黄金の神角2
地表よりも少し深く。
地表よりも少し近く。
地球という惑星の内側で、天使と金鹿が互いの信念を貫いていた。
天使はその歌声で破壊をもたらし。
金鹿はその鈴鳴りで神聖な滅びを弾き返す。
双方、人の身を失い、いつ忘我に陥ってもおかしくはない中、いずれも人を保つのは魂そのもの。
あえて人の側に寄り添って表現するならば、それはどちらが意地を通すかの戦いであった。
「この感覚――勇者の証紋反応が消えた?」
天使が宙を舞いながら、異変に気づく。
馬鹿な、と舌打ちを零すが、完全に天使化した自身の直感を疑うのもまた、途惑われた。
となると、異形の天使は認めるしかなくなる。
勇者の証紋――その暴走は、何らかの手段で止められた、と。
「やはり、大家ほど目障りなものはないな。九年前も、大家さえいなければ……今頃、世界は平穏に満ちていたっ」
天使は、吠える。
お前達のせいだ、と。
「この世は犠牲を払わねば、成り立たないのだ! なぜ、なぜ人はそれを認めない! 僅かな犠牲、尊い生贄の先にこそ未来はある! 人々が思い描いた――鑑の家が理想と打ち立てた、『誰もが笑って過ごせる世界』があるというのに!!」
天使が一つの真理を叫ぶ。
それを学ぶだけの歴史は、十分にあったはずだ。
それから目を背け、いつまでも堂々巡りをしているから、この世から涙は消えないのだと。
それを、天使とは違い人の言葉を発しない金鹿は、どのような心境で聞いているのだろうか。
「死が生を繋ぐ。託されたものを握り絞め、今をひた走るのが生者の責務だ。勇者という役割は、人類の幸福の――必須条件なのだよ。神聖な生贄。誰もがその死を愁い、しかしてその死を活力に前を向けるような……そんな存在が、弱き者達には必要なのだ!」
返る言葉はない。
天使の主張は、堰を切ったように続いていく。
「それを創り上げる。そのどこに、間違いがあろうか! 外道? 非人道的?」
――笑わせるな、と天使の咆哮が一際強く、たった先ほどまで金鹿が立っていた場所を薙ぎ払う。
「天才や英雄に牽引を任せ続けてきた民草こそ、悪辣非道そのものではないか。己を守る『常識』や『秩序』、『道徳』を盾に個人的な幸福を追求する。今世において、人間を種族という単位で俯瞰出来る個人がどれほどいる? 本当に、誰もが擦り切れるほどの努力をしているのか? 人類の未来の為に、燃え尽きるほどの日々を送っているのか? 自身に降りかかる火の粉以外は全て、対岸の火事と思っているのではないか?」
人が、優しくなればなるほど、弱い者達は牙を剥く。
強さが劣れば、弱さが台頭する。
それが、人類の限界なのだと、天使は言った。
「人は人以上の存在を創らねば、納得の出来ぬ悲しい生き物なのだ。どう足掻いても『完全』にはなれないのならば、自身よりも崇高で完璧な勇者が犠牲にならねば、使命感を持って生きていけないのだ。人間は常に、『託される側』にしかなれんのだ!」
勇者だけが救われない世界。
それつまり、全ての人が笑って過ごせる世界。
「二千年以上の年月の果てに、ついぞ辿り着いた答えを、どうして邪魔立てする。大家も同じく、社会を維持する役割を後生大事に抱え続けているだろうに!」
そこでようやく、金鹿が反応を見せた。
双眸が瞳の色を失い、黄金に染まっていく。
黄金の風が、まるで砂金の嵐のように逆巻始める。
機敏な動きは鳴りを潜め、足を止めた金鹿の角が輝きを強めていた。
「あくまで……あくまで、受け入れるつもりはないということかっ」
憎々しげに、天使は金鹿を見下ろす。
どれほど語り聞かせようと、納得の様子は一切ない。
「鑑の家が……私の先祖が、どれほど夢見たと思う。最愛の人の笑顔ではなく、名も顔も知れぬ笑顔の『数』を選んだことを。それを……お前達は、そうまで『過ち』と呼びたいかっ!!」
故に、その男が最後に流れ着いた姿が天使だったのは、当然だったのかもしれない。
始まりから終わりまで、目指したものは眩く、尊かった。
その過程で悩み、苦しみ、挫折し、藻掻き、狂い、それでも諦めなかった。
悲劇と言えば悲劇だろう。
もはや不死としての異能すら微弱であったその一族はしかし、誰よりも人類という種族を愛した。
例え狂気に墜ちようとも、その信念だけは手放さなかったのである。
「――――――」
言葉にならない歌を、天使が紡ぐ。
今はもう忘れ去られた、福音という証紋の一部。
本来はレプリカの域を出ないはずのそれは、ケルビムの卵の影響を利用し、オリジナルの領域へと踏み込む。
世界に語りかける、神の歌。
ロストアーツと呼ばれる失われた最高峰の証紋群。
その一つが今、産声をあげようとしていた。
「――――」
対するは、黄金の神角。
人は知る由もあるまい。
かつて大地の化身として森を治め、ありとあらゆる『害』を祓ったとされる神獣が再び、顕現していようとは。
故に、その大鹿の真価は黄金の双角にある。
触れれば病がたちまち消え失せ、折れた一部を煎じて飲めば、間際の怪我人さえ無傷に戻る。
そんな人智を越えた獣の怒りに触れれば、どのような災いが起こるかなど、考えるまでもない。
簡単な話だ。
お前が、その獣にとっての「害」になる――それだけのこと。
視界を焼くような閃光を、神角が帯びる。
神の歌が、世界に命じる。
「――<消えろ!!>――」
天使が、存在の消滅を歌う。
ゴスペルは惑星に語りかけ、世界の力でそれを実現する証紋である。
例え神獣であろうと、これに抗うことは出来ない。
しかし。
しかし、である。
高く、金鹿が前足を振り上げ、頭を振る。
それが「害」と呼べるに相応しい限り、彼の獣の土俵であることもまた、事実なのである。
振り下ろした黄金の神角から、閃光が迸った。
黄金の奔流は一直線に天使へと伸び、圧倒的な魔力の物量としてゴスペルごと押し潰していく。
「――――――ァ」
一瞬であった。
拮抗する間さえなく、金鹿の放った黄金の瀑布は全てを呑み込んでいく。
両者、力は互角だった。
しかし、勝敗を分けたのは残酷にも、想いの差。
「――――そう、か」
天使は、光に焼かれながら理解した。
自分の愛は、間違ってなどいなかった。
自分の愛は、決して顔を伏せるものではなかった。
ただ一つ。
人々にとって、害悪であったこと。
それだけが、金鹿――その素体となった人物との差だったのだと。
「――ぁ、――、」
天使体が燃え尽き、魂さえ輪郭を失いつつある中、鑑孝文の中に最期まで残っていたのは、ずっと仕舞い込んだまま忘れていた――。
「ごめ――、ん――――」
――――れん。
息子への、悔恨の想いだった。




