取り戻す戦い
クドウくんより少し後ろに、人影が現れた。
その風貌は、ウィルから見せてもらった資料の中で見た、中性的な顔。
白い少女その人だった。
“……わたしたちはもう、他人を信じる力はもってない。けど、彼を信じることなら、まだ間に合うと思う”
その言葉に私は頷き、続いて確認をとる。
「幻覚――いや、憑依を解いたら、クドウくんは元に戻るの?」
白い少女は、目を伏せ、力無く首を横に振った。
“ううん。今は、証紋の方が表層に出てるから。彼自身が、証紋を制御しないとダメ”
やっぱりか。
エレム公も焚きつけた、と言っていたから何となく想像はしていたけど、既に燃え盛る炎が勝手に消える道理がないのと一緒だ。
それを制御するか、あるいは火種が燃え尽きるまでは治まらないだろう。
けど、それが分かれば私――神宮寺薫にとっては十分だった。
走ってきたおかげもあって身体は温まっているし、トレッキングウェアも冬山を登るワケではなかったので、軽く動きやすい。
人骨が散らばっているせいで足回りの環境は良くないが、その辺は幼い頃からの訓練で対策済みである。
「じゃ、いつでもどうぞ」
僅かに重心を落とし、白い少女へ合図をする。
“……いいの? 彼を解放しても……”
「だから私達が助けるって言ったでしょ」
言い終わる前に、私は少女に被せるように言葉を返す。
今、クドウくんを制御しているのは、憑依している彼女――いや、彼女たちだ。
それから解放されれば、暴走状態の証紋の影響で私達に襲い掛かってくることは、あの様子から見ても不思議はない。
ちらり、と後ろの聖女と魔法使いを見やる。
ウィルは頷き、エレム公は視線すら合わせようとしないが、既に臨戦態勢に入っているのは一目瞭然だった。
私は視線を少女に戻す頃には、彼女にも覚悟の色があった。
“わかった。じゃあ……彼を、おねがい”
そのすぐ後だった。
クドウくんを中心として、魔力が一気に膨れあがる。
彼の全身を巡る魔力に色らしい色こそないものの、その純度は恐ろしく高い。
濁りのない魔力。
収まりきらない魔力は、まるで帯電しているかのようにバチリと音を立てながら、クドウくんの内外を循環しているようだ。
「……さすが、勇者の証紋ってとこ?」
ハッ、と思わず乾いた笑いが零れた。
憑依による力尽くの制御でも、一応はコントロールされていたのだと思い知る。
本能が今すぐに逃げろ、と叫んでいるように感じた。
勝てない。
一瞬で理解させられるほど、クドウくんから向けられる圧力は凄まじい。
「来るよ!」
背中でウィルの声を聞くよりも早いか、あるいは同時か。
空間そのものが歪んだのでは、と錯覚するような衝撃が地面を砕き、私めがけて直進してくる人影を見送る。
ただし、私は人影の上。
その場で宙を返り、天地逆転した視界の中で左右に分かれる二人を見た。
着地と同時に、声を張る。
「クドウくん!」
再びの衝撃。
今度は背後からの必殺を避けるため、独楽のように全身を回転させて半身ほど被弾の面積を削る。
僅か数センチ先をすれ違う、暴力の弾丸。
交錯戦を目にしていなかったら、今の往復どちらかで私は死んでいた。
私とクドウくんは最初の位置関係に戻りながら、お互い間髪を入れずに重心を落とす。
碌々考える暇すらない。
呼吸すら贅沢と思えるほどの高速。
そんな中、私にはどうしてか、ハッキリと彼が見えていた。
「――――ッ!」
二度目の突進。
クドウくんの軌道は単純な直線だ。
しかし、常人――あるいは戦闘訓練を受けた者であっても、捉えきれないほどの殺人的な速度で弾ける様は、誇張なく弾丸そのもの。
それを正面に捉え、息吹と共に身をズラしてすれ違う。
思考を必要としない、緊急回避。
それは、私が幼少期から叩き込まれてきた生存力の真髄だった。
瞬きほどの接触で、指先に熱が奔る。
次弾に備える前に、クドウくんの足元を別の衝撃が襲う。
体勢を崩した彼は飛びかかることが出来ず、反対に私は自分の指を確認する余白を得た。
指先が赤く腫れ、火傷のようになっている。
破魔の証紋を解放していても、物理的な摩擦熱までは無効化出来ない。
まさに、文字通りの身を削る消耗戦だ。
「絡繰りは知らんが、自力でアレを止めるつもりか、不死者」
「文句ある?」
杖を床に突き立て、そこからクドウくんの足場を崩して見せた魔法使いが、狂暴な嗤いを見せながら厚手のローブをはためかせる。
「この私が味方についたことを喜べ。あの時の侮辱を後悔させてやろう」
お前が馬鹿にした者が、どれほどの使い手か思い知らせてやる、とでも言いたげなセリフだ。
自動で修復するこの復元空間に対し、熟練の魔法使いである彼だからこそ、ごく短い時間ならば干渉出来るらしい。
標的を邪魔者に変えたクドウくんが弾ける。
しかし、捉えたはずの標的を通り過ぎ、両者は未だ健在。
さっきは気づかなかったけど、コイツ――なんて真似してるんだ、マジで。
直撃していながら躱している。
まさしく手品のような不可解な現象の正体は、座標置換だ。
座標置換とは、錬金術師達が解明した地球の座標と座標を入れ替える、錬金と魔法の複合技。
もちろん実際に座標を入れ替えているワケではなく、あくまで座標上にある特定のモノを座標間で移動させるもの。
その際、使用者にかかる負担は物体の大きさや座標間の距離によって変動するらしいが、この男はその座標置換というテレポートの特性を利用していたのだ。
入れ替わる際、瞬間的に対象の物体は姿を消す間がある。
それを利用して、同じ座標を入れ替える移動手段としては意味のない行為を、瞬間的に物体として消える際のラグを使いクドウくんの一撃を避けていた、というワケだ。
動体視力というよりも、当たれば即死という直面で、顔色すら変えずに針の穴に糸を通すような魔力操作をやってのける、その胆力と技力に思わず舌を巻く。
「娘、お前が触れた部分の魔力が消えたのは視えた。動きは鈍らせてやる。精々、肉体が擦り切れる前に決着をつけることだ」
言うや否や、魔法使いが杖を振るい、魔力が蠕動する。
空間が軋むと同時に、周囲の人骨が乾いた悲鳴をあげて粉々に砕け始めた。
「うっわ、無茶苦茶するなぁ!」
声にウィルの方を向くと、彼女も驚きを隠す様子もなく周囲を見渡していた。
「偽善者は無駄に動くな! 気が散る!」
「はいはい、分かったよもう。大公の肩書き様々だねまったく」
まさしく、それは「魔法を使う者」だった。
エレム公は、空間の重力そのものを操っているのだ。
地球が物体を引く力の増減を魔法的に操り、聖女だけ無事なのは、彼女にかかる重力だけ調整しているからだろう。
だから、動き回られるとその分、重力操作も必要になるといった事から、動くなと警告したと考えられる。
座標置換も使いこなしているところを見ると、例え聖女が標的にされても、それで対処するつもりだろう。
繰り返すが、私に「神秘」の類いは通用しない。
私に関して、エレム公は手心を加える必要がない為、広範囲に渡る魔法行使に出たのだ。
あくまで物理的な部分しか強化されていないクドウくんは、明らかにその動きを鈍らせていた。
「ウッ――ガッ、アァッ!」
「チッ、馬鹿力めっ――まだ動くかっ!」
復元空間でなければ、とっくに床にめり込んでいてもおかしくはない。
だからこそ、クドウくんは復元され続ける床のおかげで、身体を起こすだけの踏ん張りを得ることが出来ていた。
「魔法使い! 出力を落として! 窮地に追い込みすぎると、カウンターを食らうよ!」
「ッ――言ってくれるッ!!」
初めて、魔法使いの顔色に変化があった。
私は、肌感覚で察していた。
違う、出力は常に調整しているんだ。
際限なくクドウくん側の強化が続いているから、エレム公も出力を上げざるを得ないでいる。
既に調整域は過ぎている。
つまり――肉薄するなら、今しかない。
「ミス・ジングウジ!?」
「聖職者なら、奇跡にでも祈ってくれる!? 一か八か、やるしかない!」
クドウへ一直線に走り出した私に、ウィルが静止にも近い呼びかけをした。
対して、私は援護を求める。
このままいけば、エレム公による魔法の拘束力は目減りするばかりだ。
それだけならばいい。
どこかで魔法使い側に限界が来れば、もはやどこまで肉体強化されているか分からないクドウくんを、私は止めなければならないのだ。
(分かってる。それは無理。絶対に反応出来ない)
先ほどでさえ、紙一重だった。
それ以上は、神宮寺薫にとって避け得ない死に相違ない。
ならば、今、この瞬間が最大のチャンス。
これ以上の機会は望めない千載一遇と捉え、両脚の回転を最速まで引き上げる。
クドウくんの視線が、私に定まるのを感じた。
ぞくり、と悪寒が奔る。
勇者の魔力がバチバチと弾け、魔力の重しを受けながらも地を這うように彼を動かす。
跳躍。
地面の抉れる光景が流れていく。
着地まで一秒未満。
遅い。
遅すぎる。
加重を逆手に取り、クドウくんは着地、反転、再発までを短縮していた。
ズドン、と土煙をあげながら勇者が肉薄する。
それが、僅かに必殺の軌道を逸れる。
左腕に衝撃を感じ、奥歯を噛む。
空中で姿勢制御は難しい。
墜落と同時に受け身をとり、腕ではなく上半身胴体のバネを利用して起き上がった。
(引っ掛けられた――ラッキー!!)
絶命を腕一本で済ませられたなら、お釣りが来る。
「ミツル、君に彼女は殺させないよ」
ウィルが、その場で膝を折り、神に祈りを捧げていた。
その眼差しは真剣そのもの。
例え刺し違えても許さない、とでも言うような気迫で聖女は勇者を真っ直ぐに見据えている。
「ミス・ジングウジ! 奇跡の強度も残数も無限じゃない! 次で決めて――!」
言われるまでもない。
そも、次があった時点でミラクルだ。
肉は削がれたが、幸い骨は無事らしい。
何度目かの構え。
どう足掻いても人間の限界を超えられない私の肉体に、残念だが決定打はない。
対して、今まさにその場から後方へ飛び退き、柱の一つに踵をつけたクドウくんは、今度こそ私を仕留めにかかる。
「――たわけ!」
閃光を帯びた亀裂が柱に奔り、高所からの飛翔を阻止する。
戦い慣れた、的確な判断だ。
だが、勇者はそれを身体能力という基礎性能だけで凌駕する。
違う種類の魔法を並行処理的に行使した代償か、重力の調整が乱れる。
加重が弱まった瞬間、クドウくんが崩れ落ちる柱から天井へ向けて飛び上がった。
あの勢い――天井に達する!
「合わせろ、偽善者――!」
「――聖女にお願いする態度じゃないね!」
魔法と奇跡が重なる。
魔法使いは加重を解き、空気を操って大気の壁を作り出した。
聖女は祈りを捧げ、不利な運命を遠ざけることに全霊を注ぐ。
私とクドウくんは、奇しくも天地同士で相対している。
おそらく、魔力壁は破られるだろう。
あれはあくまで、防ぐのではなく減速の為の被膜のようなものだ。
聖女の証紋による援護は視認出来るタイプではないので不確かだが、必中を逸らすくらいが限界だろう。
重力による枷から解放された勇者は、掛け値無しの一撃必殺を繰り出してくるはずだ。
だが――。
全身に熱を巡らせる。
破魔の力を髪に集中させ、息を大きく吸い込んだ。
――先ほどとは逆、空を裂いて地を目指すクドウくんに、逃げ場はない。
天井を蹴り上げ、勇者が敵を粉砕せんと稲妻のように私へ落ちる。
大気の壁と祈りによる奇跡は、文字通り、一つの成果をもたらした。
私が肉薄を予感するまでの、コンマの余白。
彼らは本来敵対する立場同士ながら、互いに力を合わせ、その僅かな「隙」を作ってくれたのだ。
それを、無駄にはしない。
無駄になんて、するものか。
何も、声を使うのは天使達の専売特許ではない。
日本における神事は、古くから音を神聖視してきたのだから。
「――目を覚ましなさい! 久遠満!!」
言の葉に破魔の証紋を込め、一息でそれを放つ。
それは、霧散しかけていた魔法の壁や作用していたであろう奇跡ごと、勇者の証紋による魔力を洗いざらい消し飛ばした。
そのまま落下してくる彼を、私は全身で受け止める。
「ッ――!」
全身を打つ衝撃に、息が詰る。
胸の辺りを激痛が走り、石床の冷たさを受けた背中はしばし、感覚を失っていた。
あぁ……これ、肋のあたり、イッたかも。
倒れたまま動けないでいると、覆い被さっていた身体から震えが伝わってきた。
「……じん、ぐうじ、さんっ」
大の字で倒れ込む私を、後悔で揺れる瞳が覗き込む。
証紋の暴走から解放され、正気を取り戻したクドウくんの表情は、怪我人の私から見てもひどい。
世の中、こんなに可哀相な表情を見ることがあるのか、というくらいに追い詰められた顔は、とめどなく涙を流しており、それがぽつぽつと私の頬に落ちてはまた、伝い落ちていく。
「ごめ、なさっ――ぼく、ひどいことっ――」
後悔。自己嫌悪。恐怖。
自身の行いにうちひしがれている彼は、ただそんな自分を責め、悔いることしか出来ない。
そこで――ようやく、私はあの白い少女たちがクドウくんを助けようと思ったのか、分かった。
温かかったんだ。
零れ落ちる涙には、命にも似た熱が帯びていて、温かかった。
きっと、幼き日のクドウくんは最後の最後まで、自分のした事を許さなかったんだと思う。
どれほどボロボロになろうと、常に誰かを想う芯が――彼にはあった。
だから、不死者達はせめて、その罪の意識を少しでも軽くできないかと、抗ったのだろう。
当事者からすれば正真正銘の地獄だったこの場所で、それでも僅かな光があった。
それだけで、死して尚、勇者を守る理由には十分過ぎたのである。
「ホンット、ひどい証紋だよね……」
痛みを堪え、外傷のない右腕を動かす。
「せめて記憶がなければ、いいのにさぁ」
暴走状態であっても、記憶は残る。
だから、クドウくんは事の顛末から逃れることが出来ない。
それはまるで、勇者という存在の責務であるかのように重く、残酷なもの。
緩慢な動作でクドウくんの頬に触れ、その体温を掌で感じ取る。
「私こそ、遅れてごめん。弟子の面倒を見るのが、師匠の務めでしょ?」
空元気だろうけど、精一杯の笑顔を浮かべた。
戻ってきたことに後悔してほしくなくて。
お互いに生きていることを喜んでほしくて。
せめて、少しでもその罪を一緒に背負えるなら、肩を貸すぐらいは出来ると強がりたくて。
「まだまだ教えることいっぱいあるんだから」
「……っ、うんっ」
嗚咽を噛み殺しながら、クドウくんは何度も頷く。
うんうん、素直なのは大変よろしい。
満身創痍ながら、素の私でも当主としてではなく、神宮寺薫として言いたいことを言えたことに満足した。
……後で思い返して、顔から火が噴くくらい赤面しそうではあるけど。
でも、後悔は微塵もない。
「やれやれ、最後の最後は師弟『愛』か」
視界の外で、ウィルの呆れたような、安堵したような、そんな声が聞こえた。




