生者と死者
「ちょっと! おっさん、こんなとこで何やってんの!?」
遠目からそれなりの距離まで近づくと、我ながら暴言に近い問いが口から飛び出した。
仕方がない。
私の中で、聖女以上に魔法使いの印象が悪いのだから。
それこそ取り憑かれたように猪突猛進を繰り返すクドウくんをいなし、魔法使い――エレムがこちらを睨み付ける。
「おっさんではない!」
余程呼び方に我慢ならなかったのか、返答の第一声がそれだった。
隣のウィルも乱れた呼吸を整えながら、「気にするのそこなんだ」と聞こえないくらいの声量でこぼしていた。
「クドウくん!」
次いで、問題のクドウくんへ呼びかけてみるが、様子通り反応はない。
血走った眼で魔法使いを捉えたまま、交錯戦から再び距離を離すと、様子を伺うように四肢を這わせている。
「無駄だ。不完全な証紋が、感情に反応して暴走している。身体強化はそれなりだが、勇者特有の対運命性能は封印状態にあると見ていい」
おまけに、とエレムもまたクドウくんを見返しながら、吐き捨てるように続けた。
「どこの亡霊の仕業かは知らんが、幻覚を見せられている」
「操られてるってこと?」
「焚きつけられている、が正確だ。今、あの小僧には見るもの全てが憎い存在に見えるのだろう」
「……じゃあ、そいつを叩かないと元には戻らない?」
「荒療治を望まないのであればそうなる」
なるほど。
私はエレムの説明を受けて、状況を理解する。
亡霊――思い当たるのは、上の階でクドウくんの姿を模倣した何者か、だろうか。
今までの経緯と道中の人骨の山を見る限り、亡霊どころか怨念が渦巻いていて当然の場所である。
幸い、こちらには霊魂相手を専売特許にしてそうな聖職者が一人いる。
「ウィル、修道女なら解呪の手段は持ってるでしょ?」
「もちろん。――って言いたいところだけど、相手は野良の霊体じゃなさそうだ。元凶は探すまでもない」
そう言い、聖女はクドウくんを指差して。
「ミツルの中だよ。それも夥しい数だ。おそらく、この地で犠牲になった人達じゃないかな」
「まさか、クドウくんが手にかけた……?」
最後を言い淀み、それを聖女は即座に首を振って否定する。
「聖女としての肌感覚だけど、怨念は感じない。憎悪というより、決意や不屈に近い。まるで、ミツルを護ろうとしているみたいだ」
どういうことだ。
クドウくんに憑依して、生前あるいは死後の恨み辛みを晴らそう、という魂胆ではないのだとしたら。
「勇者の適正体であることを知っているのだとすれば、動機としては十分だ。ここで死んだ者達の多くは、不死者。内面の悲鳴には常人より理解が早い」
エレムもここにいるということは、鑑総合病院で行われていた事を把握済みなのだろう。警戒を解かず、自分の考えを口にした。
つまり、だ。
クドウくんに憑依している霊体達は、クドウくんを使って何かをしようとしているのではない。
むしろ、その逆――。
「もしかして鑑孝文に利用されないようにする為に、先に憑依してるってこと?」
「その推測は確度が高いと思うよ。おそらくだけど、不完全とはいえ勇者の証紋が機能すれば、天使化した彼でも勝ち目は薄い。まして『人類の敵』は勇者の獲物だ。懐柔するには精神面で制御するしかないだろうね」
ウィルの言葉で、合点がいった。
ぼやけていた部分が鮮明になっていく。
霊体達は、鑑孝文と結託しているのではない。
むしろその多くは彼にこそ憎悪や敵意を抱いている。
だから、裏側に取り込んだのは鑑孝文だが、クドウくんのすり替えを行ったのは霊体達と考えると辻褄が合ってくる。
手法が空間転移か歪曲による座標置換かは不明だが、ここにクドウくんがいるのはきっと、苦肉の策なのではないだろうか。
「暴走状態にしてるのは、あのド変態に対抗するためって感じ?」
「うん。場の主導権は鑑孝文が握っている。彼からすれば、自分の内側から反乱を起こされている状態だ。ま、自業自得だけどね」
それにはいたく同感である。
しかし、それでいてあの余裕ぶりなのは、今の彼には明確な戦闘能力が備わっているからだろう。
外部からの邪魔者を始末さえしてしまえば、立場としては鑑孝文が頂点に君臨している。
……最悪、九年前の環境が再現されることになる、という寸法だ。
まったく、無差別に「愛」を物質化する、なんてふざけた証紋に今更ながら強く奥歯を噛み締めた。
「じゃ、やることは決まりね。おっさ――エレム公は、足止めよろしく」
「ふん。貴様の指図は受けん。言われずとも、私は私の眼で勇者を見定めるまでだ」
「素直じゃないね、魔法使い。で、具体的にはどうするの、ミス・ジングウジ」
ウィルの言葉を背に受けながら、私はポニーテールの結び目に指を掛け、歩を進める。
一瞬の戸惑いがあった。
私にクドウくんを止められるかどうかは、確証があるわけではない。
けど、久遠先輩は彼への想いで人の姿を捨てても、戦う道を選んだ。
四月、死霊術師と巨人からクドウくんを庇ったあの夜も、同じように少しの戸惑いがあったのを思い出す。
けど、あの時とは戸惑いの種類が違う。
あの時は不死者として、神宮寺当主として勝利の為に我が身を懸けるかどうかの迷いだった。
今は、久遠満の為に素の自分を晒す勇気の問題だ。
魔剣使いとの戦闘後、少しだけ垣間見せた時、後日ひどく自己嫌悪に陥ったことが始まりだったか。
あれから、神宮寺薫という少女が、久遠満という少年へ抱く感情に、ある種の自信を持てなくなった。
私は心の何処かで、「クドウくんから嫌われたくない」と感じている。
それが、その理由が、私自身でさえハッキリと掴めていないのだ。
そしてこの戸惑いは、今回でその理由が分かってしまいそうで、怖じ気づいているのだろう。
そうなれば――もしかしたら、今の関係性が崩れてしまうのではないか。
そんな不安が過ぎって。
「ミス・ジングウジ」
それが後ろ姿にでも現れていたのだろうか。
聖女は私を呼び。
「自分を信じて」
なんて、私の背を押すのだった。
本当、あの聖女ってば……いい根性してるなぁ。
何も語らずとも、聖女として生きてきた彼女にとって、誰かの心情を察し後押しをする役目は当然とでも言うようだ。
振り返らず、私は一気に結び目を解く。
ふぁさり、と黒髪がおり、閉じられていた力が一気に全身を巡るのが分かる。
巫女にとって、髪とは人体の中で最も距離の近い媒介である。
古代から髪は、無形を宿す依代の側面を持っていた。
故に、これを縛りつけることは抑制の役割を果たし、これを解くことは解放を意味する。
分かりやすく言おう。
神宮寺薫という人間における、安全装置が今、外されたのだ。
この行為そのものに害はないが、証紋の精度は格段に違ってくる。
「この状態なら、『視える』。悪いけど、クドウくんからは離れてもらう」
先ほどまで私を歯牙にもかけていなかったクドウくんの視線が、明確にこちらを捉えているのが分かった。
獣じみているのは変わりないが、剥き出しの凶暴性に若干、怯えが見えた。
“また、彼を苦しめるつもりでしょ?”
クドウくんの口が動いたかと思うと、そこからは彼のものではない声が、彼のものではない言葉を発する。
“そうはさせない。わたしたちは、彼を勇者になんてさせない”
「そう。で? クドウくんに憑依して、どうしようというの? 逆に聞くけど、そっちこそ『それ』で彼が助かるっていうの?」
ある程度の考えは分かった。
だが、それは根本的な解決にはなっていない。
確かに目先の危険から久遠満を守ることは可能だろう。
しかし、それだって難攻不落の要塞というわけではないのだ。
それこそケルビムの卵の影響外に連れ出せるならまだしも、この状況そのものが、影響あってこそなのだとすれば……。
「私からすれば、程度の差はあれ、あなた達もあの男も変わらない。もうこの世にいるべき存在ではないのだから、あるべきカタチに戻るのが筋というものでしょ」
“じゃあ、だれが彼を助けるの? あの時、だれも彼を助けなかった。だれも、わたしたちを助けなかった”
救いはなかった。
シンプルな現実が、この地に眠る霊魂の総意なのだろう。
悔しいが、その一点に関しては太刀打ち出来る言葉を持たない。
確かに、ここに救いはなかったのだ。
唯々、人間の狂気と造り出された地獄が広がるばかりで、夜を一つ越えただけで、僅かな安らぎを覚えるような極限の環境にあったことは想像に難くない。
だが。
「私が助ける」
今は、違う。
今の神宮寺薫は、きちんと退けない理由を持っている。
“嘘。あなたに、なにができるの”
私の言葉に、ほとんど間を空けずに否定が返ってきた。
何が出来るのか。
そんなこと、私が知りたいくらいだ。
出来るか出来ないか、そんな簡単に答えを選べるなら苦労などない。
救いか絶望かしかない世界なら、とっくの昔に諦めている。
でも、私が生きてきた世界は、そんな単純じゃなかった。
何もかもが嫌になっていた昔でさえ、久遠麗華という人物に救われて。
自分の意志を押し殺していた過去でさえ、久遠満という人物との出会いで変わった。
いつだって、私が思っていた通りの世界は、なかったのだ。
「知らない。私は別に、自分が出来ることだけをする為に、生きているわけじゃないから。クドウくんは、私が助ける。出来る出来ないなんて、悪いけど知った事じゃない」
そう。答えは、ただそれだけ。
どうせ未来なんて分からないし、考えたところで結末は変化するものだ。
だから、私は前を向く。
「クドウくんは助けるし、あの男はぶっ飛ばすし、久遠先輩もちゃんと元に戻って……皆で『大変だったけど、何とかなった』って笑い合うの」
我ながら、なんとも欲深いことだと思う。
でも、それでいいのだ。
望む結果に向かって手を伸ばす尊さを知った今、それを諦めるほど物分かりの良い人間にはなれない。
「その為なら、私は幾らだって足掻いてみせる」
私の言葉に、どれほどの力があったのかは窺い知れない。
ただ、少しの静寂の後。
“どうして、そこまでするの?”
そう、彼らは聞いてきた。
それを、私は腰に手をあてながら呆れたようにため息を吐いて、答える。
「そりゃこっちのセリフ。あなた達だって、死んでもクドウくんを守ろうとしてるじゃん。どんな形であれ、お互い彼に救われた面があるんだから分かるでしょ。……いなくなられちゃ困るのよ、色んな意味で」
最後の最後に、なんともまぁ格好のつかない歯切れの悪さとなってしまった。
後悔しても遅いが、これが今の神宮寺薫の精一杯なのだと観念する。
今更ながら、当主失格という父上の判断があながち間違いではないことに、項垂れそうだった。
しかしながら、それが私――神宮寺薫の本心なのだから、納得する他ない。
いなくなられては、困るのだ。
ただ義務的に行っていただけの学校だって、からかい相手が出来てから楽しくなってきた。
久遠先輩や雲月君だって、校内で少し雰囲気が変わったと言われている。
全部、彼がいるからだ。
不死者である側面を知って尚、壁を作らずに接してくれるから、私達は少しだけ社会に心を開ける余裕が生まれている。
御役目として「維持」するべき対象でしかなかった社会が、いつの間にか自分も生きていく場所と思えてしまう。
だって、彼が一番、自然に不死者の世界と一般の社会とに同居しているから。
私達も、同じように生きていけるんじゃないかって、伏せた顔を上げてしまう瞬間がある。
“……わたしたちは、ずっと彼を見てきた。ずっと、無理矢理詰め込まれた証紋に苦しんでいた。ただの一度だって、自分のしたことに頷いた時はなかった”
「…………」
“だからみんなで決めたの。もしチャンスがあったら、彼を助けるんだって”
「みんな……つまり、あなた達は勇者の証紋の為に集められた試験体?」
“そう。その中でも、今こうして話している『わたし』は、福音に対して適性があったから、何度か彼と接触出来たの。だからこうして、みんなの代わりに話してる”
そう告げる声は幼い。
私の中で声と情報が一致するのが、ウィルの見せてくれた資料で見かけた白い少女くらいだったせいか。
自然と拳に力が入った。
「なら、その他大勢に伝えて。私は大家の神宮寺薫。不死者なら、大家の意味を知っている者もいるでしょう。クドウくんは、私達が助ける。約束するわ」
数秒、沈黙が流れた後。
“どうやって?”
そう、至極当たり前な返答が返ってきた。
それに素早く反応したのは、私ではなく後ろで注視していたウィルだった。
「逆に君達は、どうやってミツルを止めるつもりだったの? よしんば全ての事が上手く運んだとして、いつまでもその状態にはしておけないでしょ」
ウィルの質問に、意外にも返ってくる言葉はなかった。
それを返答と捉えたウィルは、「なるほどねぇ」と肩を竦ませるような口調でため息を吐く。
「精神的に操っているなら、同じ手法で止めるしかないってとこかな。でも、それじゃあミツルは救われない。結局、ボクらと君達とじゃあ、『止める』の意味合いが違うわけだ」
そして、クドウくんに憑依している彼らは、それを自覚している。
あくまで証紋的に止めることは出来ても、その先に繋がるものが望んだものであるとは限らない。
自分のした事と直面すれば、自ずとクドウくんは苛まれることになるだろうから。
「それで、幻覚を見せてるわけか。まぁ、苦肉の策として異論はないけど。……それなら手を貸して。いずれにせよ、ここに来た時点でクドウくんは自分自身と向き合う覚悟でいるの」
“また心が死んでもいいの?”
――また、という単語に息が止まる。
つまりは一度、彼はその状態に陥ったという言い回しだ。
「くだらん問答だ」
それを、魔法使いの声が一掃するようにはね除けた。
「死んでいながら、生者の生き様に口答えをするなど勘違いも甚だしい。そんなことだから、貴様らは地獄から抜け出せんのだ」
容赦のない言葉の羅列。
けれども、そこに誰もが反論すら出来ないのは――。
「生きている者を死ぬかのように扱うことは侮辱だ。心が死んでもいいのか、だと? 馬鹿め。そんな事で終われるなら、不死者になどなっていない。死にきれぬから、不死は証紋を振るってでも生きようとする。その生きる意志を。どのような人生であれ、先に進もうとする意志を――」
――その声が、まるで迷いを打ち払うかのような強さを伴っていたからだった。
「――愚かと止めることが、そんなに上等か」
その場が、静まり返る。
エレム公の言葉に、誰もが言葉を呑んだ。
厳しい口調ながらも、信じられないことに彼は「生きる者の意志を尊重しろ」と言ったのだ。
まして、それを死者が遮ることなど許されない、と。
「……ついでだから、私からも一つ」
だから、私もせっかくだし、一つだけ言わせてもらおう。
「守られる。それで、傷つくことだってあるの」
あれほど、自分の無力を感じることはない。
自分一人では何も出来ない。
クドウくんが、時にうわごとのように口にしていたのを思い出した。
きっと彼にとって、それは呪いのようなものなのだろう。
エレム公の言葉を聞いて、私自身も率先してクドウくんを守ろうとしていた事に反省をする。
彼はきっと、誰かと並んで歩くことを目指していたのではないか。
ただ守られるのではなく、支え合うこと。
だから懸命に、今自分が出来る事をこなしていたのだとしたら。
「クドウくんを守ってくれたことに感謝はしてる。でも、そろそろ彼も自分の人生を進めていかないといけない」
そんな彼を、せめて私達が信じなかったら、それこそ悲劇だろう。
「信じてあげて」
私の言葉に、すぐに返答はなかった。
迷いがあって当然だ。
彼らとクドウくんとの間に、どのような関係性が築かれていたのか、その詳細を知る術はない。
いや、あったとして、それはもう過ぎたことなのだ。
振り返ること、思い返すことは亡き者への手向けだが、今を生きる者を縛る鎖ではない。
“……そっか”
どう伝わったのかまでは、分からなかった。
けど。
“君はもう、ひとりじゃないんだね”
まるで安堵したかのような言葉が、初めてクドウくんの身体を介さずに伝わってきたのだった。




