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アンデッド  作者: 無理太郎
Episode.3 三つ巴
45/89

父子の対立

「久遠先輩、夜分遅くにすみません」


 挨拶もそこそこに、私は本題へ入る。


「ウィルセントってあの聖女の話、覚えてますか?」

『えぇ。それがどうしたの?』


 通話口越しの先輩の声は、ひどく暗い。

 まぁ、無理もない。

 クドウくんが急に倒れ、意識も戻らないんじゃあ、気分が落ちても仕方がない。

 私だって、こうして御役目も放り出して、調べ物でもしていないと気が紛れないのだから。

 両手が塞がっているので、携帯は早苗に持ってもらっている。

 ここは本舎にある資料室の一つで、主に古い記録資料を保管する地下保管庫だ。

 当然、古ければ古いほど手つかずになるので、全体的に埃っぽい。

 それでも数時間かけて、ようやくそれらしき資料にあたったのだ。


「鑑総合病院って、アイツ言いかけてましたよね」

『――――』

「それっぽい資料、見つけたんですよね」

『詳しく中身を教えて頂戴』

「はい。っても、精査してないんで、そこはご愛敬ってことで」


 私が調べようと思ったのは、同じ名字が御紋会上層部にいるからだった。

 鑑蓮かがみ れん

 素性はよく知らないが、あまり見ない名字なので覚えていた。


「鑑総合病院は、不死者専門の医療機関です。けど、九年前に突如、取り壊しを受けてます」

『不死者専門――そちらの記録には残っているのね?』

「はい。職員の名簿リストとか、そういう気の利いた資料はないですね。あくまで概要程度です」

『十分よ。続けて』

「その取り壊しの原因は不明なんですけど……どうやら、情報的には機密扱いみたいです」

『どういうこと?』

「存在自体、残せないって判断です。主な活動は……その、言いにくいんですが、証紋に手を加えてたみたいですね。所謂、異療錬金ってヤツです」

『……嫌な単語ね』


 私も、同感だ。

 さっきから、ページをめくる度にじっとりと背中が濡れていくのが分かる。

 不死者をやっていて、ここまで冷や汗が出るのも珍しい。


「設立は……今から六十年と少し前。初代院長は鑑弦斎かがみ げんさい。で、二代目院長が鑑孝文かがみ たかふみ。初代院長時代から、かなりの不死者達を受け入れて、社会復帰活動と称した医療行為を行っていたみたいです」

『称したってことは、実際は違っていたのかしら』

「記録には、『不明死者多数』ってあります。おそらくですけど、かなり無理な証紋手術を行ってたんじゃないですかね。有形であれ無形であれ、人体の一部である以上、下手にいじくると拒絶反応とか出ますから」

『――もはや人体実験ね』

「先輩。もしかして、これ……クドウくんも?」

『今はやめて。後で、きちんと聞くわ』


 先輩からは、ハッキリとした拒絶が見える。

 あの久遠先輩が、自ら「知りたくない」という意思を臭わせるのは珍しい。

 やっぱり、久遠先輩は何かを知っているんだ。

 その上で、私達に隠していることがある。

 だから……何らかの理由で、私が話した一件に思うところがあるのだろう。


「分かりました」


 大人しく引き下がり、進展があり次第連絡すると告げ、一度電話を切る。


「ありがとう、早苗。助かったわ」

「いえ、これくらいであれば。ですが、いいのでしょうか。地下保管庫は、本家でも単独での出入りは禁止されていたと記憶しているのですが」

「そんなの無視無視。こっちだって友達が懸かってるんだから、選んでられないっての」


 言いながら、私は昼間の光景を思い出す。

 クドウくんの様子は明らかにおかしかった。

 あれが聖女――ウィルセントの証紋によるものなのかは不明だが、いきなり意識を失うというのは尋常ではない。

 すぐに目を覚ます様子もないことから、私は楽観視出来ない――いや、指をくわえて見ているだけ、なんてのはごめんだった。

 そこに、やはりと言うべきか。

 予想はしていたが、なるべく考えないようにしていた声が背中に突き刺さった。


「何をしている」


 びくり、と。

 隣の早苗の肩が飛び上がるのが分かった。

 私に驚きはない。

 むしろ、普段なら私のことなど気にもかけないというのに、「お前こそ何をしてるんだ」という気持ちだった。


「何って、見て分かりませんか」


 立ち上がり、振り返る。

 地下保管庫の出入り口、開け放たれた重い鉄の扉の前に、見慣れた和装姿があった。

 その姿の人物は男性で、相変わらずの仏頂面がこちらを見据えている。

 まぁ有り体に言えば――私の父だった。


「此処への入室規則に反していることは、分かっているな」


 さすが、話が早い。

 私がここにいる理由よりも、取り締まる方が優先らしい。


「はい」

「では、今すぐに退室をしろ。然るべき処分は、追って知らせる」

「お断りします」


 はっきりと、私は父の言葉を払いのけた。

 彼の表情に変化はない。

 私の様子から、覚悟の上であることは伝わっていたからだろうか。

 数秒、張り詰めるような沈黙が両者の間を流れた。


「お言葉ですが、神宮寺頭領。本家当主の一人として申し上げますが、情報の共有に関して不明瞭な点があります。相互監視の面から見ても、御紋会は本家を蚊帳の外にするおつもりでしょうか」


 言いながら、私はポニーテールを解く。

 ワンアクション必要なのは面倒だが、かちり、と明確に内面が切り替わるのを感じた。

 この状態の神宮寺薫わたしは、言ってしまえば「素」の私だ。

 別に髪を結んだ状態が偽物とは言わないが、幾分、社交性に性能を割いているのは否めない。


「加えて。御紋会は当初より、久遠満という人物に関して把握しておきながら、開示していない情報がありますね? それについて、正当な理由があればお聞かせ願いたいのですが」


 畳み掛けるように、私は言葉を並べていく。

 そこに相手の内心を慮る配慮はなく、淡々と事実を述べる冷たさに、自分自身でも嫌気が差した。

 哀しいが、これが神宮寺薫という少女の根底だ。

 生まれた時から「当主」として育てられた、その成れの果て。


「知ってどうする」

「久遠満という人物を把握します。現に、彼の身元保証人は久遠家であり、不死者としての師範は私です。彼は今、意識不明の状態であることは、ご報告した通り。……事態の回復を目的として行動を起こすことが、そんなに理解出来ませんか?」


 それはもう、父子の会話でさえ、なかった。

 言葉に通った体温ねつなど無く、あるのは警戒と不審。

 互いに隙を見せない敵同士のような緊迫が、ぶつかり合う視線の強さで分かるほど。


「事態の回復か。……確かに、御紋会は久遠満に関して、当初より把握していた情報が幾つかある。それは、彼の出生に関するものだ。だが、これは彼自身にとっても細心の注意をはらって運用すべきと判断している」

「つまり、最初ハナから本家にはお守りだけをさせるつもりだったと」

「如何にも。今代は、いずれの本家も当主陣がまだ若年である。不死者の過去については、触れるべきではないことがあることも知っているな。例えそしりを受けようと、御紋会は久遠満に関する情報の一部を封印すると決定している」

「――――」


 意外、と言えば意外だった。

 私は彼らの隙を突いたつもりだったが、既に先手を打たれていたとは。

 こうまで頑な姿勢を取る、ということは、枢軸会議でも私達本家が劣勢なのは明らかだ。

 こうして、「隠し事はあるが、簡単には明かさない」と明言している以上、御紋会側の口を割らせるのは骨が折れる。


「薫」

「……なんでしょうか」

「お前とて、彼が本舎に顔を出した時から、ある程度の調べは進めていたはずだが」

「えぇ、仰る通りです。当主として、久遠満の監視は継続しています。だからこそ――」

「――核心に迫るには遠い、と分かった時点で、自分が手を引くべき案件だと判断もつかんか」


 私の言葉に被せるように、神宮寺頭領は喉元に刃先を突きつけるような警告を発する。

 怖じけずに真っ直ぐ睨み据えるが、正直、かなり分の悪い舌戦だった。

 確かに私はクドウくんの監視役、という側面を持つ。

 久遠先輩に明かしていないモノがあるように、私も立場上の顔、というものが存在するのだ。

 神宮寺家の当主である以上、私の御紋会における権力が目の前の男を超えることはあり得ない。

 詰る所、私は本家と御紋会、両勢を行き来するスパイ的な役割を任されていた。

 尤も、スパイとはいえ、あくまで定期報告くらいなもので、裏切りや反故を受け入れるようなつもりは毛頭無い。

 私が持つ情報は、全て御紋会に筒抜けになる、くらいが関の山だ。

 だからこそ、頭領の放った一言は、私に対する最後通牒を意味する。


 ――これ以上首を突っ込むのなら、身の程を分からせるぞ、と。


 この男は私に言っているのである。

 当主として育てられてきた私に、その立場と家柄を取り払ってしまえば、残るものなどほとんどない。

 表情は変えず、ぎりぎりと痛みが奔るほど拳を強く握りしめる。

 情けない。あまりにも、私は無力だ。

 その事に、今更になって頭に血が上りそうになっていた。

 最初こそ、なんてことのない役割だったものは。

 気がつけば、私には荷の重いものになっていた。

 それはきっと、神宮寺薫という人間の変化を表わしていたのだろう。


「……クドウくんは、大切な友達です。それを、黙って見ていろと仰るなら、私は当主の立場を捨てましょう」

「な、お嬢様!?」


 隣で、私の暴挙に早苗が悲鳴をあげる。

 無理もない。

 私が当主の立場を降りたところで、そんな自由は私にはないからだ。

 私は常に、神宮寺家にとって都合の良い駒でしかない。

 選択も権力も与えられず、ただ飼い殺しにされるだけの世継ぎである。

 ただ一点、そこに辛うじて付け入る隙があるとすれば。


「私は『友達』が大切です。あなたが私には与えなかったが故、その価値は人生を懸けるに値する。……そっちがその気なら、上等だっての。不死者にとって、信頼を置ける存在がどれだけ大事か。いつまでも子供だって侮ってると、そのガキンチョに喉笛噛み千切られるわよ」


 それもやはり、私自身の変化だった。

 私はかれには勝てない。

 そんなことは、物心ついた時から分かりきっていた。

 けれど、だからといって向き合わない、挑みかからないことの理由にはならない。

 例え勝敗が見えなくたって、私には譲れないものが生まれてしまった。

 何も残るものがなかったとしても、この身と証紋だけは、私のものだから。

 あの四月の夜――一人の少年を、二人で守った時の胸の高鳴りを私は忘れない。

 久遠先輩もクドウくんも知らないだろうけど、あの出来事で、私の世界は変わったのだ。

 今しかない時間を誰かと過ごすこと。

 擦り切れるような研鑽に、誰かを護ることで意味が生まれること。

 私が私を追い詰めて生きてきたことに、ちゃんと理由があったんだと思える、その感覚こそが――。


「私はもう、神宮寺の為だけの人間じゃない」


 ――決して、手放してはいけない大切な宝物であると、知ったのだから。


「……自分が何を言っているのか、」

「分かってるっての、それくらい。でもね、学生にとって学校っていうのは世界だし、友達っていうのは仲間なの。大人の父上からしたら狭い視野でも、その中で生きている人間にしか分からない価値もあるってこと」

「……お、お嬢様」

「そういう訳だから、早苗――ちょっとごめん」

「へ? あ、お嬢様――っ!?」


 するりと割烹着姿の女性の細腕を絡め取ると、彼女を拘束する。

 突然ということもあり、身をよじる早苗には困惑の色がハッキリと浮かんでいる。


「じっとしてて。早苗まで巻き込むワケにはいかないでしょ」

「もう十分巻き込まれてますぅ!」

「その調子その調子。……ってことで、悪いけど父上、そこ退いてくれる?」


 早苗を人質に取り、私は男を脅迫する。

 いよいよもって後には退けなくなった。

 覚悟の上と言えば覚悟の上だし、思いつきと言えば思いつきでもある。

 こうなることを望んだわけではなかったが、それでも意外なほどすんなりと気持ちが切り替わったことに、私は安堵していた。

 気のせいではない。気の迷いでもない。

 私はちゃんと、私の大事なものの為に、決断を出来たんだと。


「――――」


 それを、御紋会の頭領である男は、鋭い目つきで見定めていた。

 そこには父が娘を見るような感情は一切なく、敵の動向を観察するかのような隙の無さだけが、私を威圧している。


「それで。此処を出てどうするつもりだ、お前は」

「言うわけないし、どうせ分かってるでしょ。昔から父上は全部お見通しなんだから、いちいち聞くような性格の悪いことしないでくれる?」

「昔から無鉄砲を欠点と捉えていたが、やはりその通りか」

「残念? まぁ、残念でしょうねぇ。悪かったわね、手塩にかけた娘がこんな出来映えで。でもね……不思議と、今が一番、生きてるって実感できてるんだわ、これが」


 全く以て自分の事ながら、その身の上に涙が出そうになる。

 中学の時とは違う。

 誰かの為の反抗は、こんなにも私を奮い立たせてくれるのだから、仕方がない。

 結局、私はずっと、神宮寺の籠から出たくて空を見上げていたのだろう。

 翼を持たない鳥の癖に、自由そらへの憧れだけはいっちょ前だったのだから、なんとも恥ずかしい話ではあるのだが。


「神宮寺から離れようと、お前が自分の出自から逃げられるわけではない。……久遠満がそうであるように、それは家柄ではなく自身について離れぬ宿業だからだ。例え系譜であろうと、不死者としての起源が薄れるわけではない」


 父の言うことは尤もだ。

 私に降りかかるものは、私自身に定められたもの。

 家柄や居場所に関係なく、私を中心として自身を巻き込む災厄のようなものなのだ。

 つまり、どこにいようと、誰といようと、いつか雌雄を決しなければいけない問題があり、それから逃げることは出来ない、と彼は警告していた。


「だったら、尚更私は独り立ちしないとでしょ。実家でいつまでもお嬢様扱いなんて、もってのほかじゃん」

「お嬢様、早まらないでください! いえ、むしろ、それならこの早苗も一緒に――!」

「だめだめ。早苗連れてったら、エンゲル係数高めの連中から、本格的に狙われちゃうでしょ。うまいこと父上を退けても、もう家には居られないんだから、早苗はガッチリ、他のヤツらの胃袋掴んどいて」

「そ、それなら問題ありません! 飯抜きの一言で、彼らは全員、骨抜きですので!」

「だそうだけど、父上? 真面目な話、三法機関の介入も許したこの状況で、内輪揉めってのは避けたいところでしょ。まぁ、ご頭領様は歯牙にもかけないのでしょうけど? 他の幹部陣はそうもいかないんじゃない?」

「…………」


 僅かに、父の眉が動く。

 神宮寺宗也としてならばともかく、御紋会の長として、組織の性能に陰りが見えるのはマズいだろう。

 特に今は、美小野坂に三法機関を招いてすぐだ。

 この状況で弱みや隙を見せれば、一気に食い荒らしてくるのが連中である。

 それを私以上によく知る彼だからこそ、今の一言は容易に受け流せない指摘だった。


「薫」

「なによ」

「……後悔をするぞ」

「今更。後悔なんて、この家に生まれてからしっぱなしよ」


 神宮寺頭領は一度だけ、小さくため息を吐いて肩を落とすと、すぐに容赦の無い顔つきに戻る。

 あぁ、あれは。

 早くも私を部外者てきと切り替えた顔だな、と理解した。


早苗かのじょを離せ。お前はもう、神宮寺の当主として権限を持たない。それ以上の狼藉は、鎮圧が必要と判断するが」

「交換条件。早苗は無傷で解放する代わり、そこを退いて。交渉決裂の場合、私は早苗を連れて行くし、彼女の作るご飯は誰にも渡さない」

「なんて交渉してるんですか、お嬢様!? 緊張感があるようでないんですけど!?」

「そこは我慢して。こちとら、有効な手札があなたしかいないんだから」

「で、でも!」

「大丈夫。最終的にはちゃんと、御紋会側になるよう落としどころは見つけるから」

「そ、そんなぁ! 私はお嬢様の味方ですよ!?」

「だからだっての。数少ない味方なのに、危険には晒せないでしょ。私が悪者でいる内は、誰もあなたに手出しは出来ないし、させない」


 その為には、早苗の好意に甘えるわけにはいかないのだ。

 彼女の身柄は私が連行するし、全ては私の独断による実力行使によって成されたものとしないと、責任が分散してしまう。

 それだけは、なんとしても避けたいところだ。


「御頭領、背中ががら空きであるが」


 思わぬ声に、その場の全員が一瞬、動きを止めた。

 あの神宮寺宗也ちちうえでさえ、だ。

 呼ばれた男が振り返り、長を呼んだ声の主を視認する。

 本舎は土足厳禁のはずだが、足音は明らかに踵の音を刻んでいた。


「――雲月、賢史」

「何をしに来た、などとつまらない質問は結構。神宮寺、まだ刀刃を必要とはしていないようで安心した」

「まさか、御役目ほっぽって来たの?」

「失礼な。これも立派な御役目だろうさ。それにな、何度も言うが、オレは御紋会を信用していない。お前が本舎に向かった時点で、最悪を想定したまでだ」

「尾行ってのは関心しないなぁ」

「はっはっはっ、助太刀に対して随分な物言い。らしくあるようで、幾分無粋な心配をしたようだ」


 無粋な心配、とは私が父を相手に折れることを危惧してだろうか。


「悪いが、道は開けて頂こう」

「…………」

「御頭領。雲月の家は、良くも悪くも、御紋会そちらの影響を強く受けない。同家当主として、神宮寺の行く手を阻むなら傍観ともいくまい」

「懸命な判断とは言い難いな」

「それは互いに言えること。満に関しての情報を渡す気がないなら、現時点で本家における御紋会の価値は程度が知れよう。加えて申し上げれば、彼は謂わば渦中の人間。……果たして、御紋会だけで三法を抑えられるかな」


 さすがは雲月賢史、といったやり取りが聞こえた。

 不遜なのはこの際脇に置いて、自分の立ち位置を熟知している、という点で雲月くんは一線を画す。

 確かに、私と彼をここで鎮圧したところで、御紋会としては戦力の低下は避けられない。

 逆に私達が御紋会を離れても、御役目がある以上は三法と敵対する可能性はある。

 つまり、御紋会にとっても美小野坂の街にとっても、私達をここで拘束するメリットはほぼ無いに等しい。

特に全面戦争なんてことになれば、美小野坂市の御紋会戦力だけでは不足は必至だろうし、全国の支部からも戦力を集結せざるを得なくなる。

そうなってしまえば、昔のように国家間のやり取りの裏で、不死者達が暗躍する時代の逆戻りだ。

 第二次世界大戦以降、何十年と積み上げてきた和平の礎は容易に取り払われてしまうだろう。

 今でさえ、表沙汰にならなければ何をしてもいい、と考えている連中がごまんといるのに。


「――いいだろう。好きにしろ」


 故に、当然の帰結として神宮寺頭領は壁に身を寄せた。

 ここで、相手の論の筋道を見極められるのが、この男が御紋会のトップに立つ由縁であろうか。

 益がないと踏めば、例え自分の顔に泥が塗られたとして、面子のためだけに私を捕らえようとはしない。

 悔しいが、そういった点については、呆れるほど優秀なのである。


「神宮寺、急げ」


 雲月くんの呼びかけに頷き、私は早苗を後ろ手に縛ったまま歩き出す。

 神宮寺頭領の前を通り過ぎたところで振り返り、早苗を解放した。


「――お嬢様」

「ごめん。私が居ない間、皆をよろしくね」


 私を心配する胸中を隠そうともせず、早苗は胸元で両手をきつく握り絞めている。

 本当は私に着いていきたいが、それが叶わない事情をよく分かっている証拠だった。


「さ、行こう、雲月くん。こうなったら、さっさと荷物まとめて出て行かないと」

「うむ」


 地下の保管庫から地上へ上がると、そこには数名の見知った顔があった。

 全員、私の身内――いや、神宮寺家の分家の者達である。


「と、言うわけだから、皆の衆。当主わたしがいなくても、しっかりと業務はこなすように」

「……はっ」


 一様に返事は返ってくるものの、元気はない。

 それもそうだろう。

 私だって、こんな形で出て行くとは思ってもいなかったし。

 けどまぁ、お互いにとってそう悪いことばかりではないと思う。


「元気ないなぁ。神宮寺の分家たるもの、かしらが不在、なんて程度で手を抜いたら、それこそ頭領の顔に泥を塗るよ? 娘の私がいの一番で泥玉ぶつけてるから、強くは言えないけどさ」

「…………」

「ある意味では、今の状況は皆の実力が試される良い機会だよ。なんせこの先、美小野坂では問題が起こる兆ししかないんだから」


 今までが平和ボケしていたのか、魔剣使いの一件で皆も目が覚めたはずだ。

 強大な不死者が暴れれば、社会がどうなってしまうかを。

 そこに、背後から「辛気臭いよ、お前達!」と似合わない怒声が飛んできた。

 振り向くと、割烹着姿の女性がどしどしと音を立てそうな歩幅で目いっぱい歩き、私の前に立つ。


「お嬢様がこう言ってるんだ。文句のあるやつは手をあげな。直々に飯抜きにしてやる」


 腰に両手をあて、早苗は声を張り上げた。


「手があがらないってことは、異論はないってことだ。なら、お嬢様の門出だよ。どう見送るのが礼儀だ!?」

「はっ――ご武運を!」


 一斉に姿勢を正し、頭が下がる。

 まぁあれだ。

 こんなことしてるから、表向きの職業がヤクザなどと噂されてしまうのだろう。

 苦笑いながら「はいよー」と軽く返事をすると、早苗がゆっくりと振り向いた。


「お嬢様。たまには、顔を出してくださいね。例え当主様でなくなったとしても、私達にとってお嬢様はお嬢様なのですから」


 その関係だけは、頭領にだって奪えない、と。

 彼女もまた、覚悟を決めたような穏やかな笑顔で、私にひとまずの別れを告げるのだった。


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