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午後のメニューは、組み手。
というわけで、僕ら三人は仲良くジャージ姿で体育館の一角に集まっていた。
相変わらず運動部からの視線が刺さるが、他二名はそんなことなど一切関係がないように振る舞っている。
「あの……これ、大丈夫?」
「え、なにが?」
きょとん、とした顔で神宮寺さんが首を傾げる。
いや、一番注目されてるのは多分、あなたですが。
「すんごい見られてるよ、僕たち」
「あぁ、気にしない気にしない。別に私が組み手してても、中学一緒だった人なら納得するだろうし」
「そうなの?」
「うん。当時の空手部、柔道部のエースは全員投げ飛ばしてるから」
「……」
おそらく、「荒れていた」という時期での出来事なのだろう。
美小野坂の格闘王なる異名を持つ彼女の歴史を紐解くのは、遊び半分で開くには不穏過ぎるので、ひとまずスルーすることに。
お互いに準備運動を終えると、神宮寺さんがスッと構える。
「組み手って言っても、可能な限り実戦形式でやるから。ひとまず、クドウくんは私に一本獲られないようにだけ集中して」
「は、はいっ。……っても、どうすればいいの?」
「走って逃げる、とか以外なら何でもいいよ。拳も蹴りも、どんとこい」
「えっ」
さ、さすがに……それは、ここでは出来ない。
仮にドのつく素人の僕であっても、学校のアイドル相手に拳と蹴りを繰り出そうものなら、下手をすればそのまま職員室送りである。
そう思いながら始まる、僕対神宮寺さんの組み手。
初動は僕からで、それに合わせてくれるという神宮寺さん。
そして、僕は数分の内に、彼女の言葉の意味を思い知るのだった。
「……ま、参りました」
都合六回。
いずれも初手であっという間に崩され、そのまま投げられるか拘束されてしまった。
目にも止まらぬ早業、というわけではないのだが、無駄が一切ない、と言えばいいのか。
掴みかかろうとしても払われ、逆に逃げようと身を引けば、上半身か下半身の重心を崩される。
何より、体幹がしっかりとしているのか、僕程度ではびくともしないことに、びっくりした。
見た目は細身な女の子なのに、互いに衝突し合うと、その強靱さが分かる。
「んー……もうちょっと思い切りが欲しいかなぁ」
「お、思い切り?」
「うん。技術や動きの拙さは、しょうがない。けど、迷いがあるのはいけないね。それだと、いざって時に動けないよ」
「……」
言われ、これがなんの訓練なのかを思い出す。
そも、僕が神宮寺さんを倒す、というのは天地がひっくり返っても無理な話である。
要は、動きに対する慣れ。
相手がいる状況を想定し、その上で思ったとおりに自分を動かす、という訓練だ。
だから、やりづらいであろう事を承知で、雲月君ではなく神宮寺さんが、組み手の相手をしてくれている。
「でも、これで私の実力は少し分かったでしょ? 次からは、もっと本気でかかってくるよーに」
「は、はい」
僕は正座をして、大人しく先生の言うことに頷く。
いやしかし、見事なものである。
やられる側の僕ですら、自分がどれだけ綺麗にあしらわれているかが分かるのだから、本物の技であろう。
痛みもなければ、投げられた時の衝撃も少ない。
流れる視界が止まる頃には、すとん、と寝転んでいるのだから不思議である。
僕が小柄、というのもあるけど、それにしたって人間一人は重さとしてはまとまった重さだ。
「――――!」
覚悟を決めて、神宮寺さんに掴みかかる。
けど、伸ばした手はさっと細い腕に絡め取られ、視界から彼女の姿が消えたと思ったら、膝がかくん、と折れ曲がる。
そのまま重心の軸を失った僕は、七度目となる転がりを見せた。
仰向けに倒れ、その上には神宮寺さんの顔がある。
「そこまで」
判定係の雲月君が、ぴしりと終わりを告げる。
……なのだが、未だ僕の頭上に神宮寺さんの整った顔があった。
細い眉に薄い唇。
こうして見ると、麗華さんとはまた違う、こう……可愛さがあるなぁ、なんて僕はふと思ってしまった。
「……クドウくん」
「へ?」
「手、離してもらえる? さすがに、掴まれたままだと動けないから」
「あ――ご、ごめんっ!」
言われ、自分がずっと神宮寺さんのジャージを掴んでいたことに気がつく。
お互いにサッと立ち上がり、埃を払うような仕草でお茶を濁した。
うぅ、自分でも顔が赤いのが分かる。
ほぼ公衆の面前で、なんてことをしてしまったのか。
「悪くはないな」
「え?」
「初めて、最後まで手を離さなかったろう」
雲月君に指摘され、僕は「あっ」と数秒前を振り返る。
正直、あれは意図していたわけではないのだけど……。
「相手に実力で劣る時、生死や勝敗を分けるのは執念だ。根性論、と言えば聞こえは悪いが、あれはあれで理に適った考え方だ」
そう語る雲月君の顔は、真剣そのものだ。
そうなると自然、僕や神宮寺さんもさっきまでの気恥ずかしさは捨てて、聞き入ってしまう。
「肉体は精神で動く。殻と核の構造理論は様々なものに運用されているが、あの概念の大元は言わずもがな人間だ。故に、人は時に運命さえ狂わせる。諦めない限り、人間は目的へ手を伸ばし続ける。耳障り良く言えば、『決意』が結末を凌駕する」
それは、確かに根性論であり、昨今では肩身の狭い精神論だった。
けれども、そこに嫌味を感じないのは、どうしてだろうか。
「満、『諦めない』という事は武器だ。扱いを知らねば自身を傷つけ、最悪は死に至らしめる。だが同時に、その想いが絶対を覆すこともあり得る。受け売りで申し訳ないが、これが所謂――『奇跡』の起源だ」
「き、きせき?」
「うむ。強者が弱者に敗れるというのは、戦士の間ではありふれた話題でな。剣士に限った話でもない。その上で、君に必要な『武器』を語ったまでだ」
目の前の武人は語る。
古今東西、戦いとなれば様々な物語、人生が紡がれてきた。
その中で、古くから人々に親しまれてきたものが――奇跡による勝利だ。
「また、随分とスピリチュアルな事を言うなぁ」
しかし、同じく武を収めているはずの神宮寺さんは、ピンと来ていない様子。
それに対して、雲月君は「だろうよ」と頷いた。
「神宮寺は弱者ではないからな。当然、オレもだ。そも、実力や技量の有無で裁定されるものではない。強弱とは、生まれ持った性質・属性の類いだ。例え百戦無敗の達人であろうと、それだけで強者と決まるワケではない」
「え~……それはちょっと、言い過ぎじゃない?」
「言い過ぎなものか。強者には、常に隙がつきまとう。そして、弱者には無力がのし掛かる。強弱とは高低で見るものではなく、横並び――つまり、相性の問題だ。強く力ある者は、弱き者の執念に敗れ。弱く力なき者は、強く力ある者に蹂躙される」
そういった理屈でいくと、僕は間違いなく「弱者」だと彼は言う。
それは運動神経が良いとか、頭が回るとか、容姿が端麗だとか、そういう分かりやすい武器を持たず、一見すればただやられるだけの、無力な存在。
しかし、だからこそ――強者はどれだけ警戒しようが、彼らを相手に完全に隙をなくすことは出来ない。
油断とは文字通り、一種の運命的な隙を意味するから、だそうだ。
「話を戻すが、満。君はその性格を含めて、弱い人間だ。だからこそ、奇跡を武器に出来る。力ある者は、『既に両手が塞がっている』からな。それ以上、獲物は手にできない」
なんとなく、雲月君の言っていることは理解出来た。
自分でも不思議だけど、彼の言う奇跡とは、一般的な運頼みの出来事ではない。
どれだけ絶望的で、どうにもならない状況でも、前を向くこと、歯を食いしばり面を上げ、足を踏み出す姿勢。
その先に、ほんの瞬間だけ指先に触れる、逆転の機会を指していると。
「人間とは面白いものでな。陳腐なものほど、効き目がある。大抵、他人の興味を惹かないものは、使い古されたものだ。だが考えても見ろ。――どうして、人はそれを使い古した?」
「――あぁ、なるほどね。そういうことか」
そこでようやく思い至ったのか、神宮寺さんも腕組みをして頷く。
「それだけ、便利だったから、とか……使う必要があったから、かな」
「その通りだ。通常起こり得ない現象を奇跡と呼ぶのは、珍しい話ではない。表現としては、月並みにも程がある。だが、それは間違いなく、君の敵にとって天敵になる武器だ」
いつだって、弱者を屠るのは強者の役割だ。
だからこそ、偶然をたぐり寄せ、思わぬ機会を作り出す存在は、須く彼らにとっての天敵となる。
「でもさ、強者でも執念のあるやつはいるでしょ。そういう相手にはどうするの」
「その執念が隙になるだけだ。いいか、隙のない人間は強者ではない。完全な生物など、そもそも『生き物でさえない』だろうに」
「うぐ……確かに」
「強弱は表裏一体。互いが互いにおける、最も警戒しなければならない相手だ。まぁ、だから命やそれを超える何かを懸けた勝負は、最後まで分からん」
それはきっと、雲月賢史という少年が幼少から培ってきた、戦いにおける心構えだった。
それに、神宮寺さんは小さくため息をついて。
「はぁ、そりゃ強いワケだ。どんな相手でも、自分より上か下かを考慮しないって事でしょ、それ」
「オレの話なら、そうなる。だが、今は満の話だ。彼がこの先、不死者と相対するなら、『諦める』ことは深い傷になる。弱者にとっての苦難であり、試練だな。だから、良い機会と思い助言したまでだ」
「……ありがとう。諦めない、かぁ。出来るかな」
「今のが偶然だとしても、その感覚を忘れるな、ということだ」
それが、言葉ほど容易ではないから、僕はこうして訓練をしている。
きちんと身につくように、何度も反復練習をしないと。
「うん、頑張るよ。……だから、神宮寺さん、もう一度お願いします」
「オッケー。じゃあ、そろそろ強めに投げてもいいかな」
体育館の隅で、僕ら三人の奇妙な訓練はその後もしばらく続いた。
終わる頃には、僕は身体の節々が重く、明日の筋肉痛を思うと憂鬱になるほど、完膚なきまでに投げ回されたのだった。




