九年前:前
龍御岳での出来事から、二週間。
ケルビムの卵による現象が事件として認定され、様々な調査や事後処理が行われている間、僕らは思いのほか平穏な日々を送っていた。
入院していた神宮寺さんも一週間ちょっとで退院出来たし、その後の出来事と言えば、御紋会本舎での事情聴取と聖女来襲くらいだった。
事情聴取はほとんど事実確認のようなものであり、厳しい口調で問い質されたり、折檻されたり、ということは全くない平和なものだったし……。
ウィル君がここに住むってやって来た時は大騒ぎしたけど、あれはあれで振り返ってみれば、そう悪くない思い出だ。
まぁ、喉元過ぎればなんとやらってやつかもしれないけど。
「で――ウィル君、何やってるの?」
歯磨きから自室へ戻って来た僕の前には、僕のベッドで寛いでいるパジャマ姿の聖女様がいた。
開いた自室のドアノブから手を離すことさえ忘れて、僕は一歩踏み出した格好のままそう問いかけるのが精一杯だった。
対して、ウィル君は枕を抱きかかえながら、「つまらないの」とでも言いたげに口を尖らせている。
「今日は随分と早起きだね、ミツル」
「う、うん。……ほら、今日は御紋会で説明会、でしょ?」
「あぁ、そうだったっけ。ちぇ、だから普段とリズムが違うのかぁ。ついていないな、やっとこさレイカの隙を見つけたのに」
確認しておこう。
ウィル君は、この久遠のお屋敷に間借りする条件として、風紀を乱さないという契約を結んでいる。
つまり、お互いのプライバシーは大切にしていこうね、ということだ。
そして、目の前のウサギ柄のパジャマを着た彼は、そんなことなど何処吹く風とばかりにやらかしたのである。
「……ウィル君、麗華さんに怒られるよ?」
「え、どうしてさ」
「いや、だって……風紀を乱しちゃダメって言われてたでしょ」
「ふぅん……じゃあ、ミツルやレイカは『この状況』が風紀を乱しているって考えているんだ?」
「…………え?」
悪戯っぽく、聖女がらしからぬ妖艶な笑みを浮かべた。
「ボクはただ、『友達に朝の挨拶をしに来ただけ』なんだけどなぁ。そっかそっか……つまり、ミツルはボクを『そういう目』で見ているってコトだね?」
「――……っ!?」
「まぁ、仕方ないか。ボクは歴とした男だけど、逆に言えば性差を決定する部分以外は、女性のものだしね。……ふふ、ミツルってば、男の子でもいけちゃう口なんだ」
「い、いや、ちょっと待って!?」
僕は慌てて制止する。
まずい。彼は非常にまずい勘違いをしている。
「あれ、違うの?」
「ち、ちち、違うよ! 僕はちゃんと、その、お、おお、女の子のことが好きだし!」
「……へぇ、じゃあミツルにはボクがどう映ってるの?」
「ど、どうって……」
言われ、熱にうかされる頭でぐるぐると考えを廻していく。
目の前にいるウィル君は、男の子だ。
僕――久遠満と同じ男――なのだが、こうして見ると完全に美少女そのものにしか見えない。
容姿はもとより、骨格からもう女性のそれだ。
女装――なんて次元じゃない。
現状、僕の脳はウィル君を男性とは認識出来ないでいた。
そして、狼狽する僕を愉しげに眺めながら、ウィル君は「くすくす」と満足そうに頷いていた。
「いやぁ、ミツルってホント、からかい甲斐があるよねぇ」
「…………ウィル君、僕も怒ることだってあるんだからね」
半眼で呻くように告げると、やはり効果はなさそうな笑顔を返ってくる。
「じゃあ、一つ、いいことを教えてあげる」
「……ど、どうしたの、急に?」
「ミツルがボクを見て、きっと『男の子に見えない』って思ったのは、正常だよ。事実、ボクの身体の大部分は女性のものだから」
ウィル君の口から告げられる事実に、僕はうまく返答が出来ない。
「包み隠さず言えば、胸や性器以外は女性の性質ってこと。本来、聖女は文字通り女として産まれてくるのが正しいんだけど、ボクの場合はちょっとした欠陥品でね」
「…………え」
「聖女のくせに男として産まれてしまった。けど、この身に継承された証紋は本物だったから、ボクは聖女として生きるしか道がなかったんだ」
「…………」
「だから、ミツルの感覚はおかしくなんてないよ。――――って、あれ?」
僕を見つめる瞳が、珍しく虚を衝かれたように揺れるのが分かった。
「……ミツル、怒ってる?」
「…………ううん、怒ってないよ。ただ、ちょっと嫌だなって思っただけ」
言いながら、僕はようやく硬直していた身体を動かし、洗面用具をしまっていく。
その背中に、「あいや、さじ加減間違えたかな」と呟くような声が聞こえた。
僕は振り返り、ウィル君を真っ直ぐに見据える。
その視線に、彼は少しだけ姿勢を正し、僕の言葉を待っていた。
「あのね、欠陥品じゃないよ、ウィル君は」
「…………」
「僕たち友達でしょ。……大切な友達のこと、例え自分自身ででも、欠陥品なんて言われたら嫌だよ」
「…………うん。ごめん、なさい」
まるで、叱られた子供のように、ウィル君は一気にしゅんとしてしまった。
なんだろう……自分で言っておきながら、彼の反応は少し意外なものだった。
舌戦においては百戦錬磨のイメージを勝手に持っていたけど、目の前の彼から返ってくる論はない。
それどころか、まるで捨てられた子犬みたいに不安げな様子を隠そうともしていなかった。
「分かってくれたなら、それでいいんだ。とりあえず、着替えて来たら? 先にリビングに行ってるから、お茶でも飲もうよ」
「――! うんっ!」
一転、ぱぁっと表情を明るくして、ウィル君は元気に頷く。
なんだか、彼の知られざる一面を見た気がして、結局こっちが内心ドキドキしてしまった。
彼は軽快な足取りで僕の部屋を後にする。
その間際。
「へへ、友達って優しいね」
なんて、屈託のない笑顔と言葉を残して行ったのだった。
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「一応確認しておくわ。ウィル、貴方は九年前の出来事に関しては知らないのね?」
四人で囲む朝食の後、外出の準備を整えながら麗華さんがそう切り出した。
「皆にとって有益な情報はないかな。あるとすれば、九年前のシスター・マリアの足跡くらい。もちろん、ボクが調べられる範囲で怪しい点はなかったよ。おそらくだけど、秘跡調査会は関わっていないんじゃないかな?」
「不承不承ながらも貴方を招き入れた身としては、そちらの方が有り難いわ。真実を知りたいのであって、戦争がしたいわけではないもの」
「それは同感。ま、ボクはここでお留守番だから、土産話は後で聞かせてよ」
「楽しいお茶会――という訳ではないのよ、まったく」
肩を竦めながら、麗華さんは深くため息を吐いた。
まぁ、あれはあれで、ウィル君なりの見送りなのだと僕は考えることにする。
今日、御紋会では予定通り、「関係者」だけに向けた説明会が開かれる予定なのだ。
それは、僕――久遠満に関わることであり、一部大家にも関わる重要なお話。
これには、久遠・神宮寺・雲月の三家のみ出席が許されている。
長く、僕自身でさえよく知らない、あるいは憶えていない過去の真相が分かるとなっては、今更ながら緊張してくる。
結局、今朝もそれでいつもより早く目が覚めちゃったし。
「あ、もしもし? 今どこ? ――なんでそんなこと聞くのかって? そりゃあ、元祖すっぽかしの雲月くんだからでしょーが。私達もそろそろ出るから、遅刻――って切りやがったアイツ!」
スマホに向かって青筋を立てている神宮寺さんの様子を見るに、雲月君とは本舎で待ち合わせという流れだろう。
何度か深呼吸をして、僕は麗華さんへと向き直る。
「大丈夫です」
麗華さんは無言で頷き、僕らはお屋敷を後にした。
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本舎までは、井村さんの運転する車であっという間に着いてしまった。
思えば、初めて美小野坂に来た日も、こんな風にやって来たことを思い出す。
あの時も、突然の事で頭がいっぱいだった。
不死者のことや証紋のことも、あの日に初めて知ったんだよなぁ。
まだ半年も経っていないというのに、もう随分と昔のことのように思える。
それくらい、美小野坂に来てからの毎日は、僕にとって充実した日々だったのだろう。
受付の人に会釈をしながら本舎内へと入り、麗華さんと神宮寺さんの背中を追うようについて行った先は、奥間の一室。
そこは、やはり僕が以前、麗華さんと一緒に来た、あの部屋だった。
「遅かったな」
違う点は、あの時とは違い既に見知った先客がいたこと。
用意された座布団には座らず、壁に背を預けた状態で雲月君は立っている。
前で組んだ両腕には、黒鞘の日本刀が抱えられていた。
「ちょっと、雲月くん。物騒な真似はよしてよね」
「心配するな、神宮寺。こちらから仕掛けるつもりはない」
本当に分かってんのかこいつ、と目で訴えながら、神宮寺さんは麗華さんを先に通すと、僕へ目配せをしてくれた。
麗華さんと神宮寺さんに挟まれる形で、僕は用意されていた座布団に腰を下ろす。
緊張を紛らわすように周囲を見渡すが、部屋自体は別段変わった様子のない和室だ。
前来た時は緊張の他に訳が分からない点も多く、ほとんど記憶に残っていなかったが、こうして見てみると手の行き届いた点がいくつか目についた。
机がない変わり、おそらくは神宮寺頭領が座るであろう場所には、使い込まれた茶器が整理された形で置いてある。
座布団もふかふかで質の良いものだし、部屋も畳の良い香りが少しだけ緊張をほぐしてくれるような気がした。
「なんか、懐かしいなぁ」
少しの静寂を、神宮寺さんのそんな言葉が破る。
「僕も、同じ事考えてた。麗華さんに連れてきてもらった時も、この部屋だったよね」
「一応、ここは重要な客人を迎える奥間だからね。いやぁ、あの時は久遠家の人間を連れてくるって聞いてたから、何事かと思ったよね。分家の話なんて、一度も聞いたことなかったから、誰を連れてくるんだって思って」
「え、そんな急な話だったの、あれって?」
僕が爺ちゃんや婆ちゃんから話を聞かされたのは、美小野坂に来る半年ほど前だ。
まぁ、実際は一週間前くらいまではあまり実感もなかったのだが、てっきり前々から決まっているものだとばかり思っていたけど。
僕と神宮寺さんは、返答を求めるように麗華さんへ視線を向ける。
「御紋会への報告はギリギリにしたわ。色々いちゃもんつけられても面倒でしょう?」
「……いや、まぁ分かりますけど。何の事情も知らない人の為にも、外堀埋めた方が良くなかったですか?」
「外堀も何も、死霊術師とシェオルの一件がなければ、今だって満君は一般人と同じ生活を送っていたはずよ。あの段階で、彼が不死者であることすら、私達は知らなかったでしょう。あくまで久遠の分家として、美小野坂の地で生きていくはずだったのだから」
多分、麗華さんとしては自分達の問題に僕を巻き込みたくなかった、そういう考えがあったのかなと思う。
今でこそ僕らの距離は近いけど、当初は夜警にだって参加させてもらえなかったはずだ。
僕を不死者として鍛える必要があったから、今がある。
「だから……本当は、貴方とここまで距離を縮めるつもりはなかった。何も知らず、何も知るべきではないと、私自身もどこかで考えていたから」
「……麗華さん」
「覚悟はしていたの。きっと、満君は私を覚えてはいない。それでも良かった。再び生きている貴方を目に出来ただけでも、私にとっては奇跡だったから」
僕の方を見ず、じっと畳に視線を投げたまま語る麗華さんの言葉を噛み締める。
初めて美小野坂に来たあの日、麗華さんはどんな心境で僕を迎え入れてくれたのだろうか。
あくまで感情を律する家主として振る舞う裏には、色々な想いがあったに違いない。
そうしていると、スッと開いた障子の気配に背筋が伸びる。
「待たせたな」
そう言い、部屋に入って来たのは和装の男性――神宮寺頭領だった。
彼は僕らの前に腰を下ろすと無言のまま、まずは茶器に手を伸ばし、一人一人にお茶を淹れていく。
後ろで立ったまま控えている雲月君には、僕から手渡しておいた。
一通り湯呑みが揃ったところで、神宮寺頭領は「楽にしろ」と言いながら、茶をひと啜りして、再び口を開く。
「九年前――久遠満を巡り、九州の山奥である不死者達の戦いがあった」




