地獄2
「――ハイストリア?」
聞き覚えのない呼び名に、神宮寺薫だけでなく久遠先輩も首を傾げる。
それには、先ほどまで流暢に語っていた天の使いもまた、目を見開いていた。
「……さては、秘跡調査会の使い走りではないな?」
異形が、憎々しげにウィルを睨んだ。
それを、聖女は臆することなく受け止めながらも、背景を語り出す。
「ミス・クオンと同じさ。貴方の源流は日本ではなく、海外にある。古い錬金術師の家門で、錬金と信仰を掛け合わせた技術の発明元だよ。とはいえ、本家筋の血脈は既に途絶えている。あくまで、鑑の一族は分家筋。それも、親戚とすら呼ぶのが難しいほど遠縁のね」
「え、先輩……も?」
私の疑問を掻き消すように、「クオン」という名前を聞いた瞬間、地響きのような音がして身構えた。
「――クオンだと?」
音の方を見やれば、そこには女神像の膝元で上半身を起き上がらせた異形の姿がある。
「さては、あの久遠一弥と久遠みつりの子供かっ」
「どうして、あの人達の名前を……」
「ハ、ハハハッ! どうして、だと? そんなことも知らずに、ここへ来たのか!」
異形――いや、鑑孝文はパンパンに膨れた手で寝そべっていた台座を叩きながら、ひとしきり笑った後に続ける。
「覚えているとも、君の両親を。忘れるものか。――麟道将と飫肥姫から、器を奪取する際、障害として最も警戒したのが久遠家だったのだからね」
「……器?」
「そうとも。勇者の証紋を納めるに、相応しい器――あぁ、そう言えば、久遠の名を貸していたのだったな? 実に滑稽な茶番だったよ。不死にとって血脈を表わす家名は、大きな意味を持つ。これを以て系譜という呼び名が定着したのだから、当然か。それで欺いたところで、所詮は『家族ごっこ』にしかならんというのにな!」
器。
その単語に、分かっていても嫌な感情が胸中に溜まっていく。
おそらく、鑑孝文の言う器とは、今までの情報から見てもクドウくんである可能性が高い。
それだけでも十分に嫌な知らせだが、先輩にとってはそれ以上に。
「貴方、知っているのね?」
「ん?」
「九年前、何があったのか――」
隣で、「わっ」と聖女が短く声をあげた。
反対に私は、突然床から伝わってきた振動に、声は出ないが肩が跳ねる。
ウィルを挟んでその隣、久遠先輩が抑えきれない感情をぶつけるように、踵で地面を踏み抜いたのだった。
先輩にとっては、それ以上に意味のある情報だったらしい。
「――何があって、満が『あんな風』になったのか、知ってるんだなって聞いてんだよ、オイ」
私もウィルも、固まって動けない。
声は久遠麗華そのものだが、言葉使いは今の今まで、一度だって聞いたことがないものだった。
怒りに呼応するかのように、先輩の双眸の金色が更に強くなった気がする。
それだけじゃない。
(――え、嘘、でしょ)
魔力感知が出来ないこの状況下で、先輩の反応だけが感知出来るくらい、強くなっている。
つまり、内側の魔力量と濃度が秒単位で膨れあがってきているのだ。
「おや、その歳で既に久遠の秘奥を修めるか。やはり、運命とはつくづく忌々しい。……仮初めの生を受けても尚、立ちはだかるのは大家とは」
「話せ。満に何をしやがった」
「驚いたね。知りたいのか? そうかそうか。なら、教えてやろう」
言葉を武器にする秘跡調査会だからこそ、なのだろう。
ウィルが即座に、「ミス・クオン! 聞いちゃダメだ!」と制止する。
が、遅い。
「彼には勇者の予行練習をしてもらったんだよ。元々器としては申し分なくてね。ここでは、彼に勇者としての振る舞いを学んでもらっていた」
――主に、敵の倒し方というやつを。
「是非、君達にも見てもらいたかった! あの素晴らしい殺戮を! 虫一匹殺せないような少年が、意図も容易く人体を肉塊へ変える、あの力を!」
「……それで」
「ん? 他に何が聞きたいのかな?」
「それで、満はどうしたんだよ」
「どうしたか? 決まっているじゃないか。困惑だよ。証紋による殺人だ。自分の意志で行ってはいない。だが、だからこそ愛おしい。だからこそ我が子のように想える。快楽を伴う殺人など、なんとも醜いものだ。行為の後、怯えるように後悔する姿こそ、美しい」
噛み締めるように、異形は甘美の表情を浮かべながら翼を仰ぐ。
「時に罪悪にのたうち回り。時にこびりついた悲鳴から逃れるように、叫び続け。時に潰した肉の感触から、食事を吐き出し。時に手折った骨の感触から、また食事を吐き出し――――」
耳を、覆いたくなる。
話を一つ聞く度、脳裏にクドウくんの顔が浮かび上がっていく。
気弱だけど優しく、疲れていると包み込んでくれるようなあの笑顔が、どんな想いでつくられているものなのか、私まで感情が掻き乱されていく。
「点滴からでしか栄養を摂取出来なくなり、痩せ細っていくその様はまさしく、勇者に近づいていく過程そのものだった! 人間としての姿を剥ぎ取り、救済という概念の輪郭に近づいていく姿は、即身仏を見ているかのようだった。あれは、人が神聖に成るその記録だったのだよ」
天を仰ぐ異形が、ぶるり、と全身を震わせた。
「あぁ、やはり君は――私の全てだよ、クドウミツルくん」
どこか生理的な嫌悪感を覚える身震いに、私は後退ってしまった。
この場に来たことに激しく後悔すると同時に、一秒でも早くクドウくんを助けたい思いで、脳が正常に機能しなくなりそうだ。
こんな生物が、存在していいのか。
もはや人の姿すら失いながら、精神性は何一つ変化していない異常性に、ただ愕然とするしかない。
そう、鑑孝文という男は、生前からこうだったのである。
「分かった。……もう、喋らなくていいぞ、オマエ」
久遠先輩がそう言った瞬間だった。
「先ぱ――っ!」
私が声をかけるより早く、久遠先輩の周囲を魔力の渦が暴風のように唸りを上げた。
それは一種の壁となり、私もウィルもその場からはじき飛ばされてしまう。
「い、ったぁ……」
「ウィル! 大丈夫!?」
「なんとかね~。君以上に丈夫じゃないんだけど、運が良かったかな」
「あんた余裕ね! 久遠先輩――どうなってんの? あの魔力量、御紋会でも見たことないんだけどっ!」
それこそ、魔剣使い――クレオンの時かそれ以上だ。
感情でリミッターが外れた状態だというのは、すぐに分かる。
私だって、今すぐにでもポニーテールから髪を下ろして、全力をあのクソ野郎にぶち込みたい気持ちだ。
ただ、久遠先輩のはその限度すら超えようとしていた。
「自爆させる気だね」
「やっぱり!? でも、さすがに先輩だって――」
「だから『聞くな』って止めたんだけど。福音の影響で天使化している以上、今の彼の言葉には力が宿っている」
緩慢な動作で起き上がり、修道服についた砂埃を手で払いながら、ウィルは続けた。
「信仰において、思想の他にも声や音は力の媒介になる。ボクは元々その類いには耐性があるし、ミス・ジングウジは良くも悪くも『神秘』を寄せ付けないでしょ? だから、身体を鍛えてるわけだし」
「こんな時だけど、マジで……なんで知ってるわけ?」
「そんなに知りたいなら、後で教えてあげるよ。お互い、無事に生きて帰れたらね」
言われ、私も再び、先輩の方へ目を向ける。
荒れ狂う魔力は未だにその勢力を強め、それを感知出来る私は冷や汗が止まらないでいた。
量だけならば、百歩譲って理解しよう。
それだけでなく、濃度までもがどんどんと濃くなっていく。
確かに内側に眠る魔力を解放すれば、量に関しては理屈が通せないこともない。
だが、魔力濃度というのは話が違ってくる。
これは明確な魔力操作が必要であり、通常であれば魔法分野の技術だ。
そして、この量と濃度は本来、両立はしない。
量を圧縮して濃度を上げるしか、方法がないからである。
無論、生まれつき高濃度の魔力を宿しているならば別だが、それはそれでもう人間の域を外れている。
そして魔力量は通常、本人の限界量を超えることはない。
だから、量も濃度も青天井に上がっていくなんてのは、もはや自爆とかそういう話でさえ、ないのである。
魔力焼け狙いであるのなら、とっくに先輩は人体が崩壊していてもおかしくはない量と濃度なのだから。
「……そうか」
「え?」
「そうだったんだ、ミス・クオン」
「ちょ、一人で勝手に納得してんなっての!」
こっちは何も分かっていないってのに。
「君も、ミツルを愛していたんだね」
だから、突然の言葉に、私は今度こそ脳内を真っ白にするような衝撃を受けたのだった。




