不死の戦い
「――――って、運動場じゃんか!?」
思わず、闇の帷が落ちた真っ暗な平面の上で、僕は声を上げていた。
おあつらえ向きと聞いたから、一体どこに行くのだろうとドキドキしながら待った時間を返して欲しい。
結局、日が沈むまで僕らは学校で時間を潰していたのだった――!
「驚くことじゃないでしょう。広さ、強度共に文句なし。視界も良好、無駄な明りもない。いざとなれば逃げ込める建物まで完備」
麗華さんが、自慢げに鼻を鳴らしながら言い張る。
「待ってください、久遠先輩! ここ、住宅地ですよ? それに、もし万が一、他の生徒や先生がいたら――」
「――いないよ。人っ子一人、もういない」
そんな僕の心配を、神宮寺さんが横からぶった切る。
どうして――と返したくなるが、その表情はそれを躊躇わせるほど隙がない。
「クドウくん、人間の生存本能を舐めちゃいけません。現代の人ってね、こういう『よく分からないけどなんか近づかない方がいい』っていうタイプの驚異に対して、すごく敏感なんだよ。ほら、直感とか虫の知らせとか、そういう類いの言葉だって残ってるでしょ?」
「そ、それは・・・・・・そうかもだけど」
「運動部の夜練とか、先生の残業とか、あっても不思議じゃないのに今日は皆、どうしてか『帰った方がいいな』って判断して帰って行った。そういう風にして、人間は危険から遠ざかる力だけは捨てないで進化してきたの。そこに理屈や根拠は、必要ない。むしろ、あると邪魔になる。こういうのはね、よく分からないけどなんかそうした方がいい気がする、だから真価を発揮する」
それが、唯一自然社会の頃から培ってきた人間の持つスキルなのだと、神宮寺さんは言い切った。
正直、僕にはにわかには信じ難い話である。
第一、偶然とかたまたまって言葉もある。
その危険察知の能力がうまく働かなかった人がいたら、どうするんだろう。
「納得していない顔ね、クドウ君。でも、安心なさい。偶然でこの場に居合わせるような人間がいたら、それはもう、偶然ではないわ。残念だけど、昨日の貴方と同じく、巻き込まれる運命にあったってこと」
「その時は、クドウくんの出番だね。一般の人なら、少しだけ状況を理解してる君が、その人を助けるんだよ。大丈夫、敵は私達が倒すから」
そう言われても、自分のことで手一杯な僕に、果たしてその役割が務まるだろうか。
どこを切り取っても不安要素しか出てこないまま――。
「来たわね」
――黒い天空に浮かぶ月が、一瞬揺らいだような錯覚が視神経を奔った。
僕よりも二、三歩前に立つ麗華さんの声に応じるように、月明かりの下、気づけば一人分の輪郭だけが音もなく立っていた。
あの時と同じだ。
足音も、衣擦れの音さえさせず、気配だけがパッと現れる。
「人払いの細工なんてしなくても、誰も来ないわよ」
「内外、邪魔が入っては困るからな。此度は、逃げるつもりも、逃がすつもりも毛頭ない」
死霊術師の男の口調には、不要な問答を許さない鋭さがある。
麗華さんと神宮寺さん、二人の緊張はもとより、僕も無意識の内に奥歯を噛んでいた。
遊歩道の時とは、明確に違う――男から向けられる気配。
指先が痺れるように冷えていくそれは、身体が怯えているのだと気づく。
・・・・・・殺気、というものがあるならば、今それを受けているのかもしれない。
「その少年の身、貰い受ける」
やはり、というべきか。
今回も、その言葉一つで戦いの火蓋が切られた。
「――先輩!」
「クドウ君を守りなさい! あのデカブツは――」
死霊術師の背後が月明かりさえ塗りつぶすような黒色になったかと思うと、そこから一斉に戦力が飛び出してきた。
僕を守る二人の不死者は、互いに一句のやり取りだけで役割を確認する。
無数の動く死体。
ケダモノじみた咆哮をあげ、数で迫るゾンビ達の群れから一拍遅れて、その数倍の速度でもって肉薄するのは――あの、青白い巨人!
「――私が殺る!」
拳と拳がぶつかり合い、衝撃が大気を波立たせ、波動となって散っていく。
本気だ。本気も本気だ。
遊歩道での時など、まるで遊戯だったのだと息が乱れる。
数で攻める戦力と、質で攻める戦力の使い分け。
それも、既に強化は済ませているのか、ゾンビも巨人も動きが格段と鋭い。
「――――」
それを迎え撃つのは、麗華さんと神宮寺さんだ。
巨人の常人離れした運動性能に、麗華さんは勝るとも劣らない動きで対峙する。
艶やかなセミロングが、主の動きに合わせて忙しなく流れる。
麗華さんの構えは、格闘経験のない僕でも見覚えのあるものだった。
足を開き、左足は二足ほど前へ。
重心は低く、左手はこめかみ、右手はアゴの位置に置く。
その場で左右の踵を交互に浮かせながらリズムを取り、最速最小の動作で迫る豪腕を捌いていく。
巨人の動きはまさしく膂力、体格を活かした殺人機巧だ。
対して、それと並ぶ麗華さんの動きは、人体構造を最大限に活かした、超絶技巧。
こうして見ると、人類の研鑽が如何に凄まじいものかを実感する。
原初の暴力と肩を並べる程に、ボクシングの技術体系は確立されているのだと。
神宮寺さんは、それとは対照的に閃光の乱れ撃ちで屍の群れを払っていく。
麗華さんが物理なら、神宮寺さんは魔法みたいだ。
詠唱も溜めもなく、機関銃の如く撃ち出される光の弾丸は、容易くゾンビを貫き、灰に変えていく。
どういう原理かは不明だが、それを言い出したら死体が動いている理屈など、通るわけがない。
両勢共に、戦力は拮抗。
故に、僕はその場で立ち尽くし、目の前で繰り広げられる戦いを見ていることしか出来ないでいる。
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指先一つで肉を抉る掌を、拳と足捌きで捌いていく。
こちらの動き自体に無理はない。
相手の腕は左右三本、都合六本だが、全てを精密に攻撃で使えるほどではなかった。
可笑しな話だが、この怪物はまるで、自分の肉体の使い方に熟知していないように感じる。
しかし、それはあくまで違和感だ。
それで、この怪物の脅威がなくなるわけではない。
先ほどから胸、腹、肩、太ももに拳と蹴りの打撃を打ち込んでいるが、致命打になった感触はない。
身体能力だけで、この怪物は私――久遠麗華と渡り合っている。
「頑丈ね」
思わず、苛立ちが口を衝いて出た。
これでは、どれだけ同威力の攻撃を加えようと、底が見えない。
見てくれは獰猛な獣だが、対峙するとまるで術者を守る鉄壁のようだ。
加えて、相手が死霊術師である以上、術者の打倒は勝利条件の必須項目である。
白状すれば、意外だった。
攻勢一辺倒かと思えば、攻め方がまるで詰め将棋のように理に適っている。
この状況、私がこの怪物を抑えているのではない。
(私が――コイツに抑えられているっ)
機動力、物理的な決定打を持つ久遠麗華を抑え、数で目標を守る不死者を攻め落とす。
おまけに、ゾンビ共の動きは決して遅くはない。
私や巨人ほどではないせよ、脳のリミッターが外れているのか、体格や生前の運動神経など丸っきり無視をして、文字通り全力疾走での接近だ。
あれでは、薫も現状維持に徹するしかないだろう。
「――――」
となると、どちらかが戦況を変えるしかない。
ゾンビの残機も無尽蔵ではないだろうが、消耗戦は戦力規模的にもうまくない。
第一、この状況を作り出している張本人は、死霊術師本人だ。
アライバルエンドに至るほどかは分からないが、それでも並の術者ではない。
御紋会もただ人手不足に喘ぐだけの、肝心なときに役に立たない組織、というわけではない。
時間がない中、御紋会は把握している外来の不死者のリストを洗い出してくれた。
当然、この死霊術師の登録はなかった。
御紋会の関係者は、私や薫のように実働戦力だけで構成されているわけではない。
公共機関にもその目と耳は配置されており、可能な限りの情報収集を行っている。
それを、この男はすり抜けて美小野坂の街に現れた。
それが意味するところは、ただの三法機関出身者ではない、ということ。
「貴方、追われている身でしょう」
巨人との攻防の合間、互いに次の攻勢に移る僅かな間で、私はそう術師に声をかける。
「・・・・・・それがどうした、不死者。故に、その鎖を断ち切る為、この街に来たのだ。あともう一歩だ。邪魔はさせん」
「どうかしら。私達は修羅場の方が性に合ってるけど、監視が得意な性悪も何人か心当たりがある。御紋会はもう、貴方が『自分達が把握していない不死者』であると知っているわよ」
揺さぶりに、男の雰囲気が僅かに逆立つ。
怒りか、焦燥か。
「悪いけど、時間稼ぎならまだこちらに分がある」
「・・・・・・ほぅ」
――否、焦りはない。
それは、明確な殺意だ。
「若くして、生き急ぐとは感心しないな、娘」
「ハッ――死霊術師風情が生き方を説かないでくれるかしら」
刹那、男の背後に黒い穴が浮かび上がる。
そこから這い出て来たのは、雪崩だった。
屍の波。
グラウンドを埋め尽くすような死者の群れが、私達を呑み込むように迫ってくる。
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それは、映画とかで見る光景だった。
死者で溢れかえる街。
阿鼻叫喚の地獄絵図と化した、煉獄の顕現。
それが、今、僕の目の前にある。
「薫! 校舎へ!」
遠く、槍のような麗華さんの声が、絶望していた意識を貫く。
「クドウくん、走って!」
返答より早く、僕は踵を返し、校舎へ向かって走り出す。
地の底から湧き出るような屍の合唱を背に聴き、いつ肩に手をかけられるか分からない恐怖を押しとどめながら、懸命に脚を動かす。
なんとか昇降口まで辿り着き、僕は振り返る。
殿を務めていた神宮寺さんが、一際大きく両腕を振り抜く。
光の球が飛んだかと思うと、着弾と同時に閃光弾よろしく、閃光爆発が広範囲で死者を葬っていった。
「屋上まで走って! 後ろは私が守るから!」
「う、うん!」
しかし、それも時間稼ぎでしかない。
圧倒的な物量を凌駕するには至らず、死者の群れは未だ健在だ。
言われた通り、屋上を目指して階段を駆け上がる。
肺が痛い。吸い込む酸素が冷たい。
肺活量を超えた肉体の酷使に、限界が見え隠れする。
「――はっ! はっ、はぁっ、はっ――!」
それを力尽くで抑えているのは、皮肉にも恐怖だった。
身体の悲鳴を、精神の悲鳴が塗りつぶしていく。
呑まれれば後がない。
その一心で、身体は迫る限界を考慮せず、今を生きる為だけに動き続ける。
一段飛ばしで階段を駆け上がり、三階に辿り着いた踊り場で、思わず脚が止まった。
「クドウくん!? 止まっちゃダメ――」
すし詰めみたいに迫るゾンビ達を牽制しながら、僕の後を追ってきた神宮寺さんの声がすぐ後ろで聞こえた。
刹那、視界が流れ、僕は倒れ込む。
ガラス窓を突き破るどころか、壁面ごとぶち破る轟音が状況を飲み込めない僕の全身を襲う。
「ガァァァアアアアア!!」
ケダモノの咆哮。
ゾンビのものではない、怪物のそれが、嫌でも震える身体を動かす。
顔を上げると、そこにはあの巨人が外から校舎へ侵入している光景があった。
眼孔のない、のっぺりとした顔がゆらりと、僕を捉える。
唇のない剥きだしの歯が、僅かに三日月を象った気がした。
もう逃げられまい、と。
「逃げ路は悪くないが、所詮は人の身。判断を誤ったな」
その傍らに、術師の男がふっと闇が下りるように姿を現わす。
「やっぱり、影渡りの一種――!」
急いで立ち上がり、未だ尻もちをついたままの僕の前に、神宮寺さんが立ち塞がった。
「一手で見抜いたか。忌々しい程に優秀だな、お前達は。――一代での不死ではなかろう。さては、系譜の一族か」
「そういうそっちも、それを知っているってことは、それなりに極まった不死者ってことだね。御紋会だけじゃなくて、秘跡調査会のリストにも載ってないところを見ると、さては相当ヤバい連中に追われてるんじゃない?」
「如何にも。だが、例え相手が『タナトス』であろうと、我らは諦めるつもりはない」
タナトス、という名前を聞いて、神宮寺さんが乾いた笑いを漏らす。
「一番聞きたくなかったやつだね、それ」
「このような状況だが、同感だ、娘」
――故に、捕らせてもらうぞ、と。
死霊術師は巨人を傍らに、死者の群れを背後に従え、王手を掛ける――!
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――どちらかが戦況を変えなくてはならない。
その言葉通り、戦況はより一層悪い方へと傾いていく。
だが、そうでなくては、応援の期待が出来ない私達に勝機はなかった。
そう、私か薫ではなく。
例え敗北の方へ傾いたとしても、相手に戦況を変えて貰う必要があったのだ。
ゾンビ共は目標以外には、目もくれもしないことは確認済みだ。
それほどまでに、あの術師にとって久遠満という少年の身柄を確保することが、最優先なのだろう。
丁度いい、私のコレも時間がいる。
怪物は校舎の三階部分へ飛び上がり、術師の男も瞬間移動で類いで姿を消した。
運動場に残されたのは、久遠麗華一人だ。
遠目でも分かる。
事前の打ち合わせもない以上、あの状況は二人とって不測の事態。
つまりは、絶体絶命のピンチである。
だが、不測という点で言えば、それは――――。
「――――」
中身を造り上げる。
証紋での肉体強化は、久遠麗華の場合、変異という名前通りの形を取っている。
魔力で筋繊維や強度を補強するのではない。
目的に沿った身体強度を、零から造り上げている。
知る人間が知れば、それはもはや、怪物の域であろう。
時間を必要とするのは、その為だ。
悲しいかな、日常生活では無用の長物でしかない出力の肉体は常備に向かない。
おまけに、維持をするのも難しい。
馬鹿馬鹿しい話だが、私は自己都合で色々と証紋の力を使っているから、こういう時に溜めを必要としてしまう。
しかし、その時間は二人が稼いでくれた。
「――覚悟なさい」
肉体の輪郭はそのままに、短い息吹と共に、蹴り上げた踵が宙を走る。
跳躍。単純な跳躍だ。
それが、まるで地上から空へ飛び上がるような、一条の軌跡をなぞる流星じみていなければ。
――一切の曲線を許さぬ、高速の跳び蹴り。
精密射撃のようなそれは、ともすれば人体から繰り出される槍の穂先だ。
先ほどまでの私の動きを基準で考えれば、よもやこの一撃は予期することさえ困難を極める。
幸い、巨人は目標を仕留める為か、こちらに気を割いていない。
地上から三階部分の巨人が開けた大穴までの直線距離を、僅か一秒にも満たない速度で駆け、吸い込まれるようにして怪物の横っ腹へと踵を突き立てる。
「――――何!?」
初めて、死霊術師の男が虚を衝かれた声をあげる。
蹴りの感触は十分。
大人二人分はあろうかという巨躯は、ほぼ奇襲にも近い一撃で階段部分へと横滑りに落ちていく。
大きな図体が災いしてか、それは屍の群れを巻き込みながら一時的に、その主を孤立させるに至った。
「貴様――!」
「――薫!」
空中で体勢を整えながら、次撃へ繋げる為に彼女の名前を叫ぶ。
壁に穴が開いているとはいえ、ここは外に比べれば閉鎖空間だ。
この男の瞬間移動が影か暗闇を路とするならば――――。
――――意図を理解し、薫が素早く符を空へ投げた。
目も眩むような光の爆破。
神宮寺薫の証紋により、媒介となった符は自身を中心に閃光を放つ。
魔性を悉く討ち払うそれは、当然ながら生きているであろう死霊術師には、効果を示さない。
だが、それでいい。
必要なのは、この男の視界と周囲の闇を奪うこと。
巨人を蹴り飛ばした反動のまま、空で身を翻すと一回転した後、着地。
姿勢は低く、着地の衝撃を最小限に殺しつつ、床に四肢を這わせ男の足元だけに視線を合わせる。
――これで、位置関係は容易に知れる。
閃光の影響は、残念ながら敵味方の区別をしない。
瞬間、視界を奪われるのは全員が同じだ。
故に、勝負はコンマの世界。
誰よりも硬直を短く、僅か瞬きほどの差が生死を左右する。
その瞬間だけは、久遠麗華もまた、獣じみていただろう。
四肢を這わせた状態から、床を蹴り上げ、右の拳を弓のように引き絞る。
死霊術師との距離は約三足。
それを、一足一息で踏み込み、突き刺すような渾身のストレートが男へ真っ直ぐに奔っていく。
――――校舎を衝撃が、短く揺らした。
骨と肉を力任せに粉砕した右腕に、熱と血が伝ってくる。
「――――だ、――れ、は」
フードの下に隠れていた異国風の顔が、胸元に突き立てられた腕を見下ろしながら、「なんだこれは」と。
声にならない苦悶を、血と一緒に吐き出していた。
「校舎内に移動してなければ、逃げられたでしょうに」
しかし、光も影も逃げ場所がない場合はそうもいかない。
あの光の密度では、ほんの僅かとはいえ、踊り場を中心とした廊下の一部は真っ白に染まっていただろう。
それに、この男は巨人が先導してから移動していた。
遮蔽物を無視して移動出来るなら、建物内に逃げ込んだ時点で決着は着いている。
危険な賭けではあったが、私達はその賭けに勝った。
影から影への瞬間移動にも、それなりに制限があるならば、閉鎖空間で影を失うことは丸裸にされるのと大差はない。
だから、それを狙った。
あの怪物相手では全力でも即死は難しいが、不死者とはいえ肉体が常人に毛が生えた程度であれば、この通りである。
心臓を狙うほどの余裕はなかったが、胸を貫いたとあっては同じようなものだ。
「――――ファー、――――マ」
急速に命を失っていく男は、少なくとも片肺を失いながらも、腕を伸ばす。
その先は、階段部分の踊り場だ。
巨人が校舎の壁をぶち破った箇所であり、私の侵入経路でもある。
「すま、ない――ファー、ティ、マ」
血で溢れる口を懸命に動かしながら、死霊術師の男は涙を流していた。
自らの死が避けようのないものと観念しているのか、もはや死因にさえ、興味はないらしい。
私のことなど一瞥もせず、ただ、ただ、何かを惜しむように男は届かない彼方へ手を伸ばす。
廊下の壁に腕一本で磔にされていたとしても、その手を取る者がいると語るかのように。
それも、持って数秒のこと。
震える指先が力を失うと同時に、男はがっくりと全身の力を解いていく。
殺した時と同じく、力任せに腕を引き抜くとその場に倒れ込んだ。
「・・・・・・薫、クドウ君、怪我はない?」
視線だけを横に流すと、無言で頷く神宮寺薫と、その後ろで尻もちをついたまま呆然とする久遠満の両名がいた。
「無茶をさせて悪かったわ、薫。貴女がクドウ君を庇って廊下側に飛んだからよかったけれど、直撃を受けてたら上手くはいかなかった」
位置的に、あと彼の性格的に、あの巨人の奇襲を避けたとは考えにくい。
となると、咄嗟の判断で薫が彼と一緒に横っ飛びにでも身を投げなければ、あそこで二人とも巨人の無駄に多い腕に捕らえられていたはずだ。
「正直、バリバリの近接系と正面対決ってのは危なかったです。先輩があと数秒遅れてたら、運次第じゃあ私は死んでました」
「でも、遅れなかったでしょう。数秒なら、十分過ぎる時間よ」
尤も、その数秒をあの巨人相手では稼ぐのが大変だったのだが。
いずれにせよ、これで勝敗は決した。
なんとか勝利をもぎ取りはしたものの、これで終わりではないから不死者関係の事件は面倒臭い。
先立っては、この男の身元を洗わなければならないし、どうしてクドウ君を狙っていたのかも調べなければならない。
第一、これほどの実力者が何を目的にしていたのか。
その謎を解明しないことには――――。
「――――久遠先輩!!」
――――声は、二人のものだったかもしれない。
自信がないのは、私が宙を浮いているからだ。
反射的に腕を前に出す防御さえ、間に合わなかった。
身体を衝撃が貫いたかと思えば、明滅する視界と共に二度目の衝撃が背中から全身へ波紋する。
自分がどうなったのかを理解するよりも早く、意識が底に落ちていくのさえ、私は最後まで見届けられなかった。