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アンデッド  作者: 無理太郎
Episode.4 覚醒
86/89

歓迎

 場所は、東区の端。

 中央区との境界線近くにある、中流階級向けのマンション。

 聳える建物(ソレ)を前に、僕は立ち止まっていた。


「――――」


 時刻は夕刻を過ぎたばかり。

 午後六時から七時の間は、普段であればまだ人通りは多い。

 仕事帰りのサラリーマン、部活帰りかあるいは寄り道帰りの学生、忙しなく行き交う車両たち。

 未だ街は眠らず、いや眠りに至るまでの喧噪として営みは日常(とうぜん)である。

 それが、今は死に絶えたように止まっている。

 気づけばすれ違う人気はなく。

 見渡せば動くものの気配がない。

 まるで怪談か何かのように、その場にいる人間が自分達だけ、という事実が背筋を伝う。

 ――久しく、忘れかけていた感覚に指先が震えた。


「何かが起こっているな」


 雲月君が、同じく目的のマンションを睨みながら、手にしていた布地を取り払う。

 外気に晒されたのは、黒塗りの鞘。

 本来であれば、この時刻、こんな場所で見せていいものではない。

 しかし、既に人々は無意識の生存本能で一帯を避けている。

 本来この場所を拠点とする人達が今、どこで何をしているかは分からないが、可能な限りの人払いが成されていることは明白だった。


「オレが先陣を切る。殿(しんがり)久遠(くおん)に任せるぞ」


 普段の飄々とした雰囲気が、口調からして一転する。

 剣士としての一面を見せる雲月君は、髪紐を解いた神宮寺さんのように切り替えがハッキリとしていた。

 彼は自身を古くさい形と自嘲するが、今まさに歩を進める彼の背中を見てその言葉の意味を理解する。

 かつて、この日本(くに)にも「侍」という生き方があった。

 今よりもずっと厳しく、血生臭く、残酷な時代に培われたその生き方は、きっと完成してしまったのだと思う。

 古いのではない。

 もはや、それ以上突き詰めようがない所まで来てしまった。

 彼の証紋がなぞる在り方は、ただそれだけのこと。

 それを、文明社会で生きる人々が忘れているに過ぎないのだ。

 時代がかっているのではなく、その生き方はまさしく、一つの時代を象徴していた。

 雲月君が、どこか別の時代の人みたいに喋る時があるのは、そういう事だと僕は考えている。


「満君は薫の護衛よ。誰が、何が襲って来ても、指一本触れさせないようになさい」

「……は、はいっ」


 隊列の前衛(まえ)後衛(うしろ)が決まれば、自然と僕の立ち位置は決まってくる。

 戦闘経験に乏しいが耐久力のある僕と、戦闘経験は豊富だが身体能力に限界のある神宮寺さん。

 普段は僕の方が守って貰っているが、こと実戦ではこの前のように僕が盾になる必要がある。

 なんだか不思議な気分だけど、それも守るべき彼女の真剣な表情を見て薄れていく。

 ――浸っている場合じゃない。

 おそらく、この状況は予断を許さないほどに異常なのだ。


「――――」


 マンションに正面から踏み込む。

 小綺麗なロビーと、視界に右端に映る小窓(フロント)

 その小さな受付口の上には、「管理人室」と書かれたプレートが貼り付けてある。

 全員が一度は視線を向け、有人か無人かを確認する――が。


「……ぇ」


 思わず声を漏らしたのは、僕だけ。

 それも、あまりの光景で満足に声量さえ出なかった。

 照明に照らされた管理人室内。

 無人ではあるが、争った形跡はない。

 「(もの)」だけが無くなったような、寂しげな空間。

 そこに。


 ――赤いペンキのような色彩(いろ)が、文字通りぶちまけられていた。


 不気味なほど、血の匂いはない。

 受付口の小窓は閉じられている。

 そのおかげかもしれないが、壁やともすれば天井にまで伸びる赤色の量からして……。

 もし、あれが僕の想像通り――人の血液ならば、そんなことはあるのだろうか。


「遺体はありません」


 僕が息を呑んでいる間に、神宮寺さんが小窓から室内を確認し、その答えを短く伝える。

 しかし、管理人室から床を引きずって移動したような跡もない。

 まるで忽然と遺体(げんいん)だけが消えたような違和感に、本能も理性も警告を発している。

 そこへ、微かな振動音が耳へ入った。


「……本舎からです」


 それは、スマホのバイブ音だった。

 制服(ブレザー)のポケットからスマホを取り出した神宮寺さんが、神妙な顔つきのまま電話に出る。

 皆に聞こえるよう、スピーカーモードにして。


「はい、神宮寺です」

『薫か、私だ。御紋会の方針についてだが、先に危急の用件がある。今、何処にいる?』

「東区の西側。鷲目先輩が部屋を借りてるってマンションにいる」

『そうか。異変の報告が上がって来たが、渦中か?』

「うん。今ロビーだけど、管理人室に大量の血痕を発見。けど、遺体はなし。周囲に人気もないし、何かが起こってるのは間違いない」

『…………』


 声から電話の向こうは神宮寺頭領のようだ。

 数秒の沈黙の後。


『鷲目と合流しろ。身元と居場所の割れている三法関係者で、現状目立った動きは報告されていない』

「ってことは、顔役以外の実働部隊か――」

『ハンス・ウィリアムズ、あるいはタナトスによる可能性がある』


 それが、何を意味しているのか。

 緊張が走る中、『こちらも応援を編成次第、行動に移す』と言って電話は切れた。


「……行くぞ。相手が誰であれ、目的が分からん以上は踏み込むしかない」


 その通りだ。

 異論や問答もなく、僕らは再び移動を開始する。

 今時のマンションらしく、ロビーを二分するのはオートロック方式の自動ドア。

 金属製の枠にガラスをはめ込んだ、シンプルな造り。

 そのガラス部分を雲月君はあっさりと前蹴りで突き破り、僕らはそこから侵入する。

 ガラスが弾ける音は大層派手だが、それに駆けつける足音は当然、一つとしてない。


「鷲目先輩の部屋は最上階――十三階の右側角部屋よ」


 エレベーターを前に、麗華さんが目的場所の確認をしてくれる。

 この状況、エレベーターを使うのはかなり勇気がいる。

 どんな危険が待ち構えているかも不明な中、極度の閉鎖空間に全員が身を置くことは一網打尽の可能性があるだろう。

 それを。


 ――チーンと鳴り響く、知らせの電子音。

   一拍ほど置いて、機械仕掛けの扉が開く。


 無人の鉄箱が、案内役だとでも言うように口を開いた。


「罠だな」


 雲月君が簡潔に言うと、麗華さんは同意の後、更に続けた。


「折角の招待なら乗りましょう。階段を使ったところで、どうせ結果は変わらない」


 その言葉には、どこか覚悟があった。

 もうこのマンションの人達は助からないかもしれない。

 先手を打たれている以上、ここは既に惨劇の後かもしれない。

 救命では無く、事態の解明と収拾。

 それこそが自分達の役割だと、全員の背中を押すような響きを感じた。

 無言のまま、四人でエレベーターへ乗り込む。

 十三階のボタンを押すと、不気味なほど静かに僅かな駆動音と揺れだけを発し、案内役(エレベーター)はあっさりと僕らを最上階へ送り届けた。

 地上を離れ、約四十メートルの高さに降り立つ。

 エレベーターを背に、廊下は左右へ伸びていた。


「――――」


 そのどちらもが、息を呑むような光景で埋め尽くされていた。

 眼球を突くような、鮮烈な赤色。

 死を匂わせる、誰かの衣類(ぬけがら)

 所在なさげに転がる、何処(だれ)かの一部(からだ)

 生命としての役割を終えた残滓が、これでもかと言うほど視界を覆う。

 吐き気が胸元まで迫り上がるのを堪え、必死に口で息を吸う。

 ロビーとは違い、ここには(けは)いがある。

 鼻腔を抜ける血の味だけで、僕はその場で膝を折るかもしれない。

 それほどまでに、目の前の光景は――瑞々(なまなま)しかった。


 ――ぎぃぃ、と。

   耳に障る、悪夢のような音に右を向く。


 僅かに開いたドアの隙間を通り、ソレはひたりひたりと水音と肌音を立てて現れた。

 一定間隔で並ぶ、住まいの入口(ドア)

 その一つから、それこそお隣さんが顔を覗かせるぐらい違和感なく。


 ――濡れそぼった黒髪。

   ぬらぬらと赤い肌。

   喉を揺らし、(いき)を吐く。

   鼻を動かし、(かおり)を吸う。

   下着姿の中、揺れる乳房だけが辛うじて人型(ヒト)を留める。

   ゆっくりと、(イカ)れた双眸がこちらを捉えた。


 人だ。

 女の人が、下着姿で、目の前に。

 嬉しそうに嗤い、まるで腹を空かせた獣のように舌を出して、口の端から血の混じった筋を垂らして。


「――――――!!!」


 つんざくような金切り声に、思わず身を引く。

 獲物(たべもの)を前にした歓びか。

 捕食(たべかた)に震える悦びか。

 かつて人であったであろうソレはひとしきり叫んだ後、血走った目つきをそのままに、床を這う。

 四つん這いの姿勢は、およそ現代人であれば知る由のない動き方で、淀みない四足歩行を見せた。

 人間に出来ない動きではない。

 人間では()る必要のない四足歩行(あるきかた)に、足が震える。

 まるで狩りをする獣そのものだ。

 彼我の距離は、まだ十五メートルはある。

 ゆっくりと距離を縮めるその背後に、別の輪郭が姿を現わした。


「――――ッ!?」


 何度目かの驚愕。

 切れ目の無い緊張と焦燥。

 ソレは、一体ではなかった。


「挟み撃ち――熱烈な歓迎ね」


 背後から聞こえた麗華さんの声に、反対側へと振り返る。

 同じように、下着姿の人間(ケダモノ)たちの姿がそこにはある。

 誰も彼もがまともに衣服を着ていないのは、きっと煩わしいからだろう。

 人から獣へ成ったソレらにとって、余計な装飾に過ぎないのだと直感が告げる。

 先ほどの絶叫は新たな食料を報せるものだったのだろうか。

 すれ違うくらいならば十分に広さのある廊下は、あっという間にソレらが犇めく狩り場と化す。


「満君、手加減は必要ない。アレはもう、私達では救えないわ」


 じき始まる戦闘の前に、麗華さんのそんな許しが聞こえた。

 良心を痛める必要はない。

 それはつまり、躊躇えば命はない、と。

 正真正銘、自分達は獰猛な肉食獣の餌場にいるのだと――そう告げていた。

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