相見える
ドアノブに手をかけたのは、麗華さんだった。
雲月君は刀を握っていることもあり、入室時の奇襲を警戒しての人選だ。
続く視界は、ごく一般的なマンションの玄関。
狭苦しい訳ではないが、そう広いわけでもない。
飾り気のない廊下は真っ直ぐに伸び、突き当たりにはガラス部分から電光が漏れる特色の無い木製のドアがあった。
麗華さんが土足で踏み込むと、雲月君が続く。
一拍遅れて、背後を警戒しながら神宮寺さんと――彼女に支えられる僕が入った。
本来、ここは鷲目先輩の部屋のはずだが、麗華さんと雲月君が迷わず土足で上がり込んだのを見て、少しずつ警戒心が戻ってくる。
背後の扉一枚挟んだ外廓は、普通の人なら吐くほどの血の海と死体の山。
あれだけの騒ぎ。
これだけの異常。
鷲目先輩が気づかないはずがない。
なのに、部屋の中は不気味なほどに静まり返っている。
衣擦れ一つ、身じろぎ一つ、気配がしない。
しかし――漏れる電光が、その冷たい光が、誰かがいると告げていた。
「――――」
廊下とリビングと思しき一室を隔てるドアを、麗華さんがゆっくりと開ける。
心臓の音に乗って、緊張が走る。
明かりの点いたリビングには、特徴のない木製テーブルと椅子。
そして。
「やぁ、こんばんは。ようやく会えたね」
――見慣れない、金髪の男声が穏やかな声で出迎えてきた。
落ち着いた表情と姿勢のその人は、白いシャツの上から白衣をまとっており、室内を照らす蛍光灯のようだ。
姿形ではなく、この場における印象の話。
はっきりとその姿は見えているのに、どこか冷たく、不吉な色を讃えている。
「精細さには欠ける催しだったが、愉しんでもらえたかな?」
白い男性は、聞き心地の良い声で胸を抉るようなコトを口にした。
愉しむ?
あれを?
――冗談も休み休みにしてほしい。
あれだけ多くの無辜の民が無残な最期を遂げたというのに、それをどう愉しめというのか。
「熱烈な歓迎であったことは認めるわ。趣味としては最低の部類ね」
心中は同じとばかりに、麗華さんが吐き捨てるように答えを返す。
それを、白い男性は満足そうに頷き。
「それはよかった。……うん、みんな良い顔をしているね」
血で汚れる若者達を見渡し、優しく微笑む。
……どうして。
どうして、この男性は――こんなにも平静でいられるのだろうか。
そこには興奮も期待もない。
他人の命を何とも思っていなくとも、主催者としての矜持があるものだろう。
「自分にとって、一般人の命など取るに足らない」と。
そう、主張する声にならない声があるはずだ。
なのに、この人にはそれさえない。
まるで、一人静かに夜風にあたるような穏やかさで、そんなフザけたことを口にしている。
「私も急な予定変更でね。以前から居場所は掴んだと思っていたが、どうやら気取られていたようだ。やはり、この手のことはリオルの方が鋭い」
「……鷲目先輩を追っていたということ?」
「あぁ。彼女の監視の目は、この街に来た時から知っていたよ。いや、腕の良い射手だね、彼女は。おかげで、四月の連続猟奇殺人事件もあのタイミングまで引っ張るのが精一杯だった」
白い男性は曰く、死霊術師と巨人が暗躍する隙間を作るのが、限界だったと。
あっさりと、自身が黒幕であると明かす。
「お前が、麟道達人か」
雲月君の口調は、問うというよりもほとんど断定する口調だった。
「そんな男も、いたね。自己紹介といこうか。――今は、ハンス・ウィリアムズと名乗っている」
「今更、別人であると白を切るつもり?」
麗華さんの追求に、白い男性は「いいや」と首を横に振った。
事実、別人であるのだ、と。
「麟道達人という男は、もういない。とはいえ、君達の言いたいことは分かるし、頷くことは出来ないが否定もしない。私が何者であれ、九年前に麟道達人という男の目論みは失敗している。あれだけの事を起こして、生きているはずがないだろう?」
「生死不明ならば、死んでいると断定は出来ないわ」
「賢しいね、久遠麗華。けど、それは希望的観測というものだよ。死んでいなければ生きている、というのは可笑しな話だ。心臓が動いてさえいれば生きていると呼ぶならば、死者が動き出す機巧に心臓の脈動も組み込めば、蘇生は容易く実現する」
しかし、現実、そうはならない。
白い男性の言葉は続く。
「人の生き死には、説明のつくものではない。生き様、死に様は個性だ。何を以て生きているとし、何を以て死んでいるとするか。その線引きが明確であればあるほど、死生観は個人に依存していく」
その人の言葉に、誰も返せる言葉を持たない。
「君達だってそうだ。系譜でなければ、君達はこうして生きていられたかな。当然のように社会に出て、学生として人生を歩めたかな。不死者という生き物は、人間として持つ生きる力が弱い個体の呼び名だ。だからこそ、『証紋』という異能の隙間が生まれ、発現する」
「くだらん詭弁だ」
「詭弁だとも、雲月賢史。しかしね、君は大きな勘違いをしている。詭弁はこじつけではあるが、嘘ではない。理解を拒むのは自由だが、オススメはしないよ。……私はもう、それを試して失敗をしている。麟道達人として生きる道を失った『私』が言うのだから、間違いない」
麟道達人という個人の生死。
生死不明とされるある男の命は、当然の如く失われている。
それが物理的な死であるのか、あるいは抽象的な話であるのか。
もしくはその両方が複雑に絡み合った末の結末なのか。
白い男性の言葉はどこか矛盾を孕んでいるが、不気味なのが――それでも、破綻していないと僕は感じてしまっていることだった。
「彼の死に骸はいらない。遺体が残る死に様というのは、ある種、生き物としてあまりに健全だ。しかし、九年前の戦いはそうではないだろう? 自らの弱さに膝を折り、世界を憎んだつまらない男の意地に過ぎない。……だから、もう彼の生きる場所はこの世にない」
その結論に、麗華さんが一石を投じる。
「ならば、貴方は誰だというの」
そう、それならば。
ハンス・ウィリアムズと名乗り、明らかに麟道達人の影を持つこの白い男性は、何者だというのだろうか。
「さぁね。『私』にとって、ハンス・ウィリアムズという容姿と名前は、生まれついてのものではない。だが、この世界が『私』をハンス・ウィリアムズであると識別してしまえば、『私』は確かに、ハンス・ウィリアムズであることになる」
「…………ぇ?」
ふと、僕は脳裏を掠めた記憶に声を漏らした。
白い男性の顔立ちは、何処かで見覚えがある。
日常的に目にしているワケではないが、見覚えがあるのは嘘じゃない。
そんな僕の反応を捉え、白い男性は少しだけ驚いたように目を見開き――。
「――いいね、久遠満。そうか、君にはカレが見えるのか。この顔に、この世でただ一人、見覚えがあるんだね」
初めて、狂暴に口の端を吊り上げ、心底嬉しそうに嗤った。
「僕、同じ顔を見たことがあります。……フランベルジュって魔法使いの人が帰った時、確かにお屋敷の門のところに立っていた……」
「え、それってクドウくんの見間違えとかじゃ――」
「う、ううん。見間違いなんかじゃないよ、神宮寺さん。だって――だって、麗華さんに連れられて初めて本舎に来た時にも、フランベルジュさんと一緒に歩いてた」
間違いない。
絶対に、見間違いなんかじゃない。
瓜二つ――いや、この白い男性は――全く同じ顔をしている。
「ッ――クッ、ハハハッ! まったく、本当に君には驚かせられるよ。人工証紋だというのに、逆理知覚まで備えるとはね。そして、本能的に私が『世界の敵になり得る』と理解しているようだ」
先ほどまでの平静さが嘘のように、白い男性は恐ろしい形相で僕を見る。
そこには、明らかな憤怒、憎悪がある。
「忌々しい。まるで、私の兄を見ているようで寒気がする。つい先ほどまで、ケダモノに成り下がった連中を殺すことにさえ震えていたというのに、もう息を吹き返したのか。随分と優秀な切り替えだね、人類の守護者とやらは」
言われ、僕は気づけば意識がハッキリとしていることを自覚する。
あれだけ震えていた両足は嘘のように軽く、心を苛む罪の意識は随分と薄れている。
まるで、証紋が僕に「目の前の男を倒せ」と訴えているように、全身に活力が漲っているのが分かる。
「――アルド・ラークフェルムの直感は正確なようだ。やはり、これ以上時間をかけるのは危険だね」
そう言うと、白い男性はゆっくりと立ち上がる。
それに警戒するように、自然と麗華さんと雲月君が前進し、肩を並べて僕と神宮寺さんの前に立った。
「久遠満、悪いが君は私と共に来てもらうよ。タナトスの原初派に囲われると面倒だ」
それを交戦の合図と取ったのか、麗華さんと雲月君の身体が瞬間、低く沈む。
戦闘行為には狭い閉鎖空間。
先手を打つことは、肉薄が必要な二人にとって必須条件であり、同時に満たされれば優位に立てる布石でもある。
「路を開けてもらおうか」
それを、解らない力が止めていた。
麗華さんも、雲月君も、不自然にその場で動きを止め、何かの拘束から抵抗するように身体が微震している。
「――っ! 薫! 満君を連れて外へ逃げなさい!」
麗華さんの切迫した声が飛ぶ。
その隣で、雲月君が更に低く身を屈めたかと思うと、手放した刀の刀身を拾い上げ、すれ違う白い男性に飛びかかる。
「雲月君!!」
思わず身を乗り出す僕を、神宮寺さんが前に出て止める。
ハンス・ウィリアムズは読んでいたのか、飛びかかる雲月君の首を片手で掴み上げ、決死の抵抗を阻止してしまう。
口に咥えていた刀身が再び、今度こそ、主の元から床へ転がり落ちる。
「あまり根性論は好きではないが、大した覚悟と気概だ。あの一瞬で拘束の性質を理解し、両肩の関節を外すことで抜け出たか。だが、私は君達と違い複数の証紋を操る。近接戦闘ならば勝ち目があると踏んだのは、悪手だったね」
「ぐっ――きさ、まっ!」
雲月君のだらりとぶら下がる両腕を観察しながら、白い男性は冷徹な双眸を向けて語る。
その隙を突いて今度は捨て身の蹴りを放つも、目にも止らぬ打撃でリビングの右奥へ雲月君は消えていく。
衝撃音と瓦礫の転がる音。
白衣をまとっているせいか、僕はこの人を勝手に「武術の達人ではない」と思い込んでいた。
しかし、それは全くの誤りであることを理解する。
目にも止らぬ正拳突き。
戮士の血筋であるという麟道の人間ならば、むしろそれこそが本領とでも言わんばかりの精度。
「薫! 早く!!」
麗華さんは、未だ拘束から抜け出せない。
ハンス・ウィリアムズによる不可視の拘束は、おそらく証紋の力だ。
そして、僕と神宮寺さんが自由なのは、ただの偶然ではない。
「無駄だよ、久遠麗華。神性の因子を持つ君は、この拘束からは抜け出せない。……尤も、同じく神性を宿す君には通用しないが」
「っ! どうして、それをっ!」
「忘れたのかい、私は神宮寺命と神宮寺宗也の敵だ。代々、神降ろしの巫女として証紋を継いできた君の一族を、知らないわけがないだろう。まして、君の母親が『神降ろし』の使い手であれば尚更だ。アレがなければ、九年前の戦いは我々の勝利で終わっていた」
淡々と語り、一歩、また一歩、白い男性との距離が近くなる。
僕と神宮寺さんは動けない。
拘束を受けているからではなく、目の前の男性の隙があまりにないからだ。
逃げられる想像が出来ない。
逃げ切れる想像が出来ない。
破魔の証紋を持つ神宮寺さんや、勇者の証紋を持つ僕に、ハンス・ウィリアムズの拘束の証紋は通用しないのだろう。
しかし、証紋を抜きにした性能で、果たして僕らは敵うのだろうか。
――残る距離は僅か四歩分。
最初の穏やかな空気など微塵も感じさせず、白衣をまとった男はまるで鬼のような強靱さを思わせる不動で前に立つ。
異様なまでの圧力。
退路は真後ろにあるというのに、目の前の男が出入り口で立ち塞がっているような錯覚。
ダメだ。無理だ。
絶対に、逃げられない。
背を向けた瞬間、僕ならば意識を刈り取られる。
それは神宮寺さんも一緒なのか、半身で構えたまま呼吸を整えるので精一杯なようだった。
「やはり、親子だね。九年前の焼き直しのようで苛立つ。大人しく逃げればいいものを、立ち向かう美学など蛮勇に過ぎないよ」
「あっそ。逃がす気がないヤツにそんなこと言われてもね――っ!」
やはり、と。
神宮寺さんも退けば後はないと腹を括り、果敢に踏み込んでいく。
低所から掬うような掌底打ち、続けて肘打ち。
それを僅かな後退と両腕の捌きだけで無効化するハンスに対し、神宮寺さんは矢継ぎ早に次撃を繰り返していく。
一見すれば防戦一方だが、神宮寺さんの動きには明らかに余裕がない。
ほんの一拍。
呼吸一つ分でも動きを止めれば、その隙にひっくり返されてしまう。
故に、攻め続けなければいけない。
それが解っていて、どうしてか、僕は動けないでいた。
(――動け。動け、動かなきゃダメだろ!?)
分かっている、分かっているのに、身体の自由が利かない。
拘束の証紋は、利いていないはずだ。
なのに。
「あ、ぐ――っ!」
ずだん、と神宮寺さんが床に這う。
実戦でも通用する確かな格闘術を持つ神宮寺さんでさえ、一対一では敵わない。
神宮寺さんは俯せの姿勢で床に押しつけられ、背中に回した片腕が一定の角度でピタリと止まった。
「さて、これで終いだ。君の名誉の為に言うが、見事な実戦格闘だったよ、神宮寺薫。その若さでこれだけの研鑽を積んでいることは、素直に敬意を表する。この現代にあって尚、狂気のような厳しさがなければ身につかない技量だ」
「っ――クドウくん! 逃げてっ!!」
麗華さんだけでなく、神宮寺さんも、僕へ「今すぐこの場から離れろ」と叫ぶ。
「――やれやれ、拍子抜けだ。どうやら、彼は今、証紋の反動に襲われている最中みたいだね」
――反、動?
どういうこと? どういうことなんだ?
反動って、何が、どうして?
身体が思う通りに動かないのが?
肉体を酷使した疲労か?
そんなわけない、錬金生物の時には、そんなこと。
「馬鹿め、勇者のくせに仲間などと行動するからそうなる。久遠満、お前は元々、孤独に戦う必要があるんだ。百戦百敗、常に必敗、勝ち目の無い戦いこそがお前の真価だろうに。例え勇者であろうと、総てを救うならば相応の代償がいることは明白だよ」
「……なんだ、それっ」
「元より肉体に期待などない。君が差し出せるのは、心の強さ。自我という替えの利かない永久機関か、覚悟という自我に代わる一時燃料だけだ。今の君は、そのどちらも手放せない。だから、勇者の証紋は君に制御をかけている」
――絶望的なことに、僕はこの男の言う事が理解出来た。
いや、証紋が馴染めば馴染むほど、使えば使うほど、理解が進むのだから当然だ。
僕は今、勇者の証紋を行使する為、自我を犠牲にするか、あるいは覚悟を決めるかの二択を迫られている。
幼い頃からずっと、僕は何かに怯えるように生きていた。
その正体が、こんな土壇場になってようやく判明する事に、どうにかなりそうだ。
全身を奔る恐怖。
立ち向かう為の条件が満たせないならば、死なない為に逃げなければならない。
当然のことだ。
勇者は死ぬわけにはいかない。
勇者が死んでいいのは、世界の脅威と刺し違える時だけ。
それも望めないならば、例え惨めでも生き延びて、再戦に臨む。
だから――勇者はきっと、仲間なんて作っちゃいけなかった。
常に孤独。
たった独りだからこそ、最小の戦力だからこそ、勇者は対運命の力において常に強者を凌駕する。
僕は、最も弱い個人でいなければならなかったのだ。
(馬鹿だ、ぼくは、ばかだっ)
都合の良い力が、無条件で手に入るわけないじゃないか。
「選択を迫ろうか。君が私についてくるならば、この場の全員の無事は保証しよう。ただし、君があくまで私と対峙するというのなら、まずはこの娘の四肢を折る」
「う、っ――ぁっ!」
「じ、神宮寺さんっ!!」
「ただ折るだけでは芸が無い。達磨同然にして、君の傍に置いてあげようか。独りは寂しいだろう? だから、君はこうしてぞろぞろと仲間を連れてきたわけだしね」
動け。逃げろ。動け。逃げろっ。
動けっ! 逃げろっ!!
答えが詰る。
意識が混濁する。
僕はどうしたらいい。
動けば、勝機が生まれるかもしれない。
第一、みんなを見捨てて逃げるなんて出来ない。
逃げなければ終わる。
身一つならば勝ち目はあるのだから、逃げなければならない。
だめだみんなを置いて逃げろにげろ逃げろニゲロいやだ戦わなきゃ逃げろ!逃げろ!!逃げろ!!!逃げろ!!!!
――忘れるな。
勇者は、誰か個人を護る存在ではない。
人類という群体を護る個人だろう。
「――――――ぁ」
踵が返る。
「――――――――ぁあっ」
視界が出口を捉える。
「うわぁぁぁぁあああああああっっ!!!!」
逃げたくない想いと。
逃げなければならない使命を抱いて。
僕は、その場から無様に退場した。
おそらく、もう二度と癒えること無い心の傷と引き替えに。
たった独り、生き延びる路をひた走る。




