幕間 狩る側、狩られる側
その日は、起きた瞬間から通学の意志が失せていた。
ここ数日間、神経が張り詰めている。
あの錬金生物を察知したのは三日ほど前だが、それ以前から不穏な気配を感じ取っているのが原因だ。
特に気配が強いのが、夜。
溶けるような闇は、高所から見下ろすと一段と濃く、重たい。
煌びやかな街の明かりも全てを照らすことは出来ない。
街の至る所に、泥のようにこびりつく暗闇が嫌に眼につくのだ。
しかし、それは特別、何らかの原因で闇が深くなった訳ではない。
理由は、単なる感覚。
景色に変化はなく、それを視るアタシに問題がある。
「…………」
部屋を染める夕陽に視線を投げる。
また今日も、じきに夜がやってくる。
御紋会や深淵家も勘付いているように、何らかの暗躍の影があるのは間違いない。
だが、ここまで尻尾を掴めない相手は正直、珍しい。
未だ三法なのか、あるいはそれ以外の勢力なのかさえ定かではない。
――定かではないが、相手は鷲目弓子に気づいている。
焦りとも苛立ちとも、自分でさえうまく言葉に出来ない心中が、着実にアタシを追い詰めていた。
まるで、お互いに見えないまま、立ち位置の探り合いをしているような緊張感。
狩る側と狩られる側の応酬。
少しでも隙を見せて下手を打てば、否応なく狩られる側になる冷たい感覚。
「――――」
震えるスマホに、一秒にも満たない緊張が走る。
見えた番号は、実家のもの。
すぐに安堵は明確な苛立ちに切り替わり、耳にあてがった瞬間、自身の不機嫌な声で目が覚める。
「なんだよ」
『弓子お嬢様、急なお電話、失礼いたします』
「いいから、用件を言え」
『はい。実は、本家の方々が昨日、弓子様を訪ねて来られました。すぐにお知らせすべきとは思ったのですが、お忙しいようで中々連絡がつかず』
電話越しの淡々とした男声の声に、舌打ちが漏れる。
「いらねぇ世話を焼くな、坂上。本家の連中はほっとけ。用がありゃ、自分で見つけ出すだろ」
『……ですが』
「一般人のお前が首を突っ込むんじゃねぇ。弁えろって何遍言われりゃ気が済む」
遠慮も無しに、電話口の相手へ拒絶をぶつける。
数秒の沈黙の後、相手は『出過ぎた真似を致しました』と僅かに声のトーンを落として答えた。
更に続くであろう立場の違いを明確にするだけの文言を聞きもせず、アタシは電話を切る。
あの男の話は無駄がないが、意味もない。
本家に仕える立場でありながら、証紋を持たない只の人間という時点で例外だ。
分家ですらない人間に、不死者の世界で生きる理由がない。
生真面目もあそこまでくると腹が立つ。
だから、それを当然と許す実家の連中もアタシは大嫌いだった。
「ったく……」
ガシガシと頭を掻きながら、洗面台へ行く。
集中力を回復するため昼間は寝入っていたせいか、自分の寝覚めの悪さに犠牲者が出てしまった。
水で顔を洗い、鏡に映った顔を改める。
据わった目つきに、不機嫌そうな口元、金のショートヘアー。
ちらりと覗く耳元には、シンプルな銀のピアス。
なんとも可愛げのない女が、そこには変わらず映っていた。
「…………」
今更、自分の見た目になんぞ思うこともない為、さっさとタオルで顔を拭き、切り替える。
日が落ちれば、また「相手」との鎬を削る時間がやってくる。
ライダースジャケットに細身のジーパンを纏うと、御役目に必要な準備を手早く済ませていく。
そんな中、「ピンポーン」という来客を知らせるチャイムが鳴り、手を止めた。
――そう言えば、本家の連中が探していた、と先ほどの電話を思い出す。
となると、扉の先はあの夜、錬金生物と戦っていた三人組だろうか。
よくもまぁ、学校で鉢合わせたわけでもないというのに辿り着いたものだ。
感心をしながら、耳元のピアスを人差し指で軽く弾く。
特定の行動を引き金とした術式が発動し、僅かな発光と共に手元には銀色の弓が握られていた。
錬金収納という便利な代物だが、基本は使い捨てというのが難点だ。
腰に提げた矢筒から矢を取り、弓につがえるまで四秒。
一人暮らし用のマンションという間取り上、唯一の出入り口へ繋がる廊下は同じくただ一つ。
故に、射線は迷うことなく玄関へと定まり、一秒ほどの静寂の後、金属製の扉を吹き飛ばしていた。
風を切る音は一瞬。
後は耳に痛い轟音と、徐々に薄れる余韻だけ。
「チッ、勘の良いヤツだ」
思わず悪態をつく。
風通しの良くなった玄関の先に、無音のまま現れる人影。
「意表を突くにゃ、仕込みが雑だな。足音もさせねぇでヒトん家の前まで来といて、呼び鈴押しただけで人間の真似になるかよ間抜け」
久遠も神宮寺も、その辺りの礼節は決して違えない人間性がある。
用事のある相手に対し、気配を消して近づくなど言語道断であろう。
しかし、それが友好的な目的でないならば、この限りでは無い。
――ハッ、と。
人影が乾いた笑いを漏らした。
「言うじゃねぇか。嫌いじゃないぜ、オマエ」
かつん、と靴音を一度だけ響かせ、招かれざる訪問者は一歩踏み出す。
薄暗い廊下側から夕日の差し込む室内へと移ったことで、ようやく輪郭以外の容貌が明らかになった。
長身に広い肩幅の、筋肉質な男。
かき上げた髪をそのまま後ろに流したようなブロンドと、サングラス。
おまけに服装はアロハシャツに革のズボンという、街中であれば目立つ装い。
わざわざ足音を消して現れたわりには、隠密性など欠片もない風貌に眼を細める。
「……テメェ、あの錬金生物の飼い主じゃねぇな」
「んぁ? あぁ、『アレ』か? 放っとけよ、ありゃ興味のねぇもんは避けてる。ただの使い魔みてぇなもんだろ」
「こっちは街を護る側だ。そうはいかねぇんだよ。次から次へと、いい迷惑だ」
「へっ、そりゃ気の毒なこった」
男は嗤う。
サングラスの奥を伺い知ることは出来ないが、向けられる視線に視線を返すことで、どうにか均衡を保っている。
この視線を、アタシは知っている。
こちらの姿勢は半身。
相手からは死角となる後ろ手で、気づけば矢筈に指をかけていた。
経験が、この男は危険である、と判断している。
「四月以来か。ようやくお目にかかれて嬉しいぜ、狩人」
「……四月の事件、テメェが犯人か。今更姿なんざ現わして、どういう風の吹き回しだ?」
「あれは頼まれ事ってヤツだよ。お楽しみもなく、派手に殺してお仕舞いってのは味気がねぇ。数ヶ月も経てば、街を行き交う人間も元通りだ。猟奇殺人に限った話じゃねぇ、人死になんてのはその程度の出来事ってことだ。日々生きていく為の予定を変えるほど、他人の命は重たくねぇ」
それが、社会という人が生きる舞台の狂気だ、と。
男は口の端を吊り上げながら語った。
「だが、オマエとの追いかけっこはまぁまぁ楽しめたぜ? ケーサツはてんで話にならねぇが、その眼だけは振り切るのに骨が折れた」
「それでお礼参りってコトか?」
「おいおい、報復って程のこたぁされてねーぜ。俺もオマエも、『狩る側』だろうが。役者が揃ったなら、幕を上げねぇと話にならねぇだろ?」
なるほど、そういうことか。
この男にとって、暗躍はあくまで頼まれ事であり、文字通りの斥候に過ぎない。
直接的な戦闘を目的としない以上、例え狩る側同士だとしても牽制のし合いになるのは当然のことだ。
だが、こうしてお互い、顔を合わせれば事情は変わる。
暗躍の必要がなくなったのか、あるいはそれを続ける上で目障りな監視を潰しに来たのか。
いずれにせよ、こうして獣は狩人に対し打って出たのである。
「上等だ。獲物風情が、狩人の前に立ったことを後悔させてやるよ」
その言葉に、男はぎらりと光るノコギリのような歯を見せながら、狂暴に顔を歪ませた。
「こっちの台詞だよ、狩人。頼むぜ? 一度でも下手打ちゃ、オマエは獸に殺られる。簡単に死なれちゃ興醒めだぜ」
互い、動き出したのは同時だった。




