

 千姫はぎょっとして竦み上がった。

「アトランお兄様」

 人魚の一人──一人と言っていいのかわからないが、薄桃色の髪をした可憐な少女がアトランのそばに寄った。真珠の髪飾りが眩く輝いている。

「いつまでたっても帰ってこないので迎えに参りました」

「心配をかけてしまったようだな」

 千姫は恥じ入った。

 アトランを手放したくなくて屋敷の狭い池に縛りつけていたのは自分だからだ。

「いえ、ご無事でいらしたならよいのです。こちらがお兄様がおっしゃっていた……千姫様?」

 少女は千姫に視線を向けた。

「新しい女王になるかたですね」

 千姫は目を瞬いた。

「アトラン殿と結婚するというのは女王として迎えられるということなの?」

「そうだ」

 アトランだけでなく、人魚の群れが一斉に頷く。

 父は呻いた。

「悪くない待遇のようだな」

 アトランがにこりと微笑んだ。

「千姫が女王になれば今後貴船はすべて安全に渡航できるようになりましょう。天候をどうこうすることはできませんが船が転覆したら救助に向かいましょう。貴船には案内人を沿わせ、海賊船の哨戒もしましょう」

 父の両目が輝く。

「父上」

「うむ、し、しかし海底宮殿に行ってしまえば千は二度と陸地には戻れまい。かごの鳥のような生活を強いることになる。不憫だ」

 大陸の郡王に嫁ぐことと状況はかわらないのではないかと千姫は思う。だがこれはきっとよりよい条件を引き出すための交渉なのだ。

「では、満月の夜だけは陸地に上がれるようにしましょう」

 女王ではなく、一人の自由な人間に戻れる時間を与えるという。

「あなたを愛しているからです、千姫。我が花嫁になってください。次の満月の夜、迎えに来てもよろしいですか」

 父を見ると、「おまえが決めなさい」と判断を譲られた。

「ひとつ質問させてちょうだい、アトラン」

「なんでも」

「人魚の国の女王になるのなら、私は人魚にならないといけないんじゃないの?」

 アトランはうなずいた。

「もちろん、人魚になってもらう」

 隣で父が息を飲む気配がしたが、うっすらと予想していた千姫に動揺はない。

「どうやって」

「知りたいなら、いまから一緒に魔女のところに行こう」

 アトランが手を伸ばした。

 留まらせようと肩に手をかけた父を振り切って、千姫は海に身を躍らせた。

「千!」

 一度沈み、ふたたび浮かびあがると、千姫は父を見据えた。

「父上、選択の機会を与えてくださり感謝いたします。私はまだ人魚になるとも女王になるとも決めたわけではありません。魔女とやらに話を聞いて、必ず帰ってまいります」

「しかし……」

「そのあいだ私が人質になるわね」

 アトランの妹人魚が船に乗り上げた。その下半身の魚の部分は髪と同じ薄桃色だ。陽光を浴びると真珠のような光沢が目立つ。

 美しい、と千姫は思った。

「魔女はどこにいるの」

「海の底に」

「海に長くもぐるのは無理よ」

「大丈夫、こうやって」

 アトランは千姫に接吻した。目を瞠っている間にアトランに抱き留められた体は深く海に沈んでいく。アトランは口づけをしたまま器用に泳ぐ。

 頭の芯がぼうっとなってきて気絶しそうになったとき、アトランはようやく解放してくれた。

 海水が肺に流れ込む。窒息するのではないかと不安になったがなぜか苦しく感じない。

「なんて不思議な……」

「これでしばらくは大丈夫だ。さあ、魔女に会いに行こう」

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