道中で
「で、先輩。このまま龍御岳に向かいますか?」
小さな教会からお屋敷へ戻る途中、神宮寺さんから今後の方針についての確認があった。
シスター・マリアから得た情報として、一番の目玉はまさに「霊峰・龍御岳」だろう。
道中、前を歩く二人の後ろでスマートフォンでの検索をかけてみるが、目を引くような情報は出てこなかった。あえて言えば、「美小野坂市管理の禁足地」という警告文くらいか。
「ローファーで山道を歩くのはしんどいわね。靴だけ履き替え……制服も無理があるか」
「基本、人の出入りはないはずですからねぇ。登山用の山道なんて親切な代物はないだろうし。一応、車用の峠道は走ってますけど」
「あれ? 禁足地なのに車道はしってるんですか?」
意外だった。
禁足地という単語自体聞き慣れないけど、以前にテレビの特集で見聞きしたことがあったのだ。
僕の疑問に、神宮寺さんは「龍御岳旧道って調べると出てくるよ」と教えてくれる。
言われるがまま端末で調べてみると、確かに出てきた。
「龍御岳旧道……あ、隣山に別の国道があるんだ。旧道自体は百年以上も前に全面廃止されてる」
「そゆこと。旧道は進入禁止の看板立ってるし、そもそも入り口と出口に鉄柵があって、普通の人はまず立ち入ろうとはしないよ。国道の上に高速も走ってるし、余計にね」
それは納得だ。
禁足地指定されている上、物流道路が別で確保されているなら、多くの人々にとっては忘れ去られるだけの存在だろう。
市が管理する禁足地なら当然、許可や用もなく侵入すれば違法行為として逮捕されてしまうことも、容易に蔵々出来た。
「あの、この龍御岳って美小野坂市管理の山ってでてくるんですけど、そうなんですか?」
僕の質問に、神宮寺さんはくるりと身を翻し、器用に後ろ歩きのまま答えてくれた。
「市が管理するのは境界線まで。龍御岳に直接立ち入れるのは、御紋会関係者だけかな」
「そうなんですね……。じゃあ、御紋会に許可を貰わないと?」
「うん、本当はそうなんだけど、今回は無視無視。第一、許可なんて出してくれないよ。美小野坂じゃあ、トップクラスに訳アリの場所だからさ」
やれやれだよね、と苦笑しながら、神宮寺さんはわざとらしく肩を落として見せる。
「だからこそ、シスター・マリアの話は信憑性があるわ。例え、事実の裏に罠が隠されていたとしても。……足を運ぶ価値はある」
麗華さん声には、明確な緊張があった。
罠、という単語を聞くと、途端に不穏な色合いが強くなる。
「やっぱり、あの言い方だと龍御岳に行かせたい理由がありそうですよねぇ」
「そうね。けど、嘘八百を並び立ててるようにも見えなかったわ。事実、私や貴女が美小野坂の土地で知らない場所なんて、そう多くはないでしょう?」
「確かに。私も数回、それも入り口までしか行ったことないですね」
「でしょう。十八年前の事件もあって、私も深入りを避けていた場所だもの。……となれば、悪巧みをするには持って来いの条件とは思わない?」
麗華さんの推察は筋が通っている。
その十八年前に起こった事件の詳細は分からないが、それだけ一般社会・不死者界隈の両方面から警戒されていれば、人目につきたくない者にとっては絶好の隠れ場所だ。
「ひとまず靴と服装を整えて、移動は井村に手伝ってもらいましょう」
麗華さんの提案に僕らは頷き、一度お屋敷へ帰還する。
その途中で麗華さんが井村さんに連絡をしてくれていたおかげで、既に靴などは用意されていた。
とはいえ、二十分も経っていない間にどう準備したのだろう。
純粋な疑問だが、それは神宮寺さんも同じな様子。
「先輩、井村さんってエスパーか何かですか?」
「どうして? 彼には長く世話になっているけど、そういう話は聞かないわね」
「いや、なんでサイズピッタリの運動靴とトレッキングウェアがあるんですか。準備よすぎますよ! しかも全員分!」
ある意味では人智を越えた万能ぶりに、半ば悲鳴じみた突っ込みを見せる神宮寺さん。
なんだろう、特に不死者関係は自分の無知を感じるからか、同じ感覚を共有出来ているのが嬉しい。
「便利でしょう? 自慢の執事よ」
がしかし、それも慣れっこの麗華さんにとっては、大人の余裕を湛えた笑みを浮かべる程のものでしかないらしい。
「でも、井村さんレジャーに明るいんですよね、確か。だからかも」
「いや……全員のジャストサイズあるって、それもうショップの店員なんだって……」
僕のフォローも虚しく、神宮寺さんの混乱は時間による回復を願うしかなさそうである。
そんなこんなで山中行軍仕様に着替えた僕らは、井村さんの運転する高級車に乗って、龍御岳を目指すのだった。
「そう言えば、雲月君には知らせなくてもよかった? 朝出て行く時、情報収集するって言ってたけど」
後部座席で隣同士に座る神宮寺さんに聞いてみると、「なら大丈夫でしょ」とすごく軽い返答がきた。
まぁ、確かに雲月君はいつも我が道を行くって感じだから、報告してもしなくても変わらない気はするけど。
「でも一人で大丈夫かな……」
「心配するだけ損だよ、クドウくん。彼、ソロ活動専門みたいなところあるから。今頃、悠々自適に不法侵入でもしてるんじゃない?」
「……それはそれで心配だよ」
けど、麗華さんも神宮寺さんも、どうして雲月君にはそういう評価なのだろう。
僕としては、あまり共通する認識を持っていなくて不思議なのだ。
それを素直に聞いてみると。
「だって雲月家の当主だし。魔剣使いと剣術戦で張り合ったみたいに、白兵戦なら相当な実力だよ。先輩なら、近接戦で勝てます?」
「さぁ、状況次第でしょう。真っ向勝負なら負ける気はないけれど、闇討ちをされたら完敗ね。どういうワケか彼、剣士にしてはえらく邪道な業の冴えが鋭いから」
「たぶん、戮士に伝わる肉体操作とかそんな感じですよ。なんせ、五百年以上も前は国内最強の不死者ですし」
国内最強、というワードに僕のアンテナが反応する。
なんだそれ。
すごい、かっこいい。
「やっぱり、雲月君って凄いんだっ」
「歴史的には特に凄い血筋だね。神宮寺家の方が歴史は古いって言われるけど、戮士自体の歴史がほぼ同じくらいだから。その流れを汲む雲月家も、本当は相当の発言権を持つはずなんだけど、あの性格だからね……」
とにかく縛られることを嫌う雲月君は、御紋会トップクラスの欠席率を誇っているそうな。
未だお会いしたことがない大家の当主達も大概だが、それでも定期連絡くらいはするらしく、それすら音沙汰がないのは雲月家だけとのこと。
ここまでくると、もはやお家芸である、とはその煽りを受ける久遠、神宮寺の当主二名の談であった。
「雲月君は頼りになるけど、気をつけなさい。戮士の血筋である以上、御紋会での視線は厳しい。要は敵が多いのよ、彼は。……別に、雲月家に罪があるわけではないのにね」
「…………何か、理由があるんですか?」
普段、麗華さんは雲月君のことを話すトーンとして、呆れている場合は多い。
そんな彼女が、珍しく暗い口調で警告をしたのが、少し意外だった。
「戮士の血筋だから、としか言い様がないわね。あまり過去をほじくり返したくはないけど、歴史は戦国時代にまで遡る。当時、国内で最強の地位にいたのが戮士よ。彼らは三法技術によって生み出された『装威』と呼ばれる武装を操り、まさに超人的な強さを誇っていた」
聞き慣れない固有名詞に、僕の理解は一度ストップしてしまう。
それも当然なのか、麗華さんは助手席から流れる景色を見ながら、続けてくれた。
「第二次世界大戦の戦後処理でね、装威は原則としてその保有と製造が禁止されたの。戮士と装威の歴史は紐解けば長くなるわ。簡潔に言えば、日本国における不死者戦力としての最高峰であり続けた。これが保有と製造禁止の理由。大戦時、日本は暗躍する三法機関と幾度も交戦した。アメリカに敗北こそしたものの、その裏で行われた不死達との戦いでは、幾つもの戦果を収めた」
でも、と麗華さんの声音がより苦々しいものになっていく。
「その過程は血生臭いものだったのでしょうね。満君、四人でパンケーキを食べた時の話、覚えているかしら」
「はい。確か、その時に大家の数が減ってしまったんですよね?」
「そう。御紋会の前身となった組織を『国士団』と言うのだけど、国士とは古い戮士の呼び名でね。その精神性は侍のものに程近かった。大家同士の殺し合いは、ある種の人身御供に近い面もあったと聞いているわ。それぞれがそれぞれの立場で、『お国のために』という共通意思だけを頼りに戦い続けた。今残った大家は、全て前線動員されていない家柄よ。当時、戦力の軸として参戦した血筋は全て途絶えている」
道中、麗華さんが話してくれた歴史は、日本という国における不死者の歴史だった。
「だから、神宮寺家は御紋会内では数少ない戮士達の後ろ盾を担ってるの。一応は彼らの手綱を握る立場ってことにしてるけど、そっちのが世間体が保たれるから。……本当は、彼らを悪者にすべきじゃないんだけどね」
呟くように、神宮寺さんもそんな補足をしてくれる。
そこで僕はようやく、度々でてくる戮士という名前の意味を少し理解した。
彼らは、古くは護国の戦士だったのだ。
「単一戦力としては、おそらく世界規模で見てもトップクラスに入る。故に、三法機関は戦勝国のアメリカ政府に要請し、日米安全保障条約の機密条項として装威の全面廃止を求めたのよ。これは当時のアメリカ政府の立場とも噛み合っていて、日本を管理下に置くには必要な措置だったのでしょうね。戦後まもない民衆の生活はとても厳しいものだったと聞くし、従来の戮士が残っていては駐留するアメリカ軍を襲う危険性もあった。あらゆる面で、終戦と共に戮士の時代は幕を下ろしたのよ」
その装威という半身とも言うべき武器を失い、戮士は今の形に至るという。
自国での居場所も失い、残された僅かな血筋達は戦闘力を商品に、戦場を求めて海を渡る他なかったのだろう。
既に戮士ではないとしても、過去にその歴史を持つ雲月家はやはり、現代では異色の存在なのだ。
もしかすると、雲月君自身もそれを解っているから、ああやって単独行動を取りたがるのかもしれない。
「皆様、そろそろ到着いたしますよ」
井村さんの言葉に、僕はハッと我に返る。
思わず聞き入ってしまったけど、気づけば周囲の景色は山深いものへと変わっている。
晴れと呼べる天候にも関わらず、両端を木々が生い茂る区間を走る際は、昼間とは思えないほど薄暗く不気味だ。
これでまだ旧道を走っているわけではないのだから、ここから先はより一層山深くなると不安が募る。
「着きました。ここから先が、龍御岳旧道でございます」
停車と同時に降り、人の倍ほどはあろうかという鉄柵を見上げる。
厳重――を軽く飛び越し、もはや拒絶にも近い異様な雰囲気が感じ取れた。
鉄柵には、白地の看板に赤い文字で「進入禁止」が大きく書かれている。
近くには緊急連絡先の書かれた看板もあり、不法な侵入を見かけた際はすぐに連絡をするよう、文言が連なっていた。
これでは、真っ当でなくとも出入りしようという気にはならないだろう。
「どうします、先輩? ここから徒歩でもいいですけど、出来れば旧道でめぼしい場所まで楽したいですよね」
「薫は何か感じる? こじ開けた場合、どんな反応が返ってくるかは想定しておきたいわ」
「見た所、結界は張られてます。ただ、この類いは進入そのものを防ぐタイプじゃないですね。こじ開けた場合、御紋会に知れ渡ると思います」
「実働部隊が出張ってくるのは避けたいわね。交戦まですると後が面倒だわ」
「じゃあ、こっからは山登りかぁ……」
想定していたとはいえ、この山深い景色を目の当たりにすると、神宮寺さんの項垂れるような声音は理解出来る。
登山客用の登山路などではなく、道なき道を突き進む強行軍だ。
気合を入れて登らないと、と準備運動をしていると、後ろからエンジンの音か聞こえてきた。
周辺が静かということもあり、自然と近づいてくるその音に視線が集まる。
やがて姿を現わしたのは、白い軽トラ一台。
近くで停車すると、そこからは一人の老人男性が帽子をかぶりながら降りてきた。
「あんた方、どこの人? そっから先は危ないけぇ、見ての通り進めんよ」
少し腰の曲がったその老人は、しかし足取りと眼光だけは衰えを感じさせない。
「普段から通れんが、昨日の嵐のせいで地盤が緩んどる。ここらは地元民でもよう来ん場所だけぇ、何かあってからじゃあ遅い。悪いことは言わん、はよう帰りな」
責めるほどの語気ではないが、老人の声音には圧を感じた。
警告、と取るには十分過ぎるほどの迫力だ。
それに対し一歩踏み出して返答を返したのは、神宮寺さんだった。
「お務め、ご苦労様です。私は神宮寺薫と申します。危急の用件故、ご連絡を省いた無礼をお許しください」
まるでお経でも読むような凜とした、張りのある声が老人に向けられる。
「……お嬢ちゃん、嘘なら大事になるぞ?」
「疑いはご尤も。生憎と月並みな身分証明しか出来ませんが、これを」
「うん?」
そう言って神宮寺さんが取り出したのは、学生証と……御札?
僕が内心首を傾げていると、学生証よりも御札の方に目をやった瞬間、老人の顔色が変わった。
「あいや、これまたご無礼をっ! 本家の方でございましたか」
「そのままで。無礼はこちらの立場です。……御老人、三法が美小野坂の街に招かれたことは知っていますか」
「は、はい……とはいえ、風の噂ほどですが……」
「龍御岳の状況を確認する必要があり、此度は参りました。しかし、御紋会は三法への警戒に人手を払っており、適任がいません。私の独断ではありますが、ご協力いただけますか? 無論、責任は私が持ちます」
「し、しかし……私も御役目でありまして。何人たりとも許可がない場合は、通してはならんという決まりになっとるんです」
一転して狼狽した様子の老人だが、悪い人ではないのだろう。
傍目から見ても神宮寺さんが雲の上の人のような感じで話しているが、自分の仕事について懸命に説明をしている。
それに対し、神宮寺さんは真剣な表情で頷き、軽く頭を下げた。
「平素から手抜かり無く御役目を果たして頂き、当家としても喜ばしく存じます。このような場所ではありますが、貴方に感謝を伝えさせてください」
「そ、そんなとんでもねぇ! 頭を上げてください! 分家の人間にそんな、ご先祖様から怒鳴られちまいます!」
あまりに慌てているのか、老人はあわあわとした手つきで、神宮寺さんよりも深々と頭を下げる。
それを平然とした面持ちを保ちながら、彼女は続けた。
「では、こうしましょう。一時、貴方を拘束させてください」
「……は、はい?」
僕も、同じ反応を胸中でしてしまった。
なんだか今、天地がひっくり返るような発言が聞こえた気がしたけど。
「そして、貴方は私達の車で待機を。鍵は後々の責任追及の為に必要ですので、預からせて頂きますが。……これならば、貴方は力尽くで鍵を奪われた、という立場を主張出来ます」
「そ、そんな……穏やかじゃねぇですよ……」
「そうです。生憎と、今の私達には選択肢がないのです。例え責を負ってでも、龍御岳に踏み入る必要があります。……三法の狼藉を許すわけにはいかない。そう言えば、ご理解頂けるでしょうか」
最後の一言が、あの老人にとってどれほどの意味を持つのか。
未だ迷いの色が消えない顔つきながら、老人は首から提げていた小物入れから、小さな小さな石のようなものを取り出した。
「街には、息子夫婦がおります。……不死のことは知りませんし、分家筋の話はしたことが御座いません。孫も生まれて、来年は小学校です」
「そうですか。お孫さんはさぞ、可愛いでしょう」
「はい。……やっと、やっと息子の代で普通の家庭を持てたのです」
老人の手は震えていた。
「もし、街に危険が迫っているなら……お使い、ください」
縋るような視線から、迷いの色は消えていない。
それはきっと、あの老人にとって重大な裏切りだったのかもしれない。
それでも、あの人にとって不死の世界を知らずに生きる息子さん達が、何よりも大切なのだろう。
「……じん――」
思わず、僕の足が動いた。
それを、すぐに止めた手が、あった。
その主に視線を向けると、それは麗華さんだった。
「ありがとうございます。あえて名前は聞きません。貴方も、私の名前は忘れるように。いいですね?」
「…………」
言葉に代わって、老人は深々と頭を下げた。
受け取った丸く青い小さな玉石を手に、神宮寺さんが戻って来る。
「先輩、お願いします」
「えぇ。井村、あの方をよろしく。日没までに戻らなければ、家まで送って差し上げて。もし御紋会に勘付かれても、白を切りなさい」
「かしこまりました。その場合、やむなくお嬢様の擁護には回れない可能性が高いですが」
「構わないわ。車は使えないけど、結界を無理矢理突っ切るよりは遥かにマシよ」
やり取りが終わると、傲然とする老人に井村さんが歩み寄り、優しく車内へと誘導していく。
内心、僕は胸が痛んでいた。
自分のせいで、あの老人に無理な選択をさせてしまったのではないかと。
それと同時に、背後で鉄柵の開く音が聞こえ、振り返った。
「先輩、問題ありません。少なくとも、あの人が家に戻るまでは時間稼ぎ出来ると思います」
「井村もその点は心得ているわ。……それ以降のことは、今考えても無駄ね」
今更ながら、僕が僕を知りたいというその理由で、沢山の人の決断が重なっていることに気づかされる。
それを、さっきみたいな気持ちの揺らぎで迷ったことが、恥ずかしかった。
何より、自分を守ろうとしただけの弱さに、どこか腹立たしかったのだ。
「――あのっ!」
だからかもしれない。
僕の声に、神宮寺さんと麗華さんが向き直る。
「僕、軽トラ運転出来ます」
自分も、やれる限りをしなければならないと、一歩踏み出せたのは。




