目覚め
目覚めは、飛び起きた感覚。
乱れた呼吸に、びっしょりと全身を濡らす汗に、自分が悪夢の淵から這い上がるようにして目覚めたのだと、僕は思った。
反射的に額を手の甲で拭うと、思っていた以上の水気にぎょっとする。
なんだろう。
夢であったはずなのに、焼き付いたようにその内容を反芻出来ることに、背筋が凍る。
それと同時に、整理のつかない頭でも、自分が無意識的に夢だと思い込むようにしていることに気がついた。
「……びょう、いん」
呟き、深海のような過去を覗き見る。
おそらく、僕は病院に入院していたのだ。
それも、そこで起こった出来事は明らかに、常軌を逸している。
今の今まで、僕自身がそれを忘れていたように。
「そうだ……みんな、皆はっ――」
周囲に人はいない。
家具や内装の感じから、自分の部屋でないことは分かるが、目を覚ました場所が久遠のお屋敷だということは間違いないと思う。
壁や天井、備え付けの照明など、建物全体に共通する部分から、それが見て取れた。
はて、そうなると、ここは誰の部屋なんだろう。
部屋の広さ自体は、僕の部屋とそう変わらない。
あえて言えば、大きなアンティーク調のクローゼットが二つもある分、厳密には少しばかり広いのだろう。
目に入った机には、スープカップが一つ、寂しげに置いてある。
湯気があがっていないところを見ると、空なのか、あるいは冷めてしまっているのか。
「…………」
疑問の答えに役立ちそうなものはないな、と一旦思考を切り替えようとしたその時だった。
枕元に、一つの人形があることに気がついた。
デフォルメされた鹿の人形。
表面のくたびれた感じが時間の経過を思わせるが、それでも輪郭は未だしっかりと保たれている。
余程の大切に扱わないと、こうはならないのではないだろうか。
そして、何より――。
「これ、どこかで……」
――僕は、その人形に見覚えがあった。
けど、まるで霧に覆われているように、見覚えがある以上の記憶が出てこない。
その矛盾した違和感に後ろ髪を引かれながら、僕はベッドから出ようと身体を動かす。
ここが久遠のお屋敷なら、まずは麗華さんか井村さんに、目を覚ましたことを知らせないと。
「っと――わっ!?」
全身が気怠いとは感じていたけど、足をついた瞬間、思わず腰砕けになるとは思わなかった。
自分でも分からないまま意識を失っていたとはいえ、寝ていたならば体力は全快していると勘違いしてしまっていたらしい。
寝覚めは悪かったように、僕は随分と消耗しているようだ。
「いてて……」
床がフローリングなおかげで、前のめりに倒れた際に着いた膝に痛みが奔る。
尻もちをついて痛む箇所を擦っていると、複数の足音が近づいてくるのが分かった。
反射的に、びくり、と肩が跳ねる。
あの夢と状況が重なり、ふと不安が鎌首をもたげた。
不安と恐怖に塗り潰されるような、あの時の感覚が鮮明に蘇る。
けれど。
「――満君!」
木製とドアが開いてすぐ、僕が安堵するよりも早く、麗華さんのそんな声が僕の胸中に渦巻いていたものを吹き飛ばしてしまう。
「麗華さん」
彼女の名前と共に、ほっと安堵の息が漏れた。
麗華さんが部屋に入ると、その後に続いて神宮寺さん、雲月君、井村さんと、見知った顔がぞろぞろと現れたことに、僕は内心驚いてしまう。
しかもそれは僕だけはないようで、麗華さんを含めた全員が、まるで僕が目を覚ました事に驚いているかのような雰囲気を漂わせていたのが、不思議だった。
「……偶然か?」
「にしちゃ、タイミングが良すぎるでしょ……。あの聖女、とんでもない証紋持ってるなぁ」
不安げに歩み寄る麗華さんの後ろで、雲月君と神宮寺さんが、そんなやり取りをしているのが聞こえた。
「満君、気分はどう?」
「あ……はい。あんまり寝覚めが良いとは言えませんが……」
麗華さんの問いに素直に白状していると、僕のお腹もまた、空腹を馬鹿正直に訴える音を発する。
いや、まぁ……そりゃ何も口にしてないだろうけど、今じゃなくてもいいだろうに。
自分で自分の身体に小さな抗議の念を覚えながら、恥ずかしさで熱くなる感覚にたまらず口を開く。
「ごめんなさい。お腹減っちゃってるみたいです」
あさっての方向に視線を逸らしながら、ぽつり、と漏らすように告白する。
一瞬、部屋を静寂が満たしたかと思うと。
僕のものではない腹の虫が、それなりに大きな声でその静寂を破いた。
「…………」
あんまりにも意外過ぎて、僕も言葉を失いながら、その発信源であろう人と互いに視線を交わす。
屈んで心配そうに僕を見返していた麗華さんの頬には、僅かに朱が差していた。
「そう言えば、私も碌に食事をとっていなかったわね」
やれやれ、と肩を落とし、反省するような口調で麗華さんはそう言う。
「皆様、この時間ですと夜食になってしまいますが、簡単な食事でも如何でしょうか」
そこに、井村さんの落ち着いた声が提案をした。
僕と麗華さんは既に食事を必要としているのは明白であり、雲月君と神宮寺さんも「いただきます」と即答する。
……他の二人も、お腹減ってたのかな。
今後の方針が定まったところで、僕は昼間の服装――制服のままだったのを着替え、軽くシャワーを浴びてくることに。
浴室に入った時、微かにシャンプーの良い香りがしたのが、少しだけ気になった。
シャワーを浴びた後は、さっと部屋着に着替えてリビングへ行くと、そこには既に温かい飲み物が用意されていた。
ティーカップではなく湯呑みが木彫りの長机に四つ。
いつもは洋風で統一されることの多い久遠の館では、珍しい組み合わせである。
まだ淹れてからそう時間が経っていないのだろう。
ぽつんと一つだけ主のいない湯呑みが、自然と僕の座る席になる。
「で、今後の動きはどうする?」
僕を待っていたように、話を切り出したのは雲月君だった。
それに答えたのは麗華さんで、先に僕が意識を失っていた間の出来事を説明してくれた。
「……」
整理整頓された説明に無駄はなく、それが故にせっかくシャワーを浴びたというのに、嫌な汗が浮かぶような心境になってしまう。
魔法使いの襲撃。
昼間、学校で出逢った神秘調査会の不死者――ウィルセントと名乗った聖女の訪問。
たった一日で、平穏な生活が一転するような出来事のオンパレードだった。
「売られた喧嘩は買うわ。衝突は避けられないでしょうし」
対して、麗華さんの結論は至極シンプル。
「好戦的だな。その場合だと、自然と全面戦争になるのではないか?」
「三法がその目的でこの街にいるなら、その通りね。けど、実際はそこまで戦闘主義でもないでしょう。どちらかと言えば、彼らは『漁夫の利』を許さない為に睨み合っている部分もあるわ。今日の魔法使いのようにね」
曰く、三つ巴の関係が長く続く三法機関は、自分の利益に貪欲である以上に、相手の利益に敏感とのこと。
そして、何よりも彼らは――戦争をする為に美小野坂の街に来たのではない、と。
「私達の優先事項は御役目と満君を護ること。街と人を異能から守護する目的は、この場にいる全員が一致しているはずよ」
「ですね。私も先輩の意見に同意します。要は私達を含めて、美小野坂に手を出すなら相手になるぞってことですよね」
「えぇ。それなら、御紋会とも大きく足並みが乱れることもないでしょう」
「ふむ。まぁ、俺も異論はない。だが、相手が手を出してくるまで待つつもりか」
雲月君の口調は、僕でも分かるほど「張り詰めていた」。
おそらくだけど、戦闘を避けられないならば先手を打つべきだ、と彼は考えているのかもしれない。
それを、麗華さんは諫めるように言葉を続ける。
「優位に立つのは避けるべきね。戦闘面だけを考えれば、雲月君の言いたいことも、その意味も大きいでしょう。けど、組織を相手に目立ちすぎるのは得策ではないわ。……状況次第では、有利な相手を潰す為に結託することを選ぶ。それが、泣く子も黙る三法機関ではないかしら」
「あぁ~……連中ならやりそー……」
麗華さんの主張に、半眼で呻くように呟く神宮寺さん。
それを聞いている僕は当然、口を挟むことなんて出来ない。
ただ、聞けば聞くほど、長らく御紋会が介入を拒んでいた相手の恐ろしさが見えてくる。
「彼らは戦闘力だけで今の勢力図を構築したわけではない。そも、現存する戮士の多くは今、国外に『出稼ぎ』に行っているでしょう。必要とあれば、利用出来るものは利用する、それが彼ら組織の姿勢よ。目的の為であれば手段を選ばない相手を前に、こちらから火の粉を撒くような真似はしたくない」
戮士――麗華さんの言葉の中で出てきた単語に、僕は聞き覚えがあった。
夜のホテル街で魔剣使いと戦った時、僕と神宮寺さんを助けてくれた人が、たしかそう呼ばれていたはずだ。
「成る程。腑に落ちた。確かに、この国には戮士の居場所はない。……殺し屋の傭兵業など、受け入れ先は限られているものだったな」
ため息交じりに、雲月君が肩を落としながら、その表情から緊張を消して行く。
「そういうこと。複雑ではあるけれど、私達と三法機関の関係はまだ白紙に近い。勝手に手を出してくる個人は対処出来ても、彼らが組織として本腰を入れたら、流石にこの人数じゃ絶望的でしょう?」
「うむ。心得た。見せしめに一人、二人、暗殺でもしてやれば大人しくなると思ったが、やめておく」
「うっわ、物騒すぎでしょ、雲月くん」
「物騒なものか。弱らせれば、弱ったヤツから狙われていくと考えただけだ」
なんてことのないように言ってるけど……ごめん、雲月君。
十分過ぎるくらい、その考えも物騒です。
ただ、話を聞いていて、僕も少しだけ分かってきた気がする。
三法機関はお互いが明確な敵同士だけど、御紋会との関係性はそれに比べればまだ、望みの持てるものなんだ。
だから、あくまで自分達からは手を出さない。
そうすることで、御紋会との関係的に優位に立とうとする別の三法機関が、味方をする可能性だってある。
そして、その可能性を誰よりも理解しているのが――他ならぬ三法機関自身だろう。
自分達の「やり方」を熟知しているからこそ、組織として容易に攻め入れなくさせる。
今、この美小野坂の街において、「一人勝ち」というのはそれ自体が敗因になる可能性を持つ、ということだった。
「どうやら、お話は区切りがついたようですね」
そこに、丁度良く井村さんの声が割って入った。
全員が声の方を向くと、お盆を持った初老の紳士が穏やかな表情で立っている。
淀みない動きでお盆から各々の前に、一つの器を置いていく。
「わぁ、おいしそう」
湯気を立ち上らせる丼の中身は、うどんだ。
それも、夜食ということも考えて、つゆの色がほんのりと移るまで煮込んだもの。
身体も温まるし消化も良い、素晴らしい一品である。
「あぁー、私もお腹減ってきたぁ。しかも、うどんだからなんか罪悪感なくて余計に……」
神宮寺さんが、甘味を目の前にした時みたいになっている。
確かに、ちらりと壁に掛けられた時計に目をやれば、時刻は午前一時過ぎ。
下手に重たいものを食べれば、翌日に響く時間帯だ。
「時間も時間ですので、消化の良いものに致しました。関係各所には、ご迷惑かもしれませんが、私の方から連絡を入れておきます。皆様は食事の後、一度ゆっくりとお休みください」
「悪いわね、井村。貴方も、折を見て休みなさい」
「はい、お気遣い、ありがとうございます、お嬢様」
軽くお辞儀をし、井村さんはその場を後にする。
「じゃ、冷めないうちに頂きましょう」
麗華さんの言葉を皮切りに、僕らは一斉にうどんを口へ運ぶのだった。




