来訪者
ひどい雨の中、来客があることに驚いた。
嵐の夜更けに尋ね人とは、否が応でも身構えてしまう。
遠く聞こえたベルの音に神経を研ぎ澄ませ、久遠麗華は相手の出方を伺う。
自室から玄関までは距離があるが、井村がどう対応するかで敵味方の判別も出来るだろう。
が、予想に反して、井村が対応する様子が見られない。
しかし敵だとすると、その割には屋敷に張り巡らされた警戒用のアレコレが一切反応していない気が……。
「――――まさか」
足早に自室を後にし、私は玄関へ向かう。
すると。
「あ、先輩、こんばんはー」
「邪魔するぞ、久遠」
見知った顔が、まるで旅行にでも出掛けるか、はたまた旅行から帰ってきたかのような大荷物で、そこにいた。
「あなた達、何をしているの?」
さすがの私も困惑が隠せず、腕組みをしながら訝しむ。
そこへ。
「あぁ、お嬢様、申し訳ありません。お二人をお迎えに上がっておりました」
と、井村もまた大層な大荷物を手に、玄関の戸を閉めるのだった。
「井村、説明をして頂戴」
「はい。ちょうど一時間ほど前に、お屋敷へご連絡を頂きまして」
成る程。
それで、この二人を迎えに行っていた、と。
話の流れは掴んだものの、いまいち目的が不明瞭である。
がしかし、これだけの大荷物……ぱっと思い浮かんだ予想を尻目に、私はひとまず問い質すことにした。
「それで。この大荷物は何事かしら」
「はい。先輩、今日からお世話になります」
「…………本当に、何事?」
事態を飲み込めないまま、ひとまず玄関で四人顔をつきあわせていても始まらないので、井村に適当な空き部屋へ荷物を放り投げておくよう指示を出し、私は薫の手を引いて、リビングまで退避する。
「どういうつもり? あの荷物、まさか二人分?」
「いえいえ、私一人分です」
「尚更どういうつもりよっ。引っ越しでもするつもりなの、貴女?」
「はい。実家にいれなくなったので、先輩のお屋敷に逃げ込んで来ちゃいました」
それはそれで、一体何があったというのか。
眩暈がしそうになるのを、眉間をつまんで持ちこたえる。
ひとまず順序立てて話を聞いていくと、御紋会の長である神宮寺頭領と一悶着あり、どうせうまく協力関係が築けないなら、と実家を飛び出して来た、というのが事の顛末だった。
まぁ、色々と突っ込みたい気持ちはあるものの、彼女の判断自体は悪手、とも言い難い。
「……はぁ、家主に断りもなく飛び込むなんて真似……頼むから、私以外ではしないよう気をつけなさい」
「はい、以後気をつけます。でも、あんまり怒らないんですね。さすがに私も、コンコンと詰められるのは覚悟してたんですけど。実際、自分でも無謀だなぁとか、無計画過ぎるなぁとか思いましたから」
「怒ってどうするの。どうせ、他に頼る先がなくて来たのでしょう? まったく……本当、良いタイミングで来るわね、貴女」
一人、自室で彼の顔を見ていると、どうしても気分が滅入ってしまう。
かといって、放っておけるほどの強靱さは、今の私にはなかった。
普段から張り詰めている分、一度崩れた精神の鎧は、うまいこと持ち直してはくれない。
そういった意味合いでは、神宮寺薫の存在はまさしく、寝耳に水、棚からぼた餅であった。
「あれ、もしかして先輩、結構弱ってます?」
「悪い? 私だって、落ち込むことくらいあるわ」
隠したところでどうせ見抜かれてしまうなら、と私は白状をした。
それを、薫は数秒だけ真剣な顔で見つめると、少しだけ遠慮がちに。
「なら、ちゃんと支えないと、ですね。先輩には色々借りがありますし」
なんて、意気込むのだった。
「神宮寺、井村殿と一緒に荷物は運び入れておいたぞ。荷ほどきはどうする」
「あ、そのままで。明日やるから。勝手に開けてたら殺すからね」
「生憎と、そういった趣味は持ち合わせがない。では、オレは家に戻るがいいか?」
「「この嵐の中?」」
と私と薫の声が一言一句乱れずに被る。
しかし、雲月賢史は「当然だ。ただの雨風であろう」と意に介していない様子。
さすが、肉体活性を操る人間の言うことは違う。
「馬鹿言わないで。――井村に送らせるから」
そこで、フッ――と屋敷の灯りが一斉に消えた。
誰が言うでもなく、その場で全員が一度膝を折り、頭を低くする。
「先輩」
「侵入者よ。……どうやら、今度の来客は本当に招かれざる客のようね」
小声でやり取りをしながら、今のが敵襲を知らせる合図だと私は言った。
この屋敷の敷地は広いが、正面以外は背の高い木々で囲われている。
建てられたばかりの頃は両親の拠点でもあった為、この屋敷は「迎え討つ」ことに特化している。
「満を狙う不死者か?」
気づけば、音も立てずに雲月君が傍まで来ていた。
その問いに、首を横に振って答える。
「現状は不明か。どうする。誰か一人は護衛に回るか」
「井村に任せましょう。どちらにせよ、建物の中に入れるのは不快だわ。正面玄関で迎え討つ」
「でも、外はあの嵐ですよ、先輩?」
「構わないわ。家の中を滅茶苦茶にされるよりは、ずぶ濡れの方がマシよ」
そこに、雲月君が「馬鹿正直に正面から来るか?」と立ち上がる私の背を呼び止めた。
それに。
「正面以外は入れないようになってる。この屋敷はね、正面以外は鉄壁なのよ。逃げも隠れもしない相手を、真っ向勝負でぶちのめす為の処刑場だから」
そう、家主らしく私は答えた。
あぁ、なるほど、と二人は相槌を打ちながら、「逃げも隠れも出来ない、の間違いだそれは」という趣旨のことを言い合っている気がした。
「ならオレは一度姿を隠させてもらう」
相手が一人とは限らないであろう、と。
こちらが返事をする前に、同じく気配すらさせずに彼はどこかへと行ってしまった。
「相変わらずですね」
隣で、薫が呆れ気味にため息を吐く。
とはいえ、彼は単独行動に長けている為、お互いに特に異論はない。
迎撃の選択肢を選んだ私達は、連れ立って玄関へと赴く。
ドア越しでも聞こえる風雨の唸りは、これから始まる戦いの激しさを予感させるようであり。
「――――」
ドアを開けた先の光景が、予感ではないことを明確にした。
渦巻く雨粒。
波打つ轟風。
先ほどまで全員が嵐と認識していたソレは、今や一つの生き物のように蠢いている。
「……っ」
隣で、薫が息を呑むのが分かった。
嵐は、見えている。
嵐は、聞こえている。
だというのに、屋敷へ伸びる石畳には濡れていた形跡だけが残されており、本来であれば叩き付けるような雨粒も、髪を乱す強風も、あるはずの場所にだけなかったのである。
意を決し屋敷から外へ踏み出し、周囲に素早く視線を巡らせる。
まるで、私達を逃がすまい、とするかのように嵐は周囲を固めていた。
形状としてはドーム状に近い。
それは、水と風の牢獄のようだ。
一つだけハッキリとしていることは、これは自然現象などではない、ということ。
「ようやく家主のお出ましか。まったく、来客に対する礼儀がなっていない。クオンの名は学園でも知れているというに、後継がこれでは些か興が削がれる」
声は男のもの。
人影の輪郭が、コツコツと石畳の上を歩く音を立てながら、その全容を露わにした。
「――魔法使い」
私が確かめるように呟くと、件の人物は「如何にも」と返し、厚手のローブを揺らしながら杖をついた。
古を思わせる旧時代の姿は、人々が想像するイメージに近い。
長い白髪に反し、その相貌は若々しい。
とはいえ、熟練の魔法使いなど、見た目の年齢ほどアテにならないものもないのだが。
「西の学園から遙々来てやったが、どうにもこの国は合わない。極東の島国と言えば聞こえはいいが、所詮は文明に溺れた鉄の浮島ではないか」
「他人の領土に土足で上がり込んでおいて、ケチをつけるだなんて――学園では初歩的な交流訓練も教えていないのかしら」
「ハッ――学論すら持たない只の人間に振る舞う礼儀など、持ち合わせがない。我々は常に、孤高であり上位だ。そちらこそ、平等などという甘言を流布させ、民草の管理すらままならぬように見えるが」
「驚いた。この時代に、民主主義すら理解していない知識人がいるだなんて。……見た目通りの骨董品で、いっそ清々しいわよ、貴方」
私の軽蔑を、魔法使いは鼻で嗤い、顎を上げる。
分かりやすいほど見下し、手慣れた名乗りに口を開いた。
「私はエレム・オルペリア。西の学園における『大公』の一人だ。よく、見知り置け」
グレート・シンボル。
この男の名前にさしたる興味はないが、その称号には覚えがあった。
魔法学園における、権威の一つ。
つまり、今さっき名乗ったこの男――エレムは、学園における「学生」ではなく、「導師」の肩書きを持つ実力者、ということだ。
「それで、その大公様が、わざわざこんな所に何の用かしら」
「愚問だな、クオンの後継。クドウミツルという不死者を見定めに来た」
「見定める?」
「当然ではないか。そも三法が一所に集まるなど、そうあることではない。件の不死者……聞けば、ロストアーツの可能性を持つとか」
「…………」
私も薫も、言葉を失い、息を呑んだ。
ロストアーツ。
それは、数ある証紋の中でも、個人に由来しないものを指す場合が多い。
つまり、証紋そのものが独立して存在し、担い手や宿主を選んでいるもの。
不死者でも、そのロストアーツという用語を耳にする機会はまず、ない。
そんなもの、現代ではまさしく、失われた遺産に他ならないからだ。
しかし、目の前の魔法使いは、満君にその可能性があると言った。
「確証は? 貴方、ロストアーツがどれほど希少なものか、理解していないとは思わないけれど」
「無論。我ら不死にとって、それは過去のものだ。現存するロストアーツなど、この第二紀においてはあり得まい。……がしかし、何事にも例外はあるものだ」
「……人類種依存の証紋だとでも?」
自分でも口にするのを躊躇いながら、私は必然的に口から出た考えに拳を握る。
「ほぅ、見直したぞ。聡い者は好ましい。その通りだ。人類種が生み出した、『象徴』という異能。個人ではなく群体に帰属し、それに寄与することを運命付けられた、呪いの名だ。……この時世にあり得るとすれば、それ以外には考えられまい」
「おめでたい考えね。悪いけれど、彼は貴方が思うような人物ではないわ」
「それはどうか。人格など、象徴の前では塵芥に等しい」
「自分を鏡で見てみたらどうかしら」
「ハッ――大公の肩書きなぞ、所詮は象徴の真似事に過ぎん。三法のいずれもそうであろう? 我ら不死は、古ぼけた人間。過去で武装し、それを再現する者に他ならない。故に――象徴とは、須く『役割』なのだよ」
「…………」
「判らぬ、とは言えまい。この国は、世界で唯一、未だ『象徴』が遺り続ける希有な土地なのだからな」
返す言葉を見つけられない私達を見て、魔法使いは満足そうに頷く。
「しかし、それもやはり、国という枠を出ない。ロストアーツは謂わば、人類種の総意。人々の無意識、有意識両方によって象られるもの。……例えばそう、『英雄』や『勇者』、あるいは『魔王』などが良い例か」
「なら、やっぱり無駄足よ。人々の意識に因るなら、彼は除外される。第一、そういうのは顔も名前も知れた人間の話でしょう」
私の言い分に、魔法使い――エレムは数拍、押し黙った。
「意外だな。……不死であれば、有象無象の人間こそが最も残忍で冷酷であると、知っているものと思っていたが」
その言葉に乗せられた感情に、先ほどまでの見下すような様子はない。
「この国も例外ではない。街を蠢く民草を見てみろ。尽きぬ幸福への欲望で溢れている。人は心の何処かで必ず、『都合良く救われる瞬間』を描くものだ。そこに罪過を語るなど、それこそ無意味であろう。知る顔に救いを求めるならば、まだ賢者の側よ。愚かとは、その存在の有無すら関係なく、救済者という役割を願い求めるからであろうが」
言葉が詰る。
魔法使いの言葉に、私は――いや、不死者は反論が出来ない。
人は幸福を求める。
そのあまりに単純な「救われたい」と想う願望が、象徴という役割を生み出しているのだと。
そしてそれは……きっと、私でさえ例外ではない。
「あのさぁ」
立ち尽くす私より、一歩前へ。
髪の尾を揺らして、一人の少女が前へ出た。
「話が長いんだっての、おっさん」
「――――お、っさ、ん――だと!?」
予想外の一言だったのか、魔法使いは怒りを見せながらも、困惑に目を見開いていた。
それを好機とみたのか、神宮寺薫は畳み掛けるように暴言を続ける。
「大体、ロストアーツだの象徴だの、話題がもうカビてるんだよなぁ。仮にクドウくんがそうだったとして。……だからなに? それで、私や先輩が引き下がるとでも思うの? ――はっ、それこそアホらしー」
「……小娘風情が、私を侮辱するか」
「うん。侮辱もするし、軽蔑もするし、敵視もする。あったり前じゃん、頭良すぎて馬鹿なんじゃない? あぁ、それともお勉強『だけ』得意なタイプ? そりゃあなんというか……ご愁傷様だね」
哀れむように、薫はわざとらしく肩を落とした。
凄まじい。
なんというか、思わず私でさえ軽く身を引いてしまうほどの、淀みない罵倒である。
おそらくではあるが。
彼女は今、猛烈に怒っているのではないだろうか。
「おっさんの言う通り、確かに人は愚かかもね。でも、そんなこと今更言われるまでもない事だよ。みーんな知ってる。だから、こうして文明は発展して、時代は流れて、今も諦めずに『皆が笑って過ごせる未来』に向かって足掻いてるんじゃない?」
「…………」
「プライドが高いのも結構だけど、時代遅れ過ぎだよ、あんた。人類はいつも、転びながら前に進んでる。高みの見物決め込んで、訳知り顔で愚かだなんだって言ってる内に、もう背中も見えなくなってるんじゃない?」
「なんだと……」
「世界の命運を勇者だの英雄だのに背負わせる時代は、もうとっくに終わってるよ。人間のそういう側面はなくならなくても、あんたが思ってるような世の中はもう、何処にもない。つまり――ご託並べといて、早い話がクドウくんの証紋にだけ用があるってことでしょ」
あぁ、そうか。
だから、彼女はこんなにも怒っているのか。
満君に害を成すだけでなく、そも久遠満という人物に興味など、この魔法使いは微塵もないのだ。
ただ、希少な証紋――魔法使いである自分に有益と考える、その異能しか見えていない。
「――――綺麗事を。お前達とて、不死である以上は自らの価値が証紋に左右されると、知っているはずだ。クドウミツルを護る理由として、その証紋に多大な価値がある。それに勝るものがあるとでも言うのか」
魔法使いが、困惑を打ち払うように杖の先で石畳を叩く。
それを――。
「あるけど?」
――と、薫はあっさりと即答していた。
これには、思わず私も口元が緩んでしまう。
笑ってはいけない状況なのだが、肩の震えを抑えるだけでも精一杯だった。
「だって、友達だもん」
「なっ――――正気か、娘」
「あんたに言われたくないなぁ。まぁ、その性格じゃあ友達いなくてもおかしかないけどさ。……あのね、あんたにとって『友達』がどんな重さかは分からないけど、私にとっては命を賭すに値するの。クドウくんは、私――ううん、私達にとって、そういう友達。大切な仲間をモノみたいに見定める、なんてヤツ……そりゃ、売られた喧嘩は買うって話じゃん?」
薫が言い終わると同時に、私も歩を進め、隣に立つ。
胸を張り、顔を上げ、真っ直ぐに魔法使いを見返す。
そうだ。
私は何を気落ちしていたのか。
満君がどうであれ、私は彼を守ると誓った。
なら、それ以上もそれ以下もない。
「そういうこと。お分かりかしら?」
「……信じられん。なんと幼稚で稚拙な思考だ。友達、だと? そんな蜘蛛の糸のような繋がりで、何が成し得るという? 馬鹿馬鹿しい。系譜でも由緒ある家柄と知って足を運んだが、とんだ無駄足だ。こんな子供が家長を務めるなど、ゴモンカイとやらも余程人の手が足りないと見える」
「あぁ、人手不足ならその通り。おっさんが学園でやっていけなくなったら、ウチにおいでよ。こっちも仕事なら差別なしで、いい再就職先、探すの手伝ってあげるからさ」
「黙れ。馬鹿がうつる。所詮はサルだったか。……目障り故、一息で蹴散らしてやろう」
会話をする気が失せたのだろう。
エレムが軽く杖を揺らし、詠唱を始めると、吹き荒れていた嵐に変化が現れた。
風と雨が竜巻のように混ざり合うと、巨大な槍の穂先のように私達の方へと伸び、屋敷の入り口ごと私達を吹き飛ばす。
「他愛もない。身じろぎ一つ出来んとはな」
吹き飛ばす――はずだった。
しかし、実際には風も雨粒も、その直前で霧散していったのだった。
視界を遮るものがなくなった後には、両手に符を構えた薫が平然とした顔で立っている。
「……なに?」
エレムの表情が、今度こそ凍りつく。
手傷どころか、周囲に被害一つさえない。
彼の魔法は、これ以上にないほど完全に無効化されたのだ。
「よかったわね、薫」
「え、何がですか、先輩?」
「あの魔法使い、神宮寺のことは知らないみたいじゃない」
「あぁ~……まぁ、こうなるとちょっと、不憫ですけどねぇ」
神宮寺薫の証紋を知っていれば、「魔法使い」が彼女の前に立つこと自体、どれだけ馬鹿げたことかすぐに分かる。
しかし、目の前の彼の様子に、その気配はまったくなかった。
「馬鹿な――私の魔法は確かに――っ!」
「確かに発動してたよ。それは保証したげる」
「ならば――――!!」
なぜ、生きている――いや、無傷なのだ、と。
魔法使いは信じられないものを見るような目つきで、私達を睨む。
「さぁ? それをさっきまで馬鹿にしてた相手に聞いちゃうワケ?」
「――――っ!」
薫の返答に、ぎりぎりと首を絞められていく魔法使い。
しかし、同時にここは両勢にとってのターニングポイントだった。
相手からすれば、一度撤退するタイミングとしては悪くない。
生粋の魔法使いであればあるほど、薫の証紋は威力を発揮する。
その代わり、私達は屋敷を離れることが出来ない立場だ。
この魔法使いが逃げる選択をした場合、私達に追撃の手立てはないということ。
それは薫も分かっているのか、証紋の相性的に絶対有利であっても、迎撃の姿勢を崩さない。
「あり得ん。全力でないとはいえ、魔力の衝突さえ感じさせず……対抗呪文でも、あぁはならんはずだ」
魔法使い――エレムは、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながらも、自分の魔法を無効化した絡繰りを解こうと、こちらを睨み据えている。
流石は腐っても大公の肩書きを持つ、一流の魔法使いなだけはある。
驚きはあれど、それで思考を停止させるほど甘い相手ではない、ということだ。
少なくとも、戦闘経験と頭脳の質は侮れない。
「――――ちっ、この気配」
エレムがふと、私達から視線を外す。
油断、ではなく、警戒の色をより濃くした様子だ。
「……ニホンの不死者よ。不本意だが、勝負は預けておく」
「意外ね。大人しく身を引くようには見えなかったけど」
「たわけ。漁夫の利を許すほど間抜けではない。此度は三つ巴。精々、他の連中にやられんことだ。……私を侮辱した事は、必ず後悔させてやる」
言い終わるや否や、魔法使いは一度だけ強く、杖の底で石畳を叩いた。
すると。
「うわっ!!」
久遠の屋敷を囲むように渦巻いていた風と雨が、一斉に元の嵐へと戻った。
隣で思わず声をあげた薫はもちろん、私も、ほんの数秒の内にびしょ濡れとなってしまう。
立っていられないほどではないが、この風では傘は役に立たないだろう。
「あ、あいつ――この質量の雨風を操ってたんですねっ!」
「肩書きはハッタリじゃないみたいね。貴女以外が相手をする場合は、十分に警戒が必要だわ」
言いながらさっきまで魔法使いが立っていた場所を凝視するが、既にその姿はなかった。




