遭遇
僕は、暗く静まり返った街を走っていた。
向かう先は、閑静な住宅街。
それが何処かなど、知らないというのに自分を止められなかった。
脳裏で、血溜まりに転がる誰かを想像した瞬間、今までの不安が消し飛ぶように突き動かされたのだ。
まともではない。自分でも感じている。
なのに、僕の「直感」は正確に目指している場所があるらしい。
それが先ほど、報道で見た場所だと信じながら、ひたすら脚を動かし続ける。
どれほど走っただろうか。
目指す場所は、まだ遠い。
ふいに立ち止まった場所を、僕は見渡した。
肩で息をしながら、そこが川沿いの遊歩道であることを認識する。
街灯が等間隔で並ぶそこは、昼間であれば穏やかに過ごせる場所なのだろうが、人気を取り払った夜の気配に呑まれると、途端に不気味さを増す。
「――――」
僕が目指している場所は、ここではない。
だが、直感ではなく本能が、今度は――「ここがお前の終着点だ」と告げていた。
足音もない、息づかいもない、衣擦れの音すらさせず。
まるで、瞬きの間にパッと現れたようにして、街灯を二つほど挟んだ先に、人影があった。
そしてそれは、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
街灯を避け、わざわざ闇に溶けるようにして歩を進める姿は、普段なら見過ごしてしまいそうなほど存在感が薄く、それでいて目が離せないくらい、今は異常に見えた。
悪寒がする。手足の指先が痺れていく。
この感覚はなんだ――一体、僕は何に怯えているんだ。
「クドウ、ミツルだな?」
その人影は、僕の名前を感情のない声で呼んだ。
ぞくり、と全身が総毛立つ。
名前を呼ばれただけで、今自分が命を握られていることを悟らされた。
何者か、と聞き返すよりも早く。
「その身、納めさせてもらうぞ」
動きは一瞬。
指を鳴らす、腕を上げる、何らかの合図があるのが定石だ。
マンガやアニメの知識ではあるが、状況が現実性を逸脱しているなら、むしろこちらの方が適任と言っても過言ではない。
だからこそ。
「捕らえろ」
たった一言で状況を変える。
それが、何よりも恐ろしいことだと、脳が理解する。
数体の気配が、呻き声を上げながらのそりと鎌首をあげた。
「な、なんだ!? こいつら!?」
輪郭は人。
だが、緩慢ながらも迫る気配に知性は感じない。
街灯から伸びる人工光が、その全容を薄らと暴いていく。
――濁った瞳。腐った表皮。それは、死して尚、動くヒトガタ。
冗談だろう、と両目を見開く。
異能? 超能力?
馬鹿げている。
・・・・・・死体を操っているとでも言うのか――!
「っ! くそっ!!」
反転し、その場からの退避を肉体に提案する。
動きが鈍かろうがなんだろうが、こっちは一人。
多勢に無勢。
逃げるしか道はないと、考えなくても分かるほどに縋る戦力がない。
「逃げるか。見た目ほど能無しではないな」
決死に腕を振り、脚を掻くような状況でも、男の声は嫌に耳に入る。
そもそも、あのゾンビ共はどっから沸いて出たんだ。
処理出来ないどころか、処理法もないような情報が神経に詰まり、エラーを起こしているようだ。
運動は勉強に比べれば、多少の覚えがある。
ドのつく田舎育ちであるからか、昔から体は頑丈だった。
「――!?」
数メートル先で、影がふらつきながら立ち上がるのを見る。
急いで振り返ると、少し距離は離れたが先ほどの動く死体は、変わらず僕を追って、その腕を前に突き出しながらよたよたと歩いていた。
動きは、本当に遅い。
だが、問題は数だ。
どんな絡繰りかはこの際考えても仕方がない。
言えることは――このままだと逃げ道を失うということ。
「・・・・・・」
相手もそれが分かっている。
速度で僕を捕らえようとしているのではなく、配置で勝負を決める腹積もりだ。
加えて、ゾンビ共はあの見た目だ。
一定の距離を保っていないと、とてもじゃないが恐ろしくて体が動かない。
今はまだ距離があるから脳が働くが、近づけば近づくほど負担も大きくなる。
「そら、脚が止まっているぞ」
「――――」
件の男は、ムカつくほど冷静だ。
既に背後は王手をかけられている。
たったさっき、前方もやられた。
今は左右から、新たな死体がゆらりと立ち上がっている。
状況は秒単位で悪くなり、選択肢も同じ早さで僕の手から滑り落ちていく。
「安心しろ。殺しはしない」
「・・・・・・そんなわけ、あるか」
誰が、この状況で信じるものか。
だが、男は僕の返答が気に入ったのか。
「同感だ。後のことは、此方の与り知る所ではないからな」
薄く嗤い、僕の終わりを予言する。
だが、もし――殺さないのではなく、殺せないのだとしたら。
あの男は、死体に「捕らえろ」と命じている。
もちろん、捕まった後の話は別だ。
「・・・・・・動いて、くれよっ」
恐怖で震える脚を、手で叩く。
捕らえる瞬間、それまではあのゾンビ共に殺傷能力はないのだと、死に物狂いで自分に言い聞かせる。
そうして、僕は男に再び背を向けると、真っ直ぐに駆けだした。
目前まで迫る異形。
それが覆い被さるように襲ってくるのを、瞬時に方向転換することで、なんとか身を躱した。
息が震える。
抜けた――うまく、躱せた!
そのまま、とにかく距離を稼ぐ。
遊歩道は直線距離が長い。
ここを脱して、もう少し逃げ手に有利な場所へ移動出来れば、本当に勝機があるかもしれない。
「ほぅ、面白い。・・・・・・では、その努力に報いるとしようか」
ぱちん、と指を鳴らすような音が小さく聞こえた。
「ガァァァアアアアア!!」
途端、獣のような咆哮があがる。
何事かと背中越しに見やると、そこにはもう、よくいる動きの鈍いゾンビなど、どこにもいなかった。
グルグルとケダモノじみた唸り声をあげて、それぞれが全力疾走でこちらを追ってくる。
「なっ――あの、ヤロウ!」
始めから、僕を弄んでいた。
否、どうせ逃げられないと手の内を隠していたのだ。
それで、僕は上手くいけば逃げられると勘違いをしていただけ。
そこからは、勝負ではなく一方的なワンサイドゲーム。
あっという間に追いつかれ、手を、足を、頭を、身体を押さえつけられてしまう。
遊歩道の冷たい石畳の上に、うつ伏せのまま磔にされているように動けない。
くそ、死体のくせにゴリラみたいな怪力だ。
違う――死体だからこそ、脳のリミッターが存在しないのだ、きっと。
「立ち回りは、悪くない。始めから結果が決まっていただけで、足掻き方に落ち度はなかったぞ、少年」
こつん、こつん、と。
男の靴音が、まるで死のカウントダウンのように聞こえ、近づいてくる。
恐怖が迫り上がる。
脳を麻痺させる。
――ここに来て、僕の異変が運命を決定づける。
「怯えているのか」
僕の身体の震えを、男はそう分析したらしい。
悲しく、悔しいことに、それは事実だ。
僕はひどく臆病で、事態がここまで最悪な方へ傾くと、もう身体は自由に動いてくれなくなる。
ただ怯え、蹲ることしか出来なくなる。
だからもう――僕はここで――――。
「ホント、どいつもこいつも、弱い者イジメばっか」
――刹那、白銀の光が視界を染めた。
何が起こったのか、一瞬では理解が出来ない。
誰かの声が聞こえて、視界が白くなって、なんだが頭上で衝撃音やら獣の悲鳴やらが聞こえた気がする。
けど、ふと気づいた時に一番の変化は、身体が動くことだった。
「・・・・・・・・・・・・」
僕は言葉を発するよりも、肉体を動かす方が重要と判断したらしい。
ほとんど本能にも近いその采配の結果、僕はうつ伏せで倒された状態から、なんとか仰向けになり上半身を起こすことに成功する。
そこで、強い夜風が吹き抜けた。
――なびく髪の尾。僕を庇うようにして立つ、神宮寺薫の姿が、そこにあった。
「貴様、この街の不死者か」
「そういうアンタは、この国の人間じゃないでしょ、死霊術師」
「・・・・・・目障りな鼻だ」
「ハッ、死臭まき散らしてるヤツの言うこと? よく鼻が曲がらないよね」
神宮寺さんは、臭いを手で払うような仕草をしながら、声だけを僕に向けた。
「怪我はない?」
「・・・・・・う、うん」
「なら、よし。後は、目の前の敵をぶちのめせば終わりだね」
言いながら、両手に御札みたいな長方形の紙を数枚、手にして構える。
「あの数をやるとはな。ただの死体だったとはいえ、侮れぬ証紋だ」
「それはどうも。なら、アンタが奥の手を出す前にやられてくれると助かるんだけど」
「それは出来ない相談だ。私も、目的があってこの地を踏んでいる」
いつまでも尻もちはついていられない、と僕はその場でなんとか立ち上がる。
その時とほぼ同時だった。
「すまない、ファーティマ。手を貸してくれ」
男が一転、優しく囁くように呟くと。
音もなく、その背後に――巨人が現れた。
「・・・・・・ちっ」
神宮寺さんが舌打ちをすると、僅かにその背が重心を低くした。
おそらくは警戒の意思が体勢に反映されたものだと思うが、僕からすれば警戒云々の話ではないように感じる。
男の背後に、突如として現れた青白い巨人は、先ほどのゾンビ共とは何もかもが違って見えた。
腕が左右合わせて六本、足は二本だが、あちこちに継ぎ接ぎのような痕がある。
そして、その貌はと言うと、目があるはずの部分はのっぺら坊であり、そのまっさらな仮面をくり抜いたように、耳まで裂けた口からは長い舌が伸びていた。
化け物あるいは怪物という表現が、ここまでしっくり来るほどの異形など、そうはいまい。
警戒どころか、あれは明確に驚異であることを怪物自身が物語っている。
「また、とんでもないモンを飼ってるなぁ」
「言葉に気をつけろ、娘。・・・・・・飼っているなど無粋な。彼女は、私の全てだ。貴様らの死生観では、この美しさを理解も出来まい」
「それはそれは・・・・・・ちょーマニアックな趣味だね」
軽口を叩きながらも、その声音に余裕はない。
無理からぬことだ。
ゾンビであれば、素体が人間だと分かる。
だが、あの青い巨人は人型でこそあるが、元人間である面影など僅かでしかない。
「死ね」
単純な処刑宣告。
たった二音で発せられた命令は、故に従う側の思考を必要としないのか。
大気の弾ける音がしたかと思うと、急に巨人の影が大きくなる。
速い――見た目通り、人間の基準など優に超えてくる速度で、巨人は神宮寺さんへ襲い掛かる。
しかし、彼女の反応速度もまた、僕の想像を遙かに超えた先にあった。
巨人が目前に迫る頃には、彼女の両腕が振りかぶった状態から、袈裟に振り下ろされる。
迎え撃つは、先ほどの白銀。
光の弾丸は同じ色の軌跡を残しながら、怪物めがけて飛翔する。
着弾と同時に光は弾け、衝撃が後ろに控える僕の身体まで届いてくる。
(・・・・・・なんだ、これ)
――――なんなんだ、この、戦いは。
巨人は確かに、恐ろしいまでの運動能力を持っている。
あんなもの、それこそダンプカーが突っ込んでくるのと大差はないだろう。
しかし、神宮寺さんもまた、僕にとっては規格外そのものだ。
一息の間に距離を詰めてくる怪物を相手に、的確な光の射撃でそれを相殺する。
まだ、相手が自分に向かってくると分かっている分だけ、あとはタイミングを合わせるだけだ、とでも言いたいのだろうか。
だとしても、立ち尽くすだけでも精一杯な僕からすれば、あの怪物が恐ろしくないのか、と聞きたくなるほど、彼女には気後れがなかった。
「成る程。そこの少年とは違い、相当の戦闘訓練を積んでいるな、娘」
「そりゃあね。こっちは、アンタみたいな法外連中をとっちめるのが仕事だし」
「・・・・・・やはり、そう上手くことは運ばんか」
男が、「ファーティマ」と怪物の名前らしき呼称を発声すると、巨人は主の元へ瞬時に飛び退いて戻っていく。
そして、決して晒さなかったフードの下を、ついにこちらへ見せた。
「忌々しいが、こちらも覚悟の上だ」
男は、白髪でこそあるものの若い顔立ちだった。
印象的な目は、どこか異国の――中東の風を思わせる。
黒いローブの懐から短剣を抜いて見せると、それで反対の指先を切りつけた。
人差し指を伝う朱い筋を、巨人の長い舌が絡みつくように舐め取る。
「魔力供給――!」
その行為を見ていた神宮寺さんが、聞き慣れているような、でもやはり聞き慣れていないことを口にする。
魔力って、あの魔力だろうか・・・・・・。
それが具体的に何を意味するかは不明だが、穏やかな印象は持っていない。
「魔力、などという言い方はやめて頂こう。血は液状の魂だ。これは――命を吹き込む、崇高な行いだ」
男が言うや否や、巨人が黒い星空へ向けて咆哮をあげる。
僕は魔力やそういう話は分からない。
けど――『印象』の話であれば、知識の有無は必要なかった。
その巨人は何も変わってはいない・・・・・・いないはずなのに、何かこう、もの凄く・・・・・・嫌な予感がする。
「じ、神宮寺さん――ダメだ。アイツに、近づいちゃダメだ!」
返る言葉も、素振りもない。
ただ、未だ僕の前に立つその背中は、自分よりも後ろには決して行かせないと、髪の尾を揺らしながら一歩たりとも動かない。
巨人が主であろう男よりも数歩前で出ると、初めて戦術らしき動きを見せた。
獣じみた無鉄砲な突撃ではなく、こちらを睨み据えるように直立し、緩慢な動きで重心を落とす。
入念な予備動作。張り詰める、必殺の気配。
それは、本能が捉える漠然としていながらも明確な「驚異」への警告。
「――――」
それに応えるように、神宮寺さんの右手が、髪の結び目にゆっくりと伸びた。
彼女も、相手の意図を察してか、何らかの対抗手段を用意しているのだろう。
それを、僕はただ黙って見ていることしか出来ない。
おそらくは数秒後の未来に、鮮明な不吉を感じ取っていながら。
「やめておきなさい、死霊術師」
それは、聞いたことのある声だった。
自然、全員がその声の方角へ視線を向ける。
相対する二組の間に割って入るように、美小野坂高校の制服が立っていた。
セミロングの黒髪が夜風を受けて横になびく。
そこには、久遠麗華の姿があった。
「加勢か」
憎々しげに、死霊術師の男が呟く。
「えぇ。手間取り過ぎたわね。これ以上続けるならば、そこの怪物と一緒に殺して差し上げるけど?」
「・・・・・・分からんな、この状況で我らを見逃すというのか」
まさか、と。
麗華さんは自然な動作で黒髪をかきあげ、分かりやすく相手を見下しながら。
「逃げる算段を終えているのは、そちらでしょう。手の内を明らかにしていない鼠を追い詰めるほど、向こう見ずでもないわ。ただし、奥の手を晒せばその限りではないでしょうが」
そう、相手の思惑を見抜いていた。
それが死霊術師にはどう映ったのか。
ファーティマと呼ばれていた巨躯の怪物が、複数ある腕の一組で主を抱えたかと思うと、飛び退いて闇に消えていった。
助かった――僕は、その安堵の気持ちが、真っ先に全身を巡る。
「先輩、どうして逃がしたんですか」
そんな僕を他所に、神宮寺さんは真剣な声でそう、問い質していた。
「貴女、分の悪い賭けがそんなに好みなのかしら。最悪、死んでいたわよ」
「その時は、相手も生きてはいません」
「そうね。別に、そこまで覚悟が整っているなら、貴女は好きにすれば? その死を受け止めるのは、そこの大馬鹿者だけれど」
・・・・・・麗華さんが僕に横目で視線を向けると、神宮寺さんもハッとしたように、こちらに向き直る。
最初こそ、お互いに視線や表情の意味は違ったものの、秒単位でそれは渾然一体――いや、同じ感情へと変化していく。
責める視線。明らかな不満を漲らせながら、僕の戦いはまだ、終わってなどいなかった、と知るのであった。
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場所を変え、ここは久遠の屋敷。
時刻はとうに三時を過ぎ、あと数時間の内には朝日が昇る。
壁に掛けた時計の針音がやけに響くリビングの床に正座をし、僕は二人の女の子を前に、視線を上げられないでいた。
肌で感じるだけで十分な程の、威圧。
まるで重石でも乗せられているかのように、身体が重かった。
「クドウくん、ちゃんと警告したのに、どうしてあんな時間にお散歩してたんですかぁ?」
にこにことした声音で、青筋を立てたような口調が神宮寺さん。
「本当、呆れて物も言えない。貴方が、そこまで生存本能に欠けているとは、想定外だったわ」
不満を隠すつもりもなく、ド直球にぶつけてくるのが麗華さん。
共通点は一つ。
――こわい。ただ、ひたすらこわい。
「黙っていないで、顔を上げ、弁明なさい」
家主の言葉に怯えながら視線を上げると、そこには貼り付けたように笑う神宮寺さんと、処刑人みたいな目で僕を見下ろす麗華さん。
なまじ二人とも美人なだけに、迫力が常人の域を超えている。
全身から冷や汗が吹き出るのも、納得の形相である。
「・・・・・・ご、ごめんなさい」
それが、精一杯だった。
というか、弁明をしろと言うものの、こんな状況では何を言ったところで焼け石に水なことくらいは、僕でも分かる。
先行する思考が辿り着く答えは、常に同じ。
謝罪。謝罪によるゴリ押しである。
「そんなことは分かっています。謝ることすら出来ないなら、まだ見捨て甲斐もありますが、きちんと反省の意思を持てるなら、話は別です。貴方、どうして外に出たの。屋敷にいるように、話はしたはずだけれど」
僕の唯一である謝罪戦法をあっさりと受け流し、麗華さんは話を進める。
しかし、僕にはそれが難しい一面もあり、同戦法に縋るしかなかったのである。
・・・・・・あの不穏。嫌な想像を、どう説明したものか。
「寝付けないから、ぼんやりテレビでも見て眠くなるのを待とうかなって。そしたら、たった今あった事件の報道をしてて・・・・・・学生の可能性があるって聞いたら、もしかしたら、その・・・・・・久遠先輩なんじゃないかって」
「私?」
「はい。嫌な想像が浮かんだんです。不安で、心配で。だから、気づいたらお屋敷を飛び出していました」
僕はまだ、美小野坂の街をよくは知らない。
なのに、あの時――まるで白紙の地図に目印だけある、みたいな感覚だった。
目的地を知らないのに、向かうべき地点は分かる。
振り返っても、本当に不思議な感覚である。
「・・・・・・だそうですけど、先輩?」
「そのニヤついた頬に、平手をお見舞いしてもいいのよ、こちらは」
ふと、緩んだやり取りが、僕の思考を引き戻す。
そこには、「心配でたまらなかったんだねー」と一転楽しげに笑う神宮寺さんと、僅かに顔を赤くしながら不遜な後輩を睨み付ける麗華さんがいる。
その反応で、僕も遅れて自分の発言にハッとした。
しかし、心配で居ても立ってもいられなかったのは、事実だ。
それを今更否定する方が失礼な気もして、僕は俯きながら押し黙ってしまう。
「とにかく。・・・・・・心配をしてくれた事は、分かったわ。無鉄砲が過ぎる気はするけど・・・・・・まぁ、言い分に一定の理解は示します」
「照れ隠し照れ隠し」
「そこ、五月蠅い。話を戻します。――何はともあれ、これで下手に出歩けばどうなるかは経験したでしょう。特に今は街全体が緊張状態にある。運があるかないか。それだけで明日を迎えられるかが決まる。今後は、夕刻以降に一人で外出することは禁じます」
「「――えっ」」
意外にも、反射的に声をあげたのは僕だけでなく、神宮寺さんもだった。
「久遠先輩・・・・・・それはちょっと、愛が重たいというか――」
「いい加減、ぶちのめすわよ」
割と本気な口調で、麗華さんは神宮寺さんを威嚇する。
「まぁ、それは冗談です、はい。でも、外出禁止は厳しくないですか? 変な噂立っちゃいますよ?」
「いつも通りじゃない。久遠家に関して噂程度の事であれば、それこそ生まれた時からあるもの。学校でもあることないこと、節操がないというか・・・・・・枚挙に暇が無いわ」
やれやれ、といった様子で麗華さんは最後にため息を漏らす。
あぁ・・・・・・あれは、相当な数の「噂」を見聞きして来たんだろうなぁ。
「うーん、私は反対です」
「・・・・・・そもそも、なんで貴女の許可が必要なのかしら?」
「いえ、それは別に。ただ、判断には少し早いかなって」
神宮寺さんは、至って真面目な表情でそう意見すると、僕に視線を向ける。
「最初、私が助けに入る前、クドウくんはあの死霊術師に襲われてました。それが、たまたまなのか、何か意図があったのか」
そこまで聞き、僕はあの男の言葉をふと思い出す。
――その身、納めさせてもらうぞ。
あれは、明確に僕の身柄を狙ったものだった。
「・・・・・・そういえば、あの男、僕の名前を知ってた・・・・・・」
それも、考えてみれば重要な点だ。
当然ながら、僕はアイツと面識などない。
一方的に素性が割れている、というのはどう考えても・・・・・・。
「やっぱり。クドウくん、そういうのは真っ先に報告する」
「・・・・・・・・・・・・はぁ」
僕の失態を指摘する神宮寺さんと、数秒唖然とした表情で固まり、最終的に額に片手を当てながら、それはそれは深いため息を吐く麗華嬢。
そ、そうだよね。
襲われていた理由次第では、僕の扱いはかなり変わってくるだろうし。
「だとすると、下手に屋敷で缶詰もまずいか。・・・・・・でも、私が警護するわけにも――」
麗華さんは、腕組みをしながらぶつぶつと一人考え込んでしまう。
そこに、神宮寺さんが解説を挟んでくれた。
「久遠家は、御紋会でも序列がかなり上の方なんだよ。だから、色々と片付けないといけない仕事あるの。幹部陣が集まる枢軸会議ってのも、定期的に出席しないといけないし。正直、一人でよくやってるなぁって思う」
「そ、そうなんだ・・・・・・。あれ、神宮寺さんは? 確か、御紋会の最高責任者って・・・・・・」
「うん、うちのお父さんだよ。だから、私は一応当主って立場だけど、先輩に比べたら全然。逆に先輩はご両親がまだ現役だから次期当主って立場だけど、国内にいないらしくて、数年前から実質当主って感じ」
「あれ、お父さんが当主じゃないんだ」
「兼任は出来ない仕組み。あれで、御紋会も中々面倒臭い組織でさ。癒着だの私物化だのを避けるとかで、色々と制約があるのよ。だから、先輩はクドウくんに付きっきりってわけにはいかないんだ」
なるほど。
聞いてはいたけど、僕の想像より遙かに多忙な様子だ。
夜出掛けて、何時に帰ってくるのかは分からないけど、あれで朝ご飯まで作ってるって・・・・・・ちゃんと睡眠時間確保出来てるのかな。
なんだか申し訳なると同時に、麗華さんの身体が心配になってしまう。
「はーい、久遠せんぱーい。優秀なる後輩から、提案がありまーす」
うんうん頭を悩ます麗華さんを見かねたのか、神宮寺さんが元気よく手を上げる。
それを、微塵も期待をしていない顔で見やる厳しい先輩。
しかし、後輩はそんなことにはめげず、進言をする。
「私達と行動するっていうのはどうですか?」
「・・・・・・詳しく説明なさい」
「はい。どっちにしろ、私も先輩も専属護衛ってのは無理じゃないですか。なら、クドウくんに付いてきてもらえばいいんですよ。どうせ、彼を狙う不死者を何とかしないと、それこそジリ貧ですし」
「護衛しつつ、彼自身を餌にするということかしら」
「まぁ、わざわざクドウくんが怖がるような言い方をすれば」
ホント、わざわざそういう言い方だよって教えてくれなくていいのに。
けど、ぱっと聞いた感じは、すごく理にかなっている気がする。
このお屋敷で息をひそめていても、居場所がバレてしまえば、襲撃に遭う可能性は十分にある。
むしろ、その場合ここは僕にとって大きな棺桶となってしまうだろう。
逃げ場も少ないし、閉鎖空間な分、追い詰められやすい。
相手からすれば強固な要塞かもしれないが、逃げ場所が判明している分、入念な準備もし易いし。
それは、麗華さんも同じようなことを思ったのだろうか。
「悪くない意見ね。どちらにせよ時間はかけられない。なら、学校での調整は貴女に任せるわ。私があれこれ先導するよりも、薫なら目立たないでしょう」
「あはは、久遠先輩に比べれば、ですけどね。でも、私は別にいいですよ。不死者って割と学校で孤立しやすいですし、そう友達が多い方でもないですから」
え――意外。
我らが麗華嬢はまぁ分かるけど、神宮寺さんなんかは気さくで人懐っこい感じするのになぁ。
「それに、私はクドウくんが本当に不死者かどうかも気になります。先輩は断定してますけど、証紋のこと、知らないんですよね、彼」
「まぁね。証紋については、まだ話していないわ。第一、性質上本人しか知り得ないものでもあるから」
「なら、尚更です。もし本当に不死者なら、証紋が相手の狙いかもしれません。いずれにせよ、彼自身の為にも多少の危険は冒すべきです。もちろん、本当は嫌ですけどね」
証紋。
なんか、記憶の片隅にぼんやりとあるようなないような・・・・・・かなり薄い記憶が、その単語を知っている気がする。
でも、詳細についてはさっぱりだ。
だから、僕は勇気を持って聞いてみた。
「あの、証紋ってなんですか?」
正座したまま、小さく右手をあげて、先生方へ教えを請う。
すると、先陣を切ってくれたのは、神宮寺さんだった。
「証紋っていうのは、不死者の持つ異能とか超能力とか、特別な力のことだよ。ある意味、不死者を証明するもの。あるいは、不死者である烙印って言う人もいるかな。だから、証に紋と書いて証紋。御紋会の名前の元にもなっている通り、すごく重要な事ね」
ふむふむ。
異能、超能力と変換するとイメージもしやすい。
ということは、あの遊歩道での戦いは、証紋同士のぶつかり合いということになるのだろうか。
その辺りを、まるで心の中が読めるのか、あるいはタイミングぴったりなのか、丁度麗華さんに担当が移った。
「裏を返せば、証紋を持たない不死者はいない、ということ。それは同時に、不死者同士の戦いは、その証紋同士の強みと弱みの探り合いに集約されるわ」
「じゃあ、さっきの戦いも、ですか?」
「ええ。例外はないと考えていい。だから、あの死霊術師は逃げたのよ。あの状況では、私の証紋は何一つ見せていないから」
「ただーし! こっちも、相手の手の内を全部読み切ることは出来なかったけどね。そこは痛み分けってやつかな。不満を見せちゃったけど、あのまま戦っていれば多分、私は死んでいた確率の方が高いと思う。先輩の言った通りね」
背筋が凍りつくようなことを、あっさりと口にする神宮寺さん。
けど、二人の説明で何となくの把握は出来た。
「証紋については、奥が深いというか、底が見えないからあまり考え込む必要はないわよ。少しずつ、知っていることを増やしていけばいいわ」
麗華さんが、最後にそう締めくくる。
雰囲気も一区切りつき、僕もそろそろ時間が気になり始めていたところだった。
「遅くまで付き合わせて悪かったわね、薫。そろそろ帰らないとでしょう。井村に送らせるわ」
「いえいえ。私は、初めて先輩のお家にお邪魔出来て楽しかったです。意外と内装も落ち着いてて、なんだか思わぬ好印象でした」
「まるで私が贅の限りを尽くしている、みたいな印象をお持ちのようね」
「だってお金持ちじゃないですかー。別に神宮寺家も貧乏ってワケじゃないですけど、正直先輩のお家は異次元ですよ異次元」
「稼ぎが良いのは本当でしょうね。でも、私が稼いだわけじゃないから、あまり興味がないわ。一体、今もどこで何をしているかも分からないし、あの人達」
――あの人達、というニュアンスに少し、寂しさを覚えた。
あまり、ご両親とは仲が良くないのかな。
それはあくまで胸に内に秘めて、神宮寺さんを見送ることにした。