Epilogue 想い同じく
龍御岳での出来事から三日ほど経過して、私――久遠麗華は美小野坂市民病院に井村の運転で向かっていた。
時刻は午前十時近く。
早朝から御紋会本舎で事務書類を片付けてきた身としては、良い休憩のタイミングだ。
今回は舞台が人里離れた山奥ということもあり、事後処理の規模は小さく助かっている。
ケルビムの卵がもし、街の中心部――それこそ繁華街で起動していたら、どうなっていただろうか。
今では推測しか出来ないが、想像するだけで十分に気が滅入ること請け合いである。
「お嬢様、到着いたしました」
「ありがとう。用事が済んだら呼ぶわ。それまでは自由にしていなさい」
「かしこまりました」
車から降りると、受付で「神宮寺薫」の見舞いに来たことを伝える。
言われた通り少し待つと、見慣れた顔が駆け寄ってくるのに気づく。
「久遠様、お待たせいたしましたっ」
「おはようございます、早苗さん」
藤田早苗。
幼い頃から薫の世話役を務めてきた女性だ。
父と娘の親子喧嘩のとばっちりで離れていたが、こんな形で早々に世話役へ戻れるとは思ってもみなかっただろう。
小柄だが、芯の通った強い女性である。
年齢を考えると三十半ばは超えているはずだが、とてもそうは見えない容姿に毎回驚かされる。
口にはしないが、まさしく年齢不詳だ。
「早い時間帯に申し訳ありません」
「いえ、そんなことありませんよ。薫お嬢様、朝から楽しみにされてますから」
「目に浮かぶわね……あの子からしたら、入院生活なんて退屈そのものでしょうし」
お互い苦笑いをしながら、彼女の案内で病院内を進むこと数分。
個室――それもかなり待遇の良い上層のフロア――の前で、早苗さんは立ち止った。
「ここがお部屋になります。私は外で控えてますので、どうぞごゆっくり」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げ、数回ノックをすると「どうぞ」と返ってきた返答を確認し、スライド式のドアを開いて入室する。
「おはよーございます、せんぱーい」
そこには、胴体をがっちりとコルセットで覆われた神宮寺薫の姿があった。
「おはよう。思ったよりも元気そうね」
「まぁ、初期治療で霊薬使いましたからねー」
川倉さんの命令で病院に向かった後、薫はすぐに集中治療室行きになったので、その後を詳しく知らない。
病院側の対応がスムーズだった記憶から、御紋会からの根回しは完了済みと思っていたが、まさか霊薬まで使っていたとは驚きである。
そんな私の反応を察してか、薫は「もう峠は越えたんで」と自慢げに鼻を鳴らして見せた。
「神宮寺家は用意が良いのね」
「私はどれだけ鍛えても所詮、並の人間の耐久力しかありませんから。こういう時の為に、治療薬は用意しておいたんです」
「けど、まだ三日しか経っていないわよ?」
「はい。三日間、地獄見たんで」
聞けば、霊薬の副反応で随分と苦しんだようだ。
「霊薬を摂取してから約十六時間は味覚が死ぬんで、ホント地獄でした。あくまで自然治癒をブーストする効果なんで、栄養素はちゃんと摂らないとだし……」
「なんでまたそんな代物を選ぶワケ」
「流石に直接治癒するタイプの霊薬だと、精製がまず高難度ですし、副反応も重たくなるんで。試行錯誤の結果です。変形治癒したり、実質年齢削ったりするよりは、クソ不味いものを我慢して食べる方が平和じゃないですか」
味覚が死ぬ、とはそういうことらしい。
味がしないのではなく、口にするもの全てが不味く感じる、ということ。
霊薬の効果を考えれば拷問じみた副反応だが、良薬口に苦し、という不文律から逃げなかったのは褒めるべき点だ。
なので、そんな彼女には何かしらの褒美が与えられて然るべきだろう。
「そう。じゃあ、これ食べる?」
「わーい、待ちに待った――って、公塚本店!?」
「――の、かりんとう饅頭」
「か、神がいる……」
大袈裟な。
まぁ、全国的にも有名な和菓子店なので、味覚的に死線を潜り抜けてきた彼女にとっては、まさしくご褒美と呼ぶに相応しい逸品ではあるが。
早く食べたくてそわそわしている彼女をなだめ、二人分のお茶を用意してから、ベッドの隣に来客用の椅子を持って来る。
「はい。落ち着いて食べなさい」
「ありがとうございまーすっ」
包装紙を取り除き手渡すと、リクライニングで上半身を起こしたまま、薫はぱくっと件の饅頭を頬張った。
瞬間、幸せそうな表情を浮かべ、私はそんな彼女を見てようやく、胸を撫で下ろすように安堵する。
正直、彼女の傷は決して浅いものではないと察していた。
私に出来ることは限られており、しかし今回は自分にも責がある自覚から、気が気でなかったのだ。
それも、こうして目の前である程度回復した姿を見れたことで、自然と頬が緩む。
しばらくそうしてお茶と菓子を嗜んでいると、薫から神妙な表情で「先輩、聞きたいことがあります」と切り出される。
「何かしら?」
聞き返しつつも、私は内心、幾つか候補があった。
事ここに至っては、と覚悟の上で来ているが、そんなことは露知らず、神宮寺薫は指でちょいちょい、と私を呼ぶ。
なんだ、と思いつつも言われた通りに身を寄せると。
「……んー、天然物にしか思えない」
と、片手でひとの胸をワシッと掴んで感触を確かめるダメな後輩という一面を覗かせるのであった。
ひとまずの触診を終えた彼女が手を離したところで、私は怪訝な表情を浮かべて抗議する。
「急に何事?」
「久遠先輩って男の人なのかなぁって」
「はぁ……素直に最初からそう聞きなさい。胸を触る必要はなかったでしょう」
「いえ。純粋に『それだけ大きいとどんな感じなんだろ』とは思っていたので」
あまりにも純粋過ぎる疑問をストレートに表現されると、少し反応に困る。
まぁ、とは言え――薫の質問は、私が候補として挙げた中の一つだった。
神獣に変異する前、変異した後も記憶はある。
以前の久遠麗華に戻っていた以上、一人称からそういった疑問を持たれても当然だろう。
「……薫、少し昔話に付き合ってくれるかしら」
「はい、もちろんです」
お互い、お茶を啜りながら話を始める。
「貴女の予想通り、私は男として生まれたわ。厳密には、九歳までは生物学上も男だった」
「えっ、でもシャワー浴びた時、先輩間違いなく女性でしたよ」
「えぇ。だから、九歳まではって言ったでしょう。私の証文を覚えている?」
「『変異』――ですよね?」
そう、私――久遠麗華の証文は「変異」。
「今でこそ内部的に『作り変える異能』だけど、以前はその枠だけに収まるものではなかったの」
「……じゃあ、証文の力で……その、性転換、的な?」
「まぁ、そうね。イメージしているよりも根本的な性転換だけれど」
根本的?――と薫は首をかしげる。
それに対し、私は包み隠さずに自身の証文について語る。
「私は男としての形を捨てたのよ。知っての通り、証文は万能ではないわ。……昔から私は自分自身が嫌いでね。自分の原型を歪めることに抵抗はなかった」
それは、私が満君と出会う前からのことだ。
男として生まれ、麗華という女のような名前を与えられた私は、その容姿までどちらにも属する類だったのだ。
結果、自分というものが分からず、放任主義だった両親の影響もあって、私は空っぽのまま七歳を迎えた。
「その後よ、満君と出会って私は初めて……なんて言うのかしらね、楽しかったのよ、生きているのが」
それまでは、久遠麗華に向けられるものは全て「奇異」に満ちていたから。
性別が男である以上、男として振舞ってはいたが、自分への違和感が拭えなかった。
しかし、じゃあ女として振舞えば――というのも同じだったのだ。
今にして思えば、久遠麗華はどんな自分でも隔たりなく接してくれる人物を必要としていたのだろう。
例え男だろうが女だろうが、そんなことは疑問にすらならないような。
「昔の彼は今と同じよ。本当に、何も変わらない。ありのままを受け止めて、ありのままを返してくれる。それが、空っぽだった私に『自分』というものを教えてくれた」
そんな時だった。
私が満君を失ったのは。
「ある日、珍しく両親が満身創痍で帰ってきてね。嫌な予感がして問い詰めても、何も詳しい事を教えてはくれなかったわ。……その出来事の二か月くらい前に満君と出会っていて、それが関係していると予想はついた」
「……久遠君が関係あるんですか?」
「えぇ。だって、満君と出会ったのは美小野坂から遠く離れた九州よ? 親の用事で仕方なくついていった先で、私は彼と出会ったの」
あの人達の用事が何だったのかは、今でも分からない。
けど、子供ながらに親の様子が普段と違ったことくらいは覚えている。
だからだろう、自然と満君が関連しているような気がしたのは。
「結局、そこから更に一か月後くらいに、私はこの病院で彼と再会したわ」
「えっ!?」
驚く薫を前に、私は首を横に振る。
「その時にはもう、彼は精神的に生きてはいなかった。少なくとも、自発的に話すことや身体を動かすことは出来ないくらいまで摩耗してしまっていた」
「そんな……」
「でも、今は生きているでしょう? 正直、その絡繰りは分からないのよ。ただ、あの人達には『手段がある』とだけ聞いていたから。親として不満はあっても、あの人達の不死者としての実力が本物だということは確信していた。だから、私はそれを信じて、今度こそ満君を守れるようになろうと誓ったの」
だから、私は元々嫌いだった男を捨てて、女になった。
言葉を探している薫に対し、私は自嘲気味に笑う。
「自由に変われるワケではないの。あくまで男ではなくなったのが、九歳からというだけで、今の肉体に安定したのは二年前くらいからよ。おまけにもう、元に戻ることは出来ないしね」
「……そうなんですね」
「えぇ。……まぁ、生まれつき整った容姿だったおかげで、顔つきだけはいじらなくて済んだけど。それでも、理想とする肉体になるのは苦労したわ」
「もしかして、ファッションとか色々詳しいのって……」
「女になろうというのだから、当然でしょう? 美容関係はもちろん、生物学上の必要な知識は全て叩き込んだわ」
「じゃ、じゃあ……その、妊娠したり、とかも?」
「試したことはないけど、可能なはずよ。根本的に、と言ったでしょう?」
だから、もう二度と久遠麗華は男に戻ることは出来ない。
その精神性も含めて、後戻りが出来ないからこそ実った努力とも言えよう。
「……じゃあ、あの時のって……ケルビムの卵の影響があったからなんですね、やっぱり」
薫の言葉に、私は頷く。
自分自身、異変は感じていた。
けど、それを抑え込むだけの理性が私にはなかったのだ。
その結果があれでは、なんとも情けない話である。
それを。
「あの、久遠先輩は……クドウくんのこと、好き……なんですよね?」
なんて、思わず笑ってしまうくらい人間臭い質問で返すのだった。
「あ、笑いました、今!?」
「だって、神獣化したことよりも、そこなの?」
「神獣化なんて、私はどうでもいいです。こうやって元に戻れた事の方が重要ですから」
「まったく、貴女ねぇ……」
けど、そこで私は薫が本当に聞きたいことが分かる。
私の過去を気にしていたのも、全てはその一点に尽きるのだろう。
「……私は、満君が好きよ」
私が、彼をどう想っているか。
そして、薫が……彼をどう想っているのか。
「ケルビムの卵の影響を受けた時点で、薄々分かってはいたんじゃない?」
「……それよりも前に、聖女からネタバレ食らってましたけどね」
「あらそう。なら、尚更隠すまでもないわね」
私の答えを聞き、薫は視線を逸らして黙り込んでしまった。
それが苦悩なのか葛藤なのか、あるいはその両方なのか断定は出来ない。
しかし、私には一つだけ、かけるべき言葉があった。
「薫、貴女はどう想っているの、満君のこと」
「……分かりません」
「分からない?」
「はい。だって、私はケルビムの影響を受けませんでした」
「貴女は対魔の証文を宿しているのだから、当然でしょう」
「だからです。……自分で自分の感情に自信が持てないんです」
そう悔しげに語る彼女は、ぎゅっと白いシーツを握りしめながら続ける。
「私、クドウくんに嫌われたくないって思ってます。一緒にいて楽しいし、安心したりして、意識してるなっていうのは分かるんです」
でも、と薫は口ごもる。
その様子を傍で眺めて数秒、私は「なるほどね」と納得した。
「自信がないってつまり――『私に勝てるか分からない』ってことかしら?」
「…………」
好き、という感情が分からないのではない。
薫は、それが久遠麗華という人物が久遠満へ抱く感情と比べ、不釣り合いなほど弱いのではないか、と言っているのだ。
私からすれば何とも馬鹿らしい迷いだが、それが神宮寺薫という少女の人間らしい一面なのだろう。
「いいこと、薫」
「……はい」
不安げに私を見据える瞳を、それとは正反対な力強い眼差しで見返す。
「それは、私にも満君にも失礼よ。自分から身を引く、なんて真似はよしなさい。まして、私や彼の過去に同情してなら尚更よ」
「でも、先輩はクドウくんを凄く想ってるじゃないですか」
「なら、貴女は満君が好きじゃないの?」
「――好きですよ!」
言い終わった後、胸元を抑えて咳き込む薫。
私はそんな彼女の背中を摩りながら、ゆっくりと丸まった状態を元に戻す手助けをする。
「不安になるんです」
ふと、呟くように薫は言った。
「私、欲張りだから……クドウくんも、久遠先輩も、失いたくないなって思っちゃうんです」
だから、自分の気持ちに真剣になれない。
どこかで諦めの方が強くなる。
なのに、やはりその想いを捨てきれない、と。
「馬鹿ね。……仮に貴女が満君と結ばれたからって、私が敵になるとでも思ったの?」
「そ、そうまでは言いません。……でも、今のような関係には戻れないですよ、きっと」
そんな揺れ動く彼女の心情を聞き、私は一言――「侮られたものね」と言い切った。
「――え?」
「私は久遠麗華よ? そんなことで揺らぐように見えるなら、私もまだまだね」
「……先輩」
第一、薫は私の「好き」という感情を少し見誤っている。
「私は満君が好きよ。だから、彼に幸せになってもらいたいと思っている。もちろん、異性として愛情を抱いてはいるけど、彼の一番になりたいワケじゃないわ」
「……えぇ、そんなこと……あり得ます?」
「そこを疑われてもね。ま、そこが生まれついての女と、自力で女に変化した女の違いなのかもしれないわね」
そう考えると、やはり薫はもっと自分に正直になるべきなのだ。
「薫は満君に選ばれたとしたら、どう思う?」
「えっ……どうって……そりゃあ、舞い上がるくらい嬉しいと思いますけど」
「逆に選ばれなかったら?」
「多分、泣きます。めちゃくちゃ落ち込みます。ご飯も喉を通らないくらい、凹みまくる自信あります」
「十分、自分の気持ちが見えているじゃない。なら、素直になりなさい。第一、今の貴女の迷いは満君の気持ちを一切考慮していないのが一番の問題よ」
「うっ……」
そう、そこだ。
自分で勝手に悲観したり同情したりして、自分の想い人の心情に寄り添えていないのが問題なのだ。
まぁ、それくらい余裕がないのだろうけど。
「……久遠先輩」
「ん?」
「退院しても、先輩のお屋敷に戻っていいですか」
「好きにしなさい。もう部屋はあてがった後だし、それは貴女の自由よ」
だから、神宮寺薫の恋愛はこれから始まるところなのだ。
まだスタートにさえ立てていないのだから、勝つも負けるもない。
「私、恋愛とかよく知りません。憧れみたいなのは経験ありますけど、こうやって自分と向き合うようなのって、初めてで」
「誰だってそうでしょう。私だって恋愛経験値は低いもの。優しくは出来ても、甘やかすことは苦手だから」
「あはは、先輩らしいなぁ」
「貴女だって、学校での八方美人が嘘みたいに不器用じゃない」
でも、その不器用ぶりが魅力なのだとも思う。
当主としてどれだけ厳しく育てられても、神宮寺薫は自分自身をしっかりと見失わなかったという証拠だ。
ただ、本人は無意識でやっているから、自分では実感がないのだろうけど。
「あぁ、なんか覚悟決まったらお腹減ってきました」
言いながら、私にかりんとう饅頭の追加を要求してくる。
何も言わずに手渡すが、食べる速度が先ほどの比ではない。
「昼が入る隙間は残しておきなさい?」
「大丈夫です。成長期なんで」
「余剰分、全部胸部の脂肪として蓄積される訳ではないのよ」
もぐもぐしながら返事をするあたり、もうこちらの声は聞こえていないのかもしれない。
が、それでも前向きになったのだとしたら、それはいいことだ。
今はこうしている事が幸福なのだと納得し、私ももう一つ、かりんとう饅頭を口に運ぶ。
時間がゆっくりと流れていく中、同じ想いと秘密を共有したことに私は満足していた。




