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アンデッド  作者: 無理太郎
Episode.3 三つ巴
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取り戻す戦い4

 証紋が人体じぶんの一部だと、今の今まで僕は幾度となく聞いてきた。

 僕自身の覚悟が影響しているのか、知覚するもの、瞬時に脳が理解するものが格段に増えていく。

 例えば。

 目の前の神獣であれば。


「魔力が……集まってる?」


 先ほどまでは吸い込んでいた。

 けど、今はその様相に変化が現れ、魔力そのものが自然と神獣に集まっている。

 次いで、ぞわり、と背筋から脳の裏側にかけて震えるような感覚が奔った。

 時間の経過、神獣としての活動量に比例してその存在の確度が上がるなら、未だ相手は覚醒の途中にあるとしたら……。


「地球が、味方してるんだ……」


 人工の証紋だとしても、勇者は「神性」というものに因縁があるのか、目の前の大鹿に対して警告にも似た理解が雪崩れ込んでくる。

 古い古い、遠い昔の地球において――彼の獣は大地の化身であった。

 故に、第一紀という区切りによってほとんどの生命が死滅しようと、惑星ちきゅうそのものに由縁するそのかみは、完全に滅びることはなかった。

 詰る所、その神獣は第二紀の地球においても、異物ではないのである。

 精霊に属する神性。

 地球に結びつきを持つ以上、その神性に呼応するのは地球そのもの。

 そこに、なんの不思議もあるまい。

 結論、人が勝てる道理など、僅かすらあり得ないのである。


「雲月君、僕一人で抑えるって言ったら、怒る?」


 神獣から目を離さず、縋るような声で問う。


「……その分なら、心配はなさそうだな」


 それを、彼は。


「頼んだ。神宮寺達の援護に入る。それまで持ちこたえてくれ」


 頼んだ、と。

 安心したように、全幅の信頼であるかのように、そのいのちを預けた。


 神獣の淡い黄金が脈打つように強くなり、次第にそれは視界を焼くような閃光を帯びていく。

 その姿は幻想的であり、美しく、そして怖ろしい。

 自然の化身であるように、向き合い方を間違えれば、絶対的な滅びとなる森の主。

 この世の「害」を祓う、奇跡の具現カタチだ。


 故に、ここで対峙する人間ぼくらは、既に望みを絶たれた愚か者に過ぎない。

 定められた運命ぜんめつ

 仮に万難を排して挑めど、尚も必敗。

 初めから勝利などない、滅びの摂理。


「……麗華さん、ごめんなさい」


 諦めるしかない。

 屈するしかない。

 所詮、人間などその程度の存在でしかない。


「気づくのが遅くなって」


 その全部を睨み据え、僕は「嫌だ」と拒絶の意思を固めた。


「今度は、僕が助けます」


 状況は僕と似ている。

 素体となった久遠麗華の意志は、今の今まで神獣の覚醒を抑制していた。

 けど、同時に因子の次元で結びつきがあるせいで、僕の声に反応してしまったんだ。

 その結果、神獣が己の神性に目覚め、こうして完全な姿を取り戻すに至った。

 ウィルセントさんの言った通りだ。

 もう、この大鹿――神獣は、完全に久遠麗華という存在を抑え込み、神として蘇っている。

 助け出すには、ただ時間を稼ぐだけでは足りなくなってしまった。


「僕は神様おまえの敵だ」


 だから、取り戻す。

 だから、取り返す。

 それが身勝手で、神様自身に罪がなかったとしても。


「だから、神様おまえは僕の敵だ。……麗華さんを返してもらう」


 魔力が迸る。

 全身では収まりきらない魔力が尚も収束しようとし、帯電しているようにバチバチと唸りをあげる。

 かつて、勇者と呼ばれる人達がそうであったように。

 人類の望みの為、叶わぬ未来に指を掛けるのが本領であるのだから。


「――いくよ」


 初めて、僕から明確な戦意を向けて駆け出す。

 ケルビムの卵の破壊を待つだけでは、麗華さんの魂が持たない。

 呼び声に反応したように、久遠麗華という存在が神獣の存在に圧潰あっかいされないよう、僕の方から手を伸ばさないと。


「――――!!」


 神獣が甲高い雄叫びをあげる。

 何よりも人間の願望を優先する勇者という存在は、彼の獣にとって明確な「敵」であるのだろう。

 今までとはまるで違う動き――大地どころか空を駆け、神獣は己にとってもっとも驚異となる存在ぼくを中心に、瞬間移動を繰り返す。


「ッ!?」


 死角から気配を感じ、振り返って両手を突き出すと同時に身体が衝撃で浮く。

 短い浮遊の合間で体勢を整え、足を滑らせながら着地をし、天空で再びかぶりを振り上げる姿を視認する。

 振り下ろした瞬間、双角から幾つもの閃光が飛翔し、雨あられと僕を貫いていく。

 それを、先ほどと同じように何の工夫もない、単純な魔力の拮抗だけで凌ぎ、間髪を入れずに地を駆ける。

 真下まで来ると、そのまま思い切り地面を踏み叩き、反動を利用して神獣へ肉薄する。

 当然、これで捉えられる相手ではない。

 地球そのものの援護を受ける神獣は、今となっては誰であろうと捉えることの叶わない機動性を持つ。

 短距離間におけるノーディレイの瞬間移動など、もはや反則という言葉でさえ不足であろう。


 だからこそ。

 ――「絶対に不可能」だからこそ、この神獣は僕から逃れられない。


「捕まえた――!」


 両手が、黄金の双角を捉える。

 勇者が持つという対運命を駆使して尚、胴体ではなくギリギリで角に触れることが出来た。

 やはり、相手も怪物。

 運命をねじ曲げて尚、タッチの差。

 故に、この機会を逃せば後がないことを、僕は直感で悟る。


「麗華さん! 神様なんかに負けないで! 目を覚ましてください、麗華さん!!」


 僕を振り落とそうと空を駆け出す神獣。

 決して手放すか、とばかりに食らいつく掌を、輝く光熱が灼いていく。


「――ッ! ぐ、ぅぁっ――!」


 けど、離さない。

 離すもんか。

 例えこの両手が炭になったって、絶対に離さない。


「麗華さん! ――麗華さんっ!」


 声を張る。

 どうか届けと、祈るように。


------------------------------------------------------------------------------


 神宮寺薫を支えながら、聖女ボクそらでもつれ合う神獣と勇者を見上げていた。

 なんて戦いだ。

 どちらも不死者という枠組みをとうに超えており、ボクでさえ思わず視線を奪われる。

 人が歴史として認識出来る限界すら超えた、遙か昔。

 人が人ならぬ怪物と戦う姿とは、こうであったのだろう。

 千載一遇の機会さえ許されないことすら承知の上。

 それでも尚、譲れないとして命を懸け、全霊を傾ける。


 ――それが、未だ人を保つ者の最大の武器であるかのように。

 ミツルは今、その断片を握り絞め、神という絶対的な上位存在に立ち向かっている。

 間違いなく対運命は機能しているはずだ。

 でなければ、そもそも神獣からの攻撃に耐えることさえ出来ないで、勝敗は決していた。

 胸中に広がる焦燥の理由は、それでも劣勢の一途であること。

 奇跡に奇跡を重ねたような今でさえ、崖の淵に指先だけでぶら下がっているのと何ら変わりはない。


「神宮寺!」


 駆け寄る剣士の声に、はっと我に戻って隣を見る。


「ミス・ジングウジ――!」


 都合六回の安定法則に対する証紋行使。

 喀血し、膝から崩れ落ちる彼女には、明確な限界が来ていた。


「これ以上は無理だ! キミの身体が保たない!」

「……っ、まだ……だい、じょうぶ」


 大丈夫なワケがない。

 そもそもの作戦に無理がある。

 大きな問題は二つあった。

 ケルビムの卵の外から放たれる、弓手の射撃は物理・非物理の両属性をクリアしている。

 対して、内側のボクらは厳密には非物理の属性しか持たない。

 魔法使い(ウィザード)はこの問題を解決出来るものの、魔力変換効率は最悪の部類に入る。

 だから前提として、ケルビムの卵内に充満する魔力を使う。

 しかし、その前提が途中から崩れた。

 二つ目の問題は、循環という安定法則による「弾き返し」だ。

 要は、卵の外殻は属性が常に流動している。

 この流動が理論上最高速度で繰り返されると、対属性をぶつける、という行為そのものが不可能に近くなる。

 イメージとしては、秒以下の速度で変わるマルバツでいい。

 肉眼はおろか、感覚でさえ捉えきれない速度で変化するそれを、瞬間的にマルかバツか当てるなど、チャレンジするだけ無謀である。

 それを可能にするため。

 少しでも成功率を上げるため、ミス・ジングウジは証紋の力で、この循環速度を遅くする、という暴挙に出たのだ。

 物質は常に安定しようとする性質に対し、対魔の証紋で対抗する。

 そも、自然は基本として「魔」を孕むものであり、やれないわけではない。

 だが、その反動は計り知れない。

 理論としては、自然摂理そのものと張り合うのと同義である。

 証紋特性としては特化している彼女でさえ、四回が限界と踏んでいた。

 それを既に二回もオーバーしており、現にこうして全身が悲鳴をあげている。

 ボクから見れば、作戦は失敗。


「――クソが。あの神獣め、霧散する魔力を全て持っていくとはッ」


 魔法使い(ウィザード)も息を乱していて、明らかに自分の魔力が底を尽きかけていることを隠し切れていない。

 ただでさえ精密さを求められる状況で、ボクらが至った現状は考えうる限り、最悪といって差し支えないものだった。


「あまり良い状況とは言えないようだな」


 剣士――雲月賢史は、努めて冷静に現状を把握しようとしていた。


「よくやった方だよ。循環に干渉すれば、弾き返しの馬力そのものを人体で受け止めることになる。普通の人間なら、一度でバラバラさ。回転してる飛行機のファンに触れるのと変わらない」

「で、どうする」

「ボクから見れば、手詰まりだよ、完全にね」


 けど……ボクが支える身体から力が伝わり、ミス・ジングウジが顔をあげた。

 口の端から朱い筋が伝い、呼吸音が僅かにヒューヒューという嫌な音に変わっている。

 ……まずい、呼吸器系を損傷しているなら、早期の手当てが必要だ。


「うづき、くん……くど、う……くんは、」

「無事だ。今のところはな。神宮寺、俺もこちらに加勢する。傍目で見た限りでは、鷲目の狙撃に合わせて外殻を斬ればいいのか?」


 剣士――雲月賢史の確認に、ミス・ジングウジは弱々しく頷く。

 あらゆる意味で、問答の時間さえ惜しい。

 思わぬ加勢だが、変わらず状況は悪い。

 彼ならば物理面を任せることが出来るが、どうやって非物理部分をカバーするか。


「ウィル」

「なに、ミス・ジングウジ」

「これ、つかっ、て……」


 手渡されたのは、一枚の御札タリスマン

 この国では「符」と呼ばれる触媒の一種……と、ボクは認識している。

 信仰で言うところの聖水や十字架クロスだ。

 彼女の意図は分かる。

 符を使えば、遠隔で証紋の行使が可能だろう。

 だが、それを使わなかった理由は単純で、反動を受ければ一瞬でボロボロになってしまうから。

 それこそ、秒すら持たないだろう。


「エレム、公に……」

「えっ、魔法使い(ウィザード)に?」

「魔力も、込められる……だから、タイミングを合わせて――ゴホッ、ゴホッ!」

「ミス・ジングウジ!」


 小さな血の痕が地面に落ちた。

 それを目にしては、諦める気持ちさえ及び腰になる。

 魔法使いへ視線を向け、ボクは手渡された符を差し出す。

 魔法紙スクロールなど、あっちにも似たようなものはあるからか、彼は無言で受け取り、魔力を込めると空にそれを貼り付けた。


「少しは視認性が上がるか。……これを目掛けて斬れ」


 集中力を研ぎ澄ませているのだろう。

 雲月賢史は無言で頷き、居合いの構えをとる。

 合図役のボクは、足元に置いていたスマホを拾い上げると、弓手側の準備を確認した。


「いけそう?」

『あぁ……そっちは大丈夫なのか。雲月の居合いならまぁ、合わせてくるだろうけどよ』

「へぇ、彼の実力は信頼出来そうなんだ?」

『そりゃな。あの鹿の化け物相手に反応してるくらいだ。それよか、神宮寺のヤツが限界だろ。あんな紙切れで何とかなんのか』

「循環を遅延させるのは、もう無理だね。天文学的な確率のアタリを引く、その可能性に賭けるしかないと思う」

『くそっ、ンなもんは賭けにもなってねぇよ……』


 弓手の言い分は尤もだ。

 けど、他に手立てがないのだから、どれだけ分の悪い賭けでもやるしかない。


「あのさ、もし……みんなで、かえれたら……」

「喋らないで――」


 遮るボクの、その腕を彼女が強く握り絞める。


「アンタの言うこと、聞いたげる。だから……」


 ――だから、奇跡をお願い、と。

 火の灯った眼差しを向け、神宮寺薫ともだちが諦めない想いをボクに托す。


(……なんだろう)


 彼女はまだ、諦めてなんていないんだ。

 ボクの証紋を使って、足りない部分モノを補うつもりなんだ。

 今になって、彼女の言った「絶対、アンタの願い事の方が過剰在庫になるようにしてやるから」という言葉の意味を理解する。

 自分の願いを犠牲に、誰かの願いを叶える。

 己を切り捨て、他を救いあげてきた在り方だからこそ、こんな土壇場にならないと気づかなかった。


(こんな気持ちは、初めてかも)


 捨て去った願いを拾い上げ、私がそれを叶えてあげる、と。

 彼女はそう、言ったのだ。


「はは、無茶苦茶言うなぁ、ホント」


 そんなルール違反のようなことが、許されるのだろうか。

 当たり前の疑問が浮かぶ中、それよりもおかしくて、ボクは笑ってしまう。

 だってそうだ。

 自分の願いが叶うより、自分が手放したものを受け止めてくれる誰かがいることが、こんなにも嬉しいとは知らなかったから。


「はぁ、おかしー。もう、贅沢が過ぎるよ、ミス・ジングウジ」


 ツギハギの作戦。

 これで上手くいったら、それこそ奇跡だ。

 傍から見れば、そんな現象は説明のつかないご都合主義でしかない。


「……いいよ。その奇跡ねがい、叶えてみせるよ。なんせ、ボクは秘跡調査会が誇る聖女の一人だからね」


 だが一つだけ、僥倖があるのならば。

 ボクはその「ご都合主義」をこそ実現する為に造られたのだということ。

 昔、ある聖女ひとが言っていた言葉を思い出す。


 ――幸福ハッピーエンドに理由が必要になったらお終いですよ。


 どうしてだろう。

 ずっとボクはその言葉を理解していなかったのに。

 今は少しだけ、分かる気がするのだ。

 理由なんて必要ない。

 理解なんて必要ない。

 ただ、自分ボクがそうあって欲しいと、思っている。

 それだけで、ボクは奇跡の為に祈れるんだ。


「皆、これが最後のチャンスだ。足りない部分はボクが補う。だから、全力で。精度はこの際捨てて、持てる限りをぶつけて」


 追い込まれた状況で、一分の狂いもなく、は望めない。

 例えそれが絶対条件だったとしても、今必要な要素じゃない。

 いつだって、人が奇跡を呼び起こす原動力は、その根底にある「熱」だ。

 諦めない気持ち。

 結果しっぱいを跳ね返す、魂の燃焼。

 動かない身体を突き動かす程の想いが、奇跡を引き寄せる。


「合図は同じ、スリーカウント。ゼロで外殻に向けて全力を放って」


 必要なのは、瞬間最大風速ぜんしんぜんれい


「いくよ。――さん、に、いち――」


 この一瞬に命を預けるという、その一体感。


「――ゼロ!!」


 視界の少し上で、木々が揺れる。

 きらり、と閃きが見えたかと思うと、一筋の流星が迫ってくるのが見えた。

 しかし、肉眼に捉えた時点で弓手が放った矢の着弾には間に合わない。

 六度、合わせきれなかった理由がこれだ。

 精度、威力共に申し分のない狙撃。

 それ故に、ボクらの持つ反応速度ではあと一歩、足りなかった。


 ――僅かに鞘を傾け、火を噴くような勢いで刃が放たれる。


 神速の抜刀。

 それは長距離を瞬き程で詰める矢弾に匹敵する。

 そこに、符を介して魔法使いが魔力を流す。

 最初に込めた魔力はあくまで、符と自身を繋ぐ霊脈ラインを確保する為のもの。

 これが苦肉の策だったのは、これでは物理属性を賄えないからだった。

 その問題が解決された今、一拍遅れる魔法使い(ウィザード)の反応は、その遅れさえ勘定に入れた最適解ベストタイミングを狙い澄ます。

 六度の失敗――それは決して、無駄に終わったワケではなかったのだ。


「――――」


 その上で、足りない全てを祈りで埋める。

 現状望める現実的な範囲では、まさに最高の出来映え。

 そして本来、ケルビムの卵はそれさえ、あざ笑うかのように弾き返すだろう。

 ボクの奇跡でも、不足する要素全てを満たすことは難しい。

 けれど、錬金術にも弱点はある。

 錬金術のほとんどは「計算」されている。

 つまり、ケルビムの卵さえ、造り手の計算の上に成り立っているということ。

 だから――それを上回る。

 その為に、足りない部分全てを奇跡で補うと、大言まで口にした。

 無論、そんなことは不可能だ。

 奇跡は万能じゃない。


「――――いけぇぇえええ!!」


 柄にもなく声を張り上げた。

 祈りを声という形にして、ぶつける。

 ただ一点――力を合わせて突破するという力任せに、全てを注ぎ込む。

 足りない部分とは、即ちそういうことだ。

 理論上必要な条件全てを満たすためではなく。

 威力――という面に限り、足りない部分をボクが支える。

 内外それぞれから、同じ一点を目指して収束する一撃必殺。

 着弾はほぼ同時。

 故に、失敗だ。

 “ほぼ”――では意味がない。

 それを、まさに命を懸けた一撃達が超える。

 どれほど強固であっても、それが計算上に成り立つのであれば上限があるのも当然。

 難攻不落であるが故に、緻密に計算された壁には唯一、欠点が存在していたのだろう。


 打ち破ることが事実上不可能であっても、諦めない者達。

 抗う心さえうちひしぐ程の壁であるからこそ、それでも尚、魂を燃やす者達をこそケルビムの卵は恐れた。

 コレが愛を競い合わせる闘技場であり、一度足を踏み入れれば戻れない処刑装置であるなら、愛の天使の名を冠するだけはある。

 戻る必要のない奇跡、ここに留まれば失われた最愛さえ取り戻せるのだから、無理に外へ出る理由もない。

 そうして今まで、何人もの人々が復元された愛の内に沈んでいったのではないだろうか。

 そう考えれば、必然とその弱点に行き着く。


 ――それは、不屈だ。


 愛に満たされるのではなく、それを糧に前を向くこと。

 前に進むことを許さない故、この卵の外殻はここまで強固に閉じられていた。


「……やっ、た」


 隣でミス・ジングウジが小さく呟く。

 何もない空間には、手の平ほどの小さなヒビが入っている。

 数秒の沈黙が続き、やがてその罅はピシピシと薄氷が割れるような軋みをあげながら、次第に広がっていく。

 通った。

 本来ならば弾かれるはずの一撃が、理論の壁を越えた。

 ならば、あとは自壊するだけである。

 壁として理想的過ぎた為、僅かでも揺らげば自身が自身を保てなくなる。

 完璧――という事象ゆえの弱点と言えよう。


「ボクが言うのもなんだけど、願ってみるもんだね」


 確証も、自信もなかった。

 けど、あの瞬間だけでも団結した想いを無駄にはさせない。

 その一心で祈り、奇跡をもぎ取るような感覚で叫んだことに、ボク自身が驚いている。

 秒単位でひび割れ、崩れ落ちたかと思うと溶けるように消えていく光景を見上げながら、ボクらはひとまずの安堵を漏らすのだった。

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