予兆
次の日、目を覚まして最初に、窓を覆うカーテンを開ける。
頭が半分ほど寝ぼけていても、ルーティンとなった動作に迷いはない。
僕は欠伸を噛み殺しながら、伸びをしつつガラス越しに外の様子を確認する。
「今日も雨かぁ」
梅雨の時期なので仕方がない。
昨日の天気予報でも、一週間は降り続けると言っていたので、期待はしていなかった。
ただ、雨の日の夜警は中々に大変なのが、少し億劫であることくらい。
傘という手荷物を持ちながら、街のあちこちを歩き回るのは、それなりに労働となる。
「はぁ、今日も訓練は本舎の道場だなこりゃ」
天気の悪い日は、決まって屋内での訓練となるのだ。
当然と言えば当然なのだが、休日みたいに学校での訓練の方が幾分マシだった。
なにせ、あそこは神宮寺家の本拠地でもある。
不死者の内情を知った色んな人の目があるので、僕としては学校とは違った居心地の悪さを感じる場所となっていた。
しかしながら、仕方がない面もある。
運動場が使えない場合、校舎内は逃げ込んできた運動部員でごった返すし、僕らが気ままに使えるスペースは皆無と言っていい。
そうなると自然、訓練の場は限られてくるというワケである。
「それはそうと、準備しなきゃ」
先に洗面を済ませ、制服に着替えた後、登校の準備をする。
部活がないので荷物は多くなく、そう時間はかからずにリビングへ下りていくことが出来た。
今では日常となった、朝餉の香りが鼻をくすぐる。
同時に、腹の虫まで目覚めてしまうので、手伝いにも精が出るというものだ。
リビングに鎮座する木彫りの長机には、椅子が六つも並んでおり、その一つに僕のエプロンが掛けられている。
自然、お互いの座る位置は決まっており、椅子の背に掛けられたそれが、お前の場所はここだぞ、と教えてくれているようだった。
手に取り、慣れた手つきでエプロンを身につける。
台所に向かうと、いつも通り、麗華さんが朝食を作っていた。
「おはようございます、麗華さん」
「おはよう、満君」
くるり、と向き直り、挨拶を返してくれる。
それが、その一瞬のやり取りが、僕は気に入っていた。
食材を切っていても、フライパンを手にしていても、必ず麗華さんは僕を見て、挨拶を返してくれるのだ。
何気ない動作かもしれない。
彼女にとっては、当たり前でそう大層なことではないのかもしれない。
それでも、僕にとっては嬉しい、ささやかな幸せなのだ。
「出来上がってるの、運んじゃいますね」
「ありがとう」
「あ、お味噌汁も出来てますか?」
「えぇ。よそうのお願いしてもいいかしら」
「はい、もちろんです」
今日のメニューは、焼き魚と目玉焼き。
朝から魚が出てくるのは珍しい。
越してくる前は、むしろ魚ばっかりだったけど、それが今では懐かしいとは時が経つのは早いものである。
綺麗に盛り付けられた皿を並べ、できたてのお味噌汁をお椀に注いでいく。
二ヶ月以上もすれば、お互いの動きに迷いはなく、連携というと大袈裟だけれど、スムーズに準備が進んでいくようになっていた。
あっという間に僕と麗華さんは食卓につき、「いただきます」と手を合わせて食事を始める。
「――――」
静かな朝食。
僕も麗華さんも、食べながらお喋りをする方ではない為、自然とそういう食事風景になってしまう。
賑やかなのも悪くないが、こうして落ち着いて食べるのも良いものである。
「あ、このお魚おいしい」
脂がのっているのに、しつこくないし、生臭くもない。
軽く塩で味付けがされているだけなのが、逆に魚本来の持ち味を遺憾なく発揮していて、まさに絶品である。
それを聞いていた麗華さんが、ぴたりと箸を止めて口を開いた。
「あぁ、それね。井村が釣ってきたらしいわ」
「へぇ、そうなんで――釣ってきた?」
「そう、釣ってきた。彼、ああ見えてレジャーに明るいから。ついでに、それはアジ。なんでも、6月から7月は一番美味しい時期だそうよ」
そうなんですね、と感嘆の声をあげながらご飯を一口。
焼き加減は麗華さんの腕前で、皮はパリッ、中はふわっとした仕上がりで食がすすむこと間違いなしである。
朝食作りを日課にしている麗華さんだけど、だからなのか料理の腕前は相当なものだ。
いつだったか、「お料理上手なんですね」と言うと。
――別に大したことないわ。手の込んだものは作れないから。
と、随分あっさりとした返答だったのを覚えている。
彼女にとっては、謙遜でもなんでもなく、然程手間暇をかけず朝食に出せる料理しか作れない、という事実そのものなのだろう。
けど、裏を返せば自分が作る範囲内のものは、あっと驚くようなクオリティで作れる――いや、正確にはきっと舌も肥えているであろう久遠麗華が納得出来る味で作れる、ということなのだと僕は受け取っている。
僕が毎日の食事を楽しみに出来ているのは、ひとえに麗華さんや井村さんのおかげなのだと、心底痛感するのだった。
しかし井村さん……一体何者なのだろう。
かの初老の執事さんは、もしや彼こそが完璧超人なのでは、と思わずにはいられない万能ぶりであった。
朝食を終え、いつも通り後片付けは僕の仕事として終わらせ、井村さんがいつの間にか淹れてくれた日本茶で一息ついていると、ちょうど登校の時間になる。
行ってきます、と麗華さんと二人でお屋敷を後にし、雨の中を歩いて登校する。
土砂降りという程でもないが、雨足は弱くない。
昼を過ぎれば蒸し暑く感じるものの、朝はやはり、肌を撫でる風は冷たくひんやりとしていた。
ちらりと横を見やると、普段と一切変わらない麗華さんが歩いている。
やはりこの時期、目がいくのはその艶やかな黒髪だ。
肩より少し長い――セミロングに切り揃えられたそれは、湿気などものともしないかのように、真っ直ぐで妖艶な光沢を帯びている。
「何かしら」
と、意識を奪われていると麗華さんと目が合ってしまった。
「あ、ごめんなさい。梅雨の時期なのに、髪とかいつもと変わらないんだなってつい……」
咄嗟の言い訳だったが、時期に合ったものだったのか。
麗華さんは「あぁ、それね」と納得したように頷いた。
「手入れはしているから。たぶん、薫の方が大変よ。あの子も髪長いでしょう」
「あ、そうですね。ポニーテールであの長さだと、ストレートの状態ってもう冗談みたいな長さですよね」
神宮寺さんは、ポニーテールで毛先が腰ほどにも達する長さだ。
滅多なことではストレートヘアの状態を目にはしないけど、手入れの大変さは折り紙付だろうことを想像に難くない。
「神宮寺の家は代々、巫女の家系でもあるから。髪は昔から、依代や媒介として重宝されてきたし、あの子にとっては気分一つ、意志一つで切れないものなのよ」
「え、そうなんですか? じゃ、じゃあ、ずっと伸ばしてるから?」
「おそらくね。見栄えを整える為に切り揃える程度のケアはしてるでしょうけど、好きで伸ばしているワケではないと思うわ」
麗華さん曰く、一度でいいから肩にかからない長さにしてみたい、と零したことがあったそうな。
そりゃあ、いつからかは分からないけど、あの長さの髪と付き合い続けていたら、嫌気が差すのも分かる。
男目線でだって、あれだけ立派な長髪の手入れだなんて考えたくもない。
僕なんて買ったヘアシャンプーがしばらく持つし、夏場ならドライヤーなんてまず必要ないんだもの。
「って、ミコって……あの、巫女、ですか?」
ふと、会話の中で出てきた単語に聞き返してしまう。
僕の辞書では、「ミコ」と検索してヒットするのは一語のみである。
それは麗華さんも同じなのか、「そうよ」と頷き、続けてくれた。
「神社とかで見る、その巫女。今の時代じゃあ馴染みがないでしょうけど、一昔前はずっと『信仰』や『神様』は身近な存在だった。生活や人生に根付いたものだったのよ」
あぁ、それは何となく分かる気がする。
その名残で代表的なのが、「お祭り」だからだ。
あれだって、昔は五穀豊穣や無病息災を神様へ願い、その信仰の証として祭り上げるという行為を行っていた。
そういう点で言えば、昔から神と人はギブアンドテイクの間柄だったのだろう。
例えそこに、明確な上位下位の線引きがあったとしても、互いに必要とし合うからこそ、それは一つの歴史・文化と成ったのであろうから。
「神と人の橋渡しと考えれば、神宮寺家の歴史の長さも頷けるというものでしょう? 今でさえ、その概念は遺り続けているのだから」
その通りだ。
これだけ文明が発達した世の中でさえ、形としても遺るそれは、まさしく人々の意識に根を張っていた証左だろう。
僕だって、困りに困れば「神頼み」くらい、したことは一度や二度やじゃきかない。
なんて、いつの間にか神宮寺さんの話をしていたら、あっという間に学校へ着いてしまった。
いつも通り校門を通り過ぎ、グラウンドへ足を踏み入れる。
「――――」
瞬間、何か……瞬きほどの間だが、猛烈な違和感があった。
反射的に隣を歩く麗華さんに視線を向けると、感情が薄いというよりも、真剣な双眸が僕に「歩いて」と告げている。
ぐっと言葉に出かかったものを呑み込み、雨の中を並んで歩く。
「何処かの馬鹿が、敷地内に『細工』をしたみたいね」
「さ、細工?」
「えぇ。今はひとまず、気づかないフリをして頂戴」
頷くことはせず、僕はそこから口を噤んで歩くことに集中した。
慣れていたはずの昇降口への距離が、やけに長く感じる。
違和感の出所は不明だが、その性質には少し、憶えがあった。
(……見られてる?)
そう、視線だ。
この違和感は、自分が誰かにその存在を把握されている、もしくは、注目されている、という居心地の悪さによく似ている。
普段ならそのまま居心地の悪さで終わるはずのそれは、視線の方角が定まらない故、違和感として感じているのだと理解した。
まるで、全方位から自分を監視されているような窮屈さは、ともすれば息が詰りそうなほどである。
「それじゃあ、また」
「はい」
麗華さんと昇降口で別れ、僕は一階にあるC組へ直行する。
校舎内でも、違和感は変わらない。
周囲を見渡しても、同じような違和感を持っている様子は誰にも見られなかった。
普段だと暇潰し感覚で顔を出す神宮寺さんの姿は無く、しばらくすると、異臭に対して鼻が慣れていくように、違和感が薄れていくのが――余計に気味が悪かった。
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久々に、親しい顔の誰とも過ごさない昼を終え、放課後を迎えた。
今朝感じたような違和感は消えているものの、それがどういった理由なのかが分からず、僕は変な不安に襲われている。
麗華さんは、細工、と表現していたけど、魔剣使いの時みたいに、いきなり学校に手を出してくる相手が現れた、ということなのだろうか。
周囲の様子を探るが、外は変わらず雨模様。
帰宅する生徒も多いが、同じくらい校舎内で部活に勤しむ生徒も多い。
学校はどうしても一箇所に多数の人間が集まる場所なだけに、違和感を違和感で終わらせていい理由にはならない。
「…………」
ひとまず、こうしていても始まらない、と僕は校舎内を歩き始めた。
最初は神宮寺さんのいるA組を覗いてみるが、僕を視認するや否や「神宮寺さんならいないよ。入れ違いじゃない?」と言われしまった。
というか、僕からすると名前も顔も知らないA組の人に、そういう風な認知のされ方をしているのが、喜んでいいのか不安がっていいのか、余計な重荷を背負い込んだような気分になる。
気を取り直そう。
雲月君は教室にいることの方が少ないから、可能性として次の選択肢は生徒会室だ。
三階へ上がり、教室の並ぶ棟とは別の棟の奥へやってくる。
生徒会室の札を確認し、教室のドアを数回ノックする。
「どうぞ」
と、中から聞き慣れない男性の声が聞こえ、「あ、これは違うかも」と思いながらも、恐る恐るドアを横に滑らせた。
案の定、生徒会室には男子生徒が一人だけ。
黒髪に眼鏡。キリッとした目と顔立ちのその人は、僕を見て「何用かな」と用件を問い質す。
そりゃそうだ。用もないのに、普通は生徒会室にやっては来ない。
とはいえ、当ての外れた僕には、その「用」がないのである。
「えっと……あの、神宮寺さんって見ませんでしたか?」
「いや、今日は見てはいない。少なくとも、生徒会室に顔は出していないが。ここを利用する申請も、受けてはいないぞ、久遠満君」
自分の名前を呼ばれ、どきりとする。
なんで、と一瞬身構えてしまうが、その謎はすぐに解けることとなる。
「申し遅れた。私が生徒会長だ。よろしく」
「あ、はい。よ、よろしくお願いします……えっと」
「生徒会長だ」
「……」
なるほど。この人が、三年生で現生徒会長の人か。
うんうん、それは分かった。
がしかし、今のやり取りに言いようのない欠損を感じるのは、気のせいだろうか。
「あの……」
「む、まだ何か用があるのかね」
「お名前をもう一度……」
「聞こえない距離ではなかったと思うが――まぁいい。私が、生徒会長だ」
何かを閃いたように、僕はほぼ直感で理解する。
この人に関しては、深入りを避けるべきだと。
「はい。すみませんでした、生徒会長先輩」
「うむ。外は見ての通りの雨だ。長引けば、河川の水位も上がる。不用意に出歩かず、真っ直ぐに家へ帰るように」
「はいっ。それでは失礼します」
機械のようにお辞儀をし、僕は足早にその場を立ち去る。
危ない。
あれはきっと、何かの怪異に違いない。
とにかく神宮寺さんか麗華さんと合流し、たった今あった出来事を話さなければ!
なんて、そう都合良くはいかず。
散々校内を彷徨うが、結果として収穫はなし。
昇降口で靴を確認したが、麗華さんも神宮寺さんも、雲月君も、まだ校内にいるはずなのだ。
それでも、どういうわけだか出会えない。
まさか、これも「細工」とやらなのだろうか、と言いようのない不安が押し寄せる。
だが、僕一人で出来ることなどたかが知れているし、どう動くべきか見当もつかない。
途方に暮れ、最後に行き着いた先は――。
「やっぱり、誰もいないよね」
――雨降る屋上だった。
僕の知る、皆と出会える場所で唯一立ち寄っていないのが、屋上。
しかし、それも当然ながら無人であり、この長雨の中、立ち寄る物好きも僕の他にはいないだろう。
「あぁ、やっと出逢えた」
いない、はずだったのだが。
僕は屋上の入り口、校舎と外界を隔てる地点に立っていて、声に振り返ると誰もいなかった。
がしかし、それが気のせいだと、すぐに気づく。
「はっ、ほっ、よっと」
階段を楽しげな足取りであがって来た誰かは、ひらり、と軽く踊り場に現れた。
見慣れない銀の長髪。
宝石みたいな、碧の瞳。
純白のスクールシャツに紺色のスカートは、美小野坂高校のものではない。
明らかに日本人離れしたその容姿も相俟って、彼女が「異質」であることを全てが物語っていた。
「初めまして、クドウミツル」
「――――」
声が、出ない。
突然のことだというのもあるし、どうして僕の名前を知っているのかも。
そして何より――。
「あれ……おーい?」
――その、細く華奢な美しさに、圧倒されていた。
頭の天辺から足の先まで、全部が「整合の取れた形」というのが、どれほど息を呑むのかを、僕は思い知っていた。
可愛くて緊張するとか、綺麗で目を奪われるとか、そういう次元でさえない。
判断が、つかないのだ。
安全か危険かさえ、この女の子の前では、あやふやになる。
「あ――しまった。そっか、ミツルは男の子だもんね」
脳が硬直し、心が動きを止める。
魅了、されているのだろうか。
自分が今、陥っている状態を言語に当てはめることが出来ず、精一杯の抵抗として半歩、後退る。
辛うじて足は動いたが、それが限界。
交わる視線は、僕の意思に反して、彼女の翡翠の双眸に吸い込まれていく。
真っ直ぐに通った鼻筋と、その下に線を引く薄い唇。
例え絵や彫刻でだって、及ぶことは不可能なのでは、とすら感じるほどの完全性に、その美貌は造られている。
「仕方ない。出逢って早々、こういう真似はしたくないんだけどなぁ」
そう言い、彼女はすたすたと僕に歩み寄る。
それが、どういうわけだか、まるで躍っているようにも感じ、揺れるスカートの端はドレスのそれに見紛うほど、僕の脳は麻痺していた。
「――っ」
足から力が抜け、その場にへたり込んでしまう。
そんな僕に、銀の少女はふわりと跨がり、僕を押し倒すような形で見下ろした。
「安心して、ミツル。大丈夫、少しだけだから」
すぅ、と顔が近づいたかと思うと、首筋に暖かな吐息がかかる。
全身を熱い感覚が駆け抜け、同時に胸が締め付けられるような息苦しさが迫り上がってきた。
熱く、濡れそぼった舌先が触れ、次いで皮膚を皮膚が覆う感覚に、思わず拳を握った。
つぷ、と肉を刺す痛みに、一瞬だけ視界が白く弾ける。
「――……は、」
気づくと、身体が軽くなっていた。
少なくとも、先ほどまでの全身を襲っていた硬直感は嘘のように消え、それ故に、唐突な自由に唖然として動けない。
そんな僕を、「ふぅ」と息吹を残し、顔を上げた少女が真っ直ぐに見下ろしていた。
これはこれで、脳が停止するほどの刺激だ。
素性の知れない銀の美少女が僕に跨がり、あまつさえ、気を抜けば息が触れ合うほどの距離にいる。
全く以て、意味が分からない。
数多の美少女に囲まれる物語の主人公だって、もう少し説明のきく状況なのではなかろうか。
「ん、目が覚めたみたいだね」
僕の顔をまじまじと眺め、その少女は鈴を音のような声で満足そうに笑う。
「えっと……あの、どちら、さま?」
「ふふ、さぁボクは誰でしょうか?」
そんなの、僕が聞きたい。
本当に、嘘偽り無く、一切合切、身に憶えがないのだから。
分からないことだらけの中、一つだけ確かなことは、この少女は僕の反応を見て、楽しんでいるということだった。
「でも、意外だなぁ。今までの男の中で、一番効き目が凄かったよ、キミ」
「……話が全然見えてこないんですけど」
「まぁそうだよね。でも、もう少しだけ、何にも知らないミツルを楽しんでいたいな」
人に覆い被さる寸前の距離感で、そういうことを言わないで欲しい。
意識がはっきりする今は、彼女から伝わってくる熱や香りがダイレクトなのだ。
さっきの脳が麻痺した状態だと、フィルターを通していたような感覚が、今は純粋な状態で目の前にある。
心臓に悪いし、目のやり場に困るし、こんなところを誰かに見られたら、僕の高校生活は更なる窮地へ追い込まれてしまう。
「うんうん。そっかそっか」
「な、なにが?」
「ドキドキしてるでしょ、ミツル」
「そ、そりゃね!? こんな距離で、緊張しない方がどうかしてるよ!?」
「ふぅん、そうなんだ。……わぁこれ、面白いなぁ」
どうしてこう、美少女って悪魔っぽい人ばかりなんだろう。
完全に僕の反応を玩具にしている点は、神宮寺さんにそっくりだ。
あれか、自分が圧倒的優位だと、人間っていうのはそうなる生き物なのか。
「けどまぁ、手持ちの願いだとこれくらいが限度かな。ボクとしては、会えるだけで満足だったんだけどね」
銀の少女は、相変わらず話の飲み込めないことを口にすると、ゆっくりと僕から離れていく。
そこへ――。
「動くな」
――聞き慣れた、鋭い声音が斬り込んできた。
「う、雲月君!」
がばっと上半身を起こし、辺りを見渡すが、最上階の踊り場からでは、下の様子は見えない。
慌てて立ち上がり、階段の下を確認する。
そこには、警戒心を顔いっぱいに浮かべた、雲月君が立っていた。
「満から離れろ」
「はいはい、別に何もしないよ。――ふぅん、逆にキミは何も動じないんだね」
「喋るな。首が落ちるぞ」
雲月君の口調には、脅しの気配はない。
むしろ、本気だ。
相手を威圧しているのではなく、明確に「下手を打てば殺す」と言っている。
それを察してか、銀の少女は表情で「やれやれ」と言いながら、壁際まで下がった。
僕はその隙に雲月君の元へ逃げようと動くが、それも制止されてしまう。
「何者だ」
「――――」
「目的は何だ」
「――――」
少女は答えない。
しかし、その表情に緊張の色は見られなかった。
そこで、僕には「まさか」という考えが浮かび上がる。
「雲月君……この人、喋るなって言ったから、黙ってるんじゃ……」
「だとすれば、余程性根が歪んでいる証拠だな。見た目以上に面妖らしい」
吐き捨てるように雲月君が言うと、銀の少女は「黙って聞いていれば」と口を開いた。
「失礼だなぁ。面妖って、ボクみたいなどこからどう見ても美少女な子に使う言葉じゃないよね」
「己で己を賛美する輩は、大概信用ならん」
「あぁ、それは同感。でも、ボクは別だよ? 嘘偽りなく、そういう風に造られたんだから」
と、さも当然のように語り、少女は階段を下り始める。
「殺すなら殺せば。生憎と、ボクは荒事用じゃないから。キミが驚くくらい、すんなり殺せるよ」
「……」
雲月君の表情は本気だ。
その手には何も手にしてなくとも、首を落とすと言えば、それを成し得るだけの迫力がある。
しかし、そうでありながら動けないのは。
「本当に何者だ、お前は」
相手もまた、嘘を言っている風には見えないからではないだろうか。
「手間を省こう。どうせ名乗るなら、役者が揃ってからがいいでしょ?」
悪戯っぽく笑うと、階段を下りきってから窓際へ、すたすたと歩いて行く。
それとほぼ同時に、下の階から複数の足音が駆け上がってきた。
「神宮寺さん、久遠先輩!」
僕だけが屋上の踊り場にいて、見下ろす形で二人の名前を呼ぶ。
三階の踊り場で対峙する、銀の少女と他三人。
神宮寺さんと麗華さんは、僕が無事であることを確認すると、そのまま謎の少女へ向き直る。
再び素性を問い質されるよりも早く、銀の少女はスカートの端を掴むと、優雅な動作でお辞儀をした。
「秘跡調査会より参りました、ウィルセント・ヌヴィエム・レリクスです。皆さん、よろしくお願いしますね」
秘跡、調査会。
その言葉に、僕は凍りつく。
詳しい内情は知らなくても、その名前が三法機関の一つであることは、確かな知識として持っていた。
「顔役とは、此奴のことか」
雲月君が聞くと、神宮寺さんと麗華さんは二人とも首を横に振る。
「あぁ、ロンドバルトは本部の人間だよ。ボクとは面識もないんじゃないかな」
「秘跡調査会らしいわね。それで、貴女はこんなところで何をしているのかしら」
「ミス・クオン、いい質問です。でも残念、あなた達が期待するような返答は出来ない定めです」
「そう。なら警告してあげる。私、回りくどいのはあまり好きではないの」
「もぅ、血の気が多いなぁ。……ボクは、ただミツルに会いに来ただけだよ」
「理由は?」
「別に? 会ってみたかったから会いに来た。それだけだよ」
場が膠着する。
銀の少女――ウィルセントは、確かに嘘を言っている素振りはない。
けど、言っている内容はめちゃくちゃ――というか、にわかには信じ難い。
第一、僕は彼女と面識がないのに、会いたいも何もないだろう。
「キミ達はミツルの側にいるから、分からないだけ。ボクら部外者からすれば、彼は興味の対象だよ? なんせ、二度も不死者に襲われているんでしょう? そして二度、生還している。そして、その背後にはタナトスの追う男の影がある」
ほら、会わない理由がない、とウィルセントは「どうだ参ったか」とでも言わんばかりの表情で言ってのけた。
そこで、ようやく三人の態度に変化が現れる。
「先輩、タナトスって……聞き間違いじゃないですよね」
「聞き間違いたいけれどね。……貴女、それは本当なのかしら」
「本当だよ。少なくとも、ボクがこの国にいる理由の半分以上は、タナトスだからね。何をしようとしているかは分からないけど、まぁどうせ碌な事じゃないだろうし? せめて、狙われている人物くらいは確認しておきたいでしょ」
何かあった時の為に、と真面目な表情で銀の少女は語る。
「事情は理解した。だが、手段に問題がある。オレはお前を信用どころか、敵と見ているが」
雲月君は、警戒の圧を緩めない。
それを、ウィルセントはするりと躱すように、言葉を続けた。
「それをボクに言われてもね。三法嫌いなのは、御紋会じゃない。だから、会う為に少しばかり証紋を使わせてもらっただけだよ。スキンシップは、ちょっとした事故」
ね、ミツル?――と、思わぬタイミングで爆弾が手渡された。
「スキンシップ?」
聞き返すように、女性二人の視線が僕に突き刺さる。
「あ、いや、これはその、僕もちょっと事態が飲み込めてないって言うか」
「そういうこと。だから、目を覚ましてもらうのに、ちょっと触れ合っただけだよ」
「――――ぶ!?」
なんてことを言うのか、この少女は!
悪魔か! 悪魔なのか!
せめてこれが嘘八百ならいいのに、なまじ事実なだけに僕の思考回路はショート寸前になる。
「ふぅん……なんか、クドウくんいい思いをしたみたいだね?」
「後で詳しく聞かせて貰おうかしら」
明らかに含みのある言い方が、僕の心臓を鷲掴みにする。
こう、命を握られている、といった意味合いで。
「そういうことだから、さっきまでミツルと出会えなかったのは、ボクの証紋の影響ってこと。もう効力は切れたから、安心していいよ」
「馬鹿言わないで。それ、今後も同じ事態になるってことじゃん」
一気に警戒の色を強める神宮寺さんに、ウィルセントは淡々と返す。
「ならないよ。することは出来るけど。ボクの証紋は自由が利かないから、やらない」
「他人の学校にやって来ておいて、その言葉を信じろっての?」
「うん。第一、ボクだけじゃないでしょ。この学校には、二つ手が加えられている。一つは結界。もう一つは、地質汚染。石と土を注意深く探してみることだね、何か見つかると思うよ」
それは、思いも寄らない手がかりだった。
おそらく、登校時に感じた違和感は、それだ。
「私達でさえ、把握に手を焼いていたのに、貴女――どうやってそれを調べたのかしら」
「初めからこうなることは分かっていたから、交渉のカードとして、証紋の力で少し探りを入れただけ。残念だけど、情報は今ので全部だから。より詳細な内容が掴みたいなら、協力するけど」
いきなりの申し出に三者は顔を見合わせ、ほんの僅かに警戒の強度を下げた。
麗華さんが、腕を組みながらウィルセントへ問う。
「協力する、とは具体的に?」
「秘跡調査会は、キミ達の側につく、ということだよ。ま、ボク個人と言い換えてもいいけど」
「ということは、本部とは別の意向で動いている、と見ていいのね」
「ロンドバルト――あぁ、派遣司祭のことね。彼とは別の信仰だから。ボクの目的はタナトスの制御。早い話が、この街の崩壊を防ぐこと」
「それは、貴女一人だけ?」
「そうだね。と言っても、ボクは基本、単独で行動しているから。他の信仰派閥の動向には、あまり詳しくない。身内受けが悪いんだよね、ボク」
嫌になっちゃうよホント、と愚痴っぽく零すウィルセント。
「ま、ボクとしてはミツルが思いの外、『らしい人間』で嬉しいかな。うん、久々に星の巡りに感謝する気分だ。――聖女として、護るに不足はない個人っていうのは、そうそういないから」
聖女。
その単語に目を丸くしたのは、意外にも僕だけではなかったようだ。
「――――はい?」
曇天の放課後。
僕らを取り巻く混迷は、まだまだ続いていく様子だった。




