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義父と幽霊

作者: 雉白書屋

 夜、義父と飲みに行った帰り、公園を横切って駅に向かっているときのことだった。


「おっ?」


「ん? どうかしました?」


 義父が突然足を止めたので、おれはそう訊ねた。義父は答えずに向きを変えて、ふらふらと酔った足取りで歩き始めた。義父の視線を追うと、公園のベンチにうなだれるように座っている女性が見えた。

 おそらく酔っ払ったのであろう。深夜の公園で若い女性が一人。義父が放っておけないのも無理はない。警察官の義父は、非番の日でも困っている人を見過ごすことができない性分だと、以前話していた。


「どうもこんばんは。大丈夫ですか?」


 義父が女性に声をかけた。おれも近づいて義父の背中越しに様子を見る。女性はうつむいていて顔は見えないが、肌の感じと服装からして若そうだ。しかし、色白だな。ぼうっと光っているように見える。それから……ん? え、足が……ない。


「あ、あの、お義父さん、この人、足がないですよ……。これ、ゆ、幽霊じゃ……」


 おれは震えながら言った。実際に幽霊を目にするのは初めてであり、こういうのは昔から苦手なのだ。


「……君、馬鹿なことを言うな」


 義父は新米警官を叱るように、低い声で返した。


「もしもし、大丈夫ですか? お酒を飲みすぎちゃったみたいですね」


「いや、お義父さん、足、その人の足をよく見て……」


 義父はまだ気づいていないのだろう。おれは義父の肩を叩きながら言った。


「君、少し静かにしようか……」


「いや、足ですってば! ほら! ほんとにないんですよ!」


「人を指差すんじゃないよ」


 義父はため息をついた。おれは自分が間違っているのかと思い、何度も目を擦ったが、やはりその女には足がなかった。


「大丈夫ですか? 聞こえていますか?」


「だから、足! 足がないんですって! これ、幽霊ですよ!」


「君さあ、もっと想像力を働かせたらどうだ? この方はきっと生まれつきか、事故で足を失ったんだ。それを幽霊だなんて、失礼じゃないか」


「じゃあ、この人、どうやってここまで来たんですか?」


 義父は一瞬、うぐっといった顔をした。


「だ、誰かが運んできたんだ。そうだ、置き去りにされたんだ。かわいそうに……」


「いや、もっとよく見てくださいよ。ほら、完全にないわけじゃなくて、透けてるじゃないですか。それに、よく見れば腕も……」


「若い女性の肌をじろじろ見るんじゃない! 君は結婚したばかりだろ! 娘に言うぞ!」


 義父は声を荒げたが、顔には明らかに恐怖が浮かんでいた。もしかすると、義父もこの女が幽霊であることに気づいているのかもしれない。しかし、警察官として、非科学的なことを認めたくないのだろう。義父にはそういった頑固なところがあった。


「大丈夫ですか? 財布とか盗まれていませんか?」


「あの、お義父さん、たぶん大丈夫ですし、そろそろ終電がなくなっちゃいますから、もう行きませんか?」


「たぶん大丈夫ってなんだ。そんな保証ないじゃないか。もし私たちが去ったあと、この女性に何かあったら君は責任が取れるのか? 取れないだろう? じゃあ、黙っていなさい」


 おれは助け舟を出したつもりだったが、義父はまくし立てるように叱ってきた。義父の手足は震えていて、もしかすると恐怖を紛らわせるために、おれに当たっているのかもしれない。いい迷惑だ。

 しかし、義父を置いて一人で帰るわけにもいかない。幸いなことに幽霊は沈黙したままだ。今のうちに義父を引き下がらせる方法はないものだろうか……。


「あっ、そうだ。お義父さん、僕、ちょっと具合が……」


「えっ」


「だから、駅まで肩を貸してもらえませんか?」


「……まったく、だらしのない男だな。飲みすぎたんだろう。いい大人なんだから自分の適量というものを把握しておかないと駄目だぞ」


「はい、すみません……じゃあ、行きましょうか」


「もう少し待ちなさい。この女性を放っておくわけにはいかないからな」


「は?」


 おれが具合悪いと言った瞬間、義父は「えっ、一人で帰っちゃうの?」という顔をしたくせに、おれに自分を置き去りにするつもりがないと分かると、急に強気な態度に戻った。おれはこの人のことが嫌いになりそうだった。


「お名前は言えますか?」


「……ア、アァァァァァァァ」


 突然、幽霊が喉を鳴らすような声を上げたので、おれと義父は驚き、飛び上がった。義父の肩が胸に当たって、おれは咳き込んだ。


「お、お義父さん! もう帰りましょうよ!」


「……な、なるほど。飲みすぎちゃった感じですねえ」


「アアァァァァァアアアアァァァ」


「それは酷い男ですねえ」


「いや、会話できてないでしょ!」


「この男もねえ、正直虫が好かんのですよ。ほら、この顔を見ればわかるでしょ。なんかねえ、嫌ですよねえ」


「いや、何言ってんすか!」


「アー」


「同意するな!」


「おうちがどこかわかりますか? 近いんですか?」


「ア、アァァァ、ア」


 女がすっと腕を上げて、指差した方向には小さな林があった。そこから白く長い手が揺れているのが見えた。


「あーっと……ご家族か、お友達ですかね?」


「いやいやいやいや、お義父さん、あれ、人間の手じゃないですよ。ほら、腕の関節が一本多いですよ」


「あの人たちも具合が悪くて動けない感じですかね?」


「アアァァァァァ」


「いや、なんで僕のほうを無視するんですか。え、というかあの人たちって、僕、一本しか見えませんけど、僕より見えているんじゃないんですか!? ちょ、お義父さん! いい加減に認めましょうよ! やばいですってあれ!」


「……認めない」


「えぇ……」


「……君と娘の結婚、未だに納得してないからな」


「そっち!?」


「それで、どうですか? まだ立てそうにないですか?」


「よくまだ新鮮に話を聞けますね。うおっ!」


 女が突然立ち上がったので、おれと義父は慄いた。女はゆっくりと林のほうに向かって歩き始めた。

 女は途中で立ち止まると振り返り、おれたちに手招きをした。林の手も同じ動きをしていた。


「た、立ったということは、やっぱり足はあったな。うん」


「まだ言ってんですか。ないですよ」


 おれは義父を無理やり引っ張って公園から逃げた。義父はその後もしばらくの間、ぶつぶつ文句を言っていた。

 それから約二年が経ち、久しぶりに義父と二人で飲みに行った。

 飲み屋のカウンター席に並んで座り、飲み始めてからしばらく経って、義父がボソッと「あれは幽霊だったな」と呟いた。おれは「そうですねえ」と小さな声で答え、義父のグラスにビールを注いだ。

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