取り戻す戦い3
「ひとまずは地上に戻る。外周を目指し、『壁』に辿り着いてからが本番だ」
再び、大鹿――神獣が見えるほどの距離で、エレムさんが今後の動きについてまとめた。
龍御岳の奥地で発現している一連の異常――その原因である「ケルビムの卵」は、三法界隈で出回っている情報とは反し、不死者が事象化したものではなく、錬金術で造られた被造物である事が明らかになった。
それを加味しても、僕らが試せることはそう多くないらしい。
「おそらく、ミス・クオン――今では神獣だけど――は、既に神獣としての色が濃い。神獣も色々種類がいたと伝え聞くけど、もっともポピュラーなのは土地神だ。つまり、縄張り意識が強いってこと」
聖女曰く、ケルビムの卵に手を出した瞬間、麗華さん――いや、神獣は僕らを排除すべき敵と認識する。
裏を返せば、お互いに視認出来るこの距離でも神獣は全く関心を持っていない。
ある程度、スタートは僕らの意思できれる、というわけだ。
「そこからは、ミツル。君の出番だ。確認し忘れていたけど、勇者の証紋――扱えそう?」
「どうだろう……自信はないかも。でも、やる気はあるよっ。なんていうか……こわいけど、無理って感じるわけじゃないっていうか……」
うまく言葉に出来ないが、感覚的に変化があるのは確かだった。
随分と暴れたおかげで、ボロボロになったトレッキングウェアの確認がてら、軽く身体を動かしてみる。
それに反応するように、全身を熱が巡るような……微細な感触があった。
それを伝えると、神宮寺さんが頷いてくれる。
「クドウくん、普段とは違う感覚があるなら、肉体と証紋がお互いに慣れ始めてる証拠だよ」
「そうなの?」
「あの鬼畜院長の話しぶりだと、むりやり証紋を突っ込まれてるから。制御の仕方をクドウくん自身が知らないのも、当然だと思う。さっき、あれだけ魔力全快で暴れたおかげってこと。怪我の功名ってやつだね」
聖女に支えられながら、神宮寺さんは「ラッキーじゃん」と笑ってくれる。
既に色々な事が起こっていて、その笑顔が懐かしくさえ思えて、僅かに心が軽くなった。
「小僧、深く考えるな。どうせ戦闘中は、そんな暇もない。本来、証紋は当人の一部だ。感覚的に変化を感じるならば、それでいい。後はどこまでそれを明確に出来るかだ」
「あまりプレッシャーをかけたくはないけど、神獣相手はミツル頼みになる。もちろん倒す必要はないよ。あくまで、ボクらがケルビムの卵を破壊するまで、持ちこたえてくれればいい」
「う、うん……頑張るよ」
魔法使いと聖女――不死者としては大先輩にあたる二人のアドバイスに頷く。
「よし、円の内側に立て」
魔法使い――エレムさんが、ついさっきまで石床に描いていた円を杖の先で指す。
ぱっと見は白いチョークで描いたような円は、内側を複雑怪奇な文字の羅列で埋め尽くされており、ただのラクガキではないことだけは分かる。
「用意がいいね、魔法使い」
「早くしろ。神獣はともかく、造物主の錬金術師がいたら邪魔が入るかもしれんぞ」
エレムさんの忠告に促され、僕らは円の内側に立つ。
白色の円陣が赤く発光したかと思うと、視界が明滅する。
気づいた時には、僕ら四人は地表――鑑総合病院の外に立っていた。
「空間転移なんて初めて体験したけど、こんな感じなんだ……」
神宮寺さんが素直に関心していると、「座標置換だ」とエレムさんが訂正する。
「お前を対象にすれば、魔法そのものが機能しなくなるだろうが」
「え、座標置換でも変わらなくない?」
「これだけ大気中の魔力が使い放題だ。文字通りの『座標置換』をした。私も初めての試みだが、まぁ問題はなかったな。存外、容易いものだ」
エレムさんがしれっと言った内容に、神宮寺さんとウィルセント――いや、ウィルセントさんの顔が青くなる。
「一歩間違えば、大変なことになってたんじゃない、それ」
「ハッ――私を誰だと思っている」
聖女の指摘を、鼻で嗤い歩き出すエレムさん。
「む?」
しかしすぐに立ち止まり、後を追っていた僕らも同じように歩みを止める。
「神宮寺、これはどういう状況だ?」
「――――雲月くん!?」
僕らの視線の先――そこには、抜き身の刀を手にした雲月君が、怪訝な表情で立っていた。
「身柄を拘束されている、という雰囲気でもないようだが」
「大丈夫、二人は敵じゃない。それよりも、どうしてここにいるの? まさか、御紋会にバレた?」
「あぁ、御紋会は既にここの異変を察知しているぞ。俺も到着して驚いたが、何事だ? 外から見ると、球状の結界に包まれている」
「って、普通に中に入れたの!?」
「見ての通りだ。まぁ、一方通行らしいがな」
「馬鹿! もうちょっと慎重に行動しろっての!」
「外から手をこまねいていても仕方あるまい。それに、外には鷲目がいる」
鷲目――その名前に、神宮寺さんは更に驚きを重ねていく。
「え――鷲目先輩が来てるの?」
「深淵家から動け、と命を受けたらしい。おかげで、御紋会よりも一足早く到着出来た」
「……ってことは、別働隊がこっちに向かってるってことか」
「そういうことだ。で――久遠はどうした」
雲月君の質問は、至極当然だ。
僕と神宮寺さんは顔を見合わせ、二人で頷く。
「久遠先輩は、神獣に変異してしまったわ。だから、元に戻すのに手を貸して」
「分かった。何をすればいい」
二つ返事で頷く彼に、ウィルセントさんが「今ので理解した!?」と素っ頓狂な声をあげる。
僕も内心は同じ気持ちだ。
でも、雲月君はとにかく洗練されている。
神宮寺さんや麗華さんとは違うベクトルで、幼い頃から戦闘用の思考みたいなものを叩き込まれてきたのだとか。
「その球状の結界――ケルビムの卵っていうんだけど、それを破壊する。ただ、その過程で神獣化した先輩を食い止めないといけない」
「それは、僕がやるよ」
「――満が?」
「うん。少しだけ、僕も証紋の使い方が分かった気がするから」
「なら、俺も手を貸そう」
僕としては思わぬ加勢を得られて内心ホッとしたのだが、反対の声が神宮寺さんからあがった。
「神獣だよ? クドウくんの証紋は『勇者』だから、あくまで消去法で任せるってだけ。悪いけど、雲月君が共闘したところで戦力にはなれないよ」
「なら尚更だな。勇者の本領は知らんが、俺が勝てないなら満を勝たせるだけだ。そも、それを言うなら俺の証紋は『剣士』だぞ? 神だの悪魔だの退く理由にはならん。逢うては斬るのが士道也、だ」
肩を刀の背でトントンと小さく叩きながら、今更――とでも言いたげな口調で雲月君は言い切った。
「ミス・ジングウジ、急いだ方がいい。御紋会の実働部隊が到着したら、現状を維持出来ないかもしれない」
「え、どういうこと?」
「縄張り意識が強いって言ったでしょ。もしあの大鹿が森や山を根城とする土地神だったら、大勢の人間が踏み入ることは好ましくない」
昔から、それは自然を荒らすという行為の一つに分類されてきた、と。
深刻な表情で聖女は警告する。
「素体がミス・クオンであるおかげで、ボクらは無事なだけかもしれないんだ」
「そっか……そうだよ、ヤバいじゃん、それ!」
「理解してもらえたようで何より」
「あぁっ、こんなことなら神学まじめにやっとくんだった!」
「君も一応、神職の血筋でしょ……」
「神仏を信じて、神仏に頼らずがモットーなの! 頼るつもりないのに、興味なんて沸くわけないっしょ!?」
焦りのせいか、神宮寺さんは色々と問題のある発言を連発していた。
けど、今度の話は僕でも分かる内容だ。
状況は逼迫している。
「もたもたするな! 急げ、馬鹿者ども!」
既に移動を始めていたエレムさんが、大声で先導してくれる。
作戦会議の時間は、ここら辺が限界らしい。
僕もぐっと拳を握りしめて覚悟を決めると、ひとまずは皆に着いていく。
古い建物群を両脇に、来た道を戻るようにして僕らは「壁」と思しき場所に辿り着く。
そこは最初に入って来た、あの大きな鉄門の前だった。
見た目にも分かりやすい出入り口だからこそ、エレムさんは何も無い空間に手を合わせると、振り向いて頷く。
「間違いない、ここがケルビムの卵の外殻部分だ」
「私も触れてみる」
神宮寺さんはそう言い、聖女に支えられながら魔法使いと同じように手を触れ、それを二度、三度繰り返した。
「なにこれ……嘘でしょ。物質と非物質の属性が同居してる……いや、循環してるの?」
神宮寺さんの呟きにも近い言葉に、エレムさんが「メビウス構造体だ」と返す。
「そこらの錬金術師が造れる代物ではない。錬金同盟でもこの域に達するのは、片手で足りる程しかいない」
「どうやって破壊する? 循環してるとなると……同時に対属性をぶつけないとダメなんじゃ……」
「いや、無駄だ。メビウス構造体は不別特性を持った連続面による立体構造だ。同時に弱点となる対属性をぶつけても、不別特性による循環により一瞬未満の効力しか発揮出来ん。この外殻を突破するには、循環を止めるか内外両面から穴を開けるしかない」
「この壁の厚みも分からないってのに……それ、威力の差異は――」
「――当然、同威力同属性でなければ弾かれる」
そこで、神宮寺さんは親指の爪を噛みながら、眉間に皺を寄せた。
「不別特性ってことは、表裏の区別が出来ない性質をそのまま利用してるのか。だから一分の狂いもない『同じ破壊』をぶつけないと、そもそも性質そのものに弾かれる……。なのに、必要な属性は物理と非物理の二種類。そのくせ、循環によって常に安定法則が働くから――」
険しい表情で呟きながら事実を整理している様子を見て、僕は彼女が集中しているのだと分かる。
なんであれ、神獣である麗華さんを抑えるのが僕の役目なら、出来る事は限られている。
「賢明だな」
三人から距離を離した僕の隣に、雲月君がそう言いながら並ぶ。
「集中を乱さないよう、距離を置いたのだろう?」
「うん。僕はやることも出来る事も、もう決まってるから」
「うむ。……少し、変わったな、満」
「え、そう……かな?」
言われても正直、実感と呼べるほどの変化は感じない。
証紋の扱いについても、ゼロがイチになった程度の差だ。
「今の君は、今朝よりは安心出来る。己を知り敵を知れば百戦危うからず、だ」
「あはは、敵のことはよく分からないよ、僕?」
「それ以上に、己を知ることが重要ということだ。本能や直感も大事だが、我を忘れるほど熱くなりすぎるな? 感情を乗せることと、感情に乗せられることはまったく別だからな」
「……うんっ。麗華さんが相手でも、冷静にってこと……だよね?」
僕が少し不安そうに答えると、雲月君は頷きで正解だと答えてくれた。
「そろそろ、結論が出たようだぞ、満」
雲月君の視線を追うように振り返ると、ウィルセントさんが手を振って僕らを呼んでいるのが見えた。
足早に近寄ると、ケータイの電波が通じるかの確認を求められた。
言われるがまま確認してみると、残念ながらの圏外。
「やっぱりだ、ミス・ジングウジ。電波も遮断されてるよ」
「くっそぉ、せめて外の鷲目先輩と連絡が取れれば……」
悔しげに項垂れる神宮寺さんに、雲月君が「取れるだろう」とあっさり目に返答する。
手にしていたスマホを掲げ、そのまま「おーい」とでも聞こえてきそうなほど大きく手を振ると、数秒の内に雲月君のスマホから着信音が聞こえてきた。
「ホレ、目当てのものだ、神宮寺」
きょとん、としていたのは一瞬。
神宮寺さんはすぐにスマホを受け取り、スピーカーモードにして電話に出た。
「鷲目先輩ですか? 神宮寺薫です」
『あぁ、こっちからは見えてるよ。で、どういうこった、これ。雲月の馬鹿は颯爽と入ってったぞ』
「はい。雲月君なんで許してあげてください。それよりも、御紋会が到着する前にケルビムの卵を破壊しないとマズいんです」
『ケルビム……この結界のことか。視た感じ、そうそう破れる気配じゃねぇぞ』
「その通りです。けど、一つだけ有効打があります。外と内から、同時に物理と非物理の両属性を衝突させるんです」
『んだそりゃ? そんなことでいいのか』
「はい。ですが、着弾地点、威力ともに全て同じでないといけません。僅かな狂いも許されません」
『……一気に無理難題に化けやがったな』
スマホから聞こえてくる女性の声には最後、ため息が混じっていた。
しかし、すぐに舌打ちが聞こえ、言葉が続く息吹に僕らも息を呑む。
『いいぜ。やるしかねぇなら、早いとこ片付けるぞ』
「……え、いいんですか?」
思わぬ即答だったのか、動揺した様子で神宮寺さんが聞き返す。
『一つだけっつったのはお前だろーが。他に手がねぇならやる。一発勝負ってワケじゃねぇんだろ?』
「は、はいっ。何度か機会はあると思います。ただ、手を出した瞬間、神獣が私達の排除に動き出します」
『神獣、だぁ? おいおい……いや、いい。聞いたところで、得になりそうもねぇ話だ。合図はどうする? まさか、フィーリングで、なんて言わねぇだろうな』
「ケータイそのままでいけます? 頭数はいるんで、合図はこっちで出そうかと思います」
『問題ねぇ。着弾地点もそっちで決めろ。今、お前が向いてる方角なら合わせる』
「じゃあ正面で」
『分かった』
話が終わると一旦、神宮寺さんが僕と雲月君に向き直る。
「ってことで、始まれば後は生きるか死ぬかの戦いになる。二人とも、準備はいい?」
「はいっ」
僕は力強く答え、雲月君も「あぁ」と頷く。
「特に雲月君に言ってるつもりなんだけど?」
「なんだ。刀一振りでは不満か?」
「あのねぇ、相手が神獣って聞いても冷静なのは有難いけど、本当にいいの? さすがに神様との戦闘は想定してないでしょ」
「万が一があれば、大家であろうと不死者を殺すのが雲月だと、それくらいは知っているだろう。……見知った顔を殺すことに比べれば、縁も所縁もない神と戦うなど迷うにすら値しないな」
そこまで話し、雲月君は目を伏せ、「そうか、久遠だったな」と自嘲げに笑う。
「なら、雲月の役割を果たすだけだ」
「……雲月君」
「それに、満は格闘戦を挑むつもりだな。俺が通用しなくとも、満が通用するなら支援は出来る。見ての通り、白兵戦であれば俺の領分だ」
そこで、雲月君が僕を見る。
そうなると自然、他の視線も僕に向くことになる。
「……ひ、一人よりは心強いかな。その……かなり、助かるというか」
「だそうだが?」
「分かったってば! ったく、これで死んだらマジで許さないからね。他人がせっかく心配してるってのに……」
「窮地だ。互い、慣れないことはしないに限る」
「あぁそう! だったら、遠慮なくやらせてもらうわ! あっさり突破されたら全滅なんだからね! 分かった!? この剣術マニア!!」
「はっはっはっ、分かった分かった」
怒り心頭といった感じで怒号を飛ばす神宮寺さんに背を向け、雲月君は「やれやれ」と歩き出す。
僕もそんな彼の背を追い、隣に並んだ頃。
「神宮寺さん、雲月君のこと心配してるんだよ」
「あぁ。だが、神宮寺はあれでいい。足止めが役割である以上、むしろ俺達の命が神宮寺達にかかっている。心配は余計な負担だ」
「……それで、わざと?」
「言ったろう? 互い、慣れないことはしないに限る、とな」
僕よりも背の高い彼の、少しバツが悪そうな苦笑いを見上げる。
……そうか、雲月君なりに神宮寺さんを気遣っての言動だったんだ。
僕らを振り返る余裕なんてない。
何度かチャンスがあるって言っても、皆の口ぶりからしてそもそもの成功率が低すぎるんだ、きっと。
その「何度か」でさえ、本当は全然足りないんだ。
むしろ、その何度かしかない機会で成功させなきゃいけない。
誰一人欠けたって成り立たないからこそ、そのプレッシャーに負けないよう、自分のやることだけに集中出来るように……。
僕と雲月君は来た道を戻り、開けた空間で大きな白い建物を遠目に見上げる。
移動していないなら、神獣はあの建物の地下にいる。
小細工を必要としないなら、きっと真っ直ぐにこっちへ向かってくるはずだ。
じっと睨み据えていると、唐突に――全身を打つような衝撃音が背後から聞こえてきた。
思わず振り返ると、神宮寺さんがウィルセントさんの持つスマホに向けて声を張っている様子が見えた。
「威力、今のでいけますか!?」
『――――――』
「分かりました! タイミング、今と同じでもう一度!」
始まった。
そう確信して前に向き直った時だった。
「満――来たぞ」
刀を構えながら、隣の雲月君が重心を落とす。
僕も反射的に身構え、音もなく立っていた一頭の大鹿を視認する。
結構な距離があったはずなのに、今の一瞬で?
けど、相手が神様だと考えると、不思議なことに驚きはなかった。
「麗華さん……ここは、通しません」
僕が言い終わるのと同時に、神獣が甲高い雄叫びをあげる。
それが、開戦の合図だと、自然と身体が動いていた。
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「――――」
衝撃はあった。
痛みはない。
ただ、正面から神獣を迎え撃った僕は今、宙を舞っていて、天地が逆転した視界の中で、神獣の背を見ている。
「受け身!」
「――ハッ!?」
雲月君の声で咄嗟に身体を丸め、頭から地面に衝突することを避ける。
背中からの衝撃を点ではなく手足も含めた面で受け止め、すぐに立ち上がる。
自分でも、驚くほど淀みのない立ち上がり。
……神宮寺さんに投げられ続けた成果が、ここに来て実ったのだと実感した。
「雲月君!」
こちらを歯牙にもかけない神獣に対し、守る側の雲月君は自ら斬り掛かっていく。
金の砂のようなものを舞い上げながら、神獣は瞬きほどで僕らが立つ主要道の端から端までを移動してしまう。
土埃をあげながら雲月君も食らいつくが、機動力の差は歴然だった。
行かせない――そう強く念じながら、僕は大地を蹴り上げる踵に力を込める。
僅かに足元が沈む感触の後、弾けるように身体が地面から離れたのを理解する。
単純な突進。
しかし、それは通常であれば一息とはいかない十メートル以上の距離を、僅か一秒未満で奔り切る。
「っ!」
神獣の横っ腹に体当たりをかまし、手応えに歯噛みする。
直撃の感触はあるが、手傷を与えた感覚がない。
勇者の証紋によるものなのか、僕の直感がそう判断していると分かる。
過去に自分の手で人の命を奪った経験値があるからなのか、今の僕にはそこまで把握出来ることに、自然と表情が険しくなる。
“ダメ、後悔しないで”
「――――!?」
“集中して。じゃないと、また証紋に呑み込まれちゃうよ”
脳裏に聞こえる声。
さっきも聞いたけど……どこかで聞き覚えが。
“考え事もダメ。こうして助けてあげられるのは、きっとこれが最後だから”
「……」
“いい? ちゃんと証紋の使い方を身につけないと、わたしたちも安心できないもん”
意識を失っている時に見た――夢の中で聞いた、あの白い子の声だ。
僕が自我を取り戻しても、こうして傍で助けてくれているんだ。
ケルビムの卵の影響でここまでハッキリとやり取りが出来るけど、僕たちが生き残ればそうもいかなくなる。
そうだ――今は、考える時でも、迷っている時でもない。
戦うんだ。
皆と一緒に、戦うんだ!
「満! 押し戻せ!」
「――うんっ!」
先ほどの体当たりで、何をしてもダメージを与えられていない確信を持った僕は、更に「力を込めて」地面を蹴り上げた。
雲月君のような洗練された動きは出来ないけど、直線軌道であれば神獣を押し返すほどの速度を出すに成功する。
僕らを無視していこうとする神獣。
その出鼻を雲月君が挫き、僅かな隙を突いて僕が体当たりで体勢を崩す。
そのまま無理に抜けようとすれば雲月君からの妨害を避けられないと判断し、神獣はワンステップで飛び退いて距離を離す。
これをなんとか繰り返すことで、僕らは神獣の接近を防いでいた。
けど、全く油断が出来ない。
手傷は負わせられないが、物理的に衝撃を加えることが出来るのが幸いだ。
それさえ効かなかったら、そもそもこうして肉弾戦で食い止めることすら出来なかった。
「あの機動力、厄介すぎるな」
「足音もしないよ? どうなってるの……」
「大地を蹴る振動もな。おかげで、半呼吸ほど反応が遅れる」
近接戦において、音がどれほど重要かが僕にも分かるほどだ。
ほぼ全ての行動において無音。
角先に吊された銀の鈴の音だけは聞こえるけど、多分……あれのせいで僕の証紋でもほとんどダメージを与えられていないんだ。
これでいて、神獣そのものから積極的に攻撃をされていないと考えると、神宮寺さんの心配が杞憂ではなかったのだと痛感してしまう。
大鹿はしばらく、その場でじっとしたまま僕と雲月君を見据えたまま動かない。
嫌な静寂……。
「ちっ――本能で戦っていると思っていたが、これは」
あの雲月君の表情がどんどん厳しくなっていくのが、口調から手に取るように分かる。
僕も、向けられる視線から相手が突破策を模索しているのだと想像出来た。
そう、考え無しに猪突猛進を繰り返すのはもう終わりだと。
無言で威圧してくるのが伝わるほど、大鹿の「存在」が大きくなっていっている気がする。
“気をつけて。大地から魔力を吸い上げてる”
(……! これ以上強くなったら……!)
“大丈夫。落ち着いて、守る人のことを想って。君の力は守るためにあるんだから。証紋の力を借りるんじゃないの――証紋を自分自身と思って”
(自分、自身と……思う……)
“そう。力は落ちるけど、不完全な証紋だからこそ自分の意志で操れる。それを利用するの”
(…………)
“思い描いて? 手に入れたいもの、君がのぞむ結末を。漠然とした想いじゃなくて、明確な救いのかたちを”
僕は――皆で生きて帰りたい。
僕は――皆で笑って――大変だったけど、何とかなったって……。
そう、言い合いたい。
それがどれだけ贅沢な奇跡だとしても、そのために全力を尽くすことは間違っていないと思うから。
もしかしたら、それは都合の良い考えなのかもしれない。
だとしても――――。
「僕は、誰かの悲しみで終わるコトを、『良かった』なんて……言いたくない」
――――どれだけ陳腐だとしても、その想いだけは欠けちゃダメだと思うから。
そうだ。
ずっと、それを握り絞めて……僕は、ここで人を殺し続けていたんだから。
鮮明になっていく記憶。
ずっと封印されてきた、病院での日々が溢れ出していく。
(ごめんなさい、みなさん。僕は……)
僕は、生きていきたいです。
僕は、神宮寺さんや雲月君――そして、麗華さんと……もっと過ごしていたいです。
だから……。
“うん、それで、いいんだよ。君の人生だもの”
……僕は前を向きます。
踏み出して、その記憶がずっと遠くになってしまうくらい、懸命に走り続けます。
それが許されることなのかも分からないけど、そうしないときっと……また、自分の罪に押し潰されてしまうだろうから。
“……ちゃんと、しあわせになってね”
声が、遠くなっていく。
“ちゃんと、わたしたちの分まで……じゃないと、ゆるさないんだから”
気配が、薄れていく。
“――負けんなよ、ボウズ”
“――キミならやれるよ”
“――あきらめないで!”
“――えっと、やべっ、最後に言うこと考えてなかった!”
“――あー、成仏ってこんな感覚なのかぁ”
“――せめてあのクソ院長と同じ場所じゃねぇことを祈ろうぜ”
“――地獄だってあんなのはお断りでしょ”
それと同時に、色んな人達の聲が折り重なりながら通り過ぎていく。
涙が溢れ出しそうになるのを、奥歯を噛んでぐっと堪えた。
ずっと、ずっと僕はこうやって、沢山の優しさに支えられながらここまで来たんだ。
“――――がんばれっ!!”
霞んでいく声と気配の中、彼らの最後の言葉は、やはり僕の背を押すものだった。
拳を握りしめ、重心を落として構える。
バチリ、と魔力の弾ける音がした。
「何度だって、言うよ。――ここは、通さない。絶対に!」
ダムが決壊したように、全身を熱が循環していく。
気持ちで負けちゃダメだ。
譲っちゃダメだ。
どんなに絶望的でも、僕はもう、前を向かなきゃいけない。
それが、僕の証紋の使い方。
ううん、久遠満と勇者という証紋の在り方だから。
「――――ッ!」
そこで、神獣が再び動き出した。
今までを超える、高速機動。
目にも止まらぬ、じゃない。
魔力の流れさえ見えないから、瞬間移動を繰り返してるんだ。
長距離は制約があるのか、接近戦で相手を翻弄するくらいの短距離ならインターバルもなしに連発している。
そして何より、初めて――大鹿から明確な戦意を感じ取っていた。
「満!」
「ぐっ――うぅっ!!」
やっぱり、雲月君は凄い。
名前を呼ばれなかったら、こうして大鹿の突進を受け止めることは出来なかった。
証紋のおかげで耐久力は上がっていても、戦線を維持しなくちゃならない以上、吹き飛ばされるだけでも致命傷となる。
突き立てられた角を手で抑え、思い切り踏ん張って対抗する。
(なんて……力だ……!)
まるで、大木相手に相撲をとっているような気分になる。
前身を食い止められてこそいるが、先ほどのように押し返せる気配が全くない。
僕がどんなに力を込めても、びくともしないのが良い証拠だ。
それを、高く飛び上がった雲月君が、上から力の流れを潰そうと斬り込む。
「……避けるか」
僕の目の前に着地した雲月君が呟く。
「妙なヤツめ。攻めっ気が出てきても尚、思い切りに欠けるな」
「何か分かったの?」
「満はともかく、俺の攻撃は確かに、碌に通用せん。だが、あの通り……防御的な動きを見せている」
確かに妙だ。
通すつもりは毛頭ないけど、その気になれば僕らは今以上に追い込まれていても不思議はない。
なのに、神獣はあっさりと身を引く場面が多すぎる。
「神とは人間以上に性質に縛られるものと聞く。もしかすると、あの大鹿は本来、攻撃性に優れる神格ではないのかもしれんな」
「守りの方が得意ってこと?」
「いや、荒神の類いではない、ということだ。積極的に人間に害を及ぼすのは性分ではない、とも言い換えられる」
「……もしかして、だから僕らを無視しようと?」
「裏を返せば、それだけ神宮寺達の身が危ない。この異常空間を縄張りと捉えているなら、直接手を出している相手に容赦はしまい」
「…………!」
雲月君の言葉に、背筋が凍りつく。
一瞬でも、その根っこは優しいとか、そういうものなのかと考えた自分が恥ずかしい。
神獣にとっては、それだけ線引きが明確なんだ。
手加減をしているのではなく、まだ僕も雲月君も、明確な敵と認識されていないだけ。
「だが、先ほどは満を標的にしていた。……まったく、何を考えているのかさっぱり分からんな。俺に対しては見向きもしないというのに」
言われて見ればそうだ。
雲月君と大鹿は、常に前者が仕掛けることで成り立っている一合。
徹底して相手にされていないからこそ、機動力に歴然とした差があっても、先読みで雲月君は反応出来ていた。
「……麗華さん?」
そこで、ふとその人の名前が口を衝いて出た。
「僕の声、聞こえてますか? 僕のこと、分かりますか?」
一縷の望みに托すように、僕は神獣へ向けて呼びかける。
僕にだけ矛先を向けるのは、もしかしなくても接点として久遠麗華という存在しかないからだ。
そして、その考えはそれほど間違ってはいなかったのだと。
僕らは、「思い知る」ことになる。




