小さな教会
「今日は、近くの教会に行こうと思うわ」
朝食を食べ終わる頃、唐突に麗華さんがそう切り出した。
「え~……やめときましょうよぉ、先輩。どうせあのボクっ娘聖女に、ドヤ顔されて恩売られるだけですよきっと」
対して、ついさっきまでエッグトーストをほくほく顔で頬張っていた神宮寺さんは、一転して暗い表情で抗議する。
「気持ちは分かるけど、一応は私も貴女も本家筋の人間でしょう。魔法使いや聖者の連中は、えらく血筋に五月蠅いから。このまま礼の一つも返さないと、それこそこれ見よがしに恩を売られるわよ?」
「うぇ~、それもやだぁ。そもそも、事の発端はあの聖女じゃないですか」
「そうね。だから、わざわざ礼の挨拶に伺うんでしょう。満君の状況を回復させてみせた以上、一定の筋は通す必要があるわ」
「ぐわっ、大人すぎる対応……」
神宮寺さんは反応を見る限り、近づきたくもない、といった感じだ。
まぁ、僕も昨日までの出来事を思えば、あまり気は進まない。
とはいえ、今の今まで何も思い出さなかった僕が、あの聖女の言葉で何か変化を得たのなら、背を向けてはいけない気持ちもあった。
……そうすれば、あの夢の事も何か、分かるような気がして。
「僕も、一緒に行ってもいいですか?」
口を衝いて出た一言に、僕以外の二人は一瞬だけ目を丸くさせた。
おそらく、僕が同行することは想定になかったのだろう。
あるいは、同じ轍を踏まない為、警戒という意味合いでも避けるつもりだったのか。
即答とはいかなかった間が、僕にとっては半ば返答も同然であった。
「知りたいんです。……自分に、何が起こったのか」
興味とは違う、言葉では言い表せない感覚を、たどたどしく説明していく。
「小さい頃の記憶、あんまりないんです。……鮮明に憶えているのは、爺ちゃんと婆ちゃんと一緒に暮らした、その間だけ」
それよりも前、親戚の家で暮らす前の記憶は常に靄がかかっている。
時折鮮明に思い出すものがあるとすれば、あの雪の降る冷たい光景だ。
その先だって、冷静に考えてみればツギハギだらけの記憶しかない。
「ワガママだっていうのは、分かってます。……また、昨日みたいにならないとは、僕も約束出来ないですし……」
しかし今となっては、それさえ把握すべき内情と捉えている。
思い出すことを許さないような、あの言葉。
ぶるりと全身が震えるような恐ろしさを感じるものの、どうしてか――不思議と不安はない。
自分自身の事だからなのだろうか。
あれは、僕自身を守るための言葉なのだと、確信めいた予感があるのだ。
「満君」
「は、はいっ」
「……一つだけ、質問をさせて頂戴」
「は、はい……」
朝陽が射し込み、鳥の囀りが遠く聞こえる、穏やかな朝。
その空気が嘘だったかのように、張り詰めたものにリビングが支配されていく。
「どうして知りたいの?」
その質問は、ある意味では核心を突いていた。
知りたい。このままにしたくない。
その欲求は当然としながらも、その理由を――僕はきちんと把握しているのだろうか。
数秒視線を落とし、僕は言葉を飾ることなく答えを告げた。
「分かりません。……どうして知りたいと思うのか、自分でも分からないんです。本当は怖いです。記憶を失っている間、夢を見ました。……病院にいた夢です。そこで僕は――――」
僕は、きっと、誰かを――。
「……ク、クドウくんっ」
神宮寺さんの慌てるような声に、はっと顔を上げる。
その拍子に、つぅ、と頬を伝うものがあることに気がついた。
何だろうと指で触れ、僅かに体温の残る液体が涙だと認識する前に、目の端から溢れるそれらを止めることが出来なかった。
「え、あれっ、なんでっ?」
「待って。じっとしてて」
僕が更に動揺していたおかげか、神宮寺さんはスッと立ち上がると、ズボンからハンカチを取り出し、僕の涙を拭ってくれる。
「ご、ごめんっ。大丈夫、自分で――」
「いいから」
あてがわれる布地の感触と、僕を心配そうに覗き込む神宮寺さんの表情は優しい。
けど、僕を制止する言葉の端には、少しだけ怒っている雰囲気があった。
「先輩、私はあまり賛成したくないです。……よほど精神に負荷が掛からないと、こうはならないですよ」
「……そうね。でも、今ので満君が向き合おうとしているのは、痛いほど分かったでしょう」
「だからです。まだ心はズタボロのままですよ。満身創痍で秘跡調査会の懐に飛び込むなんて、無謀すぎます」
神宮寺さんの心配は尤もだ。
僕だってこんな有様を見せられたら、素直に首を縦には振れない。
「私も、感情の面では薫と同意見よ。今の満君は日常に戻るべきだし、そもそも貴方には何の罪もない」
言いながら、麗華さんは「けれど」と続けていく。
「環境がそれを許さないのであれば、立ち向かう必要もある。私も一晩落ち着いて眠ったおかげで、少しだけ冷静になれたわ。……満君が過去と向き合うなら、私も同じだけの覚悟で貴方を支える。どうせ逃げ切れないのなら、迎え討つのは当然でしょう?」
それはきっと、久遠麗華という人物なりの表明だった。
貴方が戦うなら、私も戦う、と。
僕の意思を最大限に尊重してくれたのだ。
「だから薫。貴女も手を貸して頂戴。この美小野坂の地では、神宮寺の名前は彼らにとって無視出来ない権力を持つわ」
「え、いや……でも私、当主をクビになったばっかですよ……」
一転、もの凄く言いづらそうに衝撃の事実を口にする神宮寺さんの表情は、今にも滝のような冷や汗が流れだしそうなほど、青ざめていく。
なんというか……一晩意識がないだけで、色んなことが起こり過ぎているなぁ。
「関係ないでしょう、そんなもの。当主でなくとも、神宮寺本家の正当な後継者なのだから、御紋会の決定なんて蹴り飛ばしてしまいなさい」
対して、覚悟を決めた麗華さんは調子が戻ってきたのか、またもや物騒な発言をなさった。
「――――え、それってアリですか?」
加えて、それに反応する神宮寺さんは、まるで「その手があったか」と言わんばかりな口調で萎みかけていた表情を明るくする。
「えぇ。仮に御紋会の決定と食い違うことを指摘されても、堂々としていれば問題ないわ。そんなの、『雑魚が勝手に言っている』とでも返しておきなさい」
「……そっか。それ、いいかもしれないですね」
「でしょう。血筋を重要視する相手だからこそ、出自以上に誤魔化しの利かないものもないわ。神宮寺頭領も、貴女から当主という立場は奪えても、『娘』という事実には手を出せないもの」
「確かに。――え、ちょっと待ってください。もしかして、今の私って無敵なのでは?」
「まぁ、職権乱用をするには持って来いでしょうね」
先ほどから不穏なワードしか出てこないにも関わらず、女子二名の士気は鰻登りに上がっていく。
「クドウくん。準備が出来たら、早速教会に乗り込むから」
「……な、なんだか、楽しそうだ、ね」
「まさか。楽しくなんてないよ。ただ、先輩のおかげで対抗手段が一つ見つかりそうだから、気合入れ直してるだけ」
そう答える神宮寺さんの表情は、先ほどまでと打って変わって火が灯っている。
「まぁ、なんだかんだで父上にうまいことやられた気はするけど」
「……えっと、神宮寺さんのお父さん、に?」
「うん。先輩の言った通りなら結局、私が御紋会と距離を置くことは、三法機関への牽制になるから。街を護るっていう共通目的はあるわけだし、向こうからすれば自由に動ける戦力を野に放ったって見方も出来るしね」
聞く限り、美小野坂の街にとって悪いことではなさそうだ。
しかし、そう語る神宮寺さんの表情は活力こそ戻ったものの、幾分か険しくなった気がした。
「一矢報いたつもりだったんだけどなぁ」
「親子喧嘩は後に取っておきなさい、薫。頭領も優先順位がはっきりしているから、スッパリとクビを切ったのでしょうし。なんであれ、三法連中からすれば御紋会でも発言権を持つ人間が一人、自分の意志のみで動いているというのは厄介よ」
「そこまで影響力あればいいですけどね~。血統は確かですけど、組織上での立場がないのも事実ですよ?」
「そこが厄介であり、私達にとっての武器よ。神宮寺頭領の言葉一つで変わるなら、いつだって御紋会は共闘の路線を選ぶことは出来る、とも言えるでしょう? 相手からすればそもそも、仲違いをしたことそのものがフェイクとも取れるでしょうし」
「あぁ~……要は腹黒さを逆手に取るってワケですね。なんかやり口は三法じみてますけど」
そんな会話をしながらも、朝食の時間は進み、やがて終わる。
井村さんの計らいで学校の心配をする必要もないし、気持ちが揺らぐ前に着替えて準備を整えるとしよう。
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出陣の準備を整えてもまだ、時刻は十時前。
昨夜は嵐だったと聞いたけど、今日はそれが嘘のように晴れ渡っている。
僕と麗華さん、神宮寺さんの三人で屋敷から件の教会へと歩いて向かう道中も、おかげで幾分か気が紛れた。
これが普通の休日であれば、このままピクニックにでも出掛けてしまいたいくらいである。
久遠のお屋敷がある区画は郊外だが、分類としては住宅街だ。
街中よりは一回り大きい家々が、それぞれ間隔を空けて点在していると言えばいいのか。
ぱっと見ではあるものの、比較的富裕層の家庭が多い印象を受ける景色の中を歩くのは、正直に言えば新鮮だった。
散歩の習慣がないこともあって、目的の教会への道のりは退屈をせず、あっという間に到着してしまう。
「ここよ」
先導していた麗華さんが立ち止まり、一つの建物を見据えながらそう言った。
周辺の家々に比べれば小さくまとまった印象の教会が、背の低い鉄門の向こう側からこちらを伺っている。
僕らが敵陣に踏み入る側だからそう感じるのかもしれないが、目の前の建物からは歓迎というよりも、来訪者をつぶさに観察するような雰囲気を感じて、嫌な緊張が手足の動きを鈍くするのが分かった。
それを察してか、麗華さんは振り向くと、僕へ向けて口を開く。
「満君、ここから先は秘跡調査会の陣地よ。以前にも似たような説明をしたかもしれないけど、彼らは三法で最も人心掌握に長けている。つまり、今の貴方とはお世辞にも相性が良い相手とは言い難いわ。けど、だからこそ満君が求める情報が得られる可能性も高い。私はそう踏んでいるわ」
「……はい」
ごくり、と喉を鳴らしながら僕は頷いた。
「意思を強く持って頂戴。決して、相手に判断を委ねないで。彼らの前では、『楽になりたい』という気持ちこそ、最大の敗因になる」
そう警告を終えると、麗華さんは再び教会に正対し、一拍置いてから鉄門へ指を掛けた。
きぃ、と僅かに音を立てながらもあっさりと門は開かれ、僕らは石畳の通路をなぞるように歩き、木製の扉の前で立ち止まる。
麗華さんが慣れた様子で四回ノックすると、数秒の時間をおいてから施錠の外れる音がした。
教会の中へ足を踏み入れると、そこはまるで時代を逆行したかのような光景が広がっていた。
「わぁ……」
外見通りの規模ではあるが、色鮮やかなステンドグラスに細やかなバロック調の内装は、それだけでここが神聖な場であることを告げている。
出入り口から真っ直ぐに伸びる通路の両脇を、木製の長椅子が等間隔で行儀良く並んでおり、その先――礼拝堂の最奥には女神像の前でこちらに背を向ける人の輪郭が一つ。
僕らの入室に気づいているのかいないのか、判断が難しいほど微動だにしないその背に向かい、麗華さんと神宮寺さんは迷うことなく歩を進めていく。
僕は、それに少し遅れる形でついて行った。
石造りの床が剥き出しということもあり、静寂に足音だけを響かせながら数秒。
互いの距離が話すほどまで縮まると、ようやく修道服姿に身じろぎをするような動きが見えた。
おそらくは祈りを捧げていたのだろう。
小さかった背中は背筋を立てるように僅かな伸びを見せ、その主はゆっくりと僕らへと向き直る。
「ようこそ、皆様。お待ちしておりました」
穏やかな口調のその人は、僕としては初めて目にする人物だった。
老齢の修道女。
僕以外は面識があるのか、麗華さんと神宮寺さんは小さくお辞儀を返し、僕も慌ててそれに倣う。
「お久しぶりです、シスター・マリア」
「はい、こちらこそ。街の状況が変わり心配しておりましたが、今日は顔色も良いようですね」
柔らかな物腰の老修道女に対し、口調こそ丁寧ではあるが麗華さんの声音がまったく友好的ではないことは、傍目で聞いている僕でも分かった。
「えぇ、お陰様で。そちらも私達の動向は把握済みのようですね。お待たせしたようで、申し訳ありません」
「いえいえ、神の目は常に迷える方々を見守っておられます。どうかお気になさらず」
「そうですか。では、私達がここに来た理由もお分かりですね」
「はい、ミス・クオン。貴女が律儀な方であることは、承知していますよ」
老修道女――シスター・マリアはそう良いながら、優しく微笑んだ。
「後ろの彼――久遠満の回復に関しては、そちらの若いシスターに感謝を。……姿は見えないようですが」
「シスター・ウィルでしたら、所用で席を外しております。わざわざ教会まで足を運んで頂き、ありがとうございます。……とはいえ、あまり胸を張って受け取ることは出来ませんね。彼女のことです。皆様に大層、無礼を働いたのではありませんか?」
一転、小柄がより一層小さく見えるほど肩を落としながら、シスター・マリアは不安げに僕らを見返す。
「そりゃもう、盛大に。いっそ清々しいくらい」
「やめなさい、薫」
これ幸い、とばかりに嫌味を放つ神宮寺さんを、麗華さんが小さく肘で突きながら制止する。
「やはりそうでしたか……。奉仕には真面目かつ積極的なのですが、如何せん落ち着きに欠けるのが彼女の欠点でして。当教会の修道女の無礼につきましては、この場を借りてお詫び申し上げます」
「いえ、構いません。確かに些かの無礼はありましたが、こちらにも落ち度はあります。長く三法機関の干渉を拒んできた御紋会の意向もあり、少しばかり殺気立っていました。系譜の者として、短慮な立ち振る舞いであったと自覚しています」
「まさか、皆様に落ち度など。……わたくしからも、この美小野坂の街の背景は幾度なく説明していたのです。三法に悪しき行いの歴史があることは、紛れもない事実。警戒は当然の対応と心情であり、それらを軽んじることはあってはならない。それを知りながら手順を誤った彼女に責があります。必要であれば、わたくしから御紋会への出頭を命じましょう」
「そこまでは不要です。民間人に危害を加えたわけでもありませんし、秘跡調査会へは最も緊急性の高かった市民への治療を請け負って頂いています。御紋会としても、この件を問題視するほど強い立場は取れないでしょう」
内心、すごい、と圧倒されていた。
麗華さんがある種、浮世離れしていることは知っていたけど、学年が先輩とはいえ同じ高校生とは思えない程、しっかりとした対応である。
学生らしさは微塵も感じさせず、責任ある不死者として隙の無い様子に、ますます僕は小さくなりながら事の推移を見守った。
「ありがとうございます。ではせめてもの償いとして、わたくしからよくよく言い聞かせておきます」
「はい。よろしくお願いします。……シスター・マリア、ついでというわけではありませんが、一つご協力をお願いしても?」
「えぇ、どうぞ。わたくしども教会は、人々の助けとなれるのであれば喜んで」
そこで、麗華さんが半歩横にずれ、僕とシスター・マリアの邪魔にならないような位置に立ちながら続けた。
「彼についてです。そちらの聖女――シスター・ウィルでしたか。彼女の干渉により、彼は自身の過去と向き合う機会を得ました。とはいえ、それがどうにも一筋縄ではいかず、もし教会が知っている情報があれば教えて頂きたいのです。どのような些細なことでも構いません」
「なるほど。教会へいらした理由は、承知しました」
自然、シスター・マリアの視線は僕へと向けられる。
「初めまして、ミスター・クドウ。お聞きの通り、わたくしがこの教会を預かっています、シスター・マリアと申します」
「は、はじめましてっ。久遠満です。えっと、その、なんて説明すればいいのか……」
「あぁ、構いませんよ。神は全てを見ておいでです。しかし、全てを我らに示すわけではありません。……ミスター・クドウ。貴方は自身の過去について、どこまで憶えていますか?」
聞かれ、僕は視線を落として考える。
その様子に、「ゆっくりで構いません。焦らず、教えてください」とシスター・マリアは寄り添う形で待っていてくれる。
「……憶えているのは、親戚の家で暮らし始めた時期からです。その前は、両親と暮らしていましたが……今はもう、二人ともいません」
「ご両親と暮らしていた思い出などは、憶えておいでですか」
「いえ、ハッキリとは。……たまに、ふとした拍子に一瞬、思い出すことはあります。でも……」
「……でも?」
「両親がいなくなった時の記憶だけは、鮮明に覚えている部分があります」
夢にも見る、あの白い光景。
雪の降る山を一人彷徨った、熱を失う冷たい感触。
その記憶を始点に、僕は自分の憶えているものを説明していった。
語れることはそう多くない。
最後に、意識を失っている時に見た回想のようなもので締め括る。
「ミスター・クドウ、ありがとうございます。辛い記憶でしょうに、よく話してくれましたね」
「いえ、これで何か分かればいいんですが……」
どうでしょう、と遠慮がちにシスター・マリアを見返すと、老修道女は応えるように小さく頷いた。
「おそらく、シスター・ウィルから多少の内容は聞き及んでいるかもしれません。ミスター・クドウに関し、秘跡調査会はその背景の洗い出しに行き詰まっています。大変珍しいことです。この情報社会において、貴方は完全に情報が遮断された環境にいた。神ですら見つけられない場所で、貴方は生きていた。……しかし、それは同時に、残された重要な手がかりでもあります」
「……重要な手がかり?」
「はい。人の記憶にも、記録にも残らない。異常なことです。世界広しと言えど、そのような現象はそう多くありません。現代社会の中では、到底不可能でしょう」
シスター・マリアの言葉は、いまいち僕にはピンとこない。
しかし、それが確かに事の核心に近づいていることは、静かに続きを待つ麗華さんや神宮寺さんの様子から見て取れた。
「日本国内で、明らかに人の営みが断絶されている土地が幾つかあります。言葉を選ばずに申し上げれば、『意図的に人流が断たれている場所』です。それは人々の目につくことはおろか、社会の接近すら許さない意図でもなければ、起こり得ないでしょう」
シスター・マリア曰く、それこそが痕跡であるという。
現代において、存在そのものを消すことは奇跡の領域になった。
故に、神隠しじみた存在の消滅は、それそのものが異常であり、同時に社会へ痕を残す。
「その幾つかの土地では共通して、『何もない』という情報が一際強いのです。本来であれば人々の意識や社会の記録にすら記されることのない、『感覚』という情報が痕として残っている。……これを、秘跡調査会はミスター・クドウへ繋がる点と判断し、調査を行う為に人員を派遣しています」
「へぇ……私達に隠れてコソコソとそんなことしてたんですか」
「薫」
またも神宮寺さんを麗華さんが制止するものの、シスター・マリアは「いえ」と思わぬ反応を返してきた。
「御紋会へは報告済みです。遠方の土地も含めるとはいえ、無断で調査などすれば日本政府にも不信感を植え付けてしまいます。関係者同伴を条件に、御紋会も日本政府も承諾したと聞いておりますが」
「…………」
言葉をなくす一同。
麗華さんが小さくため息をつくと、「続けてください」と促す。
その間際、「あんのクソオヤジ……」と神宮寺さんの恨み節が聞こえた。
「全国五箇所ある内の四箇所が調査済みであり、めぼしい成果はなかったようです。そして残る一箇所が、この美小野坂の土地にあります」
「え――ここに?」
僕が思わず聞き返してしまう。
僕の過去にまつわる話だから、予想外も予想外だった。
だって、僕は高校入学と同時に美小野坂に来たのだ。
それ以前は、どんな理由でだって来たことがないはずである。
「中心部からは遠く離れますが、美小野坂の土地です。皆様、龍御岳をご存知ですか?」
聞かれ、僕はそれが山の名前かな、程度の認識しか脳裏には浮かばなかった。
しかし、この地で生まれ育った二人は別らしく、ふと隣の神宮寺さんの様子を伺うと、口元に手をあて険しい表情を浮かべていた。
「……特に見所のない山だよ。一般的には、だけど」
「流石はミス・ジングウジ。その通りです。一般認識を御紋会が主導で歪曲する必要のある禁足地。……不死者間では、そう周知されています」
「そりゃ、全国でも有数の霊峰だからね。十八年くらい前だったかな。あの山を巡って、一悶着あったのは覚えてるよ」
御紋会がね、と神宮寺さんが吐き捨てるようにシスター・マリアへ言った。
どうやら、かなり曰くつきの山らしい。
「返す言葉もありません。あの一件が決定打となり、当時の三法機関出向者は全員、国外退去を命じられていますから」
「い、一体何があったんですか?」
話が脱線すると分かってはいたが、聞かずにはいられない雰囲気だった。
それを察してか、麗華さんが簡潔に説明をしてくれる。
「ぎりぎり私達が生まれる前、その龍御岳を霊媒地として奪い合う事件が起こったのよ。発端は魔法学園の魔法使いだったけど、御紋会側からも内通者や離叛者が出て、事態は深刻を極めたそうよ。事件が顕在化してから僅か二週間ほどの出来事だったらしいけど、最終的には総勢十一名の不死者達が殺し合う、戦後でも最悪の部類に数えられる争いになった」
「しかも当時の状況がこれまた最悪でね。一歩間違えば、局地的にだけど異界化してた。早い話が先祖返り。龍御岳一帯だけ第一紀に逆戻りするところだったんだよ」
理屈・理論は不明である。
だが、それが如何に危機的状況かだけは理解出来た。
まさか十八年前にも、街の命運を懸けたような戦いがあったなんて。
「不死者の間では、国内三大紛争の一つに数えられる出来事よ。で、その禁足地に指定されている山なら人流がないのは当然だけれど……そうではないのですね?」
「はい。ただ人が寄りつかないだけであれば、良いのです。何もない、という情報が強いということは、意図してその状態にある、と考えられます」
「……まぁ、隠し事をするには枚挙に暇が無い土地でしょうね。残る一箇所ということですが、既に調査の手筈は整っているのでしょうか?」
麗華さんがそう聞くと、シスター・マリアは「いいえ」と首を横に振る。
「龍御岳に関しては、御紋会からの許可が下りなかったのです」
「なるほど。あまり驚きはありませんね」
「はい。秘跡調査会は龍御岳の調査に関しては、着手しない意向を正式にお伝えしております」
「そうですか……理由をお聞きしても?」
「調査会内部でも、龍御岳の調査に関しては否定的な意見が多かったのでしょう。特に十八年前の事件では、秘跡調査会は御紋会側の立場で参戦しておりますので……」
つまり、初めから龍御岳の調査は乗り気じゃなかったのか。
そこに御紋会が許可を下ろさなかった事実が重なり、共通見解として調査しない方針を公表した……そんなところだろうか。
「しかし、シスター。これを私達に話してもよかったのですか?」
麗華さんの口ぶりには、「逆に怪しいから、こっちは調査する気満々だけど」という雰囲気が漂っている。
いやまぁ……うん、確かに気になるけど。
「構いません。皆様の場合、誰かを救う為の行動です。組織はどうしても損得勘定がついて回りますが、あなた方はそうではない。わたくしもシスターの端くれでございます。この程度の事くらいしかお役に立てませんが」
シスター・マリアはそう言うと、胸元で両手を握り祈りのポーズをとった。
「ありがとうございます。おかげで手がかりが掴めました、シスター・マリア」
「お気をつけて。彼の地は本来、三法にとって価値ある場所です」
忠告にお辞儀で返し、僕らは来た時と同じように麗華さんの先導でその場を後にした。
敷地外に出ると、張り詰めていた緊張がほぐれるように、自然と大きく息を吐き出してしまう。
「つ、疲れたぁ」
「あはは、お疲れ様。緊張したでしょ?」
神宮寺さんが僕をからかうように言う。
そりゃあ、来る前にあれだけ警戒するように言われていれば、緊張もするだろう。
「でもまぁ、頑張った頑張った」
「……」
まるで子供でも褒めるかのように頭を撫でてくる神宮寺さん。
複雑な心境だけど、悪気があるようには見えないし、むしろ妙に嬉しそうにも見えた。
「こら、甘やかしすぎない。まだ終わったわけじゃないのよ」
「もちろん、分かってますって。でも、無事に戻って来られたのは上出来じゃないですか」
正直、もっと殺伐とするくらいに思っていた僕は、この程度で済んでよかったと安堵しているところだった。
けど、二人の言葉を聞いていると、やはり気の抜けない場面があったのだろうか。
「そんなに危なかったんですか? まぁ、僕は緊張とかで余裕はなかったですけど」
すると、神宮寺さんがまるで苦虫でも噛み潰したような顔をしながら。
「最初、あれはどう見てもカモを見る目でしたよね、先輩」
「満君の情緒が安定しているのを知ってから、あの場での懐柔は諦めたようだけど」
なんて、不穏しかない返答が飛び出してくるのだった。
「そ、そんな風に見えてたの!?」
僕には、終始物腰の柔らかい「シスター然としたシスター」にしか見えてなかったのに。
なんの怪異か、見えてる世界が違うとしか思えない辛辣な評価であった。
「弱みを見せたら、優しく毒を塗り込んでくるような連中だからね。弱者を依存させて、自分達の手駒にするのは秘跡調査会の常套手段。クドウくんも覚えておくよーに」
「……は、はい」
若干引き気味で頷き、出来るならば二度と来ることがないよう心中で祈りながら、僕らはその場を離れていくのだった。




