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アンデッド  作者: 無理太郎
Episode.3 三つ巴
55/89

人の罪

 私――神宮寺薫は、この時ほど不死として生まれたことを後悔したことは、なかった。

 見つけた資料は、錬金術を基礎とした創造理論の道程であった。


 古く、人は救いを求めた。

 その多くは自己ではなく、他者へ。

 自力ではなく他力へ。

 偶然ではなく、運命ひつぜんへ。


 ――都合良く救われたいと願う一心が、一つの罪を産み落とした。


 象徴という証紋に統合され、その一つとされる「勇者」。

 それは、原初における人の罪であり、結論的な救いの形でもある。

 最小単位の犠牲を確約し、それ以外の全てを救う、まさに究極の救済。

 勇者という生贄を捧げて掴み取る、未来の輝き(あじ)は、さぞ格別であろう。

 友人ではなく、同情に値するだけの他人であれば、人はいくらでも犠牲に出来る。

 胸を痛める程度など、所詮はマナー程度の意味合いしか持たない。

 実際に行動に移せる人間がどれほどいる。

 実際に主張出来る人間がどれほどいる。

 祈りや哀れみなど、犠牲へ向けた礼儀に過ぎないのだ。

 心の底では、誰もが「最小単位の犠牲で、最大範囲の救済が確約される世界」を望んでいる。

 人の歴史、人の群体としての行動がそれを指し示しているのだ。

 だからこそ、我々は勇者を創造する。

 かつて第一紀においても、人々から讃えられ、崇められ、死地へと送り出された崇高なる犠牲を、我らが創り出すのだ。

 この日本という国には、それだけの能力つよさがある。

 建前で哀しみ、本心で安堵するだけの醜さがある。

 口先だけであり、行動に移せぬ弱さがある。

 これこそが、人のあるべき姿。

 世界を平和へと導く、原初の罪を背負う者らの鋼のような弱さである。

 これほど己の弱さを知りながら、変化することの出来ぬ人種こそ、勇者の恩恵を授かるに相応しい。

 何故ならば――。


 ――勇者もまた、その弱き者から選び出されるのだから。


 強く逞しい生存への執念と、幸福を求むるその空腹と、揺るぎない犠牲への容赦――それらを人類原則の信仰よっきゅうとして、創造理論の礎とする。

 ここに魔法による運命収束と錬金術による輪郭改竄を施し、器への格納まで至れば、人工証紋「勇者」の実現となるだろう。


「――――」


 呼吸すら忘れそうになるくらい、脳も意識も凍りついていく。

 次の瞬間には、視界が真っ赤になるような怒りに突き動かされていた。


「ふっざけんな!」


 叫びながら、書類を床に叩き付ける。


「薫。落ち着きなさい」

「落ち着けませんよ! こんなの、落ち着けるか!」

「薫」

「ここの連中、自分を神様か何かだと勘違いしてんですよ! 信仰による創造理論なんて、盲信狂信の類いと何が違うって言うんですか!? こんな……こんなの、どうかしてる!」


 堰を切ったように吐き出された感情は、自分でも驚くほどハッキリとしていた。

 ここで行われていた研究は、ただの妄想。

 きっとこうなるに違いない、というその一点でのみ繰り返された、人間の狂気だ。

 鑑総合病院の名は見つけられなかったが、防衛省からの返信で「鑑孝文」の名前があった。

 おそらく、御紋会幹部の鑑蓮と何からの関連性があるだろう。

 しかし……だとしたら、このおぞましい実験に御紋会が関わっていたということになるのだろうか?

 そう考えると、その犠牲者であったかもしれないクドウくんへ、どう顔向けすればいいのか分からなくなる。


「薫。今は真相を明らかにするのが先よ。後悔は、未来でも出来るわ」

「……もしかしたら、私達、加害者かもしれないんですよ」

「それを決めるのは、私達じゃないわ。そうだとしても、事は親の代に起こっている。先に殴り飛ばす相手がいるでしょう」


 先輩の言う通りだ。

 もし本当に御紋会が絡んでいれば、私は絶対に父上を許さないだろう。


「けど、先に一番身近な問題から取り組む必要があるわ」


 私の狼狽ぶりを見ても、一貫して落ち着いている先輩に違和感を覚える。


「何ですか、一番身近な問題って?」

「だって、ここが鑑総合病院なら存在していることがおかしい。九年前に取り壊しを受けている建物が、どうして今あるの? そして、これだけの資料がどうして残っているの?」

「そ、それは……」

「自分の罪に怯えても、満君は楽にならないわ。不死者として、自分達の不始末には自分達で立ち向かわないと」


 久遠麗華せんぱいの言う通りだ。

 あまりに身勝手な思想にあてられ、感情が爆発してしまっていた自分を恥じ入る。

 それと同時に後悔もやってくるが、私はそれを頭を振ることで振り払った。

 息を整え、クドウくんの方を見やる。

 今のやり取りを見ていたなら、きっとまた不安げな表情でこちらを……。


「……クドウくん?」


 彼は、書棚から手に取ったのか、一札の本を手にしたまま、私と先輩をじっと見返していた。

 そこに強烈な違和感があるのは、表情が消えているからだろう。

 無表情という言葉があるが、それが自分に向けられると、こんなに不穏な気持ちになるのかと微かに驚く。

 クドウくんは私が知る限り、とても表情豊かな人だ。

 妙に強がったり、普段の気弱な感じからは想像もつかない行動力を発揮することもあるけど、その一挙手一投足に裏表がない。

 だから、私は彼の無表情というものを、見たことすらなかったのだ。


「…………」


 嫌な沈黙が続く。

 さすがに先輩も異変を感じ取っているのか、その場からクドウくん……のはずである人物を見据えるしか出来ないでいる。


「…………満君?」


 先輩が思わず声をあげたのは、彼に動きがあったからだった。

 私達から視線を切ったかと思うと、踵を返して部屋の外へ出て行こうとする。


「一人で――」

「――先輩待って」


 その背を追いかけようと身を乗り出した先輩を制止して、私はクドウくんが部屋から出て行くのを見届けた。

 そしてその瞬間、違和感が確信へと変わる。

 素早く符を取り出し、証紋の力を込めてクドウくんが出て行った部屋の扉へ向けて、投げつける。

 それが扉へ触れたと思うと、符が黒く変色しボロボロと崩れてなくなった。


「罠です。あの扉の先は、踏み込んじゃ行けません」

「満君はその扉の先に行ってしまったわよ。……偽物?」

「たぶん。ただ、一体いつすり替えられていたのかは不明です。全然気づけなかった……」


 今ので、置かれている状況が一部理解出来た。

 問題は、相手が誰かも分からず、どうやってこの状況を作り出しているのか、その道理が皆目見当もつかないことだった。

 数秒扉を睨み据えていると、ぎぃぃ、と立て付けの悪い音をあげながら、ゆっくりと扉が開く。

 指先まで緊張が走る中、扉の先にいたのはやはり、無表情のクドウくんだった。


「なんで、おいかけないの?」


 クドウくんの声が、私達へ問い質す。


「ぼくのことが、たいせつじゃないの?」


 それに。


「気色の悪いことしないでよね。クドウくんは、自分が助けられて当然だなんて言い方、口が裂けてもしないよ」


 今度はしっかりと、怒りを以て私は返した。


「……なぁんだ、バレてたんだ。つまんないの」


 模倣の意味がなくなったからか、声がクドウのものではなくなっていた。


「次はかくれんぼだよ。見つけられるかな?」

「――先輩!」


 肉眼で察知した気配に声をあげる。

 意図が伝わったのか、先輩も相手の動きを読んだのか――お互いに逃げられると察した瞬間、危険を承知で踏み込む選択を選ぶ。

 まるで弾けるように駆けだした先輩が、クドウくんを皮を被った何者かの首根っこを鷲掴みにする。

 その勢いのまま廊下の壁に叩き付けるが、瞬きの間に――クドウくんの姿も、手にしていた本も何も、その場からは姿を消していた。


「くそ……薫、後は追える!?」

「さっきから魔力の痕跡を追ってますけど、ダメですっ」


 というか、普段は点で感知出来るはずの魔力反応が、一帯全て「同じ反応」を示しており、自分達の現在地すら危うい状況に嫌な焦りを感じていた。


「まるで魔力の霧です。点も面も同じ反応で……まるで『夜のカラス』ですよ、これじゃあ」

「建物内だけ?」

「いいえ、建物外も。おそらく、この施設一帯が範囲です」

「……しまった。そこまでの広範囲とはね。じゃあ、足で探すしかないってことかしら」

「端的に言えば。ただ、問題があります。相手は既にクドウくんを、何らかの手段で確保しています。空間転移の類いだとしたら、闇雲に捜し回っても無駄だと思います」

「この手の相場は、有効範囲や条件が明確に定まっているはずよ。もし施設一帯を覆うほどなら、相手が二枚も三枚も上手ね」

「クドウくんは心配ですけど、早く助け出す為にも元を断つしかないです」


 お互い、焦りはある。

 けど、それがこれ以上、自分達の判断を鈍らせない為にも、努めて冷静な口調を貫く。

 私は窓から外を確認する。

 天は青空を保っているが、焦燥する気持ちを抑え、つぶさに観察した。

 景色にこれといった変化はない。

 次に、先輩が駆けだした場所を確認する。

 床にこれといった変化はない。

 次に、廊下からこちらへ戻って来る先輩――の更に奥の壁と床をよく観察する。


「……先輩」

「どうしたの? 何か見つけた?」

「はい。急なお願いですけど、この窓ガラス――割ってみてもらえますか」


 瞬間、目の前を一陣の風が通り抜ける。

 全面的に私の魔的なものへの観察眼は信頼されていたのか、返事すら飛ばして、久遠麗華かのじょは鋭い蹴りを優先したのである。

 槍のような一撃は、当然のように窓ガラスを豪快に破壊し、そこから外気が入り込んで――。


「割れて……ない?」


 音も感触もあったはずだが、窓ガラスは先輩が足を降ろす頃には、元の姿を保っていた。

 先輩は怪訝な表情を浮かべながら、次は普通に窓を開けてみる。

 がらら、と音を立てて窓が開き、瞬きの瞬間には元の閉まった状態に戻っていた。

 なるほど。

 そういうことか。

 私が状況を説明するまでもなく、先輩は「よく気づいたわね」と感心してくれた。

 正直、先輩が全力で動いてくれたおかげだった。


「先輩のおかげです。普通、あれだけの初速で動こうとすれば、靴痕くらいつきますよね。先輩の履いてる運動靴、底が黒いから余計に痕が残りやすいはず。あと、さっきクドウくんもどきを叩き付けた時も同じ。この建物、どんな些細な変化も修繕してるんです」

「時間を巻き戻してるってこと?」

「いえ、回復に近いです。気持ちの良い話じゃないですけど、この施設一帯が『復元されたもの』と考えれば、取り壊しを受けているのに存在している理由にも、説明がつきます」

「なるほど……。だから、復元された状態を維持しようとして、今みたいな現象が起こるのか」

「はい。そう考えれば、施設一帯が同質の魔力反応で満たされているのも、納得出来ます。これは巨大な復元空間です。それを細部まで再現、維持するために、魔力で満たされている」


 この魔力そのものに、毒性や魔性があったら詰んでいた。

 それくらい、この場所は大がかりで異常な空間だったのだ。


「ボクがいなくてもそこまで把握出来るなんて、流石だね」


 突然の声に、身構える。

 聞き覚えのある声だが、油断ならないジャンルに分類されているのが残念でならない。

 視線を向けた先には、修道服姿の聖女――ウィルセントが立っていた。

 隠す気もなく呆れ顔のままため息を吐き、腰に手をあてながら、まるで子供を諫めるような口調で続ける。


「それはそれとして――あのさぁ、どうして君達がここにいるわけ?」

「「――はぁ?」」


 お前が言うか、という心境がリンクしていた為か、私と先輩がまったく同じ反応を突き返す。


「ついさっきまでは大人しかったのに、急に孵化の準備段階に入るから何事かと思えば……君達が原因でしょ」

「こっちの台詞だっての! 秘跡調査会の罠でしょ、これ!」

「はぁ? ……って待った。そこで真っ先に秘跡調査会の名前が出てくるのはどうして?」


 こいつ、この状況でよくそんな素っ頓狂な事が言えるなマジで。

 腸が煮えくりかえりそうになりながらも、貴重な情報源であることも事実なので、必至に抑え込みながら言葉を返す。


「シスター・マリアから、ここの情報を聞いたからよ。覚悟はしていたけど、まさかこんな大袈裟な舞台まで設置していたとはね。……ホント、油断ならないわ」

「あちゃぁ……シスター・マリアのところに行ったんだ。んもぅ、罠だって分かってるなら来ないでよ。わざわざ怪物の口の中に入っていくことはないでしょ」

「だぁかぁらぁ! それをアンタが言うなっての!」


 神経を直に逆撫でされている気分だが、手が出ていない私を誰か褒めて欲しい。

 それは隣の久遠麗華も同じなのか、ポキポキと指の関節を鳴らしながら、現状の詳しい説明を吐くよう、脅しをかけていく。

 それを、聖女はがっくしと肩を落としながらため息を吐き、私達へ歩み寄りながら話し始めた。


「ケルビムの卵だよ。正確には、タナトスの第十三席に名を連ねる不死者」

「そいつが、この現象を引き起こしているってこと?」

「うん。詳しく言えば、ボクらは今、そのケルビムの卵に閉じ込められている状態。不死者って言っても、ケルビムの卵は完全変態を遂げたタイプの不死者で、既に人の形を失っている」


 人の姿をしていない。

 その言葉に、私と先輩は言葉に詰った。


「そりゃ驚くよね。この時代の不死者で、人の姿を損なうなんてのはあり得ない。そういうのはもう、第一紀で終わっているはずなのに。……でも、ケルビムの卵の元である不死者は、その域にまで達してしまった。故に、ただの『事象』と化した彼は、タナトスによって回収され登録された……こんなところかな」


 ちょっと待って欲しい。

 脳が追いつかないけど、言っている意味の一つ一つは分かる。


「じゃあ何? このケルビムの卵? だっけ――単独で動いてるわけじゃないの?」


 私が聞くと、当然のように聖女は頷いた。


「あくまでケルビムの卵は事象だからね。だから、別の何者かが設置したんだよ。孵化を目的としてるのか、目的の為に孵化させたいのかは不明だけど」

「……どんどん状況が悪くなっていくわね」

「同感だよ、ミス・クオン。おかげで、ボクまで閉じ込められちゃった」


 タナトス――その名称に、一気に自信が萎んでいくのが自分でも分かった。

 怪物級の不死者達とは知っていたけど、いざ対峙すると馬鹿馬鹿しく思える次元だ。

 これが一つの存在によって引き起こされているならば、ただ魔的に復元された空間に閉じ込められた、という事実では留まらないだろう。


「それ、孵化するとどうなるの?」

「さぁね。完全に孵化したことはないから、なんとも。過去の例では、ケルビムの卵は『愛の物質化』を行った。それが、親愛であれ愛憎であれ、人が人を想う感情を存在化させる。……どうやら、元々この地にはミツルに対する想いが眠っていたみたいだ」


 言いながら、聖女は肩から提げているショルダーバッグから、ファイリングされた資料を取り出した。

 それをこちらへ差し出し、「どうぞ」と閲覧を促してくる。

 警戒しながらも私は受け取り、久遠先輩と二人で中身を改めた。

 収められていた情報は、不死者達の人物情報だった。

 おそらくは、この施設――鑑総合病院に連れてこられた、不死者達のものだろう。


「証紋研究の側面もあるけど、一部の不死者は明確に『ある目的』の為だけに、収監されていたみたいだね」


 言葉ではなく視線で、私は続けるように訴える。


「勇者の創造だよ。その過程における、戦闘性能の試験体として彼らは生かされていた。まぁ、初めは素体として扱われていたんだろうけど、次第に無理があることを理解した。最終的には最適な器が見つかったようだし、より適した使い道だったんでしょ」

「……ちょっと……子供までいるじゃんっ」

「だね。証紋的に価値があれば、年齢性別に拘ってはいなかったみたい。宗教や信仰って、そういうものだよ? 神のは大陸よりも広い。あらゆる人々を受け入れるんだ、そりゃあ――あらゆる素材ひとびとがいても、不思議じゃない」


 はぐっていくページの中で、中性的な子供を見て、思わず手が止まった。

 年齢は八歳。性別は女。用途は――――生殖?

 自然と、口元を手で覆っていた。

 書いてある内容が、常識を飛び越え過ぎていて、理解を拒否している。


「ウィルセント」

「ウィルでいいよ。教会でも、シスター・ウィルで通っているし」

「ウィル。貴方、ここの責任者について、何か知っているの?」


 それは、先輩なりの気遣いだろう。

 きっと、今の私はひどく青ざめているに違いない。

 少なくとも、気分は最悪だった。


「ここに用途が生殖と書かれた不死者がいるわ。まぁ、なんとなく想像はつくけど、そこまで俗物的な役割まで果たしていたのかしら」

「あぁ、それね。ボクも最初はそう思った。若い女性体ばかり集めていたようだし。……けど、当時の責任者・鑑孝文はそれを超える狂人だったよ。彼はね、勇者の他にも福音のコピーに手を出していたんだ。自分の肉体に証紋を移植して、その遺伝子を『通常の繁殖行為』によって遺伝させることで、特定の証紋を正式な形で覆製しようとしていた」


 まさに、神をも恐れぬ所業だよね、と聖女は視線を落とす。

 正気の沙汰ではない。

 不死であるかどうかに限らず、証紋の移植なんて行えば、十中八九副反応が出る。

 一般の人間で例えれば、腕を四本に増やしたり、頭を二つにしたりするようなものだ。


「証紋のロンダリングだよ。自分を種馬として、彼はそれを行っていた。自身の性欲や快楽までもを、研究に有効活用しようとしていたんだね。うん、ここまでおぞましい人間は、ボクも久々に見たなぁ」

「福音って、あの聖典の?」

「そうだよ。どこで手に入れたかは分からないけど。福音関連の証紋は秘跡調査会の独占事項だ。結果として彼の考える覆製は失敗に終わったようだけど、証紋の遺伝――いや、感染自体は一定の成果を示したみたい」

「感染って、まさか」

「鑑孝文は男でしょ。彼に移植したのは仕方なくじゃない。『相手は女性』でなくてはならなかった。女が男に生物的に遺伝子を残すことは不可能だからね。もう分かってると思うけど、鑑孝文と性行為を行った試験体達は福音の影響を受けて、『天使化』したとみられるよ」


 ここまで聞いて、この施設が取り壊しを受けた意味が、ようやく腑に落ちる。

 今聞いた内容が事実なら、間違いなく最狂の人体実験だ。

 非人道的などという範疇ですら収まらない、筆舌し難い所業と断言できる程に。


「ミツルがいないようだけど、彼も一緒に来たんでしょ?」

「えぇ。何者かに身柄は奪われてしまったけど」

「ま、それは仕方ない。相手の狙い――というか、目的はミツルだろうしね。正直、ボクらのことは割かしどうでもいいはずさ」

「ホント、クドウくん人気だよねぇ。今は、そのおかげでこうした時間が取れるって前向きに捉えるしかないですよね、先輩」


 既に戦闘態勢には入っていたものの、すぐ傍で指の骨を鳴らす久遠先輩の様子を見て、内心は同じなのだと確信する。


「後悔させてやりましょう。売られた喧嘩は最高値ぜんりょくで買い取ってやるわ」


 私達が相手とやり合うつもりのなのは、聖女にも伝わったはずだ。

 正直、この少女――ウィルはまったく信用出来ない。

 出来ないが、置かれた状況がお互いに良くないならば、利害関係を共有することは可能かもしれない。

 気乗りはしないものの、敵を同じくするならば私個人の好き嫌いはひとまず脇に置いておくべきだろう。

 だから。


「で、あんたはどうするの? 閉じ込められたってことは、私達の邪魔をする暇はないんでしょ?」

「……あれ、ボクのこと信用してくれるの?」

「馬鹿言わないで。けど、あんた確かタナトスが何とかって言ってたじゃん」


 そう。

 私が私情を除いて共闘の道を探しているのは、その発言を覚えていたからだった。


「そうだよ。ボクの目的はタナトス。よく覚えていてくれたね、ミス・ジングウジ」


 ありがとう、と調子の狂う謝意を向けられ、咄嗟に顔を逸らしながら続けた。


「別に、要注意人物だから覚えてただけだっての。んで、この状況を何とかするのに、手を貸すつもりはあるわけ?」

「もちろん。遅かれ早かれ、手は打たないとだったし。孵化の体勢に入った以上は、止めないと厄介な事になるのは間違いないからね」

「じゃあ決まり。先輩も、その点は構いませんよね?」

「異論はないわ。早速だけどウィル、満君の居場所に見当はあるかしら」

「見当も何も、ミツルはこの建物の真下だよ」


 ――即答に、私も先輩も一瞬返答に詰る。

 昨晩もそうだったけど、一体全体どういう証紋を駆使しているのか。

 ただ、今は時間が惜しい。


「信じるわよ」

「それはどうも」


 先輩の鋭い念押しとは裏腹に、ウィルはにっこりとした笑顔で返答する。

 そこから先は、迷いなく走り出すだけだ。

 部屋を出て、来た道を戻っていく。

 それが私達共通の敵にとって反撃に値する行動だったことを、十四階に降り立った先の光景で理解した。


「――っ! 先輩、何か来ます!」


 先導は運動性能に優れる先輩が担っている。

 私が言い終わるとほぼ同時に、階段の踊り場目掛けて人間大の輪郭が飛び込んで来た。

 運動のし易い格好ということもあるのだろう。

 久遠先輩は素早く拳で迎撃すると、低く姿勢を落とした瞬間、人影の腹部あたりに抜き胴のようなボディブローを撃ち込んだ。

 たまらず吹き飛ぶ人影は、確かに――人型ではあった。


「天使――!」


 聖女が、そのヒトガタに対して声をあげる。


「天使ぃ!? あれが!?」


 体型は赤子。

 しかしその大きさは子供のそれではなく、白色のみの眼をぱちくりとさせながら、大きく口を開く。


「――ッ――――!!」


 まるで鳴き声だ。

 赤ちゃんの泣き声ではない。

 怪物がひと吠えするような、大気を震わせる高音が耳をつんざく。


「福音の影響を受けた人の成れ果てさ」

「こんな化け物生み出すわけ?」

「だから、秘跡調査会が独占しているんじゃない」

「有難いような、悪趣味なような……」


 そんなもの集めてどうするんだ、とも思うが、それは後回しだ。

 私から見ても、先輩の一撃は完全に「入った」。

 だと言うのに、この天使とやらは吹き飛びこそしたものの、外傷らしい外傷を負っていなかった。


「こいつら、あんな見た目しといて魔性じゃない?」

「神聖の属性だろうね。信仰生物だから、魔力を主動力源にしていないんだ」

「そっか。だから、こいつらだけは反応を察知出来るのか」


 この魔力感知を実質無効化している中、私はさっきの接近を感知出来た理由が判明する。


「ということは――信仰防壁か。通りでタフなわけね」


 トン、トン、と久遠先輩がその場で上下にステップしながら呟く。

 その背中は、先ほど以上に殺気立っている。

 私も、両手に符を構えて突撃に備えた。

 おそらく、私と先輩の考えていることは一緒だ。


「加減はいらないわね。――耐えてみなさい、その信仰とやらで」


 先輩が床を蹴り上げると同時に一瞬、足元のコンクリートに亀裂が走る。

 なるほど、そうか。

 思わず、自然と武者震いが起こった。

 この建物は良くも悪くも――復元によって「壊れない」のだ。

 つまり、通常の建造物では耐えられない程の馬力であっても、関係がない。


「ッォア――ッ」


 声にならない声だけを残し、天使の顔面が正面から陥没し、受け止めきれなかった衝撃がそのまま後頭部破裂という形で現れる。

 一撃。

 予想だにしない過剰暴力に晒された天の使いは、もんどり打ったまま、やがては白い砂になって消えていった。


「…………」


 これには、隣のウィルも素直に驚きの顔を見せている。

 気持ちは分かる。

 私も、無意識下で久遠先輩の全力を知った気でいたからだ。

 容易く人体を貫くほどの膂力――なんて話がちゃちに思えてくる。


「久々に、何も考えずにぶち殺せるわね」


 その声には普段の優雅さがすっかりと鳴りを潜め、獣のような荒々しさが前面に押し出されている。


「行くわよ」


 背中越しに振り向いた先輩の眼が、見たことのない黄金を湛えていた。

 四月の夜から、距離が縮まったことで少しだけ、私は忘れかけていたのだ。

 久遠麗華もまた、正真正銘の不死者であることを。


 目指すは真下。

 建物の地下層へ最短距離を駆け抜けるならば、正面突破しか方法はない。

 どうやらそれは、私一人が考えていたよりも難しい話ではなくなりそうだった。

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