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「神仏の加護があるならば千姫ではなく万太郎(まんたろう)殿を護ってほしかったなあ」

 池の鯉に餌をやっていると、庭石の影から声がもれ聞こえてきた。千姫が近くにいることに気づかない家臣の者だろう。

「それは、そうだ」

 千姫は呟く。異論はない。

 万太郎は千姫の兄で、唯一の跡取りであった。母とともに江戸の上屋敷に住んでいたが、ある日遠乗りに出たさい運悪く落馬して首の骨を折った。千姫が出港した直後のことだという。

 千姫が城に帰還してから数日後、焼け焦げた船の破片が海岸に流れ着いた。千姫以外に助かった者はいなかった。

 浜辺に辿りついたあのとき、そのまま行方をくらませてしまえば自分は自由になったのかもしれない。千姫はぼんやりと考える。

 自分が助かったのは神仏の加護ではなく人魚に助けられたからだが、兄の骨が入った骨壺を見やる父がなにを思っているのかと考えると、名無しの町民として暮らす夢などいかに浅はかな考えだったかと自分が情けなくなる。父の心情を慮ると、せめてそばにいてあげたいと思う。それしかできないからだ。

「どう、お慰めするべきか……」

 山高の家は大きな問題を抱えてしまった。

 千姫に婿を取って跡継ぎにすべきか、親戚筋から養子を迎えるか、城内ではひそひそとささやかれているのだ。

 その夕べ、千姫は父に呼ばれて直接聞くことになった。

「悩ましいところだ」

「私に婿を取って跡継ぎに、ですか。でも私は大陸の郡王に嫁入りしないといけないのでは」

 かつては、通商の便宜をはかってもらうために郡王との紐帯を強めねばならないと輿入れの必要性を千姫に語ったのは父自身である。大陸の絹織物や漢方薬を倭国の銀と交換しているのだ。

 幕府の許可のない私的な通商は年々厳しくなってきている。そう遠くない将来は海賊に渡りをつけないと通商は難しいだろうと父は話していた。

『おまえが役に立つときがきた』

 郡王は海賊に顔が利くのだそうだ。

「しかし家督を継ぐ男子がいなければ我が山高家は改易、つまりはお取り潰しになるであろう。それだけは避けねばならぬ。親戚筋の中から適当な男児を見つけなければ。それが難しければ……」

「私が婿を取るしかない……」

 お取り潰しにでもなれば海外との通商どころではない。

「郡王への嫁入りを無しにできるのですか」

「まあ、そこはなんとでもなる。船火事に遭うとは不吉な娘だからとかなんとか理由をつけて辞退するのも手だ。あちらの風習では良い兆しと悪い兆しを尊重するからな」

「ああ……」

 千姫はがっくりと肩を落とした。嫁入りが流れたことが残念なのではない。身一つで他国へ嫁入りする決意をした千姫の心持ちを理解してもらえていないことが悔しいのだ。

 状況を見て適宜に判断する父はさすが城主だと思う。だが娘の親でもあろう。

 千姫は心中で「そうではない」と即座に否定した。父は千姫の親であるだけでなく藩主でもあるのだ。

 大名家にとってお家の存続は大事だ。数百数千の家臣とその家族を抱えている責任は重い。

「千よ、わしのこどもはもうおまえだけだ。身の振り方はこれから考えよう」

「はい……」

 最も益のある効果的な身の振り方を考えてもらうしかない。

 口惜しいと思った。もし私が男だったら父を迷わせることはなかっただろう。

 ふと気を抜くとアトランの姿が脳裏にちらつき、頬が熱くなる。あわててかぶりを振った。


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