嵐の前
放課後、夕暮れに染まる屋上で僕ら三人は再び顔を合わせていた。
約束通り、実際の作戦行動を決めなければならないからだ。
とはいえ、あらゆる意味で素人の僕が出る幕はない。
がしかし、一番最初に麗華さんの口から飛び出して来たのは、僕への指示だった。
「相手をよく観察しなさい。薫の指示に従うのは当然として、僅かな変化や仕草が突破口になることもある。話した通り、証紋は強みと弱みが一体となっているわ。例え劣勢でも、諦めるよりは遥かに建設的でしょう」
ご尤もな意見である。
そりゃあ、ただ震えてるよりも、何かしら行動を起こした方が勝機は掴みやすい。
というか、窮地に立たされるのが前提というのが、否応なく僕の緊張度を上げていく。
それだけ、あの死霊術師は手強い相手なのだろう。
「次は布陣だけど、あのデカブツは接近戦タイプと見ていいのかしら、薫」
「ですね。魔力供給した後は動きが変わりましたけど、距離を詰める、という点は共通してると思います。ただ、それは同時に肉薄した状態だとかなり危険な相手、という意味にもなりますけど」
「でしょうね。結局、術師の方も完全に証紋を把握しているワケじゃないわ。あくまで、ネクロマンサーである、という事だけを頭に入れて戦った方が警戒に隙が生まれなくていい。あと、クドウ君。他に妙な能力を使ったりはなかったかしら?」
聞かれ、遭遇時を思い出してみる。
あのゾンビ共のことは、神宮寺さんがやっつけてくれたこともあって、既に情報は共有済みだ。
となると――。
「まるで、瞬間移動みたいに現れました、アイツ。あと、あのゾンビも周囲に急に現れて・・・・・・」
僕の話を聞き、麗華さんは腕組みをしながら視線を虚空に投げる。
「瞬間移動か・・・・・・もし何の制限もないとしたら、面倒ね」
「あ、先輩、私からも。あの巨人、音もなく現れましたから、多分絡繰りは一緒だと思います。問題は、その絡繰りの中身なんですけどねぇ」
「でも、不自然ね。それなら、自由に戦線離脱が出来る。なのに、私が割って入った時点であの術師は、ほとんど戦意らしきものを見せなかったわ。逃げに徹する理由があった、ということでしょう」
「逃げる時も、巨人使って逃げてましたしね。あれかな、割とじっくり見れば種明かしが簡単なタイプだったり?」
神宮寺さんが首を傾げながら立てた仮説に、麗華さんが「可能性は高いわね」と賛同する。
すると、それが切欠だったのか、神宮寺さんが「あっ」と何かを閃いた。
「もしかしたら、影、かも」
「影?」
「はい、先輩。あの状況で、私の証紋の特性を合わせて考えると、明りの類いが嫌なのかもしれません。もし影から影に移動が出来るなら、夜の隠密はほぼ独壇場です。けど、それはあくまで警戒されていない場合に限ります。だから、瞬間移動で逃げるのはリスクがあった」
「成る程ね。知られていなければ、奇襲にも使える。それこそ、光源が少なくなってしまえば、寝込みを襲うのだって難しくはない。移動自体に攻撃力はないのだから、知られないように手の内を隠す選択を最優先するのは、当然ね。私でも、同じことをすると思うわ」
「ってなると、後手に回るのはほぼ確実ですかね?」
「先手を取るのは至難でしょうね。となると、残る手札は一つ。戦う場所だけは、私達が選べるわ」
戦場の選択、かぁ。
僕が口を挟めるテーマではないにせよ、かなり重要な部分だと一人考える。
出揃っている材料で有利な条件を考えれば、まずは光源があることだ。
真っ暗闇では、下手をすれば誰にも気づかれず、僕だけ攫うことも出来てしまうかもしれない。
しかし、だからといって照明で広く照らされた場所に、わざわざ誘い出されてくれるのだろうか?
不利になるのは目に見えているはずだ。
「どうせなら、多少は相手が有利な場所におびき寄せましょう」
――――麗華さんの発案に、僕は目を丸くする。
「え、相手が有利でいいんですか、久遠先輩」
「いいわけないでしょう」
「・・・・・・う、うーん? あの、僕、ちょっと話についていけません・・・・・・」
混乱する僕を、二人は「でしょうね」といった感じで眺めている。
「クドウくん、逆転のギリギリまでアドバンテージは相手に預けておく方が、奇襲の効果は高いんだよ?」
「・・・・・・奇襲?」
「そういうこと。真っ向勝負は勝ち筋が薄いなら、形勢逆転の勢いで仕留めるしかないでしょう。御紋会から応援も期待出来ない、私達二人でやるしかないなら、始めから順調に事を運ぶなんて無謀ですもの」
神宮寺さんは、麗華さんの言葉に人手不足が何たらと苦笑いをしているが、今のを聞いて、僕は改めて違う世界にいるんだと実感する。
ずっと、この二人は当たり前に命のやり取りを勘定に入れている。
生き死にがあまりにも近すぎるのだ。
これでは本当に、作り話の世界そのままではないか。
「ほ、他に――もっと、安全な方法はないんですか?」
だから、つい、僕はそう口走ってしまった。
自分の為に、女の子が二人も命を懸けようとしている。
その重圧が、今でも膝を震わせるから。
「クドウ君、それは出来ない相談だわ。口火を切る役割は相手にある。時間を掛ければその分、隙の生まれた瞬間を狙ってくるでしょう。こっちだって、その間ずっと神経をすり減らしていたら、必ず綻びは出来るもの」
「でも、御紋会って治安を維持する為にあるんですよね。なら、今日は難しくても、誰か助けに入ってもらえれば――」
「――なら、私が死霊術師なら今日、勝負を決めに行くまでね。事態が有利な内に動いた方が、賢い選択でしょう?」
・・・・・・その、通りだ。
そうか。そうだ。だから今日、相手を誘い出そうとしている。
体力、気力共に万全なのが今なのだ。
籠城をするワケでもないのに、わざわざ防御側が緊張を先延ばしにするのは、相手が今戦うという選択を渋る可能性を生んでしまう。
二人は、始めからそう決めて動いている。
「・・・・・・でも、二人ともちゃんと寝てないですよね」
ぽつり、と。
それでも不安やら心配やらで、完全に納得出来ない自分が、つまらないコトを漏らしてしまった。
数秒の沈黙。
それを、神宮寺さんが「あはは」と作り笑いではない表情で破る。
「んもー、笑わせないで欲しいなぁ」
「ご、ごめん・・・・・・」
「まったく。クドウ君、お願いだから戦闘中にはやめて頂戴。うっかり負けてしまいそう」
なんとも場違いな心配だった。
恥ずかしくなって耳まで熱くなるが、幾分か二人の眼が柔らかなものになる。
これから戦いに赴くには、不向きな空気を作ってしまったのは間違いないらしい。
「まぁでも、そこがクドウくんっぽいかもね。ありがとう、心配してくれて。ただ巻き込まれたのも、狙われてるのも君だから。たかだか睡眠不足ってくらいで、無理です、とは言えないかな」
「・・・・・・神宮寺さん」
「だから、クドウくんも守られる覚悟、決めてね」
言われ、僕は改めて二人の顔をしっかりと見返した。
そこには、もう「守る側」として覚悟を決めた表情がある。
迷いも、気後れもない。
踏んできた場数が違うにしても、それはある種の信用や信頼の類いだと否応なく分かってしまう。
・・・・・・なんて、強いんだろう。
僕は生まれて初めて、命を預ける事がこんなにも「重い」のだと知ったところだというのに。
「さぁ、そろそろ動きましょう。戦場は、おあつらえ向きの所に心当たりがあるわ」
「じゃあ、そこで。どっちにしたって作戦は作戦。出たとこ勝負で対応できなきゃ、実戦では勝てませんもん」
こうして、夕刻は次第に闇夜へ移っていく。
沈む夕陽はまるで、今までの平穏を象徴するように遠く、眩しい。
何気なく過ごしていた日々は、残念ながらもう引き返すことは出来ない過去の話だ。
出会って一ヶ月も経たない少女二人に、僕は自分の運命を托さなければならない。
信じていないのではない。
それしか出来ない自分に、どこか恥じ入る思いがあるのだ。
・・・・・・いつか、僕は彼女達を助けることが、出来るのだろうか。
・・・・・・何か、返せるものがあるのだろうか。
どうしてか。
そんな不安が、気づけば自分の命よりも重くのしかかっていた。